トリップ×ファンタジア

水月華

第1話


 ――夢とは、基本的に寝ている時に見るものだ。

 楽しいこと、悲しいこと、現実的なものから非現実的なものまで、どんな内容でも見ることができるのが夢である。

 記憶の整理整頓だとか、潜在意識だとか、その人の願望だとか、夢を見る理由については諸説あるが、いまだにその理由は解明されていないのだという。


 ただ、不思議なことが多々起きるのが夢ならば。

 私が体験した出来事は、夢の一種だったのだろうか。

 目覚めれば忘れてしまう、ただの幻想に過ぎないのだろうか。


 ――いや、違う。

 私の身に起こった出来事は、すべて現実だった。

 それだけは確信を持って言える。

 だって、あの世界での日々は確かに、私の心の中に深く根付いているのだから――――


* * * * * *


「うふふ、いいレア武器ゲットしちゃったー!いやー、二時間潜ったかいがあったわー」


 きっとこのとき、私は喜びに満ち溢れた表情をしていたと思う。

 何せ、ずっと欲しかったものがたった今手に入ったのだから。


「“始皇帝しこうていつるぎ”――これレア中のレアだからなかなかドロップしないのよねー。ああもうっ、一週間粘って本当によかった!」


 うきうきと独り言を言いながら、私はマウスを操作する。

 私、都月みやづき琴葉ことはは自室の机の上を陣取る愛用のパソコンに向かっている最中だった。

 パソコンの画面には、今人気沸騰中のオンラインゲームが映し出されている。

 俗に言うMMORPGというやつだ。タイトルを【レヴァースティア】という。

 異世界レヴァースティアを舞台とした剣と魔法のRPGなのだが、よくあるオンラインゲームだと侮るなかれ。

 キャラクターメイキングの豊富さはもちろん、広大なマップに膨大なクエスト量、多岐にわたる職業やスキル――つまるところ、どんな人にでも楽しめるよう開発された自由度の高いゲームなのである。

 キャッチコピーは「この世界に、みんなハマる」――まさにその通りだったらしい。

 MMORPG【レヴァースティア】は正式サービス開始後、すぐに人気ゲームの仲間入りを果たしていた。

 なんでも、プレイしてみればわかるおもしろさなんだとか。

 もちろん私も、その魅力に取りつかれた一人だった。


「今使ってる“十六夜いざよいつき”も強いんだけど、その上を行く強さの武器なんだよね!まあ、最強装備ではないらしいけどさー」


 それでも嬉しいものは嬉しい。

 カーソルを動かし、画面中心に映るキャラクターの装備を変えてやる。

 幼い頃憧れた童話の王子様のように、かっこよくて優しい騎士様ってやつにしたくて作った、男性型のプレイヤーキャラクター。性格ばかりはどうしようもないけれど、そのぶん外見だけはこだわりぬいたため、彼はかなりの美形だ。さらさらの金髪に、海を思わせる深い蒼の瞳。エモーションを使用しなければ基本的に表情を変えることはないが、充分に整った顔立ちのせいで普通にしていても目の保養になる。それにすらりとした体躯も相まって、外見だけは私の好みが詰まりまくった美青年となっていた。

 余談だが、キャラクターメイク次第では同じエモーションでもキャラクターによって反応が変わってくる。それもこのゲームのおもしろさといったところだろう。


「んー、いいねいいね!超似合ってんじゃん!うちのロイドったらイケメンね!」


 マウスで視点をくるくると変え、楽しむ。

 親馬鹿にでもなったような気分だ。だがそれだけ愛着が沸いている証拠だと思うので許してほしい。

 ちなみにロイドというのはこのキャラクターの名前である。名前の由来は特に無く、作成時に良いものが思い浮かばなかったので適当につけた。ごめんロイド。


「そうだっ、ゆきに自慢しちゃお!かなりのレア武器とったーって」


 未だ興奮冷めやらぬ私は、そのまま友人へと報告することにした。

 彼女とはゲーム内でもフレンド登録しているから、ログインしているかどうかはフレンドリストを見ればわかる。しかし、生憎彼女はログインすらしていないようだった。


「んー、いないかあ。メールでもいいけど、そこまでして自慢することでもないし……うーん……」


 始皇帝の剣、とは騎士ナイトの職業を選んだ者ならば誰でも手に入れたくなるという幻の一品だ。

“始皇帝の墓”というダンジョンの深層部に生息するモンスターが超低確率でドロップする――という情報だけを頼りに狩り続けていたものの、実際に手にした者は少ないらしく、本当に存在しているのかすら確認できていない。そのため私も半分諦めかけていたのだが、一週間目の今日、奇跡的にも手に入れることができたのである。

 この喜びを誰かと分かち合いたいと考えるのは、いたって普通のことだろう。

 いや、うん、私だけかもしれないけどさ。


「琴葉ー!あんたいい加減ゲーム止めて降りてきなさいよー!ご飯よご飯ー!」


 階下から、母親の声がする。

 そっか、もうそんな時間だったのか。時間が経つのは早いものだなと、しみじみ思う。


「はあい今行くー!」


 大声でそう返事をしてから、私はゆっくりと席を立ち、部屋を後にした。

 パソコンの画面はそのままに、一度も振り返らず。



「やーっと来た。まったく、あんたは毎日毎日学校から帰ってくるなりゲームばっかりして」


 一階のリビングに足を踏み入れるなり、母親の小言が飛んできた。

 私はいつものようにそれを聞き流し、自分の席に着く。


「生活に支障が無いくらいなんだから別にいいでしょ。あ、おかえり」

「そっちを先に言いなさいよただいま。支障が無くてもさあ、あんたまだ高校生でしょ。友達と外で遊んでくればいいじゃない。お母さんがあんたの年の頃なんて、毎日のように友達と遊び歩いてたものよー」

「はいはい、今度行くよ今度。それよりお母さん、今日のご飯何?おなかすいちゃった」

「……まったく適当なんだから。まあいいわ。今日はハンバーグよ」


 ため息をつきつつ、母親も椅子を引いて食卓に着いた。

 テーブルの上には、おいしそうな匂いを漂わせた料理が所狭しと並んでいる。

 いつもならここに父親の姿が加わるのだが、母親曰く、今日は残業で帰りが遅くなるとのことだった。

 両親が共働きの家庭であるため、誰かが欠けた状態で食事をするのは日常茶飯事である。


「ふうん、お父さんも大変だねー」

「一家の大黒柱なんだもの、仕方ないでしょ。それに、あんたもいずれ嫌でも働くようになるわよ。学生生活を楽しめるのなんて今だけよ今だけ!」

「うっわ、やだなー!現実見たくないわー!」


 そんな風に母親と他愛もない会話をしながら、おいしい食事に舌鼓を打つ。

 そうして最後の一口を食べ終え、冷たい緑茶で喉を潤していると、母親が壁掛け時計を見上げながら何かを思い出したようにあっと声を上げた。

 どうしたのかと問えば、なんでも隣の家に用事があったのだという。

 そういえば、朝隣の家がどうのって言ってたような気がするな。内容は忘れたけど。


「あーもうすっかり忘れてたわー。どうしましょ」

「それってそんなに大変なことなの?」

「大変ってわけじゃないけど、隣の奥さんに頼まれてたことがあってね。ああでも今手が離せないし……」


 そのまま壁掛け時計とにらめっこすること数秒。

 すぐに何か名案を思いついたような表情でこちらに視線を向けてくる母親に、嫌な予感を禁じ得ない。


「琴葉、あんた私の代わりに行ってきてくれない?」

「ええっ、ご飯食べたばっかりだし嫌だよ!それに時間ももう遅いし、お隣さんも迷惑なんじゃないの!?」


 カーテンで遮られ、窓から外を窺い知ることはできないけれど、正直見なくてもわかる。

 どう考えても外は真っ暗だ。お宅訪問には遅い時間だと思う。

 しかし、母親はどうしても今行ってほしいようで、なおも食い下がってくる。


「お隣の奥さんなら大丈夫よ!仕事が終わったら伺います、って言ってあるし、このくらい許容範囲だと思うの」

「いやいや、それお母さんの持論じゃんか!」

「だーいじょうぶだって!ちょっと書類を受け取ってくるだけだから!……ほらっ、行った行った!向こうはお母さんの名前出せばわかるはずだから!」

「えー……」


 ほらほら、と急かされ、私は仕方なく席を立った。

 そこまで言うなら自分で行けばいいじゃない、なんてことは敢えて言わない。

 どうせ部屋に戻ってもオンラインゲームに興じるだけだし、きっとその用事は今日中でなければならない何かがあるのだろう。できるだけ好意的に解釈しておく。内容はよくわからないままだけど、行けばきっとなんとかなるはずだ。

 私は携帯電話をジーンズのポケットに押し込み、玄関へと進んでいく。

 今の私の恰好はロングTシャツにジーンズというとてつもなくラフな格好だが、別にかまわない。そこまで気を遣い合う間柄でもないはずだ、と私はスニーカーを履いて、何も考えずに玄関のドアを開けた。

 そう、確かに開けたのだ。いつものように、何も変わることなく。

 だからこそ――玄関から一歩外に足を踏み出した瞬間景色が一変するなんて思いもよらなかった。


「………………は?」


 たっぷりの沈黙の後、やっと私が口にできたのはたったそれだけ。

 目の前に広がるのは、見慣れた庭の風景ではない。

 例えるならば、鬱蒼とした深い森。

 小高い木々が数多く立ち並び、それらを取り囲むように背の高い草が生い茂っている。視線の先には、かろうじて道と呼べるような、細長い獣道が続いていた。木漏れ日はほとんどなく、どことなく薄暗い印象を受ける。


「え……?は……?なに……?」


 何が何だかわからず、とりあえず家の中に戻ろうと即座に踵を返す。

 しかし、振り向いた先に私の家は無く、木々や草花の緑が視界を覆い尽くすのみ。


「……これ、夢?」


 これは夢だ。夢に違いない。

 私は即座にそう判断した。


「あっはっは、やだなー私ったらいつのまに寝ちゃったんだろ。おっかしーなー」


 貼り付けたような笑顔のまま、頬を軽くつねってみる。

 ありがちな確認方法だと思うけれど、他に方法も思いつかなかったのだ。


「……痛い」


 頬に走るのは、ぴりっとした小さな痛み。

 つねったのだから痛みがあるのは当然だ。だけど、今はそのごく当たり前のことが逆に私の不安を煽る。


「えい」


 今度は、両手で頬をぺちりと叩いてみた。

 強く叩きすぎたのかもしれない。両頬がじんとした痛みを持つ。

 このとき私の中で頭をもたげた存在は、焦燥感という名だったか。


「夢って痛みすらリアルに感じられるものなんだねー。初めて知ったわー。これが明晰夢ってやつかなー」


 語尾が少しだけ震えたのは、きっと気のせい。

 ――だって。

 だって夢でなければ。私は。


「…………やめよう。とりあえず、現状把握だよね、うん」


 今の段階でこれ以上考えるのは得策ではない。とりあえず今は現状把握が先決だ。

 私はつい今しがたまで家で夕食を食べていたはず。そして母親の頼みで隣人を訪問しようとドアを開けたはずなんだ。


「もしかして、寝ぼけたまま近所を徘徊しちゃった、とか?」


 一度深呼吸してから、周囲をきょろきょろと見渡してみる。

 だが、何度確認してみても自分の家の庭とは似ても似つかないし、記憶を手繰り寄せてみてもそれらしき風景に思い当たることはなく。


「……ここはどこ?」


 言葉にしてみても、答えをくれる人は誰もいない。

 時折吹き込んでくる風に木々がざわめく音を聞きながら、途方に暮れるしかなかった。

 唐突に、本当に唐突に私はこの場所に立っている。

 それこそ本当に夢でなければ、こんなこと絶対にありえないのだ。


「どうしよう……どうすればいい?」


 何が起こったのかわからないまま、たった一人で知らない場所に放り出されるなど、混乱しないほうがおかしいのだ。たとえこれが夢でも、私は確かに不安と恐怖を感じている。


「どうしよ、このままここにいるわけにもいかないよね。でもどこへ行けば……」


 立ち竦んだまま一歩を踏み出すか否かを考えていると、遠くから犬のような、狼のような遠吠えが聞こえてきたような気がした。私はびくり、と身体を震わせ、周囲を素早く確認する。


「……歩こう」


 このままここにいたら危険な気がする。

 そう判断して、私は舗装すらされていない獣道を真っ直ぐに歩き出した。

 しかし歩けども歩けども、見えてくる景色は変わらないままだ。

 気を抜けば、不安と恐怖がごちゃ混ぜになったような、負の感情に押しつぶされそうになる。そんな自分を叱咤しながら、私は足を進めていく。


「でも、獣道でも道があるってことは、誰かが一度でもここを通ったってことだよね」


 なるべくプラス思考でいこうと、私は湧き上がる感情に無理やり蓋をする。

 けれども、靴の裏に感じる、地面を踏みしめるリアルな感覚が、考えたくないもう一つの仮説の存在を伝えようとしてくるのだ。

 もしかしたらこれは、現実なのではないか、と。


「勘弁してよね、私山歩きなんてほとんどしたことないんだけど」


 張り出た石などででこぼこした獣道は歩きにくく、時々足をとられそうになる。

 歩きやすい靴を履いていてよかったと、このときばかりはスニーカーに感謝した。

 それに、運動部でもない私は体力もそう多くない。体力が尽きる前に、どこか人のいる場所まで辿り着いておきたかった。


 景色を眺める余裕もないまま、一心不乱に足を動かし続けていくと、徐々に木漏れ日が増え始め、道の先が明るくなってきた。

 鬱陶しいほどあった木の本数も目に見えて減ってきている。もしかしたら、この先に何かあるのかもしれない。

 私ははやる気持ちを押さえられず、残りの道を駆け足で進んでいった。

 そうして、私の目に入ってきた光景は。


「……なに、あれ」


 道の先にあったもの。それは、遺跡のような大きな建物だった。

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