第2話


 獣道を抜けると、開けた場所に出た。

 遮るものは何一つ無く、降り注ぐ日の光がとても眩しく感じる。

 薄暗い森の中にいた時間はそれほど長い時間でもないのに、何故かもう何日も太陽の光に当たっていなかったような、そんなおかしな感覚に陥ってしまう。

 そういえば、私が家を出ようとした時間は夜だったような気がする。ますますこれが夢なのか現実なのかわからなくなってきた。


「……あれも、私の夢の産物なのかな」


 冗談交じりの呟きをこぼしつつ、私は明るさに慣れた目で真っ直ぐに前を見た。

 私の目の前に悠然と鎮座する、遺跡のような古びた建物。

 外観は石造りだが、遠目にもわかるほど古く薄汚れており、外壁には絡まり合った蔦が這っている。しかし、その重厚なたたずまいと風格は、年月を経ても決して失われることなく、しっかりと存在を主張していた。


「あれどう見ても遺跡、ってやつだよね。日本じゃなくて、外国にあるようなやつ。でもなんでこんなところに遺跡こんなものがあるの?」


 これだけ大きいものならば、数々の有名な遺跡と同じように観光名所になってもおかしくないはずだ。

 だが、少なくとも私の住んでいるところに遺跡など無かったはず。

 本当にここはどこなのだろうかと、私は遺跡を見上げながら首を傾げた。


「うーん……絶対こんなとこ知らないよなあ。でも、なーんかこの遺跡見たことがある気がするんだよね。どこでだっけ?」


 私はこの世界中の冒険家が好みそうな遺跡のことなど知らないはずなのだが、何故か引っかかる。

 小説や教科書で知ったわけでも、実際に見たわけでもない。

 では、いったいどうして?


「……まあ、そのうち思い出すか。あ、近くに行ったらもうちょっとわかるかなあ」


 言いながら、私は謎の遺跡へとゆっくり近付いていった。

 距離が近くなるほどに、その大きさと存在感に圧倒される。不安はもちろん消えないままだが、それでもどこかであの遺跡に興味を引かれている自分に驚く。

 先程までは不安と恐怖に押しつぶされそうだったのに。何とも不思議な心持ちだ。


「にしてもでっかいなー。触った感じもほんとリアルだ」


 遺跡の外壁はひんやりとしており、触れた手の平からは硬い石の感触が伝わってくる。

 私は片手をついたまま、まじまじと遺跡を眺めてみた。

 近付いてみても、やっぱりこれが何なのかはよくわからない。

 この違和感のようなものは、もしかして私の気のせいだったのだろうか。

 よく似た建造物を何かで見て、勘違いしていただけだったのだろうか。


「うーん、もしかしたらテレビとかでちらっと見ただけだったのかな。だからこんなに記憶が曖昧なのかも?」


 どうせなら、もう少し詳しく見てみようか。入口らしきものもまだ見つけていないことだし。

 私は遺跡を眺めるのを止め、周囲をぐるりと回ってみることにした。

 伸び放題の雑草と硬い土の感触を足の裏でしっかりと確かめながら、歩く。

 少しだけ歩きにくいが、先程の森に比べたらこの程度何てことはない。


「……とはいえ、ずっと歩いてたせいで足は疲れてきてるんだよねー。そろそろ休憩したいところだけど、ここがどこだかわかんないままじゃ休むにも休めないし…………ん?」


 ぶつくさ言いつつもゆっくりと先に進んでいると、突然どこからか金属を打ち合わせるような甲高い音が断続的に聞こえてきた。私は足を止め、その音にしばし耳を傾ける。


「何の音だろ?」


 耳を澄まさなくても聞こえるその音の出所は、距離的にはさほど遠くないように思われた。

 甲高い金属音は、ちょうど私の進行方向から響いてくるようだ。

 現状、この不可解な状況についての判断材料は何も無い。ならば少しでも現状を把握するために、この音についても確認しておくべきだろう。

 私は覚悟を決めるようにひとつ頷くと、そのまま音のする方向へと向かうことにした。


 足を進めるごとに、耳に入ってくる音は徐々に大きくなっていく。

 そうして、音の正体が判明したのは、近付いてくる音に私が若干の躊躇ためらいを感じ始めた頃だった。


「――――なに、あれ」


 音に導かれるまま角を曲がろうとした私の視界に入り込んできたのは、対峙する二人の人間だった。

 いや――人間かもしれないといったほうが正しいだろうか。

 片方は紛れもなく人間で、背格好から男性だろうと判断できるのだが、問題はもう片方だ。全身を銀色の鎧で覆い隠したその姿は、どこか人間離れしたような雰囲気を醸し出しているように見える。

 彼らは、各々剣のようなものを片手に、激しいつば迫り合いを繰り広げていた。

 私は訳が分からず、遺跡の外壁に張りつくようにしてこっそりと様子を窺うことにした。


(何あれ何あれっ!?いったいどういうこと!?どういう状況なのよこれはっ!)


 思いっきり叫び出したかったけれど、状況が状況なので声を出すことすら憚られる。


(コスプレ、じゃないよね?あとは映画の撮影、とか?)


 でなければ、目の前の光景に説明がつかない。

 彼らの格好や雰囲気、そして太陽の光を反射して鈍く光る剣。

 そう、まるで、ファンタジーのような――


「はあっ!」


 男性が凛とした声と共に、鎧姿目がけて剣を横凪ぎに振った。男性の攻撃を避けられなかった鎧姿は一瞬よろめいたが、すぐに体勢を立て直し上段から剣を振り下ろす。しかし、男性は難なくそれを自分の獲物で受け止め、力ずくで攻撃を押し戻すとともに、素早く鎧姿から距離をとった。

 私はそれらの応酬を、固唾を呑んで見守っていることしかできなかった。

 心臓がどくどくと大きな音を立てている。

 これはいったい何なのだ、と、何度繰り返したかわからない疑問が脳内を駆け巡るが、残念ながら思考が追い付かない。

 何が起こっているか確認しようとしたのは、紛れもなく自分だ。

 だけど、これは私の理解の範疇を超えているばかりか、更なる混乱を招く結果になってしまった。

 私の身に、いったい何が起こっているのだろう――?


 そんなことを私が考えている間にも、戦闘は続いていく。

 見ている限り、男性側が優勢のようだ。明らかに男性よりも鎧姿のほうが攻撃を受けており、遠目にも纏う銀の鎧がボロボロになってきているのがわかる。血が一滴も流れていないのが不思議なくらいだ。

 ここで、私はふとあることに気付く。

 

(鎧姿の両足、透けてない!?)


 最初は光の加減かとも思ったけれど、違う。

 よくよく見れば、大腿部から下はほぼ透明と言って差し支えないくらいで、鎧が擦れ合う音はすれど、足音が一切しないのだ。

 一気に血の気が引いた私は、恐怖に身を強張らせた。


(ゆ、ゆ、幽霊!?まさか、あの鎧って幽霊なの!?えっ、嘘でしょ!?)


 私には霊感は一切無いはずだし、今は真夜中ですらない。

 太陽の下ここまで動き回ることができる幽霊なんて聞いたこともないし、ましてや騎士のように剣を携えているだなんて。


(……あれ?……“幽霊”が“騎士”……?)


 二つの単語に思い当たる節があり、私は必死に考えを巡らせる。

 そして、はた、と一つの結論に思い至った。


幻影ファントム騎士ナイト……?」


 ぽつり、と確かめるように呟く。

 幻影騎士ファントムナイト――それはMMORPG【レヴァースティア】に出てくるモンスターの名前だ。銀色の鎧を身に纏い、死してなお騎士の誇りを失わず、仕えるべき相手を守るべく彷徨い続ける悲しき亡霊。そんなことを何故私が知っているのか――それは、始皇帝の剣を入手するために一週間戦い続けた相手だからである。

 しかし、それはあくまでオンラインゲーム内の話であって、間違っても現実の話などではない。


(そうだよ、あれは似てるってだけの別物だよ!だって、幻影騎士ファントムナイトが現実にいるはずないもん。やだなー私ったら。やっぱり夢を見てるんだ)


 だが、一度でもそうだと思ってしまえば、そうとしか思えなくなってくる。

 そんなはずはないと思いつつも、もう一度鎧姿を確認するため、私は遺跡の陰から身を乗り出してみた。

 ――その瞬間。


「――――っ!?」


 鎧姿の頭部が、こちらを向いているような気がした。

 兜ごしに視線が合ったように思えて、私は慌てて身を隠す。

 もしや、私がここにいることに気付いたのだろうか。そうであるなら、私は今かなり危険な状況に置かれていることになる。


(――逃げなきゃ!)


 咄嗟にそう思い、私はすぐにその場を離れようと身を翻した。

 しかし、それがいけなかったらしい。

 周囲を碌に見ないまま駈け出したせいか、足元のすぐ傍に太い木の根が這っていたことに気付かず――勢いのまま足を引っ掛けて、思い切り転倒してしまった。


「あいったたたー……」


 前のめりに倒れたせいか、膝を強く打ちつけてしまったようだ。じんじんとした痛みはあるものの、構ってはいられない。歩けないという程のものでもないし、幻影騎士ファントムナイトもどきに見つかる前に逃げなくては。


「――そこに誰かいるのですか!」


 ――私ではない誰かの、凛とした声が響き渡った。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る