memorier:スズメノエンドウ
温かな陽気に誘われて、ふらっと河原にいってみることにした。休みの日なんて、基本家でゴロゴロするだけの生活だった私にしては結構珍しいと思う。普段の私にとって、休みの日は仕事でたまった疲れをただひたすらに取るだけの日って感じだったからなぁ。
ただの気まぐれで河原沿いの道を選んだものの意外と悪くない選択をしたかもしれない。
日の光に照らされてキラキラと反射する水面、通り過ぎて行く風は穏やかで、河原の広場でサッカーをする子どもたちの元気な声が遠くの方で聞こえている。
心が洗われますなぁ。
なんて何かを悟ったように含み笑みを漏らしていたところで、ふと視線の先に見知った姿を見つけた。
「あれ、黒田君?」
そう声を漏らすと、少しこちらに振り返った彼が一瞬大きく目を開き、そして、頬を緩めた。白パーカーにジーンズとラフな格好だけど、普段制服姿でうちに来ることが多いからなんだか新鮮だ。しかも、なんだかカッコよく着こなしている。カッコいい子はなに着ても映えるんだねぇ。
「え、なんでこんなところいんの?」
「いや、ただの散歩なんだけど……黒田君は───」
そう問いながらちらっと黒田君の隣へ視線を移す。そこには人懐っこい表情を見せる黒田君とは対照的な目つきの悪い背の高いブレザーの下に赤いパーカーを着込んだ高校生の男の子の姿があった。男の子は私と目が合うと、小さく会釈をする。
あ、どうも。なんてつられて私も軽く会釈をする。
見た目とは裏腹な礼儀正しさがなんだかおかしくて、可愛くて、私の中の初対面警戒心がすっかり溶けていく。
この子もめっちゃ良い子じゃない!
すっかり気分は近所のおばちゃん状態。飴持ってたら絶対あげてたよ。
「じゃあ、俺帰るわ」
「お、分かった。またな」
男の子はまた私の方に視線を向けると小さく会釈をして去っていった。
「良かったの?」
そう声を掛けると「たまたまそこで逢ったから立ち話してただけだし問題ないよ」と返ってくる。
「制服違ったね。他校の友達?」
「晴哉は───、えっとアイツは友達……とはまた違うかもな。俺の知ってる中でそれなりに信用してる奴かな」
なんて何気ない話をしながら自然と目的もなく2人並んで足が進む。
「ふふふ、黒田君にちゃんと友達いてよかった。殆ど学校終わったら家に来てるからさ、ちょっと心配してたんだ」
そう告げると黒田君は小さく呆れたように息を吐いた。
気にせず「友達ともしっかり遊んだほうがいいよ。友達としっかり遊べるのは今しかないんだからね」と小言を続ける。
「しっかし、なんだか感慨深いものがあるねぇ。ふふふ。黒田君良い子だから良い子が集まってくるのかな。さっきの子もとってもいい子そうだったし、うちに連れてきてもいいよ。黒田君のお友達なら大歓迎だもん」
「いやいや絶対連れていかないから。そうやって俺以外の男、気安く家にあげるのほんとやめた方がいいよ」
「なんで、黒田君の友達なら問題ないじゃん?」
「信用されてるのは有難いけど、ほんとアンタのそういう危機感のないところ」
なんていわれながら頭を軽く小突かれる。
「うぅ、なんだか解せぬ」
小突かれた頭を抱え少し顔をしかめて見せれば、黒田君は目を細めてふわりと笑った。
あ。
愛しいが、溢れていた。
背面に広がる雲1つない真っ青な空も相まって、そこだけまるで絵画みたいで。そこだけ切り離されてしまっているようで。胸がきゅっと締め付けられる。
置いていかれる。
何故かそう思った。
伸ばしかけた手を、言い表せられない想いを誤魔化すように「空、綺麗だね」と天を仰ぐ。
「足元見て歩かないと転ぶよ」
「そんなぁ子どもじゃあるまいし」
そう言った途端フラグ回収。
小石を見事踏み上げてバランスを崩す。きゃっと短い悲鳴が漏れる。手が反射的に前へ伸びる。片足が地面から離れ、そのまま前へ崩れ落ちるように地面が近づく───と思いきや「ほら言ったじゃん」といつの間にか腰に手を回され私の身体は半分宙に浮いていた。
「アリガト、ゴザイマス」
「なんで片言?」
この歳になって石に躓いて転びかけるとか……ほんとないわ。
黒田君に支えられるがまま、その腕を掴み返したまま、恥かしさとちょっとだけヒヤッとした心臓を落ち着かせるため、大きく深呼吸をする。
ふぅと息を吐いて足元に目をやれば
「あ、ねぇ、黒田君あれ!」
懐かしいものが視界に入ってきて、思わず声が大きくなる。支えてくれていた腕を払う勢いでその場にしゃがみ込む。
「ふふふ~。黒田君はこの植物の名前を知っているかね」
少し丸みを帯びた葉っぱが魚の骨のように、細長く伸びた蔓に均等についている。薄紫色の小さな花と共に小さなエンドウの房のような実も実っている。
「え、カラスノエンドウじゃないの?」
「ぶっぶー。やっぱりこの豆で判断しちゃうよね。私もね昔これはカラスノエンドウのまだ成長してないやつかなとか思ってたんだけど、スズメノエンドウってっていう似た別の植物なんだってさ。植物詳しくなかったから違いが分かんなくてオジギソウかなとも思って葉っぱも結構触りまくってたなぁ」
懐かし~。
そうしてつんつんとスズメノエンドウの葉を突いていれば、黒田君も隣にしゃがみ込み「知らなかった」と感心したようにきらきらと淡く輝かせた目でスズメノエンドウを見つめた。
いつもと違うことをして、たまたま黒田君と逢えて、空が青くて、懐かしい植物を見つけて───あぁ、なんて。
「えへへ。黒田君といると色んなものが見られるね。すっごく楽しいや」
なんて素敵な日だろう。
思わず頬が緩む。
黒田君は、一瞬呆けたように小さく口をあけ、不意にぐっと私に顔を近づけた。近づいた顔はやっぱりとても整っていて、やっぱりこれは同級生の子はほっとかないよななんて気が逸れているうちに、ハッと気づけは唇同士が触れるか触れないかまでの距離。怖いくらい真っすぐな視線。状況が理解できず混乱で目を開けたまま微動だにできずにいれば、ハッとしたようにその瞳が揺れて小さく息を吐いて黒田君がスッと離れていく。
「ごめん」
俯き加減にそう呟いて、ゆっくりと立ちあがった黒田君はさっきまでの真剣な雰囲気が嘘のように、口角を片方キュッと上げ、いつものしっかりした大人びた笑顔を携えて「ほら、帰ろう」と私に手を差し伸べた。
その手と黒田君を交互に見比べて、……私はその手を取った。高校生といっても私なんかよりも大きくて硬く筋張った黒田君の手。男の子なのだと改めて思う。
引っ張り上げられ立ち上がれば、そのままその手は黒田君の唇へ。柔らかな唇が手の甲に触れる。
「早く俺のこと好きになってよ」
上目遣いの王子様は悪戯っ子のような笑みを携える。
「あ、ねぇ、このまま手、繋いで帰る?」
余裕気なその姿に私はただただ苦笑した。
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