memories:ポインセチア
はぁ、私は気づかれないように小さく息を吐いた。
妙に拍子の外れた鼻歌が静かな生徒会室に響き渡っている。
私は事務作業の手を少しだけ休めて、気づかれないようにそっと鼻歌の主に視線をやる。
「ふんふんふ~、ふんふんふ~、ふんふ~ふふ~」
彼は私に背を向けるように床に座り込んで、さっきからああして鼻歌を歌いながら時折自ら持ってきたビニール袋をガサガサ漁っては楽しそうに何かしている。
はぁ。
もう何度目かになるかわからない溜息が漏れる。
彼がここを訪れたのは30分ほど前のこと。
「会長ぉ~」
そういって勢いよく開けられた扉の前にあったのはスクールバックを背負いニコニコと後ろ手に満面の笑みを浮かべた寺嶋の姿だった。
「寺嶋、君はここを何処だと思っているんだい。学校だ、生徒会室だ、君の家などではないんだ。元気なのは君の良いところだと思うがノックくらいしたらどうだ」
そう苦言を唱えても、「あ、ごめんね会長」と反省しているのか、一瞬しゅんとなっても次の瞬間には笑顔を携えている彼の前ではこちらも苦笑するしかない。
「また、なにかあったのかい」
好きな人が出来たらすぐ告白しフラれるという彼の悪癖はそれで終わらず、いつの頃からか私に報告する、までが一連の流れのようになってしまっているようだった。
彼がここに来る、ということはまた誰かにフラれたのだろうか。チクリと傷む胸の奥に気付かない振りをして私は今日も問いかける。
───だが、今日はいつもと少し違うようだ。
「あのさ、あのさっ」
そう興奮気味に生徒会室にバタバタと乗り込んできた寺嶋は「生徒会室に花、置いてもいい?」と勢いよく私の目の前にそれを差し出す。艶やかな赤と緑に染まったこの時期らしい鉢植えだった。
「ポイン、セチア……?」
「ゆっきーがくれたんだ! これ貰ってどうしようかなって俺考えたんだけどさ、生徒会室にあった方が絶対いいと思って持ってきた!」
「え、あ、あぁ、ありがとう……?」
勢いに圧され、思わず漏れたお礼の言葉に彼は満足したのか、得意げにふんと鼻を鳴らし、私に背を向けると床に座り込み、上機嫌に鼻歌を歌いながらなにか楽しそうに作業を始めたのだった。
残された私は現状を認識すべく、頭を巡らす。
ゆっきー、といっていたな。……あぁ、3年の山下佑貴のことだろうか。確か彼は園芸部だったな。あの鮮やかなポインセチアは恐らく彼が育てたものだろう。彼がなにかの流れて寺嶋にそのポインセチアをプレゼントしたのだろう。そしてそれを生徒会室に持ってきた、というところだろうか。何故生徒会室に、なのかは分からないが、どうせ自分では育てられないとか、会長に見せようとかいつものなんでも報告したがる彼の悪癖といったところだろう。私は君の母親ではないというのに。
はぁ、と思わず漏れた息に私は苦笑する。嬉しいような、切ないような、鼻の奥が少し傷むようなこの現状を甘んじている自分に。
そうして何度目かの溜息を漏らした私は、また目の前の作業に戻る。相変わらず生徒会室には妙に拍子の外れた鼻歌が響いている。
そこもまたなんだか心地よくて無意識に目を閉じかけた時だった。
「でーきたっ」
そういって寺嶋がすっくと立ちあがる。
「じゃじゃ~ん」
そうしてニヤニヤと、そわそわと、なにかいいことでも思いついたいたずらっ子の子どものような顔してゆっくり近づいた彼は、初めと同じ様に勢いよく私の前に先程の鉢植えを差し出した。よく見れば差し出された先程のポインセチアの鉢植えは、サンタや柊、クリスマスリースといったクリスマスモチーフのオーナメントで飾られている。
「クリスマス近いし、それ仕様にしてみたっ。クリスマスツリーとかさすがに学校に持ってきたらダメだろうし、コレこの時期に良く見るやつでしょ」
ポイン……と言いかけて、唸ったまま続きを思い出せそうにない彼の代わりに「ポインセチア」と答えを告げる。そう、それっ! と嬉しそうな相槌が返る。
「生徒会室ってうちの教室なんかよりも暖房効いてたりとか凄い温かいんだけど、なんかこう寂しいじゃん? この花真っ赤だし、派手だし。だからコレあったら賑やかで会長も寂しくないかなぁって思ったんだ」
そういって鉢植えを作業机に置くと、少し目を細め、寺嶋は柔らかく笑った。
あぁ、なんで君はいつもそうやって私を困らせるんだろう。
「っ」
喉元まで出かかったなにかが詰まって、───仕方なく私は苦笑を漏らした。
「残念だがこの赤い部分は花弁ではなく葉っぱなんだ」
「まじでっ?」
目が零れ落ちるのではないかというほど大きく目を見開いたあと「こんなに綺麗なのに花弁じゃないとかすげぇ!」と驚く彼の姿に私は更に苦笑する。
鉢植えの前に座り込むと彼は目を輝かせながらポインセチアを見つめた。私の方はそのまま事務作業に戻ることにする。
暫くするとまたあの鼻歌が聞こえてくる。妙に拍子の外れた、でも、楽しそうで、何処か心地いいあの鼻歌が。
ふんふんふ~、ふんふんふ~。頭の中で私もそれを奏でる。思わずつられて歌ってしまいそうだな、なんて考えていればいつの間にか彼の鼻歌が止まっている。
どうしたのかと、机から視線を上げれば、少し驚いたような小さく口を開け呆けた彼の姿が目に入る。なにかあったのだろうかと小首を傾げれば、ふにゃっと表情筋を緩め、だらしなく口元を緩める寺嶋と視線が合う。
───まさか、口に出てしまっていたのか。
「い、今のは忘れてくれ」
「いーやーだー」
ふへへっと声を漏らすと、寺嶋は嬉しそうにまた鼻歌を歌い始める。
あぁ、もう、勘弁してくれないだろうか。彼といると調子がくるってしまう。
はぁ。
その日何度目かの溜息を漏らしながら、私は作業に戻るのだった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます