第50話
光の玉に導かれるまま、階段を一段一段踏みしめるようにゆっくりと下りていく。
肌を撫でる空気は少しだけ冷たい。周囲には深い闇が
小さな光は相変わらずふわふわと浮き沈みを繰り返しながら、一定の速度で私達の前方を進んでいる。唯一の光源として頼りにはしているものの、本当に信じてよかったのかとたまに不安になってしまう。先へ進むことを決めた私達の選択が正解であることをただ祈るのみだ。
「真っ暗だね……明かりが無かったら何も見えないや」
緊張を解すため、隣を歩くウェティに声をかけた。
女神像の一件まで繋いでいた手は今はお互い自由になっている。暗闇の中で足元がおろそかになることを恐れた結果であるが、何事かが起こった際に咄嗟に対応できないというのも手を離した理由の一つである。
「階段自体は広いけど他に何も無いし……この先に何があるんだろう?」
「そうですわね……けれど理由もなくあのような仕掛けを施すとは思えませんわ。おそらく――いえ、絶対に何かあるに違いありません。その証拠にほら、あちらを」
言いながら、ウェティが前方を指差した。
つられるように視線を動かすと、小さな光に照らされて、どこまでも続くかに思えた階段の終わりが暗闇の中から浮かび上がってくる。
「……あれって」
徐々に近付いてくる
階段を下り切った先には、古めかしい二枚の扉がまるで道を塞ぐように鎮座していた。建物関係には造詣が深くない私でも、一目見ただけでかなり古いものだとわかるくらいの代物であるが、それゆえに劣化した部分がほとんど見受けられないのが不思議である。扉の上部にはアンティーク調の外灯風ランプが取り付けられているが、火は入っていなかった。
ざっと目で確認したところ、取っ手らしきものは見当たらない。どうにかして扉を開けなければここで行き止まりである。
私は足を止め、光の玉へと視線を移した。ここまで私達を導いてきた小さな光はここからどうするのだろう。
気になって光の玉の挙動を目で追っていると、それは扉の前まで来た途端進路を変え、まるで引き寄せられるかのようにランプの方へと飛んでいった。そしてそれはランプへ到達すると同時に搔き消え、続いてランプに勢い良く火が灯る。
間もなく、私達の目の前でゆっくりと扉が開いた。
「マジか……開いちゃったよ……」
「開いてしまいましたわね……」
目の前で起こった出来事が完全に予想外すぎて言葉が出てこない。
だけどよくよく考えれば、見落としていただけで片鱗は確かにあったのかもしれない。
女神像の両手から落ちた光の玉は合計二つ。一つ目はこの扉へと繋がる階段を出現させるものだった。もしかしたら二つ目は、私達を導くものなどではなく、この扉の仕掛けを解除するものだったのだろう。
「……もちろん行く、よね?」
私はウェティの方に顔を向け、確認するように問いかける。ここまで来たからには進むしかないと頭ではわかっているものの、正直先へ進むのがちょっとだけ怖くなってきたというのもあるので、念のためだ。
しかし、ウェティが私の問いに神妙な顔で頷き返してきたのを見て、私は不安な気持ちを心の奥底に無理やり引っ込めた。
(大丈夫。危険は無い……はずだよね?)
ここに頼れる旅の仲間はおらず、扱える武器もない。どうがんばっても戦力にはなり得ない私がここから先どこまでやれるかは未知数である。
このまま進んだ結果、以前訪れたメルカ遺跡のモンスターハウスのような場所に閉じ込められでもしたら――なんて戦々恐々とした思いを抱える私だったけれど、覚悟を決めて目の前の扉をくぐった瞬間、それが杞憂であったことを身を持って知ることになる。
「――っ!?」
一歩足を踏み入れると、突然周囲が明るくなった。驚いてすぐさま周囲を確認すると、扉の先は小さな部屋に繋がっていたらしく、四方を囲む壁に取り付けられた松明に火が灯っているのが見て取れた。わりと火の勢いは強いのに、しばらく眺めていても木が燃え落ちる様子はなく、煙も臭いも感じ取ることはできない。そういう仕掛けなのだろうか。
気になるものは他にもいくつかあった。
部屋の奥にはたった今通ってきたばかりの両開きの扉とまったく同じものがあるが、今は閉ざされている。上部に設置された火の気のないランプまで同じところを見るに、これも仕掛けを解かなければ開くことはないのだろう。けれど部屋中をぐるりと見渡しても不思議な光の玉の姿はどこにもなかった。
光の玉の捜索を早々に諦めて、私はこの部屋で一番存在感を放っているものに視線を向けた。
部屋の中央には翼の生えた女性の彫像がぽつんと置かれており、古ぼけた大きな振り子時計を後ろから抱き締めている。そのすぐ横には文字が刻まれた石碑があるようだが、内容は近付かないとわからない。
「ここにも女神イルフィナの像が……」
ウェティの言葉を受け、私は彫像をじっと見つめる。それは確かに最初に見た女神像と良く似ていた。
私達は女神像と大時計、石碑を調べるため、部屋の中央へと足を進めた。
女神像が腕に抱く振り子時計は私達の背丈ほどの大きさで、文字盤には長針と短針の姿はなく、振り子の動きも止まっている。本やテレビからの情報を知識として持っているだけで実際に触れたことはないけれど、古い振り子時計であるならゼンマイ仕掛けのものも多いはずだ。ならばどこかに鍵があるはずなのだが、見た感じ鍵穴も鍵らしきものも見当たらない。
「時計動いてないね……壊れてるのかな?」
「その可能性も否めませんけれど、これが次の扉を開くための鍵となっているであろうことは明白ですし、もう少し調べてみるべきですわ」
「そうだね。じゃあ次はこっちを見てみよう」
そんなやりとりをしながら、私達は石碑の正面に移動した。
メルカ遺跡でも時折見かけた石碑。そこに書かれていることの多くは重要なことばかりだったが、こちらはどうなのだろう。
「“
ウェティがゆっくりと石碑に刻まれた文章を読み上げる。
何度目を通してみても、碑文から浮かぶものはない。曖昧な文面は、いったい何を意味しているのだろう。
「うーん、女神像と振り子時計に関係した文章だってことくらいしかわからないなー」
「
「確かに。時計自体、針がない時点でおかしいもんね」
「先程の女神像の仕掛けのように、探せば何か見つかるかもしれませんわね」
暗号通り行動することが仕掛け解除への近道である。
私とウェティは部屋の中を手分けして探索してみることにした。
(んー、どこから調べよう?)
それほど広くない部屋だったとしても、しらみつぶしに見て回るのは大変だ。探すにしても、何か指標のようなものがあればいいのだが。
(石碑の文章がヒントなんだろうけどわからないしなあ……とりあえず女神像から調べてみよう)
何もない地面や壁、火のついた松明と開かない扉。気になるところはたくさんあるけれど、まずは一番怪しいところから始めることにする。
振り子時計を抱いた女神像は、うっすら目を開けて穏やかに微笑んでいた。最初の祈りを捧げる女神像も微笑んでいたけれど、それとは少しだけ意味合いが違うように思える。うまく言葉に表せないけれど、まるで何かを慈しむような、ひどく優しい表情だった。
女神像は何を見ているのだろう。唐突にそんな考えが頭に浮かび、私は何気なく女神像の視線の先を追ってみる。
(――――?)
女神像の視線は、石碑と振り子時計のちょうど真ん中あたりにある床に向けられていた。
ぱっと見た限り、特に変わったところはない。しかし目を凝らしてよく見てみると、一部分だけ色が変わっている部分があった。
――もしかして、と思った。同時に、罠かもしれないとも思う。
私はしばし逡巡した後、思い切って踏んでみることにした。
(……よし)
床の変色している部分に足を乗せ、ゆっくりと体重をかける。
すると踏みつけられた床は抵抗なく下に沈み、同時にどこかでかちりと何かが外れるような音がした。
音の出所を探るために頭を上げると、振り子時計の文字盤の上に、先程まで無かったはずの長針と短針が出現しているのが見えた。
「ウェティ!ちょっと来て!」
私は別の場所を探っていたウェティを大急ぎで呼び寄せた。
何があったのかと慌ててやってきたウェティに私は事のあらましを説明すると、突然姿を現した時計の針を手で示す。
「床の色が変わっているところを踏んだらこれが出てきたの。何かのスイッチだったみたい」
「まあ!お手柄ですわ!コトハ、よくぞ見つけてくださいました!」
嬉しそうに破顔するウェティが褒めてくれる。私も嬉しくなって照れ笑いを浮かべた。
「へへ、ありがと。でも時計の針を出現させただけじゃ扉は開かないんだね」
「簡単にはいかないようですわね。考えられる方法としては、針を動かして時計の時間を変えるというものが挙げられますけれど」
「あ、やっぱり?」
ゲームや漫画の謎解きで時折みられる内容だ。幸い時計の文字盤は手で触れられるため、時間を変えることなど造作もない。問題はただ一つ、時計の針をどこに合わせるのか、だ。
「何時に合わせればいいんだろ」
長針と短針は、どちらも十二時の方向を指している。適当に動かしても正解に辿り着けるとは思えない。
私は再度石碑の前に立ち、刻まれた文章をじっくりと眺め始めた。
「数字っぽいのは七と
「試してみますわね」
ウェティが二本の針を指で回し、時間を七時に合わせてくれたものの、何も起こらない。どうやらこの位置ではないようだ。
「やっぱ違うかー」
「七、ではないとすると
「でも最初の位置が既に十二時の方向だったよね?」
十二時は、二十四時間表記で零時とも二十四時とも呼ばれる。
初期位置が正解であるのなら、既に扉は開いていても良いはずだ。
そのことを告げると、ウェティは顎に手を当てて何かを考え始める。私も石碑を見上げながら考えを巡らせた。
「………回数、かもしれませんわ」
しばしの沈黙の後、ウェティがぽつりと呟いた。
「“時空の鍵は七つの
「おおー……」
ウェティの言葉に、私は感心したように何度も頷いた。
「確かにそうかも……ウェティすごい!」
「もう、試してみるまではわかりませんわ」
ウェティは私に向かって微笑んでから、時計の針を動かし始めた。
二本の針はくるくると回り続け、一回、二回と十二の文字を越えていく。
――そうして訪れた、七回目の
かちっ、と何かが嵌ったような音がその場に響き渡った。
「きゃっ!」
驚いて手を離すウェティの目の前で、時計の針がひとりでに回り始める。正常に時を刻み始めたわけではなく、たった今ウェティが指で動かしたように、ただくるくると回るだけ。
たまらず駆け寄ってきたウェティに寄り添いながらも、私の目は時計に釘付けになっていた。時計の針は狂ったように回り続けていたが、しばらくして十二時の位置で突然停止する。
続いて、ゆっくりと振り子が左右に動き出し、一定のリズムを奏で始めた。
「何なの……?」
思わず口からこぼれた疑問の声に答えが欲しくても、答えられる者など誰もいない。
これから何が起こるのだろうと身構える私達の目の前で、さらに事態は進んでいく。
左右に揺れていた時計の振り子が、見る見るうちに光に包まれていき、あっという間に小さな光の玉に変化した。光の玉は時計から離れ、部屋の奥に向かって飛んで行き、一枚目の扉同様ランプに吸い込まれて消えた。そしてまたランプに火が入り、二枚目の扉は開かれる。
扉の向こうは先程と違って最初から明かりが用意されているようで、遠くに松明の火が揺らめいているのが見えた。その事実にただ安堵して、私はウェティの方を見る。
「……行こう」
「……ええ」
今度は、二人とも迷わなかった。
私達は部屋の奥に進むと、二枚目の扉をゆっくりとくぐり抜ける。
「……っ!?」
扉の先に足を踏み入れた私達を待っていたのもの。
それは――天井いっぱいに広がる、星空だった。
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