memories:彼岸花
アスファルトを踏み鳴らす。カツカツと乾いた音が辺りに木霊する。世間が休みだなんだと騒いでいる今日も私には休みなど関係ない。学校までの長いようで短い道のり、何かに追われるように、何かを振り切るようにただ足を前へ進めていく。
不意に視線の端に赤い何かを捉えて思わず足を止めてしまった。
真っ赤な、真っ赤な彼岸花。
深紅の赤はきっとこんな色を指すのだろうと思う。ハッキリとした赤なのに細く淡い線で描かれた水彩画───いや、水墨画であるようなどこか異質なソレに目を奪われる。妖艶な姿で私を何処か知らないところに誘っているような気さえする。
気づかなかった。昨日までは咲いていなかったはずなのに───。
思わず手を伸ばしかけると「あっ」と後方から息を呑むような音が聞こえた。なんだか現実に引き戻された気がして、私は一呼吸おいて後ろを振り返った。その先にいた少年の姿に私も同じように「あっ」と小さく息を呑むように音を漏らした。
何処か気まずそうに眉を顰めたのは見間違いだろうと思う程一瞬のことで
「ご無沙汰してます先生」
そういって彼はよく知る人畜無害な笑顔を携えた。
「やぁ渡邊、久しぶり。元気そうで何よりだ」
私も倣って当たり障りのない言葉を返す。
数か月ぶりに見た彼は少しだけ背も伸び少年から大人になっている気がする。
数か月前のあの頃、転校する前、彼は私にゲームを持ちかけて来た。恋人ごっこをしようなどという一生徒と一保健医の関係としては些か笑えないゲーム。半年という期間限定のゲームは優等生といえる部類の彼にとって一体どういう時間となったのだろうか。
私の方は最後に貰った勿忘草の花束の意味を未だに消化しきれずにいるというのに。
笑みを絶やさない渡邊と無表情を貫く私。それ以上続かない会話に渡邊がクスッと声を漏らす。
「先生は相変わらずみたいですね」
「お前もな」
相変わらずの嫌味な減らず口も、久しぶりに聞くと何だかくすぐったくて懐かしくて仕方ない。
「休みでこっちに遊びにでも来たのか?」
知り合いも多いもんな。
そんな私の言葉に渡邊は視線を僅かに逸らし、それでも人畜無害な笑みを携えたまま「あぁ、はい、そんな感じです」と何とも曖昧な返答をする。
……ほう。
これは何かあるな、と思わず口角が上がる。
「……なぁ、渡邊。今、どこの学校にいってるんだ?」
カツカツ、とヒールを鳴らし、渡邊にゆっくりと歩み寄る。
あれ。
数か月前までは私の方が少しだけまだ背が高かったというのに、もうヒールを穿いていてもちょっとだけ目線が上がる。少し会わないだけでこんなに人は変わるものなのか。それがなんだか悔しい。
「……なぁ」
「───っもう、だから遇わないように気を付けてたのに」
詰め寄った私に、渡邊は苦虫を嚙み潰したように顔を歪めどこか吐き捨てるように呟いた。
一瞬あっけにとられていると、渡邊は小さく息を吐いてから「隣の学区です」と小さく零した。
「あんな風にカッコつけて別れといて会えるわけないじゃないですか。俺、そんな面の皮厚くないですよ。先生の前では余裕のある奴でいたかったのに、こんなガキっぽい俺見せたくなかったのに」
「え、あぁ……」
何も言えずにいると、関を切ったように
「大体先生なんであの時俺の提案なんかに簡単にのっちゃうんですか。休み毎に保健室通うの許容してくれるし、なんだかんだいつだって俺の話聞いてくれるし、俺の作ったお弁当もちゃんと食べてくれるし。俺は同じ時間を傍で過ごせるだけで嬉しかったのに。だから最後の想い出にするつもりで。それで良かったのに、それだけで良かったはずなのに、なんで俺───っ」
そこまで言って渡邊ははっとしたように自分の口を押えた。覆われた手の上からでもわかる真っ赤に染まった表情。
あぁ、これ。いつだったか気まぐれに保健室で出した珈琲を愛おしそうに受け取った年相応の彼と同じだ。偽らない、作らない彼がそこにいる。ただのどこにでもいる高校生の渡邊廉という1人の少年がいる。
一緒に過ごしたあの半年を。別れてからのこの日々を。彼も私と同じ様に感じていたのだろうか。
「そう、か」
それが妙に嬉しかった。
この気持ちに名前を付ける気はまだないけれど、
「別にまた会いに来てくれてもいいんだぞ」
楽しみにしてるよ。
そう小さく告げ、すれ違い様にポンと彼の肩に手を置くとそのまま歩みを進めた。背後で彼は今どんな顔をしているだろうか。喜んでいるだろうか、それとも泣いているだろうか。怒っているだろうか。いや、鳩が豆鉄砲を食ったような顔でもしていればいいと思う。
さて、これはなんて時間だろう。あまりに現実味のない数分間。もしかしたら彼岸花が私を不思議な空間に誘ったのかもしれない。まるで狐に化かされたようだな、と小さく笑った。
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