第10話
まだ夜も明けきらぬ早朝。
ふと目が覚めた私は、ぼんやりとした意識の中、うつろな目で瞬きを繰り返した。
薄暗がりの中、うっすらと見えたのは見慣れない天井だった。室内に流れる空気もよく知らないものだと感じたし、身体に触れる寝具の感触も使い慣れたはずのそれではない。
(――――?)
目覚まし時計が一向に鳴る気配を見せないのは、まだ起床時間ではないからだ。夜明けはそう遠くないものの、二度寝する時間くらいは確保されているはず。
そう結論づけて、私は寝返りを打った。
しかし、寝起きで回転が鈍いはずの頭は、何故か私に違和感の存在を伝えてくるのだ。
気になった私は、気を抜けばうっかり二度寝してしまいそうな自分を無理やり宥め、気怠い身体を起こし視線を周囲に走らせた。
「――――っ!?」
瞬間、私は一気に覚醒した。
(そうだ、私、昨日――)
思い出した。ここは私の部屋なんかじゃない。住み慣れた私の地元でも、日本でも、地球でもない。
ここは異世界。異世界レヴァースティアにある、ティレシスという街の、宿屋の一室だ。
「私、あのまま寝ちゃったんだ……」
ぽつりと呟いて、私はもう一度ぐるりと周囲を見渡した。
眠る前、煌々と周囲を照らし出していたランプの火は消えており、部屋主であるロイドの姿はどこにも見当たらない。布団もかけずに寝てしまった私がきちんとベッドに収まっていたのは、他でもないロイドの気遣いのおかげなのだろう。だが、私がベッドを占領してしまったせいで、彼は眠ることができなかったかもしれない。
申し訳なさでいっぱいになった私は、いてもたってもいられず、ロイドを探しに行くことにした。
ランプの付け方など知らないので灯りとなるものは手元に無いが、かろうじて周囲が確認できるほどの暗さなので問題はない。時間が経てばもう少し明るくなるだろうが、それを待っていては完全に朝になってしまう。
「ロイド、どこにいるんだろ」
念のため、と私の部屋を確認してみたけれど、そこには誰もいなかった。
私とロイドの部屋以外に考えられる場所など無かったので、私は真っ直ぐ階下に向かう。
物音ひとつ聞こえない夜の静寂の中、とん、とん、と階段を下りる軽快な音が響く。
夕食を食べたときはあんなに賑やかだった一階フロアも、今はとても静かだ。
「ここにもいない……」
きょろきょろと視線を巡らせても、探し人の姿はどこにも見つからない。
ロイドはいったいどこへ行ってしまったのだろう。
(ロイドのことだから、私を何も言わずに置いていくなんてことは無いだろうけど……)
もしかしたら、私が見逃してしまっただけで実は部屋にいたのかもしれない。
一度部屋に戻ってみようか――そう思い、くるりと踵を返したときのことだった。
「……コトハ?」
チリン、と控えめなドアベルの音がしたかと思うと、続いて私の名を呼ぶ聞き慣れた声。
振り返れば、そこには探し人――ロイドの姿があった。
「こんなところでどうしたのです?それもこんな時間に」
真っ先に疑問を口にしたロイドの視線は、真っ直ぐに私に注がれていた。
私がここにいるとは思わなかったのだろう、その両目は驚愕に見開かれている。
「それはこっちの台詞だよ。起きたらロイドいないんだもん。どこに行ったのかなって思って」
「ああ、それで探しに来てくれたのですね」
ロイドは合点がいったように頷いて、「ありがとうございます」と嬉しそうな笑みを浮かべた。
私はそれに小さく笑い返してから、ゆっくりとロイドの傍に歩み寄る。
(……あれ?)
距離が近付いたことによりわかったのは、彼の片手に鞘に収まったままの剣が握られていたことと、髪が若干乱れていることだった。
「今まで何かしてたの?」
手の中の剣をじっと見つめながらそう問いかければ、ロイドは私の視線に気付いて「ああ」と呟いた。
「どうにも寝付けなかったので、少し外で鍛錬を……と」
「鍛錬!?こんな時間に!?」
「はい。鍛錬といっても、簡単なものですが……身体を動かして少し気分がすっきりしました」
「いやいや、気分すっきりじゃないでしょ!夜はちゃんと寝なきゃ――ってそうだ、ロイドが寝れなかったのって私が部屋占領しちゃってたからでしょ!?ほんとごめんね!それが言いたかったんだ!」
ロイドの顔を見上げ、まくしたてるように言った。
すると、ロイドは一瞬面食らったような表情を見せてから、ゆるりと首を振る。
「気になさらないでください。コトハは悪くなどありませんし、私も充分休みましたから」
「でもさっきの話だと、眠れないから鍛錬してたんでしょ?」
「ええ、まあ……でも、心配には及びませんよ。大丈夫です」
「大丈夫、じゃないの!寝不足になるだけだよそれ!ほら、占領しちゃってたベッドは返すから、今からでもちゃんと寝て!」
「しかし……」
「起きれないんなら、私が朝起こしてあげるから!」
困ったような表情で言い淀むロイドに私はそう言い放つと、彼の剣を持っていない方の手をぐいと引っ張った。引っ張る勢いが強すぎたのか、ロイドはわずかにたたらを踏むも、すぐに体勢を立て直していた。
「ええと……コトハ」
「……何?」
「……いえ、なんでもありません」
ロイドは何か言いたげな顔で、私と握られた手を交互に眺めていたが、やがて諦めたような表情で身体の力を抜いた。私の提案に特に反論は無いのだろう。勝手にそう解釈した私は、ロイドの手を引いたまま、階段に向かおうとした。
――すると。
「あれ、あんたたち。こんなところで何をしているんだい?」
先程より大きな音でドアベルが鳴り、宿屋の入口から大きな籠を小脇に抱えたカティアが入ってきた。
カティアは私達の姿に驚いた様子だったが、すぐに面白そうなものを見たとでもいうような表情に変わる。
「逢引にしちゃあ……色気が無さそうだけど」
「あ、逢引?全然違いますよ!」
慌てて言い訳しながらも、私はさりげなくロイドの手を離す。
これからお世話になるというのに、変に誤解されてはたまったものではない。
「これにはいろいろと訳があって……」
「はははっ、わかってるよ。冗談だ。大方、寝付けなくて出てきたんだろう?」
必死に誤解を解こうとする私を、カティアは豪快に笑い飛ばし、私達の傍を通り過ぎていく。
そして、カウンターの上に抱えていた籠を置き、大きく息を吐いた。
「女将さんは何をしていたんですか?」
「あたしかい?あたしは今日の仕込みをちょっとね」
ぐるぐると肩を回しながら、カティアは答えた。
「こんなに朝早くから……大変ですね」
「なあに、そんなもん慣れだよ慣れ。何十年も続けてきたことだからね。日課みたいなもんさ」
「ふうん、そうなんですか……ところで、その籠は?」
相槌を打ちつつ、私はふと気になっていたことを聞いてみる。
カティアは私が指差した方向をちらりと見やってから、腕組みをしてカウンターに寄り掛かった。
「これかい?なんてことはない、ただの野菜の山さ。今日は少し早く目が覚めたから、ついでに畑に行っていたんだ」
「畑なんてあるんですか?」
「ああ、宿からは少し離れているけどね。あたしには女将の仕事があるから、畑自体は旦那に任せっきりだけど」
聞けば、カティアの夫は元冒険者だったのだという。
しかし、結婚を機に危険と隣り合わせである冒険者を辞め、自給自足の生活をしつつカティアを陰ながら支えてくれているのだとか。淡々とした語り口だったけれど、聞く限り夫婦仲は良好なのだろう。
「へえ、素敵な旦那さんですね」
「飲んだくれじゃないだけマシってだけだよ。……ああ、そうだ、あんたたちこの宿にしばらく滞在するんだってね?」
「?はい、そうですけど」
唐突に話が切り替わり、私は首を傾げながらもこくりと頷いた。
カティアは私とロイドを順番に眺めてから、腕組みを解いてカウンターから背を離す。
「お嬢ちゃんはともかく、そっちの兄さんは冒険者で間違いないかい?」
「……ええ、そうですが」
怪訝な表情で答えるロイドに、カティアは満足そうに頷いた。
「だったら、ちょっとあたしの頼みを聞いてくれないかい?」
「頼み、とは?」
ロイドの問いに、カティアは真剣な顔つきで口を開いた。
「あたしの旦那が畑をやっている、ってのはさっき話しただろ?その畑で、ちょっと問題が起こっていてねえ……」
「問題?」
「ああ。うちの畑は宿屋にも野菜を卸せるくらいの大きさを備えているんだが、最近何故か卸せる量が減っちまってねえ……収穫量が減ること自体はよくあることなんだけど、原因はそっちじゃないんだ。どうやら、あたし達の知らない間に泥棒か何かが入っちまってるみたいなんだよ」
「ど、泥棒!?」
「ああ」
カティアによると、一週間くらい前から畑の一部が荒らされるようになったのだという。
被害はそこまで大きくないものの、このまま続けられたら困るどころでは済まされないし、何より畑を荒らされること自体腹立たしい。最初は自分達で捕まえてやろうと思ったものの、畑に残された足跡は一つでは無く、人間のものですらなかったという。泥棒の正体はモンスターではないかと推測し、そろそろ冒険者に依頼を出そうかと思っていたところだったそうだ。
「客であるあんたたちにこんなこと頼むのはどうかと思うけど、こんな依頼を引き受けてくれるような冒険者が簡単に見つかるわけもないし……」
いったん言葉を切り、カティアは大きくため息をついた。
「図々しい願いだってことはわかってるし、無理なら断ってもいい。ただ、あたしの依頼を引き受けてくれたら相応の報酬は出すつもりだ」
カティアの言葉に、私はロイドを振り仰いだ。
簡単に言えば、これは討伐依頼。畑を荒らすモンスターを全員仕留めろっていう内容だ。
オンラインゲームでなら、報酬の為にほいほい依頼を受けていたけど、今の私は何もできない一般人だ。冒険者であるロイドにこそ、決定権がある。
そう思ってロイドを見たのに、彼は困ったように私を見下ろしていた。
「ロイド?」
「これは私の一存だけで決められることではありません。コトハは、どうしたいですか?」
問われて、私は答えに窮した。
話を振られるとはまったく思っていなかったのだ。
「私?私は……ええと、受けたいと思うけど、何せなんの力も無いからなあ。ロイド次第かな」
「コトハ自身の気持ちとしては、依頼を受けたい、ということでしょうか」
「そう、だね……女将さんにはこれからお世話になるし、受けたいとは思う。ただ、私はまだ
「わかりました」
ロイドはそれだけ言うと、すぐにカティアに向き直った。
「では女将、私でよろしいのであれば……依頼をお受けします」
「そうかい!助かるよ!」
カティアはほっとしたような笑みを浮かべ、もう一度簡単に依頼内容を説明してくれた。
だが時間も時間なので詳細を話すにはお互い都合が悪い。なので、後でしっかりと時間を取って依頼について話をしてくれるということだった。
私はロイドとカティアの事務的な会話に終始口を挟めずにいたものの、この世界で初めての依頼に少しだけドキドキしていた。それと同じだけの不安ももちろんあるし、まだ見ぬモンスターに対し恐怖だってある。それでも、ロイドがいてくれるし、私に何かできそうなことがあれば手伝いたいとは思う。
(私に何ができるかはわかんないけどさ。でも、この依頼を通して、この世界に少しでも慣れることができたらいいなって思うから)
そんなことを思いながら、私はカティアに促されるまま自室へと向かう。
そして、私とロイドは今度こそそれぞれの部屋に戻ったのだった。
「――しっかし、前に泊まったときは、顔は良いのに無愛想な兄さんだと思ってたんだけどねえ。この短期間でああも変わっちまうなんて……人ってのは不思議だねえ」
――私達の背中を見送ったカティアが、そんなことをしみじみと呟いていたことなど、知らないまま。
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