第48話
あれから私は、何をするでもなく自室でのんびりと時を過ごしていた。何もすることがなく、時間を持て余しているという表現のほうが正しいのかもしれない。一人の時間も大切だけれど、今回のそれは長すぎて逆に嫌になってくる。元の世界は暇つぶしの方法を気分に応じて選ぶことができたけれど、満足に外にも出られない今のような状況では数えるほどしかない。
とりあえずベッドに横になってはみたものの、二度寝なんてする気も起きなかった。
(結局のところ、あの人は何がしたかったのだろう)
心に浮かぶのは、やはりつい先程の出来事だ。
何がなんだかわからぬままに手渡されたケーキ。去り際に背中で受けた小さな呟きは、私の聞き間違いでなければ謝罪の言葉に聞こえた。
レオニールのことは、私の命を脅かす恐ろしい人だと思っていた。だけど、彼の態度や言葉の中に優しさのようなものが見え隠れしているように思えるのは、単なる錯覚なのだろうか。
(優しいのか、怖いのか……私にはもう、わからない。判断できない)
一度は銃を向けられたけれど、撃たれてはいない。けれどそれもすべてレオニールの気紛れと言われたらそれまでだ。
それでも――私にはもう、彼を生粋の悪人と決めつけることなどできなかった。
「……ケーキ、食べちゃおうかな」
ベッドから降り、テーブルに向かう。テーブルの上に置かれた白い箱の中には、先程味見したいちごのショートケーキだけでなく、フォークとナプキンまでもが入れられていた。
ああ見えて、細やかな気配りもできる男なのだろうか――などと失礼なことを考えながら、私はケーキを食べるための準備を始める。朝食の前にお菓子を食べるという普段なら許されざる行為を咎める者は、誰もいない。あるのは罪悪感とか背徳感とか、そういう類の後ろめたさだけだった。
「うん、おいしい」
レオニールからもらったケーキは上品な甘さで、何個でも食べられそうなくらいおいしかった。
自分だけこんな風に良い思いをしてもいいのだろうか、という思いはあったのだが、それでも食べる手を止めることはできなくて、ケーキはあっという間に私の胃袋の中に消えていく。
仲間達と相談してから食べる、という選択肢もあるにはあった。だけど、このケーキは一人で食べるべきだとぼんやり考える自分もいたから、それに従うことにしただけだ。
(レオニールさんも、それは望んでいない気がする)
なんとなく、自分だけの秘密にしておこうと思いながら、私は最後の一口を頬張るのだった。
後片付けを終え、だらだらと部屋で過ごしている間にも時計の針は進んで行く。
時折見上げる壁掛け時計がようやく朝七時を指し示した頃、ウェティが朝食を持って私の部屋を訪ねてきた。彼女は朝食をテーブルの上に置くと、おはようございます、という朝の挨拶もそこそこに、本日の予定という名の大事な事柄を私に告げていく。
「朝食が済みましたら、貴女のお仲間も交えて話し合いの席を持ちましょう。そうですわね……一時間後にお迎えに参ります。ですので皆様お揃いでお待ちくださいませね?」
そう言い残して、ウェティは部屋を出て行った。
既に身支度は済んでいるし、あとはウェティが指定した時間に間に合うようにロイドとクロノスを呼びにいけば良いだけだ。
(そうと決まれば、早めに食事済ませなきゃいけないよね?さっきケーキ食べちゃったから全部食べられるかはわからないけど……無理のない程度に食べればいいか)
それに、せっかく作ってくれたものを残すのは忍びない。
そう考えた私は、いつもより早いペースで食事を詰め込んでから、頃合いを見てロイドとクロノスそれぞれの部屋を訪れた。若干早すぎたかもしれないと思いながらの訪問だったのに、彼らはとっくに食事を済ませていて、二人揃って私を待ち構えているような状況だった。
私自身にも言えることだけれど、皆幾分か気が急いているのかもしれない。
「集まるのちょっと早かったかな?」
「そうねェ。でも、早めの行動は決して悪いことではないのよ?何かあっても良いように心の準備をしておくことも大切なことなのだから」
ベッドの端に足を組んで座っているクロノスに話を振ると、何やら意味深な答えが返ってきた。
「何かあってもって……この後何か起こるかもしれないってこと?」
「ああ、別にそういうわけじゃないわ。ただ……
「最悪の可能性……」
クロノスの言葉を反芻しながら、彼の言葉の意味を考える。
最悪の可能性とは、たとえばどんなことだろう。
「まさか……全員殺される、とか?」
「それもあるかもしれないけれど、可能性としては限りなく低いわね。義賊団の
まったく好みじゃないわ、と肩をすくめるクロノスに、私は苦い笑みを向ける。
レオニールは私を助けに来たロイドとクロノスに対して挑発するような発言をしていたし、初対面の印象は最悪に違いない。私自身もそうだったのだけど。
「あの男の人格がどうあれ、我々は早急にここから脱出すべきでしょう」
私とクロノスの会話が途切れたところで、部屋の入り口に程近い場所に立っていたロイドが口を開いた。
「この場所はあの男の魔力で形成された彼の領域です。その中にいる我々の命は、彼が握っている――そうは思えませんか?」
「そうね。今はアタシがいるし、いざとなればこの空間自体を破壊することも可能だからそこまで心配はいらないはずだけれど……あの男が組み上げた魔法の中にいること自体、本来は恐ろしいことだもの」
ロイドの言葉に同意するように頷いたクロノスは顔色一つ変えず平然としているけれど、何気にかなりすごいことを言っているのではないだろうか。
「こうして普通に生活していても、ここって本来存在していないはずの空間なんだもんね……うわ、そう考えるとちょっと怖くなってきたかも」
「でしょう?そもそもアタシ達は花祭りを楽しむために王都イレニアに立ち寄ったのよ?ぐずぐずしていたら花祭り自体が終わってしまうわ」
「あ、そっか。今花祭りの最中だったっけ」
いろいろありすぎて花祭りのことをすっかり失念していた。二日目の途中で攫われてしまったから、できれば終わってしまう前にもう一度花祭りを堪能したいものである。
「あの男の妹がこれから迎えに来るとのことでしたね。交渉次第では即日解放ということもあり得るかもしれません」
「かなあ?ウェティは優しいから、頼めばレオニールさんに掛け合ってくれるかもしれないし……希望はあるかもね」
「……コトハは、あの女性を愛称で呼んでいるのですね。信頼しているのですか?」
ロイドから投げかけられた問いに、私は大きく頷いた。
「うん。だって、ウェティはずっと私の味方になってくれていたからね」
二人が助けに来てくれるまで、私の心の支えになっていたのはウェティだった。
彼女の存在がなければ、私はもっと辛い思いをしていたことだろうとしみじみ思う。
「ふうん?なんだか妬けちゃうわねェ」
「えっ?」
予想外の反応が返ってきて、私はクロノスの方に顔を向ける。
クロノスはくすりと笑ってから、ぱちりと片目を瞑った。
「あの
「嫉妬って。もう、クロノスってば茶化さないでよ!」
「ふふっ、ごめんなさい?でも、アタシ嘘はついていないわ。本当よ?」
「もう……」
くすくすと楽しそうに笑うクロノスの態度は、やっぱり茶化しているようにしか見えなくて、私は眉をひそめた。するとクロノスはひとつ息を吐いて笑みを引っ込めると同時に、すっと目を細めてみせる。
「それはともかくとして……たとえコトハちゃんがあの女性を信頼していたとしても、彼女が矢面に立っている以上、
「クロノス……」
「私も同意見です。昨夜の出来事から察するに、義賊団内での彼女の立ち位置は
真面目な表情でロイドが続ける。
図らずもウェティと仲良くなってしまったことから、私は彼女を信ずるに足る人物だと判じていた。だけど、仲間達にとってはそうではない。客観的に見れば、それがきっと普通のことなのだ。
(私ってもっと警戒心を持つべきなのかなあ……ほんとに平和ボケしすぎてるのかも。でも、たとえそうでも、私はウェティを信じたい。そう思うのは悪いことなのかな……)
どう返答したらいいか考えあぐねていると、ふいに部屋の扉をノックする音が聞こえてきた。
壁掛け時計に視線を向けると、時計の針はちょうど約束の時間を指し示している。
はい、と返事をして扉を開ければ、そこにはウェティが立っていた。ウェティは私達が全員揃っていることを確認すると、場所を移すための移動を促してくる。私達は素直にそれに従うことにした。
案内されたのは、私達が使っていた客室よりも一回り以上広くて大きな部屋だった。ここも客室の一つらしいが、訪問者としてやってくる者は数えるほどしかいなかったため、ほとんど使われたことがないらしい。
趣味の良い調度品に囲まれた部屋の中央には、高級そうなソファーが二脚、長方形のテーブルを挟んで置かれている。それは私達三人が並んで座ってもまだ余裕があるほどの大きさで、窮屈さは微塵も感じなかった。ウェティはもう一脚のソファーの中央に行儀良く腰掛けており、私達と向かい合う形になっている。
「本日は堅苦しい席ではございませんので、どうぞお寛ぎください。後ほど紅茶もお持ち致しますわね」
「いえ、お構いなく。それよりも、貴女だけなのでしょうか?」
「兄は今、破壊された魔法障壁の再構築のためこちらに来ることができません。兄の許可は得ておりますので、このままわたくしが進めさせていただきますわね」
ロイドの問いに淀みなく答えるウェティの姿は、凛としてとても堂々としているように見える。
交渉事に長けているとロイドが予想したのは、案外間違っていないのかもしれないとぼんやり思う。
「アナタの言葉が義賊団の総意であると、そう言っているようにも聞こえるのだけれど?」
「はい。そのように受け取っていただいてもかまいません」
「そう。じゃあ話は早いわね」
ウェティの言葉がレオニールの言葉である、ということを確認したかったのだろう。ウェティが深く頷いたのを確認してから、クロノスが口火を切った。
「単刀直入に言うわ。アタシ達は一刻も早くここから出ていくことを望んでる。アタシ達も暇じゃないもの。もちろんそれは、アナタにもわかるでしょう?」
「ええ、もちろんですわ。事前に兄へ確認をとりましたところ、この場所を他言しないのであれば、これより二日後、貴方達を開放するとのことでした」
「二日後というのは、何か理由があるのですか?」
「破壊された魔法障壁の再構築と定着に二日ほどかかるため、ですわ。空間が安定しなければ、王都イレニアへ通じる
すべてが魔法で形作られた空間は、術者がいなければ元より成り立たない。ある意味では、砂上の楼閣とも言える場所なのだろう。けれどもそれを強固なものにしているのはレオニールの存在以外あり得ず、そんな彼の判断であるなら従うべきなのかもしれない。
「ねえウェティ。ちなみに、ここから出る方法ってレオニールさんが空間をいじる以外に何か方法は無いの?」
話を聞いている間に浮かんだ素朴な疑問を、素直にウェティにぶつけてみる。
するとウェティは少し考えるような素振りを見せてから、私へと向き直った。
「基本的にはそうですわね。ですが……無いことも無い、のかもしれませんわ」
「え?」
「兄の部屋には確か、転移の魔法が込められたマジックアイテムがあったはずです。基本的に使用することがないので忘れておりましたけれど……以前兄が言っておりましたの。確か、そちらは兄の魔法とは関係なく、任意の場所に移動できる転送装置だと聞き及んでおりますわ」
「そんなものがあるんだ……」
マジックアイテムの種類は数多くあれど、実際に目にしたのは数えるほどしかない。それでも、便利なものが多くて見聞きするたびに感心させられる。
「なら、その転送装置を使わせてもらいたいと思うのだけど、どうなのかしら?」
感嘆のため息を漏らす私を一瞥してから、クロノスが続ける。
けれどウェティは申し訳なさそうな表情で首を横に振るだけだった。
「申し訳ありません。こればかりは兄本人に聞きませんと……」
「そう?じゃあ早速アナタの兄に会いに行っても平気かしら?」
「部屋にいるはずですので、おそらく大丈夫だと思いますけれど――――」
「――その必要はない」
唐突にクロノスとウェティの会話を遮る低い声。
驚いて声のした方を振り向けば、部屋の入り口にレオニールの姿があった。
「まあ、兄様?作業中でしたのでは?」
「はっ、そのつもりだったさ。だが気が変わってな。直々に話を聞いてやろうと思って来てみれば、なかなか面倒なことになってやがるじゃねえか」
私と同じく驚きに目を見張るウェティにそう返しながら、レオニールは私達の方へと歩み寄ってくる。
「転送装置を使いたいのだろう?使えるんなら使ってみるがいい」
私達が座るソファーの傍まで来ると、レオニールはテーブルの上にことりと何かを置いた。
それは鈍い銀の光沢を放つ卵型の置き物だった。手のひらサイズのそれは随分古いものなのかところどころ錆び付いていたものの、デザイン自体はかわいらしく、アンティークの小物と行った様相を呈している。上部と下部には煌びやかな装飾が施されており、外側には折り畳んだ羽のようなものが付いていた。
「これはお前らが欲しがっていた転送装置の一つだ」
「……それにしては随分古い物のようですが?」
「さあな。俺はこの転送装置の使い方を知らない。以前
「……盗品ですか」
「嫌なら別に良い。予定通りここで二日間過ごしてもらうだけだ」
顔をしかめるロイドに、レオニールは視線を向けることなく答える。ロイドの反応には興味がないのだろうか。
「兄様、わたくしもこれは初めて目にしましたわ」
「ああ?」
思わずウェティに顔を向けるレオニールにつられてそちらを見やれば、彼女の目は小さな転送装置に釘付けになっているようだった。
「触ってみてもよろしくて?」
「好きにしろ」
レオニールの許可を得たウェティは転送装置をそっと手の平に乗せ、時折角度を変えながらしげしげと眺め始めた。
「素敵なデザインですわね。これはどうやって使うのでしょう?」
どこかに仕掛けのようなものがあるかもしれないと、ウェティは転送装置をぺたぺたと触っていたけれど、何も見つからなかったらしい。がっかりした表情を見せていた。
「ねえ、私も見てもいい?」
「ええ、もちろんですわ」
転送装置に強く興味を引かれ、ウェティに声をかけてみると快く頷いてくれたので、私は彼女に向かって手を伸ばす。
――そうしてテーブル越しに転送装置を渡そうとしたウェティが、腰を浮かせた瞬間のことだった。
「あ……っ!」
身体のバランスを崩しかけたのか、くらりとよろめいたウェティの手から転送装置が零れ落ちていく。
反射的に受け止めようとした私の手も擦り抜けて、転送装置はあえなくテーブルの上に落下し、鈍い音を立てていた。
「だ、大丈夫かな!?壊れてないかな!?」
転送装置の使い方を知る前に壊れてしまっては元も子もない。そう思い、慌てて拾い上げようと転送装置に触れた瞬間――――かちりと、何かが嵌ったような音が耳に届いた。
何の音だろう、という疑問が頭をよぎる。
しかしその疑問を私が音にする前に、突然ロイドの鋭い声が飛んだ。
「コトハ!今すぐその転送装置から手を離してください!」
「えっ?」
思わず手の中にある転送装置に視線を落とす。
私は何もしていない。ただ拾っただけで一切何もしていないはずなのに――――閉じていたはずの翼の装飾が大きく羽を広げていた。変化はそれだけではない。何故か、転送装置全体が白い光を放ち始めていたのだ。
「うそでしょ!?なんで!?」
「転送装置が起動してしまったのかもしれない!コトハちゃん、手を離して!このままだとどこに飛ばされるかわからないわ!」
「離したくても何故か離れないんだよ!」
クロノスの指示通り手を開いて転送装置を下に落とそうとしてみても、何故か離れようとしてくれない。まるで呪いの装備を身に着けてしまったかのようで、だんだん怖くなってきた。
おろおろしている間にも白い光はどんどん強まってゆき、これは本格的にまずいのではないかと私が考え始めた、次の瞬間。
「コトハ!いけない!」
ウェティがテーブルを乗り越えてきて、私の両手を掴む。
刹那、爆発的な白い光が私達を一気に飲み込んだ。
「コトハ!」
「ウェティ!」
――叫んだのは、いったい誰だったのか。
それを確認する前に、私とウェティの姿は白い光の中に消え――世界は一瞬で塗り替わる。
「…………え」
白い光が、瞼の裏から消えた後。おそるおそる目を開けた私は、絶句した。
ここは、先程までいた義賊団の本拠地でも、ましてや王都イレニアでもない。ならばどこかと問われても答えられるはずがない。
何せ、私が今いるのはまったく知らない場所なのだから。
言うなればそう――――朽ち果てた教会。
そう呼んでもきっと差し支えないほど古い建物の中に、私はウェティと並んで立っていたのだった。
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