第9話


「おや、あんたたちも夕飯かい!?今持ってくるから適当に座って待ってておくれ!」


 一階に下りていくと、両手に料理の大皿を抱えたカティアが私達の姿に気付いて遠くから声をかけてきた。先程はまばらだった宿泊客の数も、今ではテーブルと椅子の大半を埋める程。騒がしすぎない程度の楽しそうな話し声に食器の音が混じって、程よく賑やかだ。

 私とロイドは、窓際の片隅にある二人掛けの席を選んで座ることにした。


「女将さん、すっごい忙しそうだねえ」


 店内で宿泊客相手に忙しなく動き回っているのはカティアだけでない。この宿屋を実質取り仕切っているのは女将であるカティアその人だが、さすがに一人では無理があるのだろう。給仕と思われる数名の男女の姿もあり、こちらもかなり忙しそうだった。


「この時間帯はどうしても混雑してしまうのでしょうね。運良く席が空いていて助かりました」

「ね、ラッキーだったよね。確かロイドは前に泊まったことがあるんだっけ?」

「ええ、以前に数回」

「ここの食事ってどう?おいしい?」

「そうですね、おいしいと思いますよ。女将の料理の腕前はかなりのもので、噂によると王都で料亭を構えていたほどだとか。結婚を機にティレシスに移住してきたそうですよ」

「へえーっ、女将さんってすごい料理人なんだね!期待できそう」


 そんな取り留めもない会話を続けているうちに、私達のテーブルにカティアが料理を持ってやってきた。二人分なので、一回ですべての料理を持ってくることができなかったのか、カティアはその後も厨房とテーブルを往復し、小さなテーブルはあっという間に料理の皿でいっぱいになってしまう。


「わあっ、おいしそう!」


 歓喜の声を上げながら、私はカティアが持ってきてくれた料理の数々を眺めた。

 籠いっぱいに入った柔らかそうなパンに、ざく切りにした野菜のようなものがたっぷり入ったスープ。デミグラスソースのようなものがかけられた大きめの肉は、よく焼かれていて食べやすいようにカットされていた。付け合わせのこの白っぽいものはマッシュポテトか何かだろうか。レタスや水菜、パプリカらしきものが混じったサラダに、デザートの果物の盛り合わせもある。

 なんともボリューミーなメニューだが、どこかで見たことのあるような内容に私は内心ほっとしていた。この世界の食べ物は、元の世界で言う洋食のような感じなのだろうか。少なくとも、見た目だけは知らない食べ物ではなさそうだ。


「足りなかったらおかわりもあるからね!いっぱい食べとくれ!」

「はい、ありがとうございます」


 私の返答に、カティアは満足そうな笑みを浮かべて離れて行った。


「……では、いただきましょうか」

「うん!」


 ロイドに促され、私はいただきますと手を合わせてからスプーンをとった。

 ドキドキしながらも、まずは野菜スープを一口。


「……おいしい!」


 野菜の旨味が溶けていて、程よい塩加減がちょうど良い。

 続いて食べたパンもふわふわだったし、肉も柔らかくてジューシー。どれもこれもおいしくて、ついつい食べ過ぎてしまいそうだ。もちろん、全部はさすがに食べられないので、余ったらロイドに食べてもらおうと思う。


(それにしても、おいしい食事にありつけて幸せよね!)


 先程まで泣いていたことも忘れ、私はおいしい食事に舌鼓を打つ。

 こちらの世界の食事マナーなんてものはよく知らないが、私はそこまで気にしていない。ナイフとフォークの使い方も小慣れているわけではないけれど、どの世界もだいたい同じだろうと思っておく。ロイドにも何も言われないし、見よう見まねでもきっと大丈夫だろう。

 でもやっぱり箸が欲しいよね――などと思いつつ、私が使い慣れないナイフとフォークで厚切りの肉と格闘していると、ふいにロイドが小さく笑う気配がした。 

 視線を上げれば、ロイドはふわふわのパンにも負けないくらい、優しい笑みを浮かべてこちらを眺めていた。


(――なんで?)


「……ロイド?どうかした?」


 思わず手を止めて問いかけると、ロイドは笑顔を崩さず「すみません」と謝ってから言葉を続けた。


「特に意味は無いのですが、つい」

「……?もしかして私なんかおかしいことしてた?マナー違反みたいなこととかさ」

「いえ……そういうことではなくて」


 ロイドはゆるりと首を振って、私に視線を合わせた。


「こんな風に誰かとゆっくり食事をするのは、随分と久しぶりなものですから。つい、可笑おかしくなってしまって」

「え?」

可笑おかしい、では少し語弊があるかもしれませんね。これまでの“私”では考えられなかったことなので、少しくすぐったい気分になっているのかもしれません。これもコトハのおかげなのでしょうね」

「ええっと、話が見えないんだけど……わかるように説明してくれない?」

「私は――――――いえ、コトハが私の主人マスターで良かった、ということです」


 そう言って、ロイドはまた穏やかに微笑んだ。

 明らかに何か言いかけた気がしたけど、他でもないロイド自身に言うつもりが無いのならば、追及しても仕方がない。気になるけれど、今は我慢して、聞き流すことにした。必要であれば、彼自身の口から話してくれるだろうし。


(ロイドのこと、知ってるようで何も知らないんだよなぁ)


 もちろん私自身のことも、ロイドは何も知らないだろう。

 後でちゃんと時間をとって、いろいろ話すことができればいいのだけど。


「もう、だから私はマスターなんかじゃないって言ってるのに。やっぱりロイドは私のこと美化しすぎだって。もう見るからに一般人じゃん」

「私と、この世界のことを少しだけ知っている普通の女性だということは、この短時間でも充分に理解しています。それでも、私はコトハが良いのです。こればかりは何を言われても曲げられません」

「…………」


 ここは宿屋であるとともに、公の場である。

 そんな他の人の目もある中でこんな妙なやりとりをしていたら、変に注目されかねない。

 まあ、そこまで神経質にならなくても大丈夫そうだけど。


「と、とりあえず食べよう。食べて部屋で話そう。今後のこともあるし」


 私は話を切り上げるべく、そそくさと食事に戻った。

 食事に集中し始めた私を、ロイドがしばしの間じっと見つめていたことにも気付かないまま。


* * * * * *


 食事を済ませた私達は、そのまま真っ直ぐロイドの部屋へと向かった。

 今後のことについて話し合う必要があったからである。ロイドは疲れを癒してからでも良いだろうと、私のことを気遣ってくれたけど、やんわり断った。

 朝までゆっくりすれば疲れはとれるかもしれないけど、今後の方向性を決めないことには気が休まりそうもなかったから。


 ロイドの部屋は、当たり前だが構造自体は私の部屋とほとんど変わらなかった。

 机の上には火の入った大きなランプが乗せられており、日が落ちて暗くなった部屋全体を明るく照らしている。 

 旅には荷物がつきものであるが、それらしきものは部屋の片隅に無造作に置かれた鞄が一つ。気になって聞いてみると、もともとロイドの荷物は多くなく、魔法がかけられた鞄一つで間に合う量なのだそうだ。容量が驚くほど増え、どんなものでも持ち歩くことができるという魔法の鞄――所謂マジックアイテムというやつなのだろう。ゲームでも、剣やら回復アイテムやらを一緒くたに持ち歩くことができたのは、この特殊な鞄のおかげなのかもしれない。


(ありがとう、魔法の鞄さん。その節はお世話になりました)


 私はロイドの鞄を一撫でし、自分の部屋と同じ位置にあるベッドの端に腰かけた。

 本当は椅子を勧められたのだが、そうなるとロイドが立ったままになる。ロイドは元からそうするつもりでいたようだが、疲れているのはお互い様だろうし、部屋主を立たせたまま私だけ椅子に座るのは気が引ける。

 不毛な譲り合いの末、ロイドが椅子に座る代わりに、私がベッドに腰かけるということで落ち着いたのだ。何故こうなったのだろう。私にもよくわからない。


「――それで、どうするの?今後」


 問題は早々に片付けてしまいたいので、さっさと本題に入ることにした。

 ロイドは私の方に身体を向け、笑みを消した真面目な表情で口を開く。


「差し当たって考えるべきは、明日からの行動でしょうね。最終目標としては、貴女を元の世界に帰すこと。ですが、私に世界を渡るための知識や技術が無い以上、それは長期的な目標となる可能性も考えられます」

「うん」


 こうなってしまった以上、すぐには無理だということは理解しているつもりだ。

 どんなにその事実を否定したくとも。


「ならば、まずは生活の基盤を確立させることから始めるべきだと思います」

「生活の基盤?」

「そうです」


 ロイドは頷いた。


「コトハは、このレヴァースティアという世界を知っている。どうしてこの世界と私のことを知っていたのかはわかりませんが、少なくとも知らない世界ではないはずです。しかし、コトハが“知っている”のはほんの一部。とても狭い世界に過ぎません。この世界での暮らしはどういうものなのかすら、コトハは知らないままだ」

「うん、そうだね。私はこの世界のこと、全然わかってない」


 私は何も知らない。オンラインゲームを通して知った、ほんの一部分しか知らず、ロイドの助けが無ければ暮らしていくことさえできないだろう。


「だからこそ、最初は“知る”ことから始めるべきだと思うのです。私が知っていることならばなんでもお教えします。しかし、それだけでは足りない。自分の目で見て、聞いて、コトハ自身がこの世界に触れて……まずはこのレヴァースティアという世界に少しでも慣れるべきだと、私は思います」

「慣れる……」


 呟くと、ロイドは少しだけ微笑んだ。


「焦っても良い結果は見えてきません。しばらくはこの街に滞在しつつ、生活に慣れてきたら次の道を模索していきましょう」

「……そうだね、この世界に慣れなきゃ旅だってなんだってどうにもならないもんね。もしかしたら、この街でだって良い情報が見つかるかもしれないし」

「その意気です」

「よしっ!じゃあ決まりだね!そうだ、この街に滞在するって言っても、今後はどこを拠点にするの?こればっかりは、ロイドを頼るしかないんだけど……やっぱり今日みたいに宿をとる感じ?」

「はい、コトハに野宿はさせられませんから。確か、“妖精のやどり木ここ”も長期滞在可能だったはずなので、コトハが良ければこの宿屋を拠点にしようかと……どうでしょうか?」

「うんうん、全然問題無いよ!」


 私が二つ返事で了承すると、ロイドは「では女将に話を通しておきます」と席を立った。

 すぐに戻るとのことだったので、私はロイドが戻るまでこのまま部屋で待たせてもらうことにする。

 私は静かに部屋を出て行こうとするロイドに「いってらっしゃい」と声をかけ、静かになった部屋で一人、ほうと息を吐いた。


「明日から、がんばらなきゃね」


 呟きながら、私は部屋の主がいないのを良いことに、ころりとベッドに寝転がる。

 話も良い感じにまとまったので、安心したのかもしれない。


「ふあ……」


 気を抜いた瞬間、どっと疲れが出て、眠くなってきた。

 寝てはいけない。寝てはいけないのだと、何度も頭の中で繰り返す。ロイドの部屋だし、起きていないと代わりに用事を済ませてくれているロイドに申し訳ないと思うのに。

 結局、襲い来る睡魔には抗えないまま、私は急速に眠りの中へと堕ちて行った。



 夢うつつ。

 ――コトハ、と私の名を呼ぶ優しい声は、いったい誰のものだったのだろう。

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