第38話
私の身体を包み込む力強い両腕。頬に当たる、自分のものでない服と胸板の感触。
疑問を抱く暇さえなかった。私の身に何が起こっているのか理解するまで、かなりの時間を要してしまったのは不可抗力だと思いたい。
――抱き締められている。
その事実に思考が辿り着いた時、全身の体温が急激に上昇していくのがわかった。
(な、な、な……なんで!?どうしてこんなことになってるの!?)
見なくてもわかる。私の顔は確実に真っ赤になっている。
幸か不幸か、周囲に人影はないし、灯りとなるものも光の灯る花のみである。加えて、物理的にも精神的にも顔を上げられないので、誰にも表情の変化を見咎められないのが救いだ。
いや、違う、そうじゃない。気にするべきはそこではない。
幻想的な風景の中、美しいサクラの木の下で、ぬいぐるみよろしく抱き締められている――この現状自体に突っ込みを入れるべきだろう。
もともとロイドのスキンシップ率は高かったけれど、これは今までのそれとは段違いだ。
こんな風に正面から抱き締められたのは、ロイドと出会った時以来。でもそれは、泣いている私を慰めるためのものだった。ならば今回は何が理由だというのだろう。
(……だめだ、まったくわからん!)
正直に言おう。私は盛大に混乱していた。
「――コトハ」
「っ!は、はい」
柔らかな声音が耳朶を打つ。
いつもより近い距離から聞こえた声は、何故かいつもより低く響いて、ただでさえ速い胸の鼓動を嫌でも意識させられる。名を呼ばれてなんとか絞り出した声は、情けなくも震えていた。
「コトハ。私の大切な
抱き締める腕に、少しだけ力が込められる。
さらに密着する身体に、私の心臓は悲鳴を上げそうになる。
ぎりぎり過度なスキンシップともとれるロイドの行動の理由がわからない。だって私はただ、彼に華を渡そうとしただけだ。もっとも、華自体は未だ私が持っており、彼の手には渡っていないのだけれど。
「わ、わかっているって、何が?」
「――華の意味。貴女が私に渡そうとした……その華の意味のこと、ですよ」
「華……」
呟くように繰り返しつつ、私はぼんやりとした頭で必死に考えを巡らせる。
「意味って言われても……ロイドだって知っているんでしょう?大切な人に渡すものだって」
「……ええ」
「この世界での私の大切な人は、ロイドとクロノスだから。赤華と白華って、あなたに幸福が訪れますようにって意味だよね?だから私は、この世界で一緒にいてくれる二人に華をあげたかったんだけど……だめ、だった?」
ロイドの問いにひとまず答えを返してみたものの、彼からの反応はなく、そのまま幾ばくかの沈黙が下りる。
(しょ、正直に答えたんだけど……何かまずかったかな)
もしかして赤という色が嫌だったのだろうか。それとも何か別の理由があるのだろうか。
口を開けないままぐるぐると考え込んでいるうちに、やがて頭上から小さなため息が降ってきて、私は身体をびくりと震わせた。
「やはり貴女は、わかっていない」
「……え?」
まったく訳がわからず困惑した声を上げる私に、ロイドは吐息のような笑みをひとつこぼす。
それから彼は少しだけ身体を離し、片手で私の顎をくいと持ち上げた。
私はというと、普段とは違うロイドの行動に顔を真っ赤にしたまま硬直するだけ。うるさいくらいに高鳴る心臓の音を持て余し、半ばパニックになりながらも、私は真っ直ぐにロイドの目を見つめる。
ロイドはそんな私に微笑んで、蕩けるような甘やかな視線を投げてきた。
「コトハ。貴女の認識は合っているようで違うのです」
「え……そう、なの?」
「華の存在を誰に聞いたのかは知りません。しかし、その人物は色によって意味が異なるのだと言っていませんでしたか?」
「……あ、そ、そういえば……」
半分忘れかけていたけれど、そういえば確かに言っていた気がする。
でも、詳細を踊り子に聞く前に会話が終わってしまったから、もうひとつの意味など私は知らない。
「教えてもらう前に話が終わっちゃったから、ひとつしか意味を知らなくて……」
「なるほど、そうでしたか。では、私がお教えましょう。貴女の言う、相手の幸福を願う意味を持つ華は白のみ。赤華は白華とは異なります。赤華にこめられたもの――それは“あなたを愛しています”という
「――っ!?あ、あい!?」
ロイドの言葉を聞いた瞬間、私は思わず上擦ったような声を上げた。
赤華を渡すということは、相手に想いを伝えることと同義ではないか。そうなると、知らなかったとはいえ私はロイドにうっかり告白してしまったようなものだ。だから、ロイドは華の意味を何度も聞いてきたのだろう。私がちゃんと理解しているのか、確認するために。
(うわああああ!恥ずかしいいいいいい!)
なんという勘違い。羞恥心から、私はロイドの顔を直視できず思い切り視線を逸らしてしまった。
意味も考えず、渡す華の色で悩んでいた自分が馬鹿みたいだ。
クロノスが白華の方を持っていった理由も、私が赤華の意味を知らなかったから、気を遣ってくれたのかもしれない。そう考えると、非常にいたたまれない気分になる。
(穴があったら入りたい……)
とんでもないことをしてしまったという気持ちから逃げ出したい思いでいっぱいだったが、ロイドの片腕は私の背中に回ったままだし、顎をとらえられていて顔を背けることもできない。
傍から見ると恋人同士のような格好であることには気付いているものの、逃げられない。
慣れない雰囲気に、どう対応したらいいのか本気でわからなくなる。
「ううう……ご、ごめん。そんな意味だったとは知らなくてなんて恥ずかしい勘違いを……お願い……忘れて……」
「……私が忘れたくない、と言ったら?」
「うえっ!?」
だんだん尻すぼみになっていく私の台詞の後に、ロイドが突然とんでもないことを言い出した。
(ほんと何言ってんの!?)
悲鳴を上げながら慌てて視線を戻す。しかしそこには、真剣な眼差しでこちらを見つめるロイドの姿があった。
「貴女が華の意味を知らなかったとしても。私は貴女の赤華が欲しい。そう言ったら、貴女はどうしますか?」
「それは……」
「私は貴女だけの騎士。コトハ……貴女の心を、貴女の声で、どうか私に教えてください」
「え、あ、う……」
ロイドの口から発される甘い台詞に、私はただただ口を開閉させるしかなかった。
爆弾発言もいいところだ。そもそも、ロイドが何故こんな恥ずかしいことを私に言うのかわからない。
(ううう……無理……本当に無理!こういうの本当に慣れてないんだってば!)
ロイドの問いかけへの正しい答え方など、わかるはずもない。私自身の許容量もとっくに超えてしまっている。
だから、私は。
「は、華ならあげる、から……だからほんと、お願いだからこれ以上は勘弁して……」
ぎゅっと目を瞑り、消え入りそうな声でそんなことを口にするしかなかったのだった。
――そうして、数秒の空白の後。
ふっと息を吐く音が聞こえ、私の身体に触れていた手がすべて外される。
恐る恐る目を開けてみると、ロイドは私から一歩か二歩離れた位置でやや困ったような微笑みを浮かべていた。
「ロイド……?」
「……申し訳ありません、貴女を困らせてしまいましたね。立場も弁えず、度が過ぎた冗談を申しました。どうか、私の発言は気になさらないでください」
「えっ!?」
今までのやりとりはすべて冗談だったというのか。
それにしては心臓に悪すぎる。本当にやめてほしい。
「も、もう!びっくりさせないでよ!ドキドキして損した!」
「ふふ、すみません。コトハから華をいただけると知り、つい浮かれてしまいました。本当は赤華でも白華でも、どちらでも良かったのです。……いただけますか?」
「……どうぞ」
「ありがとうございます」
ようやく、私からロイドへ赤華が受け渡された。
ロイドは嬉しそうに笑いながら、赤華を眺めている。色の持つ意味に関しては、もう考えないことにした。
(でももう二度と忘れるもんか!)
そんな決意とともに、私は人の話は最後までしっかり聞くことを胸に刻んだのだった。
「でもさ、珍しいね」
「はい、何がでしょう?」
幾分か赤みの引いた顔で、私はロイドに向き直る。
「私はすごく恥ずかしい思いをしただけだけど、ロイドが冗談だなんて珍しいなって。どうかしたの?」
「……そうですね」
純粋な疑問をぶつけてみると、彼は一瞬だけ目を細めて眩しいものを見るような目で私を見下ろした後。
「花に、酔ったのかもしれません」
そう言って、いつもの優しい微笑みを浮かべて見せたのだった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます