memories:ストレプトカーパス



 いつだって過ぎ去って気がつく。忙しいからだと言い訳をして自分のことにいっぱいいっぱいになって周りが見えなくなる。

 四季折々。甘く香る匂いに、暑い日差しに、虫の声に、凍てつく寒さに、その変化にいつだって気づくのが遅れてしまう。もう春だったのか、夏だったのか、秋だったのか、冬だったのか。心に余裕を持つことを心掛けても、周りを見ることを心掛けてもつい自分のことにいっぱいいっぱいで、もっとこう出来たのではないか、ああ出来たのではないかと、そのときの自分の全てを注いだはずの結果を悔いてしまう。

「部長」

 そう声をかけられて視線を上げれば仏頂面した眼鏡の女性と目が合う。塔子、と声を出しかけて

「増田さん、何?」

と、仕事用の顔を作る。

「こちら確認頂いて、印鑑をお願いします」

「はい。問題なさそうね。引き続きお願いします」

 指定箇所に印鑑をつき、印鑑を持ったその手でそのままひらひらと手を振る。ところが相手は立ち去る素振りを見せず、寧ろグイッと私の方へ顔を寄せてくる。

「ちょっとアンタ、また無茶してるんじゃないでしょうね。ちゃんと休んでる? ちょっとまた痩せたんじゃないの? 今日お昼、一緒に行くわよ」

 小声で矢継ぎ早に一方的にそう告げると早々に立ち去っていった。

 塔子とは同期入社で、色々話すような関係になるのもそう時間はかからなかった。塔子を始め同僚にも恵まれ、あれよあれよという間に部長にまでなっていた。人にもタイミングにも恵まれた。ただそれだけ。これは私1人の力ではないのだから、実力とは釣り合わないのだからもっと頑張らないといけない。しっかりしないといけない。そんな空回りに早々に気付かれてしまったらしい。

 自分の席に着く彼女を一瞥して小さく息を吐く。

「しっかりしなきゃな」

 頭を掻くと、気持ちを切り替え目の前の書類とPCに集中した。

 そのうちトントンと肩を叩かれ、視線を上げれば塔子の姿が目に入る。口を一文字に引き、眉間に少しだけ皺が寄せられている。時計に目をやればもうとっくにお昼休憩の時間を指しており、あ、と小さく声を漏らせば呆れたような溜息が返ってきた。

「あぁ、ごめんね、塔子は……あ、え、いや、増田さんはお弁当かな?」

 仕事と私情を切り分けるための呼び名の切り替えも、喋り方の切り替えも上手くできない。はぁ、と息を漏らして人差し指を立てる。1分、時間をください。それに塔子も頷く。その間にPCデータの保存と卓上の整理を終わらせ、昼食用に持っていていたコンビニ弁当をバックから取り出し気持ちも切り替える。

「おまたせ」

 そう言って塔子の隣に立ち入り口へと歩き出す。

「もう、アンタはもっと気楽にやりなさいよ。全部背負い過ぎなんじゃないの?」

「そんなつもりはないんだけどね。自分の力量のなさがほんと申し訳ないよ」

 またそんな風にいう、と呆れながら掛けられる圧から逃げるように視線を逸らせば、入り口付近の棚に置かれた鉢植えが目に入る。

「あれ、こんなとこに花っておいてた?」

 何処かざらついた葉が生い茂り、その間から細い茶色の茎が長く伸び、うっすら色付く円筒状のその先に紫の花が咲いている。

 近寄りまじまじと見つめていると後ろから「あぁ、花係君ね」と返答がある。

 花係、そんな人はこのフロアの私の部下にはいないはずだが、他の課の人だろうか?

 頭を疑問が埋め尽くし、小首を傾げれば、「新人の椎名君のことよ」と呆れ顔の塔子がこちらを見ている。

「ここの花、彼が定期的に置き替えてくれているの。それでついたあだ名が花係君だけど、この部署の皆結構彼には感謝してるのよ。余裕なくなってるときとか、花を見ると何だか一呼吸おいて落ち着けるって。気持ちを切り替えるのにも丁度良いのよ」

「……そうなんだ」

 ───気がつかながった。いつから彼はこの花を置いていたんだろうか。いつから花係君何て呼ばれていたんだろうか。新人には特に上司として目を配っていないといけないのに、何処まで余裕がないんだろう。

「上司として失格だわ」

「アンタも花を見る余裕ができる心穏やかに過ごしなさい」

 その言葉と共に背中を強く叩かれる。

 余裕、か。

 そう言われてあの花を意識してみるようになった。よくよく観察すれば、確かにあそこに置かれる花は定期的に色々替わっているようだ。見たことのあるものや全く知らないもの、切り花から鉢植えまで。

 視線を噂の花係君に向ける。

 花、好きなのかな。

 彼とは仕事の指示で話すことはあってもそれ以上のことは話したことはない。言葉数も少なく、どこか冷めた印象を受けていたから、塔子に花を替えているのが椎名君だということを聞いた今も正直信じられない。

 いつ替えてるんだろう。

 まだ誰も出社していないフロアで1人替えているのだろうか。

 誰もいない教室、白いカーテンが風に靡く。セーラー服のスカートを翻しながら優しく愛しむように花筋を撫でる細長い指先まで想像して、頭を振る。どこの青春学園ドラマだ。

「椎名君」

 声をかけると、遠くの席で俯いていた頭がひょこりと上がりこちらを見た。手招きすれば長身の青年がのそりのそりと気だるげにこちらへ近づいて来る。デスクの横に彼が立ったのを確認すると、資料の束を手に取る。

「この資料良く作られてるわ。このまま進めて頂戴」

「……はい」

「なにか分からないこととかあったら遠慮なく周りに聞きなさい。勿論私に直接聞きに来てくれてもいいわ」

「……ありがとう、ございます」

 低く、興味なさげな音が響く。

 新人にしては仕事も良くできていて、言った仕事はきちんとこなしてくれるし、気がつけばそれ以上のことも提示してきてくれる。ただ、如何せんこの態度や表情の乏しさは後々上や他の部署と揉める原因になるのだはないかと懸念される。頭が痛い。

 だが悪い子ではないんだろう。

「あ、そう言えばいつも入り口の花ありがとう。君がしてくれているんでしょ。部内の皆もなんだか落ち着けるって感謝してると聞いてるわ」

 そう声をかけるとどうも、と椎名は小さく首を縦に振った。

 じゃあ、引き続き作業お願いね、と声をかけて視線を手元に移す。が、デスクの横に立ったままの男は席に戻ろうとしない。

 顔を上げ、なに、と聞こうとしてその前に「部長は」と消えそうな声が言葉を遮った。

「部長は、花を見てどうですか」

 どう、とはどういうことだろう。どんな返答を求められているのだろうか。綺麗だと思う、癒されるなんて言う返答はなんだか違う気がして、答えを求めて椎名の目に視線を移す。

 綺麗だな、と思う。

 覗き込んだ眼は真っすぐこちらを向いている。

「ごめんなさい、最近まであの花の存在を知らなかったの」

 自然と言葉が口を付く。

「人に聞くまで椎名君がそんなことをしてくれていたことも知らなかった。あの花に気付いて、自分にどれだけ余裕がなかったのか改めて気づけたわ。……ふふ、そうね、最近は気がつくとあそこの花を良く見ているかもしれない。今日も置いてくれてる花、ストレプトカーパスだっけ? 特にあの花私好きかもしれない」

 あぁ、そう言えばここ最近はあの花が置かれていることが多いような気もする。

「椎名君、あの花が好きなの?」

 椎名は小さく横に頭を振り「特には」と答えた。苦笑しそうになったが

「部長の役に立てて良かったです」

 そういって柔らかく笑った彼の表情に思わずキョトンとする。

 すぐにいつもの表情に戻り一礼して立ち去る彼の背中を見送りながら、熱くなった顔を隠すように俯き頭を掻いた。


 全く、何処の青春ドラマだ。



  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る