第42話


 行かなければならないのに、行きたくない。

 せめぎ合い相反する複雑な気持ちは一向に晴れないまま、時間だけが過ぎ去っていく。

 ウェティが運んできた夕食をとり、備え付けのシャワールームで身を清め、あらかじめ用意されていた真新しい衣服に着替える頃にはもう、窓の外は黒い絵の具で塗り潰したような深い闇の色に染まっていた。

 もうすぐ約束の時間がやってくる。そろそろ部屋を出てレオニールの元へ向かわなければならない。


(ううー……やだなあ、行きたくないなあ)


 心の中で弱音を吐いてから、深いため息を吐く。


(レオニールさんの部屋に行って話をするだけ。ただそれだけなのにものすごくハードルが高い感じがする……一人で行かなきゃいけないっていうのがダメなんだろうなあきっと)


 今回はレオニールの伝言の件があるため、ウェティの付き添いは望めない。

 ウェティの話では、危害を加えられることはないということだったけれど――レオニールに会うのはこれで二回目だし、初対面の印象があまり良くなかったせいで、どうしても躊躇ちゅうちょしてしまう。


(しかもあの人、義賊団の頭領リーダーなんでしょ?大丈夫かな……また睨まれそう)


 心配の種は尽きない。けれど私がここから出るためには避けて通れない道でもあるのだ。


(ええい、ここで悩んでたって仕方ない!女は度胸だ!)


 どこかで聞いたようなフレーズを胸に、私は客室を飛び出した。

 静まり返った廊下には誰の姿もなく、壁面に等間隔に並んだランプ型照明の灯りがぼんやりと周囲を照らし出していた。私はその灯りを頼りに、レオニールの私室を目指して進んでいく。レオニールの私室の場所は事前にウェティから聞いていたから、その通りに進めば迷うことはないはずだ。


(確かここを曲がってこう進めば……あ、あれかな)


 教えられた道順を辿った先には、他の部屋よりも一回り大きな扉があった。

 表札のように部屋主の名を示すものは何も無かったけれど、きっとここがレオニールの私室に違いない。

 私は部屋の前で足を止め、胸に手を当てて大きく深呼吸をする。それは気持ちを落ち着かせるための行動だったはずなのだが、ひどい緊張感のせいか効果は薄かった。


(……よし)


 私は意を決して、目の前の扉を数回ノックした。


「――入れ」


 数秒置いて、扉の向こうからくぐもった声が聞こえてくる。

 入室の許可を得た私は、躊躇ためらいながらもゆっくりと扉を押し開けた。


「……来たか」


 室内に足を踏み入れた途端、レオニールの低い声が飛んできた。つられるようにそちらを見れば、レオニールは広い部屋の奥にある上等な回転椅子に足を組んで座っており、入り口で立ち止まる私へと視線を向けていた。椅子の肘掛けに片肘をつき、足を組んで座る姿はやけに迫力があり、彼の整った外見と相まって近寄りがたい雰囲気を醸し出している。

 正直彼に話しかけるのは気が重い。だけどそうも言っていられないのが現状なので、私は無理矢理頭を切り替えることにした。それに、思い切り視線が合っているのに何も喋らないままでいるのは流石に気まずいものがある。まずは挨拶でもしてみるべきだろうか。


「こ、こんばんは」

「あ?」


 勇気を出して声をかけてみたというのに、じろりと睨まれた。馴れ馴れしいとでも思われたのだろうか。

 私は鋭い眼光から逃れるようにそっと視線を外し、そのままぐるりと周囲を見回した。

 先程からずっと気になっていたことなのだが、ここは物の数が多い。部屋の隅にうず高く積み上がった本やそこかしこに散らばる紙の束。以前道具屋で見たことのあるアイテムもあれば、用途がよくわからない不思議なものもある。さまざまな種類のものが雑然と置かれているものの、テーブルや本棚、ベッドなどがある生活区域らしき部分は綺麗に片付いていて、どこかちぐはぐな印象を受ける。


「随分物がたくさんあるんですね」

「……ここは俺の部屋であると同時に、保管庫の一つでもある。中には扱いが難しく危険な道具ものもある。迂闊に触るんじゃねえぞ」


 思わずぽろりと口から零れ落ちた感想に、レオニールが答えを返してくれる。

 彼には先程睨まれたばかりだったので、内心驚いた。けれど普通に会話が成立したことについては嬉しくもある。


「そんなに危険なものがあるんですか?」

「……ああ。だが、お前が軽率に触れさえしなければいい話だ」


 レオニールの言葉には愛想の欠片も無かったが、これはきっと警告してくれているのだろう。私は彼の言葉通り、細心の注意を払うことにした。


「それで、何の用だ」


 ため息とともに吐き出された台詞に、私はここに来た理由を思い出す。

 私は背筋を伸ばし、ひとつ息を吐いてから話を切り出した。


「私はあなたに聞きたいことがあって来ました」

「……俺に何が聞きたい?」

「私はいつ、ここから出られますか?」

「お前の処分は検討中だと言っただろう。お前はおとなしく俺の決定を待っていればいい」


 元から良い反応がもらえるとは思っていなかったので、レオニールの言葉は予想の範疇だ。

 でも、ここで引き下がれば私が外へ出られる日がさらに遠くなるだけだ。


「……いいえ、待てません。待つのには飽きました。だから私はここに来たんです」

「ああ?捕虜のお前が俺に逆らうとは良い度胸だな。俺の機嫌を損ねるつもりか?」


 不機嫌そうに目を細めるレオニールの姿は私の恐怖を煽るけれど、ぐっと堪えて話を続けた。


「っ、そういうつもりじゃありません。私はただ、早くここから出たいだけです」

「お前は俺の許しが無い限りここから出られない。俺の機嫌を損ねるなと言ったはずだ。それとも、ここで一生軟禁生活を送りたいとでも?」

「なら理由を教えてください。理由もないまま軟禁されるのなんて絶対に嫌です。……ウェティから聞きました。あなたは女性や子供を捕虜にすることはないと。今回はあなたにとっても予想外のことだったと」

「……ウェティ。あいつ余計なことを」


 レオニールは私から視線を逸らし、苦々しく呟いた。


「それは教えられない。お前には関係のないことだ」

「いいえ、関係あります。私自身のことです。ここからすぐに出られないというのなら、その理由を知る権利くらいはあるはずでしょう?」

「…………」


 私の強気の発言は、相手が悪ければ殺されてもおかしくないものだったと思う。

 慣れない押し問答に疲れてきたというのもあるし、このまま続けていても良い結果は得られないと悟ったからだというのもある。義賊の頭領リーダー相手にこんなことを言っていいのかと不安に思う自分もいたけれど、口から出てしまったものは取り戻せない。あとはもう、レオニールの出方を見るだけだ。


 けれどレオニールは、口を閉ざしたまま私をじっと見つめるだけ。

 眼帯に隠されていない片方の瞳は、何かを考えているようにも見えるし、私を観察しているようにも見える。ただ、その視線には怒りや嫌悪といった負の感情は含まれていないように感じた。


 私達は無言のまま、見つめ合っていた。もしかしたらそれは、数分にも満たないたった数十秒の出来事だったのかもしれないが、私にはとても長く感じた。

 ――そうして、部屋に痛いほどの静寂が満ちる頃。

 先に視線を外したのは、レオニールの方だった。


「――お前は」

「……え?」

「……いや。お前は、ウェティのことをどこまで知ってる?」


 唐突な問いに、私は目を瞬かせた。何故ここでウェティの名前が出てくるのだろう。


「……好きな食べ物とかですか?」

「そういうものはいらねえよ。他の情報だ」

「ええと……私と同い年くらいだっていうのと、癒しの魔法が使えるっていうことと、あとは身体が弱いってこととか?」


 ウェティは私を安心させるためか、雑談の中で自分のことをたくさん話題に出していた。だから、彼女について知っていることはそれなりにあると思っているが、私よりも実兄であるレオニールの方がよくわかっているはずである。それなのに、レオニールは私の口から何を聞きたいのだろう。

 レオニールは首を傾げる私を一瞥してから、椅子から立ち上がった。そしてテーブルの上に無造作に放られた本の中から一冊を選び取り、それを片手にこちらへ近付いてくる。


「受け取れ」


 短い言葉とともに、目の前に臙脂色の本が差し出される。不思議に思いながらも、私は素直にレオニールの手からそれを受け取った。

 無地の表紙には題名や作者名などの記載は一切なく、これが何なのかは一目ではわからない。私はそのままぺらぺらとページをめくってみた。

 文字が多く難しそうな内容ばかりだったので流し見しかできなかったが、魔法や魔力といった単語が数多く並んでいることから察するに、これは魔力について書かれたもののようだ。ページの端が折られている箇所があるが、レオニールがよく目を通すところなのだろうか。


「魔力の減少に伴う生命活動の停止、魔力量の少ない者への対応――」


 印がつけられた場所の見出しをぼんやり読み上げていると、レオニールが小さく息を吐く音が聞こえてきて、思わず顔を上げる。レオニールは私を見下ろし、静かに口を開いた。


「……俺達の母親は魔力量の少ない珍しい人間だった」

「……?はい?」

「普通の人間の半分程度しか魔力を持っていなかった。その影響もあってか、身体が弱くてな。血筋的なものもあるんだろう。魔法の才を持つ者を輩出しやすい家系だったが、同時に身体が弱い者も多かった」

「……じゃあ、ウェティの身体が弱いのも?」

「ああ。ウェティも母親とだ」


 唐突な話題の転換に一瞬頭がついていかなかったが、先程ウェティの話題を出したのはこのためだったのだろう。治癒術師ヒーラーの適正に恵まれたのに身体が弱いのは、遺伝によるもの。そして、レオニールが母親と同じだと言い切ったのは。


「ウェティの魔力量も少ないんですね……」

「そうだ」


 私の手の中にある臙脂色の本はきっと、魔力量の少ない妹のためのもの。

 レオニールは、ウェティのためにこの本を読んでいたのだろう。


「お前も、そうなのではないかと思った」

「え?私?」


 言葉の意味がわからず問い返せば、レオニールの真剣な瞳が私を射抜く。

 

ウェティのような癒しの力は授からなかったが、俺にもそれなりに魔力はある。魔術師ウィザードではねえが、その程度見りゃわかる。お前からは魔力を一切感じない」

「っ!?」


 以前、クロノスが言っていたことを思い出す。人間の魔力量は見る人が見ればすぐにわかるのだと。

 レオニールも魔術師ウィザードではないにせよ、そちら側の人間なのだろう。魔力が無いことは自分ではどうすることもできないから別に隠していたわけではないのだけれど、やはり驚いてしまう。


(え、どうしよう……異世界の人間だって正直に話すべき?)


 魔力が一切無いというのはこの世界では異質なことなのだろう。

 でも、レオニールが私の話を信じてくれるかどうかもわからないのだ。


「まあいい。お前の魔力が皆無だってのと、それでも普通に生きていられる珍しい人間だってことはわかったからな」


 私が答えに迷っているのを見て、レオニールはさっさと話を打ち切った。

 そして彼は、代わりに別の話題を口にする。


「……お前が受けた眠りの魔法。あれは試作品のマジックアイテムだ」

「試作品?あれが?」

「俺が伝手つてで作成を依頼したものだ。普通の人間には問題なく作用するようにできている。だが、お前のように魔力の無い者に使用したらどうなるのかは未知数だった」


 魔法のマジック巻物スクロールに込められた眠りの魔法は、魔力の無い私にも効果を発揮した。私のことはさておき、マジックアイテムの試作品としては上々だろう。  

 そのことを伝えれば、レオニールは渋い顔をした。


「俺はお前のように魔力を持たない人間を見るのは初めてだ。通常、魔力の枯渇は死に等しい。……お前も、一瞬死んだのかと思った」


 義賊団の団員が意識の無い私を連れてきたのを目にした途端、彼は血の気が引く思いがしたらしい。

 生きるために持つ一定の魔力すら感じ取れない者が目の前にいる。部下に話を聞くと、試作品のマジックアイテムを使用した結果だという。

 魔法が暴発し、瀕死の状態に陥っているのかと思いきや、私は普通に眠っているだけ。こんなにも魔力が無いのに何故生きているのだろうかと、レオニールは疑問に思っていたらしい。


「魔力量の少ない人間についての資料はあるが、魔力を持たない者についてはどこを漁っても出てきやがらねえ。俺はな、女子供には手を上げない主義だ。お前が俺が部下に持たせた道具もののせいでうっかり死んだら寝覚めが悪い」

「は、はあ……」

「お前の身体に何の影響もないと俺が確信できたら、ここから出してやる」


 ――つまり。

 魔力を持たない私に魔法を使用したことへの影響を確認するためと、私の身の安全を確かめるため。

 それが、私がここに留め置かれている理由なのだろう。


(……ということは、レオニールさんは私を心配してくれたってこと?)


 私の思い違いかもしれない。というか、絶対そうだろう。

 結局軟禁状態は解かれないままだし、一応元凶だし、怖いし、いろいろ思うところはあるけれど。平和ボケしすぎていると言われるかもしれないけれど。


「あの」

「なんだ」

「ありがとうございます。……レオニールさん」


 なんとなくお礼を言いたい気分になったから、言っておく。それだけだ。


(まあ、加害者側にお礼を言うのは自分でもどうかと思うけど……早く出たいのに出してくれないのは変わりないし。でもなんか心配してくれてるのかなって思ったら、言いたくなっちゃったんだよなあ……)


「……俺に礼を言う必要なんてねえだろ。阿呆」


 レオニールは居心地悪そうに視線を外すと、私に背を向け部屋の奥の方へと歩いて行く。

 話は終わりだ、とでも言いたげに、彼はどっかりと椅子に座り別の本を読み始めた。


(あ、そうだ。この本はどうしよう?)


 先程レオニールに渡された本はまだ私が持っている。

 魔力について学ぶにはいいかもしれないが、難しい内容の本だし私には必要のないものだろう。


「あの、この本はどうすればいいですか?」

「あ?……読まねえならよこせ」


 レオニールに声をかけると、彼は顔を上げないままテーブルを指でとんとんと叩いた。持ってこいということだろうか。


(まあ、いいけどさ)


 本を返却してしまえば、あとは部屋から出るのみだ。どっと疲れたし、部屋に戻ったら早々に床に就くことにしよう。

 そんなことを考えながら、私はゆっくりとレオニールの元へ歩み寄っていく。

 ――正直なところ、この時の私は話し合いが終わったことで完全に気が抜けていて、注意力が散漫になっていた。だから、レオニールの足元に本が積み上がっていたことにも気付けないまま真っ直ぐ進み――見事に足を引っかけた。


「――うわっ!?」


 バランスを崩し、前のめりに身体が倒れていく。その先は、先程レオニールが指で示したテーブルだ。

 迫り来る痛みの予感に、ぎゅっと目を瞑る。

 しかし次の瞬間、誰かに腕を掴まれる気配がしたかと思うと、勢い良く身体が後方へと引っ張られた。私はその勢いのまま、腕を引かれた方向へと倒れ込んでいく。

 身体全体が何かにぶつかる感覚があったが、痛みは一切やってこなかった。


「気をつけろ」

「す、すみませ――」


 近い位置から、レオニールの静かな声が降ってくる。

 あわやテーブルにぶつかるところだった私を、レオニールが助けてくれたのだろう。謝罪の言葉を口にしながら、恐る恐る目を開けてみる。


「……え?」


 私を支えるように腰に回る腕。頬に当たる服の感触。そして、顔を少しでも動かせば触れそうなくらい、間近にあるレオニールの顔。

 私が抱き付くような形で、レオニールの座る椅子へと倒れ込んだのだということが嫌でも理解できた。


(………………あれ?)

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