memories:なずな



 ビニール袋いっぱいにそれを買い込んだ帰り道、道端でそれを見つけた。

「わ、懐かしい。ぺんぺん草じゃん」

 勢い良くしゃがみ込んで1輪摘み取ると、実の部分を少し引っ張りくるくる回してみる。チリチリと音がして、なんだかほっこりする。和んだところで、小さく息を吐くともう1輪摘み取った。

 今日は決戦の日。

 今年こそはと意気込んで、ビニール袋の中のそれ、大量の板チョコを一瞥する。 これだけあればどうにかなるでしょ。

「溶かして流して固めるだけ。溶かして流して固めるだけ……」

 呪文のように繰り返して家路についたのが5時間前。

「なんでだくそぉ」

 一向に固まらないチョコレートと格闘すること2時間半。溶かして流して固めるだけが無理ならと諦めて、チョコクッキーに予定を変更してチョコを生地に混ぜ込み約2時間格闘の末焼いてできたのがこちら──。

 目の前の真っ黒カチカチの正体不明のダークマターにもう手も足も出ない……材料も出ない。大量に買い込んだチョコももうあるのは外身の箱や銀紙だけ。

 膝から崩れ落ち、机にゴンと少しだけ大きな音を立て、額を当てる。

 今年もか、今年もこうなるのか。

 お前はレシピをちゃんと読まないもんな、なんて数年前に実家に帰省した時に作った失敗したかに玉を見た父親の感想が思い出される。違うし。ちゃんと、レシピ通りにやってるし、普段だってちゃんとご飯くらい作ってるし、ただ、

「遥が絡むと上手くできないだけだし……」

 呟いた言葉は誰も居ないキッチンに静かに消えていく。

 もしかしたら、見た目はこうでも味は問題ないかもしれない。そうだ、味はめちゃめちゃ美味しいかもしれない。

 期待を胸に正体不明の真っ黒カチカチクッキーに手を伸ばす。そっと口に運べば

「……炭じゃんコレぇ」

 見た目を裏切らないパサパサの焦げた苦みが口いっぱいに広がる。

 ───まあ、予想はしてましたけどね!

 毎年この時期、遥に作ろうとすると気合いが空回るのか上手くいかない。1人の時なら職場にお菓子を作って持って行く程度にはそれなりに作れてるはずだ。遥の「美味しいな」と頬を緩ます顔を思い浮かべる度にから回ってしまうのはなんでだろう───。

 ま、それはきっと、年々凝り始めた遥の御返しのせいだと思いますがね!

 そうなのだ。自分の店で出すデザートを作るという名目で、ホワイトデーは遥の手作りのお菓子が返ってくる。元々凝り性でもある遥のせいで年々そのクオリティーは上がっていて、飴細工とかもう緻密に作られ過ぎててどっかの有名コンテストに出すのかなんてくらい完成度がエグイ。そんなものを返されていたら下手に上手くもない手作りのチョコとか作って渡せるわけないじゃない。そうして、私は遥が絡むとポンコツお菓子作り人間になってしまったのだ。

 今年こそは、なんて意気込んてたけどダメだったか……。まぁ、そんなの予想してたけどさ。

 気怠い身体を動かし、戸棚からチロルチョコのお得パックを出す。

「これくらいなら冗談にも、ノリにも見えるでしょ」

 そこにメッセージカードと帰り道に摘んだなずなを添える。代わりにチロルチョコがあった場所には皿にラップをかけあのクッキーを入れておいた。

 こんなでも捨てるのはもったいないから後で食べますか。体壊さない程度に食べて限界が来たら捨てよう。

 そうしてそっと、扉を閉めた。

 リビングに足を向けカチカチと響く時計の音を聞きながら、今日は家に来ると言っていた遥が来るのをソファーに深く座り待つ。

 早く来てほしいという想いと今日はもう来なくてもいいのに、なんて想いが入り混じり、気づかれもあってか瞼が少しづつ重くなっていく。

 あぁ、もう、遥が来ちゃうじゃない。

 そのうちふっと、力が抜けて私は意識を手放した……。

 ───どこか遠くでカチカチとリビングに響く時計の音に混じってバリバリとなにかを砕くような音がする。なんだろ、なんの音だろう。重い瞼をゆっくりと開いていく。

「あ、起きたか。飯どうする?」

 あ、遥の声だ。もう来てたのか。

「ん、食べる……」

 ソファーで寝たせいでぎしりと痛む身体をゆっくり起こしながら瞼を擦る。と、少しだけクリアになった視界の端に、遥と真っ黒な何かが見えた気がした。

 バリバリ。

 幻聴のようなそれも、今度ははっきりと耳に届いた。

「は⁉ え、な、ど!」

 言葉にならない叫びが響く。

「お前さ、毎年毎年、隠すならもっとわかんねぇところにしろよな」

 平然とした顔で隣に座った遥が隠していたはずのあの真っ黒な炭の失敗作を口に運んでいた。

「何食べてんのよっ」

「お前がくれたバレンタインのクッキー」

「そんなのあげてない、バレンタインのなら机の上にチロル置いといたでしょ」

「アレは違うだろ。俺はお前の作ったものが食べてぇの。なのに毎年毎年隠してさ」

「だって、それは失敗してて……って、は? 毎年隠してた失敗作がちょっと減ってたのってもしかして遥が食べてたの⁉」

 あ、ヤベ、と口を滑らせたらしい遥はだんまりを決め込みつつ、私の作ったダークマターをバリバリと音を立てて口に入れていく。

「俺はさ、お前から貰えるものは何だって嬉しい。別に失敗してようが、まずかろうが、俺は食いてぇ。だって、どれも俺のことを想って作ってくれてるんだろ?」

 強面を緩めて、朗らかな笑みを浮かべる。

「んなの……」

 決まってるじゃんか。

 零れそうなほど目にいっぱい溜まった涙は、優しく頭を撫でる遥のせいで決壊してしまった。そんな私をみて吹き出す遥を私はパンパン叩いてやる。

 くそ、くそ、くそっ。遥には勝てる気がしない。次こそは絶対に目にモノ見せてやる。そう密かに心に誓った。

 来年のバレンタインデーに期待してろ、ばか。

「じゃあ、ホワイトデー楽しみにしてろよ」

 そう微笑んだ遥かに、何の感情も浮かんでいない能面のような表情で

「結構です」

と、私は告げるのだった。


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