memories:パンジー



 二人掛けのベンチの真ん中に腰掛け、ふうと息を吐く。膝上に広げたお弁当は冷凍食品や昨日の晩御飯の残りが詰まっている。食欲がないわけではないけれど、午後からの仕事のことが頭を駆け巡ってどうもさっきから箸が動かない。

 あの仕事は午前中に仕上げたから残りの書類を山田君に引き継いで、佐藤さんに頼んでいた次のプロジェクトの確認をしつつ、塔子に頼んでたあの案件とこの前の経理の書類を隣の部署に持って行って……。

 空を掴むばかりの箸に気付いて、今度ははぁと深く息を吐いた。

 休憩時間まで仕事のこと持ち込むなんて、これじゃあいくら休憩時間があっても食事が進みやしない。また塔子に怒られそうだわ。

「休憩中くらい仕事のことから離れて気持ちを切り替えなさい。休めるときに休むのよ」なんていう塔子のセリフが聞こえてきそうで思わず苦笑いが漏れる。

 さて、ちゃんとお昼ご飯食べますか、とお弁当に視線を移しかけたその導線で、ふと懐かしい花が目に入った。

「パンジーだ……」

 視線の先には白や紫、黄色といった色鮮やかに染まったパンジーの姿があった。

 ───あ、そう言えばあのときも今みたいにベンチに座ってたんだっけ。

 思い出されるのは高校生の頃の記憶。あの頃も今みたいに二人掛けのベンチの真ん中を陣取って何をするわけでもなくぼーっと空を眺めていた。小テストの点数が悪かったとか部活がうまくいかなかったとかそんなことをただただぼーっと考えていたから目の前に人が立っていることに気付かなかった。

 ふと視線を感じて視線を移せば、目の前にランドセルを背負った知らない男の子がいた。えらく不愛想なその表情とは裏腹に腕には彩り豊かな可愛らしい小さなパンジーのブーケが抱えられていた。思わず、あ、と声が漏れる。男の子はこちらの様子は特に気にしていないようで無言のままベンチに目を移した。おずおずと少し端にずれれば男の子は無言のまま小さく会釈をして隣に腰掛けた。

 あ、座るんだ。

 辺りに目をやるが、何処にもこの子の保護者のような人は見受けられない。もしかして親とここで待ち合わせでもしてるんだろうか。それとも……迷子なのだろうか。下手に話しかければ不審者として通報されかねない。でも迷子とかならこのまま放置はできない───そうして暫く葛藤があった後「誰か待ってるの?」と私は不審者ではないのだと、決して怪しいものではないのだと気さくさとさり気無さを出来るだけ前面に押し出し声を掛けた。

 男の子は無言のまま小さく首を横に振った。ということは───。

「もしかして……迷子?」

 男の子は少し間を開けてその言葉にも小さく首を横に振った。そうして私が戸惑ってるうちに「今日はお母さんの誕生日だから」とだけ返ってきて更に戸惑う。その後ぽつりぽつりと紡ぎ出された不器用なキャッチボールによればどうやら男の子は家族とお母さんに対してサプライズを企画しているということが分かった。兄弟が何かの口実でお母さんを外に連れ出すためそれまで花束を持った彼は家に帰れないから家に近いここで時間を潰そうと思ったらしい。

 鉄仮面のようにさっきから表情が変わらない。淡々とした言葉の羅列。口下手なのか、不器用なのか、これじゃあ将来コミュニケーションとるの大変なんじゃないだろうか。あ、いや、私のことを警戒しているだけなのか……。不審者という言葉が脳裏に浮かんで少しだけ項垂れる。

「……お姉さんは」

 彼の純粋な眼差しがこちらを向いていた。

「どうしてここにいるの?」

 どうして?

 んーと小さく唸ってから「やることないから、かな」と答えた。

「……そうなの?」

「うん、家に帰ってもすることないし、私も君と同じかな。時間潰し」

 ふーん、と興味なさそうに呟くと男の子は自身が持っていたデイジーの花束から1輪、花を抜き出しはいと差し出してきた。反応に困っていると「お母さん、この花好きなんだって」と言葉を続けた。

「この花を見ると笑顔になるんだって。だからお姉さんに分けてあげる」

 そんな大事なものもらえないよと断ると「お姉さん、なんか寂しそうだったから」と返ってくる。

「これでお姉さん笑顔になるでしょ?」

 そういって小首を傾げる男の子に嗚呼と思う。この子はなんて優しい子なんだろう。花をそっと受け取って「……うん。ありがとう」そういって微笑めば、男の子は満足そうに微笑んだ。

 あのパンジー、そういえば栞にして実家にいた頃はずっと使ってたなぁ。忙しすぎて栞を使う機会もほとんどなくなってしまったけど今でも大事に机の中にしまっている。

 あの子今どうしてるかな。

 あの頃小学生だったのだからもしかしたら今はもう社会人になっているのかもしれない。きっと良い子に育っているだろう。相変わらず不器用そうなままなのだろうか。もうすっかり顔もぼんやりとしか思い出せなくなってしまったけれど、今の彼が幸せであればいいと思う。口元が緩む。

 ふと気配を感じて顔を上げると太陽の光を遮らんばかりの長身がそこに立っていた。

「し、椎名君?」

見られていたかもしれない恥ずかしさと驚きとで思わず声が漏れる。

 彼は小さく会釈をし視線をベンチに移した。

「お隣、いいですか?」

 我関せずなその対応に、あ、え、なんてただの音のような声を漏らしながら端に少しずれると彼は隣に腰掛けた。そうして淡々と膝の上で包みを開くとお弁当を広げた。小さく手を合わせ、食事をすすめる彼になんだか男の子の姿が重なって、もしかしたらあの男の子はこんな感じに成長しているのかもしれないなと思う。

 ま、きっと良い子に違いないだろう。

「しっかり食べて、しっかり休憩したら午後からも椎名君には頑張ってもらうからね」

 そう告げれば、不愛想なまま小さな頷きが返ってきたので私は安心して自分のお弁当に視線を移した。


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