第41話


 私が部屋を移されたのは、あれからすぐのことだった。

 ウェティリカ――ウェティの采配により、当面の生活の場として客室が与えられ、建物内の一部の区画を除けば自由に出入りできるようになった。もっと正確に言うならば、私が一人で動くことを許された範囲は客室周辺とリレイバール兄妹それぞれの私室くらいで、あとは誰かの付き添いがなければ入れない場所ばかりだ。もちろん立ち入り禁止の場所もあるのだが、危険を冒してまでそちらに足を運ぶつもりなんて微塵もないし、むやみに歩き回ろうとも思っていない。

 ウェティは私のことを客人と触れ回っているけれど、それは軟禁状態が多少緩和されただけであって、自由に外に出られないのであれば立場はほとんど変わらない。ウェティのおかげで最初の頃より不自由さは軽減されているものの、やはりとても窮屈だ。現在の私の立場では贅沢も言っていられないかもしれないけれど。


 訳もわからず連れ去られ、実質軟禁状態に置かれている私にできることは少なかった。暇を持て余した私を気遣ってか、ウェティが私の部屋を訪れる頻度は多く、彼女との会話が今の私の楽しみになっている。

 ――ちなみにウェティリカからはウェティと呼べと言われたので、その言葉に甘えさせてもらっている。今更だけれど。


 用向きがあればウェティかレオニールの私室を訪ねるよう説明を受けているが、レオニールとはあの日からまともに顔を合わせていないので、何かあればウェティの方を頼ろうと思っている。出会いが出会いだったのでレオニールには怖い印象を抱いているし、彼の采配次第で私の処遇が決まるのだと思えば、こちらから軽率に足を運ぶのもいかがなものかと考えてしまう。

 しかしレオニールは私に、彼自身の私室への訪問の許可を出している。私にはそれが不思議でたまらなかった。


「兄の考えは、わたくしにもよくわかりませんわ」


 私の目の前で二人分のミルクティーを淹れながら、ウェティが私の素朴な疑問に答えてくれる。

 私に与えられた客室で、ウェティの好意により二日前から行われるようになった午後三時の小さなお茶会。丸い木製のテーブルにはクッキーの乗った白い皿と、ティーカップに入った淹れたてのミルクティー。参加者は私とウェティの二人だけ。

 だけど彼女とゆっくり言葉を交わせるこの時間は、確実に私の心を癒してくれていた。


「ここを取り仕切っているのは間違いなく兄ですが、この場所に関係者以外の立ち入りを認めたのはこれが初めてですし」

「……初めて?私みたいにここに連れてこられた人は今までいなかったの?」


 問いを重ねれば、ウェティは困ったように微笑んで首を横に振った。


「いいえ、そういうわけではありません。むしろ何人もおりましたわ。そう、貴女の前でこのような表現を口にするのは気が引けるのですが……捕虜としてここにやってきた者はすべて地下の別室に隔離された後、然るべき時に解放されています。貴女も、前例をなぞるなら地下の別室へ移動されるはずだったと聞きます。けれど……兄がそれを止めたそうですわ」

「レオニールさんが止めた?それはどうして?」

「きっと貴女が女性だったからでしょう。これまでの捕虜は男性しかおらず、今後もそうであるはずでした。無関係の女性や子供には手を上げない――それが兄の信条でしたから。けれど、兄の部下が貴女を眠らせ、連れてきてしまった……兄としても想定外のことだったのでしょう。わたくしもそうでした」


 だからこそあれほど取り乱してしまったのですけれどね、とウェティは笑ってティーカップに口をつける。


「兄は基本的に自身の考えを曲げません。それが重要なことであれば尚更ですわ。兄妹であるわたくしの意見や我が儘はある程度聞いてくださいますけれど……わたくしは普段兄の仕事にあまり口を挟みませんから」

「でも、ウェティは私を客人として扱うようレオニールさんに進言してくれたよね?」

「これはわたくしの我が儘ですもの。わたくしは、女性の悲しむ顔を見たくなかっただけ……ただそれだけだったのです。だからこそ、兄は貴女を預けてくださったのですわ。……案外、兄も責任を感じているのかもしれませんわよ?」

「えーそれは無いでしょー……だって私をすぐに解放できないって言ったのレオニールさん本人だよ?それに……ウェティの前で言うのも何だけど、やっぱりちょっと怖かったし」

「ふふっ、それは仕方ないですわ。あれでは怖がられて当然ですもの。ただ……兄の名誉のために言い添えておきますけれど、兄はああ見えて意外と優しいんですのよ?」

「そうなの……?」


 本当は、ちょっとどころではなく怖いと思ったのだけれど。

 頭に浮かんだ少し苦い記憶は、そのまま甘いミルクティーと一緒に流し込んだ。


「……ねえ、ウェティ」

「はい?」


 ミルクティーの甘さと温かさが、心を落ち着かせてくれた。

 今なら、聞けなかったことも聞けるだろうか。 


「私がここに連れてこられてから今日で三日目になるよね」

「……ええ」

「いろいろ聞きたいことがあったんだ。でもなかなか聞けなくて…………ねえ、ウェティ。ここはどこなの?あなたとレオニールさんは、何をしているの?」

「…………」


 ウェティは無言のまま、静かにティーカップを置いて居住まいを正した。

 それからひとつ息を吐いて、彼女は穏やかな表情で話し始める。

 

「――コトハ。貴女はここが盗賊団の本拠地、と言ったらどうなさいます?」

「……え」


 唐突な台詞に、一瞬思考が止まりかける。


(ちょっと待って今盗賊団って言った?言ったよね?私の聞き間違いじゃないよね?)


 捕虜とか地下の別室とか何やら不穏な言葉をよく耳にしていたし、最初から嫌な予感はしていた。

 あまり当たって欲しくない予感が、的中してしまったということだろうか。


「ふふっ、このような言い方では少しだけ語弊があるかもしれませんわね?――正しくは、義賊団の本拠地いえ。兄は義賊団の頭領リーダーであり、この場所の主なのですわ」

「ぎ、義賊……?」

「義賊とは、通常の盗賊とは一線を画すもの。悪事を生業にしておりますが、手あたり次第にというわけではなく、然るべき者を相手取ったもの。わたくし達の義賊団がこれまで何をしてきたか、は長いので割愛させていただきますけれど……貴女が今いるこの場所は、そういうところなのですわ」


 ウェティの説明を受け、考える。

 彼らは盗賊ではなく、義賊。物語の中で幾度も目にした存在だ。

 弱きを助け悪をくじく、民衆のヒーローいうイメージがあるが、実際のところはよくわからない。

 断言できるのは、私のいる場所はとんでもないところだったということだけだ。


「まあ、わたくしは身体が弱いので義賊らしいことは何一つしていませんけれど」


 考え込む私を前に、ウェティが自嘲気味に微笑んだ。


「ウェティ、身体が弱いの?」

「はい、お恥ずかしながら。気を付けて生活していても無理をするとすぐに体調を崩してしまうのですわ。ありがたいことにわたくしには治癒術師ヒーラーの適正があるので、傷を負った仲間を癒すことが主な仕事なのですが、うっかり力を使いすぎると倒れてしまって。兄からはむやみに力を使うなと言われてしまい……おかげで家事ばかりが上達してしまいましたわ」

「そうなんだ……あれ、じゃあ私がウェティとぶつかった時は?むやみに使うなって言われてたのに、あんな小さい傷に使っちゃってよかったの?」

「あれくらいならば問題ありませんわ。使いすぎなけれよいのです。それに、女性の身体は労わらなくては」

「そっかあ」


 相槌を打ちながら、私はまたティーカップに手を伸ばす。

 少し冷めた中身を一口飲んでから、私はまた口を開いた。


「義賊団、だっけ。詳しくは知らないけど、ウェティが私のことをいっぱい気にかけてくれるから、この場所でも普通にしていられるんだと思うんだ。そうじゃなかったら、今頃恐怖に怯えて泣いてたと思う。ありがとう」

「コトハ……」

「こうしてウェティと仲良くなれたのはすごく嬉しい。でもね……私はいつ、ここから出られるのかな?花祭りの最中に突然いなくなっちゃったから、きっと仲間が心配してると思うんだ」

「……お仲間がいらっしゃるの?」

「うん。戦えない私を守ってくれる、すごく良い人達なんだ」


 ウェティに笑みを返しつつ、ここにはいない仲間を思う。

 二人は今、何をしているだろうか。私のことを心配してくれているだろうか。もしかしたら、今も探してくれているかもしれない。


(なるべく考えないようにしてたけど……やっぱり寂しい。二人に会いたいよ)


 部屋で一人になるたび、考えてしまう。

 私は無事にここから出られるだろうか。これからどうなるのだろうか。いろいろなことが頭を巡り、どうしようもなく怖くなる。

 そうして不安に駆られるたび、仲間の顔を思い出す。まだ大丈夫だと自分に言い聞かせて、気持ちを奮い立たせては、また寂しくなって。その繰り返しで、無性に泣きたくなることもある。

 だからこそ、ウェティの優しさに本当の意味で、救われている。


「コトハ。大丈夫ですか?」


 ウェティの気遣わしげな声に、はっと顔を上げる。

 いつの間にか、俯いてしまっていたようだ。


「ご、ごめん。大丈夫だよ」

「……わたくしは、貴女の疑問に答える術を持ちません。この場所のすべては、ですから」

「……え」

「丁度良い機会です。コトハ、兄と会ってくださいませ。これは直接お話したほうがいいことだと思います。ええ、そう、それがいいですわ!」

「レオニールさんと!?待って、それは大丈夫なの!?」


 突然すぎる展開に、私は先程までの感傷的な気分も忘れて驚いた。

 しかしウェティは妙案を思いついたとばかりに笑顔を浮かべ、勢い良く立ち上がった。


「ええ、心配なさらずとも大丈夫ですわ。貴女にそんな顔をさせるものは早々に取り除かなくてはね。可憐な花に涙は似合いませんわ。ですから、わたくしにお任せくださいませ!」

「え、あの、ウェティ?」

「そうと決まればわたくし、今すぐ兄に話を通してきますわ。それほどお時間はかかりませんから、こちらで少しお待ちくださいませ!」


 そう言い残して、ウェティは慌ただしく部屋を出て行った。

 一人残された私はというと、音を立てて閉まった扉を呆然と眺め、目を瞬かせるのみ。


「……本当に?」


 呟く声を拾い上げる者は誰もいない。先程まで目の前にいたウェティは、レオニールのところへ行ってしまった。


(……これからどうなるんだろう……)


 私はティーカップの中の冷め切ったミルクティーを一気に飲み干した。

 しかし、その行為は私の気持ちを鎮めてはくれず、漠然とした不安が後味に残る。


 ――そうして、落ち着かない気持ちを抱きながら待つこと十五分。

 意気揚々と戻ってきたウェティが私に持ってきたのは、レオニールが私に時間を割いてくれるという話だった。嬉しいようなそうでないような微妙な気持ちになったけれど、これで状況が変わるかもしれないことを考えれば、腹を括って彼と会うしかないのだろう。

 これは気合を入れなければ――そう思っていたのに。

 最後にウェティがレオニールからの伝言だという台詞を口にした瞬間、逃げ出したい気持ちになったのは私のせいではないと思いたい。


 ――今日の夜、俺の自室に一人で来い。

 それが、彼からの伝言だった。

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