コトノハガキ

桐富

memories:白薔薇



 今日しかないと思った。

 鏡に向かって最終確認の笑顔の練習をする。いつも以上に気合いを入れた髪型、普段はしないうっすらと色付くリップを塗って、両手で頬っぺたを軽く叩いて気合いを入れた。

 去年の春、入学したばかりの私は、桜舞う中で花壇の手入れをする男子生徒を見かけた。うっすら頬を伝う汗を拭いながら、彼の眼差しは、真っすぐその目の前の花に向けられていた。その何気ない仕草に気がつけば目を奪われていた。

 ふと彼の首元に目をやれば、学年毎に違うネクタイ色が2年生を示す赤色をしていた。

「……センパイ」

 そう言葉にしてみるとなんだか胸が締め付けられる気がして、彼から目が離せなくなって、それが恋だと自覚するのに時間はそうかからなかった。

 運命とは、きっとこういうものなのだと思う。

 それからは自分でもびっくりするほどの行動力だった。幽霊部員ばかりで実質先輩1人だけの園芸部だと知ると、すぐに園芸部に入部した。先輩の隣にいる為に、植物関係の本をたくさん読んで勉強した。一年経った今、よく見かける花の名前は覚えたけれど、素人目には似たような花ばかりで結局は挫折してしまった。ただ、花言葉だけは妙に興味を覚えて、花の名前さえわかればすらすらと答えられる程には覚えた。

 今日も先輩の視線は花に向けられ、未だに園芸部とは名ばかりの素人に季節毎の花の種類やその特徴を楽しそうに雑草を抜きながら教えてくれる。本当に花が好きなんだなと思う。

 この時間が、もっと続けばいいのにと思う。

 この瞬間だけは、誰の邪魔も入らない、先輩と私だけの大切な空間なのに。

 それでも、時間は無情だ。たった1年の差を私にはどうしても埋めることは出来ない。このまま何もしなければ、先輩は何も知らないまま卒業してしまう。この想いはいつか誰の目にも映らない、存在さえしなかった思い出に変わる。そんなこと、認めたくなかった。少しでも可能性があるなら、先輩が私のことを意識してくれるなら、諦めたくなかった。

 だから、今日を選んだ。

 ずっと黙っている私を心配して、先輩が声をかける。視線が合えば、今にも泣きだしてしまいそうに胸の奥が締め付けられた。


「先輩」


 今日は私の誕生日。唯一、先輩と同じ歳になれる日。だから、対等になれる気がした。


「私、先輩のことが」


 後輩としてではなく、1人の女の子として、先輩に向き合ってもらえる気がした。


「好きです」


 絞り出すように紡いだ私の精一杯の想いは、先輩に届いただろうか。

 遠くの方で、チャイムの音が響いている。ゆっくりと言葉を紡ぐ先輩の唇。身体はここにあるのに、まるで心だけがどこか遠くに行ってしまった気がした。


 ―――先輩の少し照れくさそうに笑う顔。私はその笑顔が大好きだった。


 赤く染まる帰り道。きっと泣いてしまうと思っていたのに、案外涙は出ないものだなと思う。私の気持ちはそんなものだったのかと自嘲気味な笑いが漏れる。


「おい」


 不意に声をかけられ、油断していた私の口から、ひっ、と悲鳴にも似た声が漏れる。声のする方へ振り向けば、見知った顔がそこにあった。―――晴哉だった。子どもの頃からの腐れ縁はなんだかんだと続いていて、ガキ大将だった晴哉は期待を裏切らない成長をとげ、もともと目つきが悪かったのも相まって、すっかり周りの男子からは尊敬の眼差しを向けられ、女子からは怖がられる存在となっていた。

 そうして、何故か誰にも会いたくないこんな時に限って、狙ったようにこいつは私の前に現れる。

「なに?」

 そう問えば「ん」と、ぶっきら棒に差し出されたのは小さな紙袋だった。

 受け取ったもののどうしたらいいのかわからず、開けてもいいのか視線を向ければ、早くしろといわんばかりに顎で軽く促される。

 気持ちばかりラッピングされている袋を開ければ、中には白薔薇をモチーフにした可愛らしいヘアピンが入っていた。えっ、と驚いて視線を返せば「今日、お前誕生日だろ。まぁ、あれだ。だからなんて言うか……」何事も歯に衣着せぬ普段の晴哉からは想像できない徐々に消え入りそうな言葉は続く。

「こういうのよくわかんねぇけど、お前に似合いそうな気がしたんだよ」

 聞こえるか聞こえないかギリギリの呟き。こんな可愛いヘアピンをどんな顔をして買ったのだろうか。それを考えるとなんだか微笑ましく思えた。

「ねぇ、この花の花言葉、知ってる?」

「知るわけねぇだろ」

 さっきとは打って変わったその強気な態度に、言葉に、私は思わず吹き出してしまった。

「だろうね」

「なんだよ、いらねぇなら返せ」

「嫌だよ、だってもうこれ私のだもん」

 きっと、この花の花言葉は強気な彼に良く似合う。

 バカみたいに笑い合って、昔みたいに自然と差し出した手は、昔とは違う私よりも大きな手に掴まれて、零れ落ちた雫を、私も晴哉も気づかないふりをして何も言わず隣に並んで歩き続けた。



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