memories:リナリア
「お姉さんはほっとくと水をやってくれないから」
そうやって、私をお姉さんと呼ぶ少年はとても嬉しそうに、それでいて楽しそうにリナリアの花に水をやる。
「ちゃんとやってるって。でも、いいの。どうせこうやって佑貴君が来て定期的に手入れしてくれるんだもの」
素人が下手に手を出すより、花も愛しんでくれる人に手入れされる方が嬉しいと思わない? などといえば、「お姉さんらしいですね」と佑貴は静かに微笑んだ。
時が経つのは早いものだと目の前の少年を見ながら思う。初めて会ったのはいつだっただろう。歳の離れた弟が初めて連れてきた友達が佑貴だった。我が弟ながら、ランドセルを背負っているというよりはランドセルに踊らされているといった方が正しそうな、よく言えば元気なやつ。そんな弟とは反対のタイプだった。物静かで、目を放せば消えてしまうのではないか、佑貴はそんな子な気がした。
「なぁ、姉ちゃん。佑貴は家帰っても誰もいないんだって」
こそっと、佑貴に聞こえないよう私に耳打ちをしてきたのは弟なりの配慮だったのだろう。しかし、とても残念なことに、ぐぅと鳴るお腹の音を隠すような恥じらいを持たない我が弟は上げた株を自分で下げる、そんな奴だ。
ご飯を催促する弟は置いておいて、
「ねぇ、佑貴君はハンバーグ好き? 今日は私がご飯作るんだ」
一緒に食べようと笑いかければ、今にも小さくなって消えてしまいそうな少年が、こくんと、小さく頷いた。
膝を曲げ合わせた視線は、今や、私が見上げる側になってしまった。あれからもう何年だろう。私も歳を取るわけだ。そんな感慨にふけ、私は小さく息を吐いた。
佑貴はさっきから、花の手入れをしながら学校での出来事を私に話して聞かせてくれている。それは、ここに来たときの日課のようになっていて、私はそれに気が向いたときに適当に相槌を入れる。ここ最近の佑貴の話はもっぱら実質佑貴だけの園芸部に最近入部してきたという女の子の話だ。
似たような色や見た目のもの、種類も多くて中々覚えられないみたいなんですけど、本当に勉強熱心な子なんです。たくさん植物の本を読んで勉強してくれているみたいで、今では花言葉だったら僕なんかよりもずっと詳しいんですよ。こんなあるのかないのかわからないような園芸部にそんなに熱心に取り組んでくれるなんて、やっぱり女の子は花が好きなんですね。
よっぽど嬉しいんだろうな。ニコニコとそう語る佑貴に言葉も出ない。佑貴は他人からの好意に疎いらしい。どう聞いたって、直接会ったことがない私ですらその女の子が佑貴に好意があるということがいとも容易く分かってしまう。だけど、私は何も言わない。
高校進学を機に弟は家を出た。もう、ここへ来る理由なんて佑貴にはないはずだ。それでも佑貴は未だに私のことを「お姉さん」と呼び、度々私の元を訪れる。
リナリアの鉢植えをくれたのは佑貴だった。初めて種から成長させたのだと、だから一番に見せたかったのだと見せられた色艶やかな小振りの花が、風に揺れる度、私にはまるで楽し気に泳いでいるように見えた。とても自由で、とても素直で、真っすぐで。とても、――優しい。佑貴のようだと思った。
その渡された花の意味も、佑貴がここに来る理由も、秘められた花言葉の意味さえも。気づいても、知っていても、私は知らないふりをする。愛だの恋だの、簡単に踏み超えられる歳じゃない。
「今日もご飯食べていくんでしょ? なんなら今日は食後にティータイムでもしようか。同僚から貰った紅茶とクッキーがあるの」
頂きます、そう少し苦笑を混ぜた笑顔にも気づかないふりをする。
そう、大人はずるい生き物なんですよ。
そうして私は今日も、佑貴のいい「お姉さん」でいる。
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