memories:胡蝶蘭



 花屋の店先でしゃがみ込みとある花をじっと見つめていると「あれ」と声が降ってきた。やがて私に覆いかぶさった影の主を追うように視線を上に向ければ、緩く目を細めこちらを覗き込むように見下ろしている黒田君の姿がそこにあった。

「なにしてるの?」

 そう声をかければ

「それはこっちの台詞。アンタこそこんな所でなにしてんの?」

と返ってくる。

「あぁ。もうすぐ父の日でしょ。なにか贈りたいなぁって思ってさ」

 ふーん、とさして興味なさげに呟くと制服姿の黒田君は私の隣にまわりしゃがみ込んだ。

「父の日も花ってなに贈るか決まってるの?」

 確かに母の日といえば赤いカーネーションというイメージがあるけど父の日には特にどの花というイメージはない。

「一応薔薇らしいんだけど、向日葵とか百合とか蘭とかでもいいんだって。とりあえずイメージカラーは白と黄色、らしいよ」

 へー、と相槌を打つと黒田君は顎先をチョンと動かし「ちなみにこれ、なに?」と私の眺めていた花を指した。

「学校で見たことある気がする」

 あぁ、確かに。お祝い事とかで送ることが多いから入学式とか卒業式で飾られることも多いかもしれない。

「これは胡蝶蘭だよ」

と、少ししなる茎に灯るように咲く、何処か蝶々のような姿をした白い花の名を告げれば、「……あぁ、蘭」と先程の話と合点がいったのか、黒田君は小さく頷く。

「アンタ詳しいんだね」

「全然。詳しくないよ。なに贈ればいいかなって迷いに迷いながら検索しまくって得た俄か知識です」

 そうドヤリと得意げな表情を見せれば、黒田君はくすりと笑って「アンタらしいな」といった。

「ちなみに黒田君は父の日どうするの?」

「ん、別になんにもしないかな」

 今までだって碌にしたことないし、必要ないから、と胡蝶蘭を眺める視線に何処か寂しそうな影を落とした。

 黒田君はあまり自分のことを話さない。普段なにをしてるのか、学校ではどうなのか、友達のことや、───ご両親のこと───。あまり上手くいっていないのかもしれない、と察する程度には私も大人なので無理に話を聞こうとも思わない。私はこの子のことを何も知らない。それでも私は、この子がとても優しい良い子だと知っているから。少しでもその優しさを知って欲しいと思うから。幸せになって欲しいと願うから。

「折角だから一緒になにか買おうよ」

 お節介なのは重々承知しているけど、鈍感な振りしてそう微笑みかける。

「や、別にいいって」

と渋る黒田君に「まぁまぁまぁまぁ」とゴリ押しでそこからは私のスーパー店員タイム。やれこの花はどうだ、あの花はどうだ、ついでに少し遅くなったけど母の日のカーネーションもどうだとあれこれ勧めていく。

 数十分にわたる押し問答の末、結局黒田君は私に根負けして、父の日用の花と母の日用の花、それぞれ1輪ずつ購入した。リボンの色は如何されますか、メッセージはお付けしますか、なんて店内奥にあるレジで店員さんに聞かれてタジタジになっているその後ろ姿を店先の白い胡蝶蘭の影からそっと微笑ましく見守る。

 ───どうか、ご両親に黒田君の想いが少しでも伝わりますように。

 心の中でそう祈れば、胡蝶蘭が小さく頷くように揺れた。



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