第26話


「コトハ!?どちらにいらっしゃるのですか!?」

「コトハちゃん!」


 扉越しのくぐもった声が二つ。

 私の名を呼ぶ声はしっかりと耳に届いていながらも、私は一人闇の中に立ち竦んだまま、まったく動けないでいた。


(……落ち着けー。落ち着くんだ、自分)


 早鐘を打つ心音を少しでも落ち着かせるため、深呼吸を一つ。

 だけど、突然の出来事に対応しきれず生まれた恐怖は、すぐには消えてくれそうもなかった。どくどくと激しく脈打つ心臓を宥めることすらままならない。

 一寸先も見えない暗闇の中に突然放り出され、仲間とも分断されてしまった。不安に思わないほうがおかしいのだ。必死にそう自分に言い聞かせる。


(だ、大丈夫、大丈夫。怖くない。怖くなんてないんだから!)


 パニックになりそうな思考を無理やり押し止める。

 動揺している場合ではないのだ。まずは気をしっかりと持たなくては。そして、突然いなくなった私を心配してくれているであろう仲間達に自分の無事を知らせなければ。

 扉が近い位置にあることは、二人の声がそう遠くないことから容易に推測できた。

 私は扉の向こうにいるはずのロイドとクロノスに向かって、聞こえるように声を張り上げた。


「二人ともーっ!こっちは大丈夫ーっ!」

「……コトハ?ご無事だったのですね!?」

「うん、なんとかね!真っ暗でなんにも見えないけど!」

「真っ暗……ということはコトハちゃん、アナタもしかしてこの扉の向こうにいるの!?」

「なんか、そうみたい!」


 扉を隔てていても、会話ができることに心底ほっとする。

 今のように誰かと会話ができなかったら、誰かの気配を感じられなかったら――もしかしたら私は泣いてしまっていたかもしれない。


「……大丈夫ですか?」

「……うん。周りがちょっと暗いけど、大丈夫だよ!」


 扉越しに伝わる、ロイドの心配そうな声。だけど、私は敢えて強がりを口にした。

 本音を言ってしまうのなら――ものすごく怖いし大丈夫なんかじゃない。今すぐにでも二人のいるところに戻りたい。でも、あの不思議な“何か”の原理は解明できていないし、二人との合流はそう簡単には果たせそうもなかったから。


「すぐに助けます。コトハ、貴女はそこから動かずじっとしていてください」

「ありがとう。でも、私だけ何もしないでなんていられないよ。だからこっちからも扉を開ける方法を探してみようと思うんだけど……」


 最も、ほとんど視界がきかない状態で私にできることなんてたかが知れているけれど。

 しかし、そんな私の言葉にロイドは難色を示しているようだ。


「危険すぎます。こちらからは内部の状況を窺い知ることはできませんが、今貴女がいる場所が安全なのならば下手に動くべきではないと思います」

「でも、はっきり言って現状アタシ達にこの扉を開ける手立ては無い、のよねェ。コトハちゃんがどうしてこの“壁”を越えてしまったのかもわからないのだし」


 アタシの結界のときと同じね、とクロノスは小さく笑った。


「ねえ、コトハちゃん。もしもアナタが自由に動けそうなら、アナタも方法を探してみてくれないかしら」

「クロノス!」


 ロイドの鋭い声が飛ぶ。しかしクロノスはロイドに構わず続けた。


「この先は誰一人として足を踏み入れたことが無い領域。アタシ達のいる場所に何の手掛かりもないということは、答えはきっと扉の内側にあるのだと思うの」

「ならば尚更です。どこにどんな危険が潜んでいるかわからない。何かあってからでは遅いのです」

「確かに危険もあるかもしれないわ。けれど多少危険でも、やってみる価値はあると思う。コトハちゃんにはアタシ達が与えた“守りの力”もあるのだから。ただ時間が過ぎていくのを待つよりもよっぽど建設的だと思うけれど?」

「それはそうかもしれません、が……私達が手助けできないぶん、危険は増えると思います」

「ふふっ、大切に思う気持ちはわからないでもないけれどね。だけどそれだけじゃきっとこの子のためにはならないわ。それに、一刻も早くこの子を助けたいと思うなら、まずは行動するべきよ」


 使える手は使わなければね、とクロノスは付け加える。

 ロイドとクロノスの言葉はある意味正反対だが、私としてはどちらの意見も頷ける。今この場でむやみに動き回るのは得策ではないという考えも理解できるし、全員で協力して脱出方法を探るべきだというのも間違ってはいない。

 私自身の選択に近いのは、間違いなく後者だ。


(……たぶん、ロイドには心配させてしまうけど)


 ロイドとクロノスのおかげで幾分か冷静さを取り戻すことができていた。

 暗くて多少心細くても、私も仲間達のために最大限できることをしたい。


「わかった、こっちでもいろいろ調べてみるね!」

「っ、コトハ!?」

「私のいる場所に手掛かりがありそうなら、探してみるに越したことはないでしょ?ロイドもそんなに心配しないで!明らかに危険そうなものには絶対近付かないから!」

「ほら、コトハちゃんもこう言ってくれているし?さっすがアタシのコトハちゃんねーっ!」

「クロノスは少し黙っていてください」


 クロノスの茶化すような言葉をロイドがぴしゃりと跳ね除ける。

 それからロイドは、こちら側からではうっすらと聞こえる程度の小さなため息を吐き、私の名を呼んだ。


「……わかりました。くれぐれも無理だけはしないでくださいね」

「っ!うんっ!ありがとう!」


 渋々ながらも了承してくれたロイドに礼を述べつつ、私はその勢いのまま一歩を踏み出した。

 とりあえず思うままに進んでみようと意気込んではみたものの、見事に何も見えない。やみくもに歩き回るだけではきっと何も見つけられないことだろう。


「うーん……壁伝いにいってみようか?」


 扉の開閉スイッチが壁にあったこともあった。偶然にでも手に触れさえすれば後はなんとかなる気がする。それに、このまま進んで自分の現在地がわからなくなっては元も子もない。


「……よし」


 そうと決まれば、まずは壁際まで移動しなくてはならない。

 壁に触れたらすぐにわかるよう両手を伸ばしながら、慎重に右へと寄っていく。すると数歩進んだところで、硬質でひんやりとしたものが右手の甲をかすめた。一瞬びくりとしたが、恐る恐る手を伸ばしてそれに触れてみる。


「……壁、っぽい?」


 撫でるように右手を動かしてみるが、壁らしきものの感触が伝わってくるだけで何も起こらない。

 嫌な感じもしないので、ひとまずこのまま進んでみることにした。


「壁から手を離さなければ大丈夫そう、かな」


 不安を和らげるための呟きに、答える者は誰もいない。

 私はゆっくりと歩を進めつつも、右手の感触に注意を向ける。今のところ別段変わった様子はなく、ただただ壁の感触が続くだけだ。


「仕掛け、スイッチ……うーん、いったいどこにあるのかな……」


 第一、私はこの場所がどのような構造になっているのかも理解していないのだ。

 地図上では今まで通ってきた部屋と相違ない形をしていたが、実際にこの目で見ないことには始まらない。本当にここが部屋と呼べる空間なのかさえ知らないのだが、私はそれを知る術を持っていない。


「せめて明かりとかあればねー……ランプ借りとけばよかったかなー」


 魔法が無くてもランプさえあればもっと探索がはかどったのに。

 そんなことを考えながらも、黙々と歩き続けていく。しかし、いくら進んでも私を取り巻く環境に変化はみられなかった。手に触れる範囲で仕掛けのようなものが見当たらないのは仕方ないとして、それよりも終わらない壁の方を問題視するべきなのかもしれない。


「もしかして、何も見つけられないまま部屋を一周しちゃったとか?いやいや、でも曲がり角みたいなのは無かったような気もするし……んー、どうしよ?とりあえずちょっと休憩しちゃってもいいかな?」


 思えば、メルカ遺跡到着から現在に至るまでほとんど休憩をとっていなかった。普段の運動量よりもずっと多く動き回っていると思うし、慣れない環境下では身体的にも精神的にも疲弊してしまう。それはきっと仕方のないことだと思いたい。

 暗闇の中、という状況に慣れたわけではなかった。一人は怖くてとても不安だ。だけど、少し立ち止まって考えを整理するのもいいかもしれない、と思ったのだ。


「ふう……よいしょ、っと」


 壁に寄りかかって休むことができるよう、ゆっくりと体勢を変えていく。

 これで少しは疲れも引くだろうか――などとぼんやり考えながら、壁に背を預けようとした、まさにその瞬間のことだった。


「え、ちょっ!?」


 突然、私の背後の壁がガコンと大きな音を立ててへこむように動いたのである。

 急に支えを失った私の身体はバランスを崩し、危うく倒れそうになるも、慌てて体勢を整えたことでなんとか事無きを得る。

 いったい何が起こったのか。それを私が理解する間もなく、変化は急激に訪れた。

 瞬きひとつの間に、一気に視界が明るくなる。きょろきょろと顔を動かして見てみると、壁の上部に火が灯った燭台が等間隔に並んでいるようだった。自身の後方を振り返れば、壁の一部にまるで押し込まれたかのような不自然な窪みができていた。もしかしたら、これは明かりをつけるための仕掛けだったのかもしれない。それを見つけたのが偶然だろうと何だろうと、暗闇から脱出できたことは純粋に嬉しい。心からほっとした。


「……って、ちょっと待って。何なのよ、これ……」


 安堵の息を吐きつつも、私の視線はようやく姿を現した部屋の全貌に注がれたままだった。

 私が今立っている部屋。そこは今までのものとは比べ物にならないくらい大きく、そして広かった。

 煉瓦造りなのは変わらないが、部屋全体が赤や青などの色に染まっているということはなく、水晶玉や石碑の姿も見当たらない。他と比べると、かなり殺風景な部屋に思える。

 それでもひとつだけ、他の部屋とは明らかに違うものがあった。


「扉……?」


 それは、天井まで届きそうなほど巨大でとても壮麗な――両開きの扉だった。

 石造りの無機質な白い扉とは何もかもが違う。扉全体に金色の美しい装飾が施されており、両脇には炎の灯っていない大きな燭台が一本ずつ立っている。


(……怪しい)


 これは絶対に何かある。そう確信した私は、壁際から離れ両開きの扉へと近付いて行った。


「ん……あれ、でもこの扉取っ手も何もない?」


 扉に近寄ってみてわかったことは、取っ手らしきものがどこにも見当たらないということだった。

 周囲をうろうろと探してみるが、レバーやスイッチなどの仕掛けすらなく、試しに両手で扉を押してみても開くことはない。


「ええー、これじゃ先に進めないじゃない」


 せっかく新しい手掛かりを見つけたというのに。

 ここはいったん戻って、ロイドとクロノスに報告し判断を仰ぐべきなのかもしれない。だけど、私は敢えてそれをしなかった。

 なんとなく、だけれど。何故かそうしてはいけない気がしたからだ。


「仕方ない、もうちょっとこのへんを探して――」


 言いかけて、口をつぐんだ。

 視界の端に、気になるものを発見したためだ。


「これって、もしかして」


 呟きながら、私は素早くそちらに駆け寄っていく。

 両開きの扉のすぐ傍らの壁面に、不自然に色が異なる箇所があった。壁面の煉瓦の中でもその三つだけが周囲と違っており、赤、青、緑の色を呈している。そしてそれぞれの煉瓦の中心には、鍵穴のような小さな穴が開いていた。

 私は無言で服の中を探り、大事にしまい込んでいた三本の鍵を取り出した。


「きっとこの鍵を使う、んだよね?」


 この状況で考えられるのはひとつしかない。

 私は小さく息を吐いて無理やり緊張を押し殺すと、最初に拾った赤い鍵を、対応する色の鍵穴に差し込んでみた。間違っていたらどうしよう、という私の不安に反して、鍵は抵抗なく鍵穴へと吸い込まれていく。そのまま奥まで鍵を差し込んでから、試しに軽く右側に回してみると、難なく回すことができた。


(ちょ、これいけそうじゃない?)


 一本目の鍵がうまくいったことで気を良くした私は、二本目、三本目と躊躇なく鍵を差し込んでいく。

 そして、最後の三本目の鍵を半回転した直後。

 カチリ、と何かが嵌るような音がしたかと思うと、鍵穴に差し込まれたすべての鍵が三色の淡い光を放ち始め、扉の両脇の燭台に勢い良く青白い炎が灯された。


「……え」


 驚愕に目を見開いたまま動けないでいる私の目の前で、さらに事態は進行していく。

 ゆらゆら揺れる青白い炎を呆然と眺めていると、続いて扉自体に変化が訪れた。扉全体が、まるで青白い炎を閉じ込めたかのような色の光を纏ったのだ。しかしそれも一瞬のことで、光はすぐに何事も無かったかのように収まっていく。

 青白い光が宙に霧散してしまうと、今度は地鳴りに似た低い音が周囲に響き始めた。その音に引きずられるように、両開きの扉がゆっくりと外側に開け放たれていく。しばらくして扉がすべて開ききると、断続的に聞こえていた重苦しい音は止み、また元の静寂が戻ってきた。

 静けさに支配される中、私にできたのはぼんやりと瞬きを繰り返すことくらいだった。


「び、びっくりしたー……」


 扉を開けるためには何かしらの仕掛けを解除しなければならない。

 予想を立てることはできていても、こうして実際に目の前で見るとなるとさすがに驚きを隠せない。

 途中で拾った三本の鍵は、この扉の仕掛けを解除するためのものだったのだ。

 

 ともあれ、こうして目の前の扉は開かれたのだ。

 進むべきか、進まないべきか――躊躇する気持ちはもちろんあるものの、いつまでも迷っている暇はない。この部屋の外側では、ロイドとクロノスが待っている。この先に進むのが正解か不正解かはわからないけれど、合流する手立てはまだ見つかっていないし、今は進むのが正解と思われた。


「よし……行こう」


 不安に駆られそうになる自分を叱咤し、私はゆっくりと歩を進めていく。

 ――そして。


「あれは……」


 扉を潜り、先に進んだ私の目に真っ先に飛び込んできたもの。

 それは、美しく精緻な装飾に縁取られた広々とした部屋だった。室内の中央には、不思議な模様の入った赤い布が被せられた古い石造りの台座がぽつんと置かれており、その上には宝石が嵌め込まれた美しい王冠が載せられている。

 目を引くものはそれくらいで、他に物は無い。きっとあの美しい王冠がメルカ遺跡の宝物なのだろう。


(もっと詳しく部屋の中を見てみたいな)


 純粋な興味に突き動かされ、部屋の中に一歩足を踏み入れた――その瞬間のことだった。


「――――だれ?」

「っ!?」


 誰もいないはずの、メルカ遺跡の最深部。

 そこで私に声をかける者がいるなんて――露程にも思っていなかった。

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