第8話


 魔道院を出た後、ロイドに先導されるまま辿り着いたのは一軒の宿屋だった。

 ロイド曰く、日も暮れかけてきているし、先に今夜の宿を確保しておくべきだと思ったとのこと。異世界に来ていきなり野宿というのも正直ちょっと抵抗があったし、宿をとってくれるのはとてもありがたい。ありがたいけど、私には宿代を払うお金などあるわけもなく。

 ロイドは気にしなくて良いと言うけれど、それでも二人分の宿代を払わせるのはなんだか申し訳なくて、ごめんと謝っておく。


「なんかほんとごめんね」

「……どうしてコトハが謝るのです?」

「ん、なんか迷惑かけちゃってるなーって思ってさ」


 そう言うと、ロイドは私を見下ろしたまま軽く微笑んだ。


「この程度迷惑のうちにも入りませんから、安心してください。それよりも、私はコトハに宿代すら払えない甲斐性なしと思われるほうが辛いです。深く考えず、どうか私を頼ってください。私はその方が嬉しいです」

「そ、そう?じゃあ、今は素直に甘えておくね。ありがとロイド」

「いえいえ」


 ロイドは優しい。優しいんだけど、言葉の言い回しがいちいち恥ずかしいのは気のせいだろうか。


(天然タラシ……いやいや、ロイドに限ってそんなことは……無いと思いたい)


 知り合って間もないから、よくわからない。

 言動は見目麗しい外見と相まって、非常に様になっているというのは否定できないけれど。

 

 さて、私達がいる商業都市ティレシスは、王都には及ばないものの、他の街と比べて人の出入りが激しいらしい。そのため、ティレシスに設けられた宿屋の数はそれなりに多く、選り好みしなければ宿泊に関しては困ることが無いそうなのだが、やはり人気の場所はすぐに埋まってしまうのだとか。

 目の前にある“妖精の止まり木”という宿屋も、けっこう人気の宿屋なのだそうだ。


「妖精の止まり木……かわいい名前だねえ」


 外観は小ぢんまりとしているが、木造二階建てで意外にしっかりとしたつくりをしているようだった。繁華街からはやや離れているものの、街の喧騒が遠くに聞こえる程度の静けさが確保されているので、立地は悪くないと思う。入口に掲げられた看板には、木の枝にとまった小鳥の絵が描かれていた。


「小さな宿屋ですが、観光客にも評判らしいですよ。私も何度か利用しているのですが、良い宿だと思います。コトハにも気に入っていただけると嬉しいのですが……」

「外観も綺麗だし、ロイドも良いって言うくらいなんだから大丈夫だよ!さ、行ってみよう!」


 入口の扉を押し開けると、扉の上部に設置されたベルがチリンと軽やかな音をたてた。

 木のぬくもり溢れる、あたたかみのある内装が視界いっぱいに広がり、私は小さく感嘆の声を上げた。入口から真っ直ぐ奥に進むと、カウンターのようなものがあり、その中で一人の女性が忙しそうに動き回っている。視線を横にずらせば、木製のテーブルや椅子が並んでおり、そこで食事をしたり本を読んだりしている人達の姿も見受けられた。


「ん?ああ、いらっしゃい!お客さんかい?」


 カウンターの中にいた女性が私たちに気付き、声をかけてきた。

 年齢は初老に差し掛かったあたりだろうか。恰幅が良く、快活そうな笑顔を浮かべている。

 私とロイドは彼女の声に誘われるまま、奥へと進んだ。


「ベルが鳴ったっていうのに、すぐに気付けなくてすまなかったね。それで、用件はなんだい?」

「宿泊をお願いしたいのですが、部屋は空いていますか?」

「ああ、それならちょうど二階の奥の部屋が二つ空いてるよ」

「ならばその二部屋を」

「おや、一部屋じゃなくていいのかい?」


 私とロイドを交互に眺めながら、女性はにやりと笑う。

 何故そんなことを聞くんだろう、と首を傾げている私の横で、ロイドが「残念ながらご期待に沿えるような関係ではありませんよ」と苦笑している。ここで私もようやくぴんときた。


(あれかな、男女の二人組だからって恋人か何かだと誤解されたのかな)


 実際は全然違うんだけどね。

 でも、そういうのを抜きにしても、一人一部屋だなんてちょっと贅沢すぎやしないだろうか。

 金銭的な面では一部屋のほうが良いような気がするのだけど、それをロイドに伝えたら額に手を当ててため息を吐かれてしまった。何故だ。


「……よくわかんないけど、部屋は二つでいいんだね?」

「……ええ」


 女性の問いかけに、ロイドは少し疲れたような顔で頷いた。


「そうそう、うちは代金前払いなんだけどいいかい?二部屋だから、五十レーンだね」

「五十レーン……」 

 

 日本円で言うならば、五千円程度といったところだろうか。

 相場がわからないのでそれが高いのか安いのかは判断できないけど。

 そんなことを私が考えているうちに、ロイドは女性に代金を支払い、代わりに部屋の鍵を受け取っていた。


「あんたたちの部屋はそこの階段を上がって右奥だよ。食事は三食ついてるけど、いらないときは前持って言っておいてくれるとこっちとしては助かる。ああ、食事は全員一階でとってもらってるからそのつもりで」

「わかりました」

「そうだ、自己紹介をしていなかったね。あたしはここの女将のカティアだ。わからないことがあったら遠慮なく聞いとくれ。特にそっちのお嬢さんはね」


 慣れてなさそうだから、と付け加えられる。

 なるほど、見る人が見ればすぐにわかってしまうらしい。私はカティアに笑みを向けた。


「はいっ、よろしくお願いします!」


 私はカティアに向かってぺこりと会釈をすると、ロイドを伴ってカウンターのすぐ傍にある階段を上る。私達にあてがわれたのは、二階の右奥にある、隣り合った部屋だった。私はそのうちの角部屋を選び、扉の鍵を開けた。


 部屋の中には、セミダブルくらいの大きさのベッドや、テーブルと椅子が一つずつ置かれていた。クローゼットも完備され、その脇のもうひとつの扉を開けた先は洗面所で、その奥に風呂とトイレがある。トイレは洋式トイレのような感じで、ありがたいことに水洗だった。

 部屋自体もゆっくりとくつろげるだけの広さがあり、窮屈さは微塵も感じない。カーテンが開かれた両開きの窓からは、夕暮れに染まる空が見えた。


「すごい、素敵な部屋」


 きょろきょろと部屋を見回しながら、私はおもむろにベッドへと向かう。綺麗にベッドメイキングされていて、シーツには染みひとつない。


「……えい!」


 なんとなく、ベッドに勢い良く飛び込んでみた。瞬間、ベッドが軋んだ音を立てる。

 硬すぎず柔らかすぎず、とても寝心地は良さそうだ。洗い立てのようなシーツの匂いに、私は小さく笑って目を細める。


「あーいい気持ち。いっぱい歩いたから、少し疲れちゃった」 


 このまま寝てしまおうか――と頭の片隅で考えたけど、今寝たら絶対起きられないので止めておく。

 少し休んだらロイドと一緒に夕食を食べる予定なので、寝過ごすわけにもいかないからだ。

 若干名残惜しいけど、このままここにいたら寝てしまいそうな気がしたので、私はベッドを離れて窓辺に向かう。窓を開けると、心地よい風が吹き込んできた。私は夕暮れ時の街並みを眺めながら、ふうと息を吐いた。


「レヴァースティア、かあ……」


 眼前に広がるのは、見慣れない風景。異世界レヴァースティアの中にある、ティレシスという街の、美しい景観。


「……みんな、どうしてるかな」


 突然いなくなった私のこと、心配してくれてるかな。

 そう思いながら、両親や友人達の顔を思い浮かべる。

 当たり前だった日常には、戻れない。会いたくても会えない、大切な人達。


「かえりたい、な……」


 ぽつり、と呟きを零す。

 頬を伝い流れ落ちていくものの存在には、気付かないふりをした。


* * * * * * 


 それから一時間くらい経った頃だろうか。

 ベッドの端に座ってぼんやりと外を眺めていると、控えめなノックの音が耳に飛び込んできた。

 壁掛け時計を見上げると、時計の針は十八時半を指している。


「ああ、もうそんな時間だったのね……ぼーっとしてたわ」


 待たせてしまったかな、と思いつつ、私は部屋の入口へと向かう。

 扉を開けると、案の定そこにはロイドが立っていた。


「ごめん、迎えに来てくれたんでしょ。出るの遅くなっちゃってごめんね」


 開口一番に謝ると、ロイドは微笑みを浮かべたまま小さく首を振った。


「私のことは気にしないでください。食事は逃げませんし、それよりも私はコトハのことが心配です。慣れないことばかりでお疲れでしたでしょう?大丈夫ですか?」

「あ、うん、大丈夫だよ。たくさん歩き回ったからちょっと疲れてるけど、一晩寝れば問題ないし」

「それならば良いのですが……」


 ロイドはそこで言葉を切り、ふいに私の顔を覗き込んだ。

 そのままじっと見つめられ、私は少しだけ首を傾げる。


(な、なんで見られてるんだろ……あんまり見られると恥ずかしいんだけど……)


「あ、あの……どうかした?」


 恐る恐るそう聞いてみると、ロイドはふっと相好を崩し、私の頭をくしゃりと撫でた。


「!?」


 驚いてそのままの体勢でロイドを見上げると、彼は仕方がないといったような表情で微笑んで、私の頭に乗せていた手をそのまま頬に移動させた。


(だから何なの!?)


 ロイドの行動の理由がわからないまま、身体を硬直させていると、彼は私の頬に当てていた手で、私の目元を優しくなぞった。


「あ……」


 もしかして――――そう思う間もなく、手は離れていく。


「無理は、なさらないでくださいね」


 そう言って優しく笑うロイドに、私は頷くことしかできなかった。

 きっと彼は、涙の跡を見つけてしまったんだと思う。私が涙を流したことを知ってしまっただろうに、何も聞かないでいてくれるらしい。


「……それじゃ、そろそろご飯いこっか!私お腹すいちゃったー」

「……そうですね、行きましょうか」


 だから、私も今は何も言わないでおこうと思う。

 夕食を食べて、お腹が膨れたら、また元気も出るだろうから。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る