第46話


(あああ……なんだろうねこの状況!既視感しかないんですけど!)


 何故だろう。感情の振れ幅が大きすぎて、逆に思考が追いつかない。

 泣き出しそうだった私を慰めようとしてくれているということは、ロイドの言動で理解できた。

 しかし、それ以外がさっぱりわからない。

 この世界に来てから、親しい人との距離感が曖昧になっている節はある。仲間は二人とも年上の男性で、同年代の同性が周囲にいないからかもしれない。元の世界での学校生活とは大きく異なった状況だから、いろいろと麻痺しているのかもしれない。

 だけどそれでも。とりわけロイドとの距離が近すぎるような気がしてならないのだ。


(ロイドってもともと天然タラシっぽいところあったから、もしかしてそのせいなの?)


 ふとそんなことを思ったけれど、それもちょっと違う気がした。


(ロイドの考えが本当にわからない。どうしてロイドは、こんな風に私に優しくしてくれるの?)


 ぼんやりとそんな疑問が浮かぶ。

 だけど、ぐるぐると混乱する頭では何も思い浮かばないし、かといって本人に直接聞く勇気もない。

 人としても仲間としても信頼しているから、抱き締める腕を振り解こうとは思わない。ただひたすらに気恥ずかしくて、早鐘を打ち始めた心臓と頬に集まる熱を持て余してしまっているだけだ。


「コトハ?」


 耳元で名を呼ばれ、私は一瞬息を詰めた。

 緊張からさらに身体を硬直させた私に気が付いたのか、わずかに身体を離したロイドが私の顔を覗き込もうとしてきたが、真っ赤になった顔を見られたくなかった私はすかさず俯いた。


「何故、顔を隠されるのですか?」

「だ、だって……ロイドが見ようとしてくるから」


 どうにも恥ずかしくて、いたたまれない。

 ロイドの一連の行動は、きっと私のためのものだ。けれど、ロイドの腕の中に閉じ込められ、互いの体温や息遣いを感じられる距離にいるというこの状況は、主に私の羞恥心的な意味でなかなかに居心地が悪かった。

 私達は傍目にはどう見えるのだろう、などと取るに足らないことを頭の隅で考える。

 これが私だったから良かったものの、もし他の人にこんなことをした場合確実に誤解される行為なのではないだろうか。


「……いけませんか?」

「えっと、別にいけなくはないけど…………その、なんか恥ずかしいから」


 ロイドが首を傾げる気配を感じたが、私は顔を上げられないままだった。


「恥ずかしい?……それは、どうして、ですか?」

「……っ」


 穏やかな口調で問われた内容は、確実に答えがわかりきっているようなことだ。

 それなのに、どうしてそれを私に聞くのだろう。なんだか、意地悪だ。

 もっとも、意図的なのかそうでないのかは、私には判別できないのだけれど。


「コトハ」

「……そ、そんなの……わかんないよ」


 促すように名を呼ばれ、私は観念したように口を開いた。


「だってこんな状況だし……その……」

「……私の行動は貴女にとって不快な出来事――――でしたか?」

「それは違うよ!私を慰めようとしてくれたんだなってのはちゃんとわかってるし、これは私にとって嫌とか嫌じゃないとかそういう次元のものじゃなくって……なんていうかその……いっぱいいっぱいなだけ」


 何を言いたいのか、もはやわけがわからなくなってきた。

 けれど中途半端なまま黙り込むこともできなくて、私は顔を見せないようにしながらぽつぽつと言葉を吐き出していく。


「本当に、恥ずかしいだけなの。嫌なわけじゃないの。人としての経験値が低すぎるだけっていうか、経験が少ないぶんどうしたらいいのかわからないだけ。顔を上げられないのは、なんていうかその……たぶん、顔が真っ赤だから」


 何故こんな恥ずかしいことを自ら説明しなければならないのだろう。今はまだうまく頭が働かないから良いようなものの、いずれ私が我に返った時、冷えた頭は何を思うのか。


(いや、そもそもなんでこんな体勢になってるんだったっけ……)


 つい先程の出来事でさえも、曖昧になってきている節がある。これはいけない。

 不慣れな環境の中、高鳴る鼓動の前では、平常心など無いも同然なのだ。


「コトハ」


 吐息とともに、私の名前がロイドの口から零れ落ちた。ほぼ同時に、ロイドが自然な動作で身体を引いたため、二人の間にわずかながらも空間が生まれる。

 そのことにほっと息を吐く暇も無く、唐突に顔が上向かされた。――他でもない、ロイドの手によって。


「え、ちょ、ちょっと……!」

「――涙、止まりましたね」


 焦りを隠せず声を上げる私の目と鼻の先で、ロイドが目を細めて笑う。

 王子様のような端正な顔立ちの中に、私の知るロイドの性格をそのまま溶かし込んだかのような、優しい優しい笑顔。それだけでもお腹いっぱいなのに、私を見つめる彼の視線は蜂蜜をたっぷりと溶かし入れたかのような甘さを多分に含んでいるように思えてならなかった。

 至近距離で見続けるにはどうにも恥ずかしく、私は顔全体に広がる熱を無視してふいと視線を逸らした。


「……こちらを向いてはくださらないのですか?」

「いや、その、ええと…………」


 照れてしまうからとしか言いようがないし、とても答えにくい質問である。


「そんなにじっと見られると本当に照れちゃうから、あんまり見ないで……」

「ふふ。何故どうしてでしょうね……私の目には、貴女の姿が本当にかわいらしく映るのです。それはコトハ、貴女が貴女だからなのでしょうか。それとも――――私自身の問題なのでしょうか」

「ひえ……」


 見ないでと言ったのに、返ってきたのは私には理解できない言葉たち。


「こちらを向いて。私は、貴女の顔が見たい」


 まるであやすような、甘ったるい響きに導かれるように、恐る恐る視線を戻す。

 心臓の音がうるさくて、火照った頬がわずらわしくて。

 けれどロイドは、私と目が合った途端、本当に幸せそうに微笑むから。


(こんな……こんなの、知らない。どうして、そんな目で私を見るの)


 私の知らない熱を宿した瞳から、逃げてしまいたかった。


「私の主人マスター泡沫うたかたの夢の中で出会った、唯一の女性ひと


 ロイドの指が、私の真っ赤な頬を優しく撫でる。

 大切な何かを愛おしむようなそれは、やがてゆっくりと頬にかかる髪に移って。


「ああ――そうか。私は、こんなにも、貴女に――――――」


 呟くような低く小さな言葉の続きは、どんなに待っても彼の口からは出てこなかった。

 代わりに、つい先程まで触れていた私の髪を一房掬い取ると、彼は流れるような動作でそこに唇を落とした。 


「――――っ!」


 髪はすぐにロイドの手から離れて私のもとへ戻ってきた。しかし、たった今目の当たりにした出来事を思い起こすと、心臓をぎゅっと掴まれたような心地がして、身体が動かなくなる。

 もう本当にどうすればいいかわからない。わけがわからなくて、混乱して、今度は別の理由で泣いてしまいそうだった。

 それなのに、彼は私自身を真っ直ぐに見据え、ふわりと微笑んだのだ。

 頬をわずかに赤く染め、蜜のように甘く、とろけるような笑みを浮かべるロイドは、いっそ暴力的なほどの色気と妖艶さを醸し出していて、眩暈がしそう。



「――――意識、しましたか?」


 瀕死の私にとどめを刺すような、耳元で聞こえた掠れた囁きに。

 私の心は、ついに限界を迎えたのだった。



「ああああの!あの!私、ちょっとトイレに行きたいな!」

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