memories:イランイラン



 机の上に置かれたマグカップの音に私はハッとして手元の書類から顔を上げた。

「甘い物食べたくなっちゃって、良かったら一緒にどう?」

 ココアの匂いを漂わせた2つのマグカップに続いて机の上に置かれたプリンの容器は家で見たことのある小さなガラスの器だった。

「もしかしてこれ、黒田君が作ったの?」

「あー、うん。実は昨日来たときに仕込んでて」

 そう照れくさそうに微笑む彼は、先月酔った私が連れ帰ってきた高校生の男の子だ。見ず知らずの年頃の男の子を連れ帰る私も私だが、知らない人についていく彼もどうなのかと思う。うん。

 しかも、なにをどう気にいってくれたのかわからないけど、こんな私に付き合ってほしいとか……。そうなのだ。先月、出会ってすぐ私は黒田君に告白された。戸惑った私は「まずはお友達から」と返したんだけど、次の日から間髪開けず毎日のように頻繁に遊びに来るようになった結果、ものの見事に、現状こうなわけである。ご飯は作ってくれるし、今みたいに仕事を根詰めていればさり気なく休憩に誘ってくれる。しかも出される料理が悉く美味しい。正直、まだ黒田君のことはよく分からないけれど、知らないうちに絆されて行っている気がする。……あ~、餌付けされてる気がしなくもない。でも、仕方ない。黒田君の作るご飯もお菓子も美味しいのがいけないと思う。

 ココアに口を付けながらそっと、黒田君の顔をそっと盗み見た。

 伸びた前髪が、俯くたびさらさらと揺れ、その顔に影を落としている。何度見ても整った顔立ちをしている。絶対学校でもモテてるはずなのに10も離れた私のことをなんでこんなに気にいってくれたんだろうと思う。……趣味が悪いのかな。いや、暇なのかもしれない。うん。

 プリンにも手を付ける。スプーンを挿せば弾力を感じさせるくせに、口に放り込めばふわっと溶けていく。カラメルの苦みは控えめにしてあるらしく、プリン本体の甘みがよく良く立っている。なんだこのプリン!

 その衝撃のまま、勢いよく黒田君に目線を送ると丁度こちらを見て微笑んでいる彼と視線がかち合った。え、あれ、いつから見られてた?

「なに、どうかした?」

 彼の言葉に促されるように「プリン、凄く美味しい、です」と片言のように答えれば

「それは良かった。作った甲斐があるよ」

と、微笑んでから、急にプッと吹き出してクスクス笑い始める。

「あーダメだ。いやー、アンタ見ててほんと飽きない。だって全部顔に出るんだもんな、百面相かよ。特に食べてるときの顔。ほんとに幸せそうに食べてくれるから見てるこっちが照れくさくなる」

「え、いや、だって黒田君の作るもの全部美味しいのがいけないと思うよ」

「まぁ、昔からずっと作ってたし、これでアンタが喜んでくれるならいくらでも作るよ」

 そういってさり気なく食器を片付け流しへ持って行こうとする。ほんとに良く出来た息子さんだ。

 いや、そうじゃなくて

「洗い物くらい私がするよ」

 慌てて立ち上がろうとするとふわりと甘い香りが鼻先を擽った。

「……いい匂いがする」

 その香りを辿るようにふらりと足を進めようとして……自分の脚に躓いて前倒しに転びかける。

 うわっ、私のドジ!

 倒れ込む覚悟をしてギュッと目を瞑ったけど、一向に痛みはなく、ぽすんと音を立て柔らかな温もりだけが眼前に広がった。と同時に、さっき鼻先を擽ったあの甘い香りが漂ってくる。

「もうなにしてんの」

 肩を掴まれ、眼前の温もりが黒田君で、その胸元に飛び込んでしまったことに漸く気づく。そして気づいた瞬間、パッと顔を上げた私はありがとうのお礼も忘れて

「いい匂いがする! 黒田君香水でもつけてるの?」

 なんて言葉を口から漏れ出させてしまう。

 当の黒田君は一瞬キョトンとすると、持っていた食器を一旦机に置き直しながら

「いや、香水とかつけないからな……」

と考えるそぶりを見せながら「あ、もしかしてこれかな」と付けていたペンダントを外して私に差し出してきた。

 一見すると筒状のペンダントトップのシルバーアクセサリーだけど、鼻を擽る匂いは確かにそこからしていた。

「これ、これだよいい匂い!」

「アロマペンダントなんだけど、確か今はイランイランの香りだったかな。癒し効果があるんだってさ」

「へ~、これイランイランって言うんだ。……ふふ、いい匂いだねぇ。黒田君みたいに優しい匂いだ」

 その甘い香りに思わず口元が緩んでしまう。

 いいなぁ、いいなぁと繰り返す私に

「良かったらこれあげる」

 黒田君はさらっとそんなことを告げる。

「え、あ、いや、ダメだよ。いや、いいなって言ったのは別に催促したわけじゃなくてね、ほんとにいい香りだなってそれだけでね」

 予想外の展開に動揺でしどろもどろになりながら答える私。

「それ、アンタっぽい匂いだなって思ってたからつけてたんだよね。だからきっとアンタにきっと似合うと思うよ」

 そういって更に促すようにペンダントを更に差し出してくる。

「う、うぅ……」

 私っぽい匂いって何!? いやいや、こんな優しい匂いは私ではなく、黒田君の匂いでしょ。美味しいご飯作ってくれたり、美味しいお菓子作ってくれたり、私に優しくしてくれるし。

 ……優しくて、甘い、黒田君の匂いでしょ。

「それに俺、これもう1つ色違い持ってるからさ。遠慮とかいらないし、匂いも気分で変えられる仕様になってるし」

 ね。

 遠慮しようにも爽やかな笑顔の圧力に負けて、おそるおそる手を差し出せばシャラっと音を立ててペンダントは私の手の平に落とされる。

「あ、ありがとう」

「どういたしまして。……あ、俺も自分の付けたらこれでお揃いだね。ペアアクセ」

 私の手の平にあるペンダントを指さしながら悪戯っ子のような笑みを浮かべる。

 そういうの恥ずかしげもなくさらっといえるとか、そういうとこ!

「……絶対、黒田君モテるでしょ。色んなことそつなく、嫌味なくこなしちゃうんだもん」

「別にモテてないけど、仮にモテてたとしても興味ないかな」

「そうなんだ。ふーん。やっぱりモテる子っていうこと違うね。学校とか可愛い子とかたくさんいるでしょ。勿体ない」

 私の言葉に盛大な溜息を漏らすと、「そういう人だとはわかってるけどさ」とブツブツ言いながら黒田君は呆れたようにこちらを見据えた。

「そりゃあ、アンタのことが好きだからに決まってんじゃん」

 だから、早く俺のこと好きになってよね。

 そう黒田君はにっかりと笑った。


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