第23話


 ぼう、とクロノスの手の平で光が踊る。

 丸い球体を形づくるそれは、貴重な光源として私達の周囲をぼんやりと照らし出している。

 メルカ遺跡に足を踏み入れる前、クロノスはできれば魔力を温存しておきたいようなことを言っていたが、魔法のほうが何かあったときに対応しやすいとのことで、ランプの出番は無くなった。


「ここは……もしかして地図にあった部屋、なのかな?」


 石の扉の先は開けていて、まるで部屋のような広い空間が私達を出迎えた。

 私達が通ってきた通路よりも天井は高く、閉塞感はあまり無いものの空気はどこか湿っぽい。誰かがこの場所を訪れない限り、室内の空気が動くことはほぼないのだろう。窓らしきものも見当たらないため、風通しはとても悪そうだが、それでもかび臭くならないのが不思議である。


「多分、ここがそうなのでしょう。不思議な場所ですね」


 探るように視線をあちらこちらに彷徨わせながら、ロイドが部屋の中をゆっくりと歩き回る。

 クロノスの手の上で一定の明るさを保ち続ける光は、部屋全体を隅々まで見渡せるような強さのものではない。それでも、部屋の構造を窺い知るには充分すぎた。

 煉瓦造りのはずの遺跡。しかしこの部屋は、通路と同じで確かに煉瓦を積み上げたようなつくりなのに、壁面から天井に至るまで全体的にうっすらと赤みを帯びていた。部屋の四隅には、赤く透明な水晶玉が乗せられた台座がある。そして最後に私の目に留まったのは、部屋の中心に立つ、異様に存在感のある石碑のようなものだった。


「んー?なんだこれ?」


 迷わず石碑に近付いて、上から下まで一通り眺めてみる。

 白く、私の背よりも大きな石碑の表面には文字が刻まれているようだった。


「ええっと――“汝の力を我が前に示せ。さすれば道は開かれん”」

「“強き者には道しるべ。弱き者には永久とわの別れを”――ふうん、なるほどねえ」


 何とはなしに碑文の一部を読み上げる私の後を継いで、クロノスが続ける。

 いつの間にやってきたのだろう。私の両隣には、ロイドとクロノスが立っていた。


「これってどういう意味なのかな?」

「うーん、文字通りの意味だと思うけれどね。ここで力を示せば、先に進めるってことだと思うわ。アタシ達が今入ってきたところ以外に扉はないみたいだし……碑文の通りにするしかないんじゃないかしら」


 目を皿のようにして辺りを探ってみたところで、赤く染まった壁が一面を覆っているだけだ。先へ進むための扉のようなものはどこにもない。


「でもさ、力を示すったって、どうやって?この石碑に向かって攻撃を仕掛ければいいの?」

「いえ、きっとそうではないでしょう。この石碑自体もそう簡単に破壊できるような代物ではないでしょうから――」


 私の問いに答えながら、ロイドが石碑に刻まれた文字に片手で触れた。

 そのまま何かを調べるように、碑文の上をゆっくりとなぞっていく。

 ――すると、次の瞬間。

 石碑が薄紫色の燐光を纏ったかと思うと、呼応するように部屋の四隅に置かれた水晶玉が内側から光を放って、赤く煌めいた。


「え……!?」


 驚きに目を見張る私の耳に、地鳴りのような低い音が届く。

 音の出所を探して振り返れば、通ってきたばかりの石の扉がひとりでに閉まろうとしているところを発見する。直後、焦りと恐怖が私の内を支配した。


「は!?ちょ、ちょっと嘘でしょ!?いやいや待って待って!?」


 慌てて石の扉に駆け寄り、その動きを阻止しようと奮闘してみるが、止まらない。

 ロイドとクロノスもすぐにこちらに来てくれたが、二人の力が加わっても扉の動きを停止させることはできなかった。奮闘空しく、唯一の入り口はやがて、私達の目の前で完全に封鎖されてしまうのだった。


「え、うそ、マジで……?」


 目の前の出来事が信じられず、呆然と呟いた。


(いやいやいや、まさか、嘘でしょ?ほんとに閉じ込められちゃったの?どうしよう、どうすればいいの?)


 考えがまとまらない。自分が内心焦っているということはよくわかっていたが、どうやっても不毛な堂々巡りは終わらない。とにかく不安でいっぱいだった。

 少しでも安心感が欲しくて、私は傍にいるはずのロイドとクロノスの姿を探す。二人は私から少し離れた場所に立っていた。その後ろ姿にほっとするが、同時に彼らからぴりぴりとした緊張感のようなものが伝わってきて、思わず息を呑む。


「ね、ねえっ!二人ともどうしたの!?」


 呼びかけてはみたものの、二人が振り返ることはない。

 不安がさらに煽られる。振り返らないだけならまだしも、答えてすらくれないのはどうしてだろうか。


(もしかして聞こえなかったのかな?なんか声かけづらい雰囲気だけど……もっかい声かけてみるべき?)


 声をかけようかかけまいか迷っていると、突然クロノスが身体ごとこちらを向いた。

 彼の表情は穏やかそうに見えるけれど、纏う雰囲気はどこか緊張感をはらんでいるように思えて――なんだかちょっとアンバランスだ。


「コトハちゃん」

「は、はい?」

「アナタは絶対にそこから動いちゃダメよ」

「動いちゃダメって……ねえ、それどういう」

「――クロノス!」


 どういうこと、と問う声は、ロイドの凛とした強い声に遮られた。

 普段とは違う、ロイドの声。その意味は、目の前の光景を見ればすぐに理解できた。


「――っ!?」


 そこかしこに暗い色の光が収束したと思うと、それらは見る見るうちに姿を変えていく。

 姿を変えた光はやがて実体を持ち、私達はあっという間にモンスターの群れに取り囲まれてしまった。


「これっ……!まさか、モンスターハウス!?」


 モンスターハウスとは、その名の通り部屋中モンスターだらけという、ダンジョンの中でもけっこう危険な状況だったはずだ。MMORPG【レヴァースティア】でも、ダンジョンなどで時折みられる光景である。敵が多かったり強すぎたりして自分一人では対処できなくとも、仲間がいれば問題ない場合も多い。モンスターハウスは脅威になり得るが、経験値やアイテムを普段よりも多くもらえることもあり、人によっては“おいしい”マップともいえよう。

 だけど、今の私にとってモンスターハウスは、ただの“脅威”でしかなかった。


「力を示す、ね……そういうことだったわけ!」

「迂闊でした……まさか、トラップとは!」

「それでも先に進むためには必要だったってことでしょ!」


 ロイドとクロノスの会話が聞こえる。

 気付けば、ロイドは腰の剣を抜き、クロノスはどこからか出した長い杖を顔の前に構えていた。


「杖なんて久しぶりに使うけれど……何か獲物を持ってたほうが様になるわよ、ね!」


 軽口の語尾を強めると同時に、クロノスは杖先をモンスターに向けた。詠唱も無いのにクロノスの持つ杖から炎が立ち上り、モンスターに向かって勢い良く放たれる。放たれた炎は一瞬のうちにモンスターの身体を包み込み、苦しげな悲鳴ごと焼き尽くした。


「すごい……!」


 クロノスの魔法はやっぱり強い。戦闘が始まって間もないのに、もう敵を一体倒してしまった。

 だけど、早さならロイドだって負けてはいない。始皇帝の剣片手に、向かって来ようとするモンスターへ次々と攻撃を仕掛けているようだった。的確に敵の姿をとらえ、銀の軌跡を閃かせる。ロイドの攻撃で致命傷を加えられたモンスターは地に沈み、二度と動かなくなった。

 一体を倒せば、また次の一体。ロイドもクロノスも、危なげなくモンスターに立ち向かっている。

 私はそれを、部屋の隅っこで立ち尽くしたまま見ているだけ。応援することしかできないのが歯がゆいけれど、こればっかりはどうしようもない。


(二人とも強いなあ……!これならいけるって絶対!でも私こんなところにいてもいいのかな……来る前に二人から離れないって約束したんだけど。でもクロノスはここにいろって言うし……うーん?)


 そんな風に余計なことを考えてしまっていたせいだろうか。

 二人の攻撃を逃れた狼型のモンスターが、一人離れた場所にいる私に狙いを定めたことに、気付くのが遅れてしまった。


「っ!?コトハっ!」


 敵を切り裂く音とともに聞こえた、ロイドの叫ぶような鋭い声ではっと我に返る。

 気付いたときにはもう、敵はすぐそこまで迫っていた。


「――い、いやっ……!」


 恐怖に身が竦む。咄嗟に出た声は喉の奥から絞り出したかのように細く、逃げ出そうにも身体は金縛りにでもあったかのように動かない。


(逃げられない――!)


 死への恐怖からぎゅっと目を瞑り、迫りくる脅威を意識的に遮断する。

 ――刹那。


 ふわりとしたどこか温かいものに全身が包まれたかと思うと、何かを弾くような音とともに、モンスターの叫び声がこだました。


「……え?」


 反射的に目を開けると、そこには予想外の光景が広がっていた。

 敵意を露わにして向かってきていたはずの狼型のモンスターは、私から離れた場所で苦痛様の声を上げながら地面に這いつくばっており、よく見ればその顔面には焼け爛れたような傷ができていた。


「なんで?」


 私自身は攻撃していないのに、どうして。

 不思議に思ってモンスターから視線を外さずにいると、私自身とモンスターの間に半透明な膜のようなものが存在していることに今更ながらに気付く。よくわからないままに視線を動かし確認してみると、うっすらと白光を放つ半透明な膜が、私を包むように球状に張られているようだった。


「これって……」

「コトハっ!ご無事ですか!?」


 いったい自分に何が起きているのかと辺りを見回していると、ロイドが焦ったように駆け寄ってきた。


「い、一応大丈夫――ってうわ!?」


 返事をしようと口を開いた瞬間、ロイドが勢い良く私の両肩を掴んだ。

 力が込められすぎているのか、掴まれた場所がちょっと、いやけっこう痛い。とりあえず力を緩めてほしくて顔を上げたものの、結局何も言えなかった。覗き込むような格好で私を見下ろすロイドの表情が、あまりにも必死そうだったから。


「本当に、ご無事なのですか?お怪我などは、痛いところなどはございませんか?」

「ほ、本当に本当に大丈夫!ほんとどこも痛くないから!」

「そうですか……良かった……」


 ロイドの勢いに呑まれたままこくこくと頷くと、彼は今度こそ安心したように長い息を吐き、顔を俯かせた。ロイドが今どんな表情をしているのか窺い知ることはできないけれど、彼が私を心配してくれたということだけはとてもよくわかる。 


「いくら戦闘中だったとはいえ……とても肝が冷えました。守りの力があったとしても、他ならぬ貴女の危機にすぐに駆け付けられないのは、やはり辛い」

「心配かけてごめんね。ありがとう。ねえ、やっぱり私、二人の傍にいたほうがいい?」

「それは――」

「そうね、やっぱりそのほうが心の安定には良いみたいだわ」


 ロイドが口を開きかけた直後、クロノスがゆっくりとこちらに歩み寄ってきた。

 私がクロノスの姿を認めると、ロイドも私の両肩から手を離してクロノスの方を向いた。


「アタシがコトハちゃんに離れててってお願いしてしまったのよね。嫌な感じがしたから、何が起こるかわからないアタシ達の傍にいるより良いと思って。だけど逆だったみたいね。怖かったでしょう?ごめんなさいね」

「いやいやそんな、本当謝らなくていいってば!確かにちょっと怖かったけど、結果的に無事だったんだし!私を守ってくれたこの膜みたいなのは、よくわからないんだけどね」


 クロノスが申し訳なさそうな表情で謝ってきたので、慌ててそう口にすると、彼は私を包む半透明な膜を一瞥し満足そうに頷いた。


「うん、そうね、ちゃーんとシールドが発動したみたいね。見た感じ、ペンダントと指輪で膜が二重になっているみたいだけれど、守りは強固なほうがいいものね」

シールド?もしかして、これって指輪とペンダントの力なの?」

「そ。悪意を持った相手に対して発動する守りの盾。アタシのあげたペンダントと、ロイドの指輪の二つの効果が重複せずに発動しているから、守りの力はけっこうなものだと思うわよぉ」

「えっ、そんな強い効果なのこれ!?」

「ふふふっ、素敵でしょう?……っと、ああそうだ、忘れてたわね」


 何かを思い出したかのような口ぶりで、クロノスはおもむろに杖を構え直す。

 クロノスは杖なんかを構えて何をするつもりだろう、などとぼんやり考えているうちに、突然何かを切り裂くような音と悲鳴のような声が聞こえてきて、思わずそちらを振り向いた。

 そこには剣を真横に振り抜いたままの姿勢でいるロイドの姿があり、彼の近くには切り付けられたモンスターが横たわっていた。モンスターは私を襲おうとした狼型のもので、ロイドの攻撃で絶命したのかぴくりとも動かない。それをしっかりと確認してから、ロイドは姿勢を正し静かに剣を鞘に納めていた。


「……あら残念。取られちゃったわ」


 クロノスはそんな風に言って肩をすくめてみせたが、私にはちっとも残念そうには見えなかった。

 ロイドも私と同じように思ったのか、杖を下ろして微笑むクロノスに毅然とした態度を見せていた。


「懲りずにこちらに向かって来ようとしていたので、倒したまでです。コトハがまた危険な目に遭っては困りますので」

「それはそうだけど、アタシだってかっこいいところをコトハちゃんに見せたかったのよー」

「……ねえ二人とも!ちょっとあれ見て!」


 二人の会話に割り込むような形で声を上げながら、私は部屋中に転がるモンスターの死体を指差した。

 それは唐突な変化だった。部屋の中にあるモンスターの死体すべてが、ゆっくりと消え始めたのだ。少しずつ少しずつ、端から光の粒子となって消えていくさまは、以前にも見たことがある。幻影騎士ファントムナイトのときとまったく一緒だ。


「みんな消えてく……モンスターって、消えるものなの?」

「そうですね。モンスターは、負の力が凝り固まったもの――生物であって生物ではないものですから。そういった存在は、死した後自身の身体を保てなくなります。ですから、しばらくすると消えてしまうのです」

「へえ、そうだったんだ……あれ、じゃあモンスターから素材とかはもらえないの?毛皮とか、何か冒険に役に立つものとかさ」

「役に立つもの、ねェ……コトハちゃんが想像するモノがどんなモノなのかはわからないけれど、モンスターの素材はお金になるわね。たとえばさっきコトハちゃんを襲ったブラッドウルフなら、毛皮や血などの素材が手に入るわ」


 先程私を襲った狼型のモンスターはブラッドウルフというのか。知らなかった。


「……ん?でもモンスターって消えちゃうんじゃないの?」

「通常はね。だけど、モンスターの死体が消えるまでに少しだけ時間があるでしょう?その間に魔力安定剤っていう薬を使えば、死体は消えないで済むのよ。この方法を用いて素材を集め、売ってお金にすることを生業なりわいにしているのが狩猟家ハンターという職業の人々よ」

「なるほど……」


 うんうんと頷きながら、私はクロノスとロイドの話を頭に叩き込む。

 モンスターは倒すとそのうち消えてしまうということ、魔力安定剤という薬を使えば素材を得ることができるということ――そして狩猟家ハンターという職業の存在。

 狩猟家ハンター、という職業自体はMMORPG【レヴァースティア】にもあったような気がする。作成したことがないので名前だけしか把握していないけれど、これもゲームとは役割が違うのだろう。覚えていたとしても、役には立たないだろうけど。


「……?なんだろ、あれ」


 モンスターの姿が完全に消えてしまった後、きょろきょろと室内を見回していると、私を襲ったブラッドウルフがいた場所にきらりと光るものが落ちているのを発見した。

 二人も傍にいるし、問題はないだろうと踏んだ私は早速それに近付き、拾い上げてみる。


 それは、部屋の四隅にある水晶玉のように赤くて、宝石のように美しい――鍵、だった。

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