memories:ゆず



 お互い休みが被る前日は、どちらかの家に泊まるのがいつの間にか決まりごとのようになっていた。その時は自然と役割も決まっていて、ご飯を遥が作ってくれ、私はお風呂をためる。───だったはずなんだけど。

 私が少しばかり顔が浸かるまで潜り込んでいる今日のお風呂は遥が入れてくれたものだ。

 ぴちゃん、と水滴が落ちてきて鼻先に冷たくぶつかり飛び散っていく。その冷たさに少しだけ眉間に皺を寄せると、私は入り口の扉に目をやった。

 曇りガラスの向こうにはそこに寄りかかる遥の背中が映し出されている。

「ねぇ、なんでそこにいるの?」

「……湯加減どう?」

 ふわりと反響する私の言葉に応えることなく、質問に質問を返されてしまった。

こういう時の遥はこれ以上問い詰めたって私の質問に答えないことは分かっている。それでも納得がいくわけではなく、私は少し口をとがらせて「湯加減はいいよ」と応えた。

 普段お風呂の前に陣取る、なんてことはしない遥だから、何かあるのだろうと思うけど……どうせすぐには応えてくれないんだ。

 小さく息を吐いて、仕方なく言葉を付け足す。

「今日ゆず風呂なんだね」

 風呂蓋を開けて初めに感じたのはゆずの香り。

 鼻先を擽る匂いの元を辿れば、一口サイズほどに小さく切り分けられた柚子の皮の入るティーバック袋が浮かんでいた。少しだけ掌で握り潰すと柑橘の甘さの中に少し酸味を感じさせるその匂いがして私はうっとりとする。

 いつもは入浴剤なんて入れない。だからかなんだか新鮮で、少しピリッと感じる肌の感覚も、何処となくしっとりと馴染む肌の潤いの前には他愛もないことのように感じる。

「実家から柚子大量に送られてきたからさ、ジャム作ったんだ。んで皮の使えなさそうなところ集めて風呂にしてみた」

「たまにはこういうのも何だかいいね」

 腕を前に大きく伸ばし、お湯を掻き集めるように自分の方に戻すと勢いよく顔にそれを掛ける。ホッと一息つくと、浴槽の縁に後頭部を預け、静かに目を閉じた。

 なんだか体が浮いているような、深く沈んでいるような、変な感覚がする。

「あぁ、今日はほんと疲れたなぁ」

 思いがけず漏れてしまった言葉は湯気に紛れてどこかへ吸い込まれていく。

「なんかあった?」

 遥の淡々としたその声色に、引っ張られるように言葉が漏れる。

「ん~。最近さ、ちょっと大きめのプロジェクトのリーダー任されたんだよね。でも、そのチームメンバー、皆私より年齢もキャリアも上な人ばかりでさ。色々頑張ってはみてるんだけど若造の言葉を全然聞いてくれないんだよね。でもそれじゃあ当然仕事はまとまらないし進まなくて……」

 そっと目を開ける。湯気が立ち上る空間は何処か幻想的に見えた。水面を掻き分けるように身体を捩り、遥の背中の映る入り口の方の湯船の縁へ両腕をつきそこへ顔を埋める。

「でも、柚子風呂に使ったらそんな疲れ溶けて消えちゃった」

 緩む口角に任せて「ありがとう」と言葉を紡げば、

「あ、そう。ならよかったな」

 と、ぶっきら棒だけど、何処か嬉しそうな声色が返ってくる。

 ───あれ、もしかして私のこと心配してくれていたんだろうか。

 そう思うと現状の行動も納得がいって、思わず笑ってしまいそうになる。

「ねぇ、なんでそこにいるの?」

 緩む口元で発した言葉は、何処か悪戯っぽく、それでいて嬉しそうに反響した。

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