第7話


 商業都市ティレシス。

 ヴィシャール王国の中でも屈指の商業都市であり、中規模ながらもその歴史は古い。


「うわー……すご」


 ティレシスの門前で立ち止まったまま、私は思わずそう漏らしてしまう。

 アーチ型の門の先には、中世ヨーロッパを思わせる街並みが広がっており、たくさんの人や物が行き交っていた。商業都市というだけあってさまざまな店が軒を連ね、かなりの賑わいを見せている。

 日本では到底お目にかかれないような不思議な光景に、私の気分は妙に高まっていた。

 語彙力の無い私には何と言っていいかわからないけど、そう、まるで観光旅行にでも来たかのような高揚感。


「さっきもすごいって思ったけど、これはいろいろと別格だわ!」


 ちなみに“さっき”とは、森を抜け、ティレシスへと続く街道を真っ直ぐに歩いていたときのことだ。

 森の中とは違って、街道には私達以外にもちらほらと旅人の姿があり、徒歩の人もいれば馬に乗って通り過ぎていく人もいた。それを物珍しそうに眺めながら歩いていた私を、荷物を多く積み込んだ荷馬車がゆっくりと追い越していく。

 そんな明らかな非日常をたった今体験してきたのに、それをも上回る素敵な光景が目に入ってしまったのだから、ついつい心が浮足立ってしまうのも無理はないと思う。

 ゲーム内で何度も訪れている場所だから、そこまで驚くことはないだろうと思っていたけど、全然そんなことはなかった。ゲームを通して見る世界と、実際に自分の目で見た世界は、こんなにも違うのだということを実感させられた。


 それを痛烈に感じたのは、この世界に住む人々の存在だ。

 少し周囲を見渡してみただけでも、明らかに人間ではないような外見の者が普通に歩き回っているし、服装も一人一人異なっている。普通っぽい服を着込んでいる人もいれば、鎧やらローブやらを装備している人もいて、見ていて飽きない。後者は大抵剣や弓などの武器を装備しているので、一目で冒険者とわかってしまうのがすごい。

 多種多様な人種――とはいうものの、人間以外に実際にお目にかかるのは初めてなので、それにまだ馴染めずにいる私の存在自体、場違いなのではないかとどこかで思ってしまう。実際にはその通りなのだけれど。それでもここで暮らしていけば、嫌でも慣れてくるだろうと私は頭を切り替えた。


(――ああ、ここはやっぱり異世界なんだ)


 オンラインゲームというフィルターを通して垣間見ていた、“二次元”の世界。

 でも今は、これが私にとっての“現実”。


「――コトハ!」


 そんなことを考えながらなんとなくしんみりした気分を味わっていると、どこからか私の名を呼ぶ声が聞こえた。声のした方向を振り向くと、少し離れたところからロイドが駆け寄ってくるのが見えた。

 そういえば、通行証がなんとかって言ってどこかに行ったロイドをここで待ってたんだっけ。


「おかえりー。どこに行ってたの?」

「コトハの通行証を発行してもらってきました。仮のものなので効力は一日しか持ちませんが、今日中にステータスカードを発行してしまえば問題ないでしょう」

「ステータスカード?なにそれ?」


 初耳だ。ゲーム内でもそんなカードは所持していなかった気がする。

 気になって聞いてみると、ロイドは嫌な顔一つせず丁寧に教えてくれた。

 ステータスカードとは、日本で言う身分証明書のようなものらしい。この世界に生きる者すべてを対象にしているらしく、ステータスカードの所持はほとんど義務化されているそうだ。

 名前や出身地、年齢、性別、職業などの基本的なデータを登録するだけでいいらしく、大抵は皆物心つく頃までに作ってしまうんだって。本人確認が必要だから、絶対に本人がその場にいなければならないらしいけど。

 ちなみに登録さえしてしまえば、余程のことが無い限り更新の必要がないらしい。誕生日を迎えて年齢が変わったり、職業が変わったりしても、魔法の力で勝手に更新されていくんだって。なんて便利な。


「んー、ゲームでいうなら、プロフィールとかステータスの項目そのままって感じなのかな?」

「げーむ?」

「ああ、ごめんこっちの話!ロイドも持ってるの?」

「ええ、もちろん持っていますよ。ステータスカードはこういった通行許可が求められる場所でも使用されますし、とにかく生活には必要不可欠なものです。コトハも早めに作ってしまいましょうか」

「うん、そうだね。早めにっていうか、何かする前にもう作っちゃおうよ。でもどこに行けばいいかわかんないんだよね」

「確か、この近くに魔道院があったはずです。行ってみましょう」

「はーい」


 ロイドに促され、私は仮の通行書を片手にティレシスの門をくぐった。


 魔道院とやらを目指して歩いている最中、私は初めて見る街の姿に目を奪われてばかりいた。

 そのたび進む足が鈍くなっても、ロイドは何も言わずに私に合わせてくれる。それどころか、私が興味を引かれるたび、いろいろと説明をしてくれる始末だ。

 彼の優しさに内心すごく申し訳なく思うのだけど、最初に感じたわくわく感が舞い戻ってきてしまったせいか、まったく行動が伴わない。本当にごめんロイド。


 どこからか、客を呼び込む威勢の良い声が聞こえてくる。

 商店や露店を遠くから冷やかしながらゆっくりと進んでいくと、今度は石造りの建物が多く立ち並ぶ一角に出た。人は相変わらず多いままだけど、この区画は先程までと何か違うような気がする。


「なんか、このへん雰囲気違わない?」


 そう言ってロイドを見上げると、彼は同意するように小さく頷いた。


「そうですね。この辺りは冒険者向けの施設が揃っている場所なので、訪れる者は自然と冒険者が多くなるのですよ。私もこの街に詳しいわけではないのですが、純粋なティレシスの住民はほとんど見かけませんね」

「ふうん、そうなんだ?」


 相槌を打ちながら、周囲をぐるりと見渡してみる。

 確かに、通り過ぎていく人達のほとんどが武器を携帯しているように見える。身に纏うものも、普通の服とは言い難いものばかり。なるほど、違和感の正体はこれだったらしい。


(そういやティレシスのショップって一か所に固まってたような覚えがあるなー。他の街よりいろいろと楽だった気がする。ゲームでは地図マップ上にある武器屋とか目的地のマークを目印に動き回ってたから、街の全景なんて覚えてないけど)


 始皇帝の剣入手までの一週間、回復系が尽きたら空間転移テレポートアイテムでティレシスに戻る、っていうのを繰り返していたのを思い出した。


(始皇帝の墓とティレシスの往復マラソン……今となってはちょっと懐かしいかも)


「着きましたよ」


 ――などとくだらないことを私が考えている間に、目的地に到着してしまったらしい。

 私は思考をいったん中断させ、目の前にある周囲より一回り大きな建物を見上げる。


「ここが、魔道院?」


 白く大きな建物の入口に掲げられた看板には、精緻な絵とともに見知らぬ文字が描かれている。中央に六芒星が配置され、精緻で美しい模様で彩られた魔方陣のようなもの。どういう原理かは知らないが、絵全体が紫色の燐光を放っているようだ。その下の文字は、日本語でも英語でも無いまったく知らない文字だった。よく見るとアルファベットのような文字列が使われているようだったので、強いていえば英語に似ているのかもしれない。

 読めるかと言われたら、もちろん読めない。


「はい、間違いなく。ここはステータスカード作成以外にもさまざまな用途がありますけど、今はそちらには用が無いので、真っ直ぐ受付カウンターを目指しましょう。ついてきてください」

「はーい」


 律儀に説明してくれるロイドに素直な返事をし、私は魔道院へと足を踏み入れた。


 魔道院内部は、天井が高く、広々としたつくりになっていた。

 そこまで混んではいないものの、それなりに訪問者はいるようだ。ロイドの言葉通り、視界に不思議なものが入り込んでくるのだが、今は構わず受付カウンターを目指す。

 いや、気にはなるんだけどね。さまざまなところに描かれた綺麗な模様とか、宙に浮かんだままくるくる回り続ける天球儀とかさ。


「いらっしゃいませぇー。魔道院ティレシス支部へようこそー!」


 受付カウンターの前に行くと、かわいらしい女の子が間延びした声とともに出迎えてくれた。

 薄桃色のツインテールに、ぱっちりとした緑色の目が印象的で、黒いワンピースに白いレースがあしらわれたメイド服のようなものを着込んでいる。同じような服装の女性を何人も見かけるから、これが魔道院の制服みたいなものなのかもしれない。


「本日はどういったご用件ですかぁ?」


 ピンク髪の受付嬢ににっこりと笑いかけられ、私はロイドにちらりと視線を投げた。ロイドは微笑んだまま、促すように私の背を軽く押してくる。私自身が手続きを進めても大丈夫ということだろう。


「ええっと、ステータスカードっていうのを作りたいんですけど」

「はいはーい、ステータスカードですねぇ。少々お待ちくださいー」


 受付嬢は慣れた様子でカウンターの中を探り、記入用紙のようなものと羽ペンを私に差し出してきた。


「この用紙に必要事項を記入してくださいー」


 用紙には、いくつかの記入欄と先程看板に書かれていたものと同じ文字列が並んでいる。


(うん、私読み書きできない!)


 早々に諦めた私は、隣で私の様子を見守っていたロイドに声をかけた。


「ねえねえ、私これ無理みたい」

「どうなさいました?」

「……文字、わかんない」


 いくらか声を抑えてそう訴えると、ロイドは「ああ」と合点がいったように頷いて、私の代わりにペンを取った。


「では私が代筆しますので、項目に沿って答えてくださいね」

「わかった。代わりにやらせちゃってごめんね」

「大丈夫ですよ。では、いきますね。はじめにお名前から――」


 そんな感じで、読み上げられた項目に対して私が答え、ロイドが記入していくという流れ作業で、記入用紙を埋めていった。職業や住所など、私に答えようのない項目に関しては、ロイドが考えて書いてくれた。


「では、これを」

「はぁーい、確かにお受け取りしましたー」


 書き上げた記入用紙をロイドが手渡すと、受付嬢は視線だけで内容確認し、「では手続きにはいらせていただきますねぇー」と言いながら記入用紙をカウンターの上に置いた。

 手続きをするのではなかったのか、と不思議に思いながら見ていると、受付嬢は記入用紙に手をかざし、呪文のようなものを唱え始めた。何を言っているのかは理解できなかったが、彼女の長い呪文に応じて記入用紙が青白い光を放ち始めるのがわかり、私は目を見開いた。


(……まほう?)


 初めての魔法に私が驚いている間もなく、記入用紙が光とともにふわりと浮き上がる。それは少しずつ形を変えていき、やがて記入用紙は青い水晶玉のようなものに変化した。

 それを呆然と眺めていると、受付嬢が笑顔で私に話しかけてくる。


「コトハ・ミヤヅキ様で間違いないですねぇー。この水晶玉に手を触れてくださーい」

「えっ、これに!?大丈夫なの!?ていうかこれ落ちないの!?」

「落ちないから心配しなくてもだいじょーぶですよぉ。さ、どうぞー」


 敬語も忘れてしまうくらい慌てた声を出す私に、受付嬢ののんびりした声がかけられる。

 私は不安に思いながらも、先程まで記入用紙だったものにゆっくりと触れてみた。

 すると、青い水晶玉は一度眩いまばゆい光を放った後、虚空に溶けてしまった。

 驚きに固まる私の目の前で、受付嬢は愛らしい表情で笑う。


「はぁーい、これで登録完了ですー」

「えっ、もうこれで終わりですか!?ステータスカードは!?」

「ステータスカードなら、もう既にお渡ししていますよぉー」

「えっ?」


 受け取った記憶が一切無いんだけど。

 そう思っていると、横からロイドが口を挟んできた。


「すみません、彼女は初めてなのです。ステータスカードの使い方を彼女に教えていただけませんか?」

「あらぁー、それは珍しいですねぇー。わかりましたぁ、説明させていただきますねぇー」


 ロイドの言葉を受け、受付嬢は私にステータスカードの使用方法を説明してくれた。

 ステータスカードというくらいだから、てっきりカードのような形状をしているのだと思っていたけど、どうやら違うらしかった。ステータスカードはすべてが魔法の力で構成されていて、生物の存在自体に組み込まれる強力な魔法であるそうだ。だから、普段は目に見えないし、持ち歩く必要も無ければ紛失する心配も無いのだとか。


「要するに、ステータスカードはいつでも私と一緒ってことなんですね。目に見えないお友達的な」

「そうそう、そんな感じですー。ステータスカードを使用するときは“分析アナライズ”、仕舞うときは“終了フィニート”と言えばいいだけですねー」

「ほうほう」

「一度試してみたらどうですかぁー?」

「そうですね。コトハ、試してみてはいかがでしょう」

「え、うん、わかった」


 受付嬢とロイドの言葉に後押しされ、私はドキドキしながら教えてもらった単語を呟いてみる。


「“分析アナライズ”」


 瞬間、私の目の前に青く透明な薄いスクリーンのようなものが出現した。

 そう、まるでゲームで言うウインドウのような。


「わ、なにこれっ!?」

「あら、ちゃんと出せましたねぇー。それがステータスカードですよぉー。それに先程登録した貴女の情報が全部記載されているはずですー」


 受付嬢の台詞通り、ステータスカードには私の情報がきちんと載っていた。

 文章は何故か日本語に翻訳されていたけど、これはステータスカードの魔法が私に作用しているからなのだそうだ。私の中にある言語を引き出し、置き換えているだけなのだとか。所有者にすら読めないステータスカードなんて意味がないし、これはありがたい。


「先程お連れ様が代わりに記入されていましたけどー、ステータスカードさえあればそんな心配なんて無くなりますよぉー」

「えっ、マジですか!?」

「マジですー。なんでもー、ステータスカードがすべての言語を自動的に翻訳してくれるとかでー」

「すごいですねそれ!」

「はいー、すごいですよねぇー。私も原理はよくわかりませんしー、意味わかんないなーって思いますもんー」

「…………」


 他ならぬ魔道院の職員がそんなことを言っていいのか。

 そう思ったけど、口に出すのは止めておいた。

 にこにこと笑う受付嬢を尻目に、私は今度こそステータスカードに視線を向けた。


(ええっと……名前はコトハ・ミヤヅキ。十七歳、女性。出身地はヴィシャール王国ってことにしたんだね。あとは、職業……見習いノーティス?)


 見習いノーティスは確か、MMORPG【レヴァースティア】で冒険者と認められる前のプレイヤーの職業だ。所謂いわゆる初期職業ってやつ。すべての武器に適性があるけれど、そこまで強い職業ではなかったはずだ。

 私はこの世界で何かの職についているわけでもないし、これで良いんじゃないかと思う。


「“終了フィニート”」


 呟きとともに、ステータスカードは瞬時に目の前から消え去った。


「これで使い方はバッチリですねぇー」


 受付嬢の間延びした声に、私は照れたように笑って、軽く頭を下げる。


「いろいろと教えてくれてありがとうございました!」

「いえいえーこちらこそー。お役にたてたなら良かったですー。また来てくださいねぇー」


 そう言ってぺこりと頭を下げる受付嬢に笑顔で手を振り、私とロイドは魔道院を後にした。

 受付嬢の言葉通り、ステータスカードを作るまではただの文字列にしか見えなかった言語は、すべて日本語に置き換えられており、魔道院の入口にあった看板の文字も難なく読むことができた。


「魔道院ティレシス支部……」


 魔法の力って、すごい。

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