第44話


「……何をしに来た?今日は俺の部屋に立ち入るなと言ったはずだぞ」


 続く沈黙を打ち破るように、レオニールがウェティに声をかける。

 ウェティは部屋の中を見渡すように視線を動かしてから、レオニールに向かって微笑んだ。


「何を仰いますの。これほどの一大事にのうのうと惰眠を貪っているわたくしではございませんわ」

「はっ、そうかよ」

「……失礼ですが、貴女は?この男の関係者ですか?」


 ウェティとレオニールのやりとりを黙って眺めていたロイドが、ウェティへ問いを投げかける。

 それぞれが武器を構え、じりじりと相手の出方を窺っているような緊迫感溢れる部屋に突然やってきた彼女の姿は、彼の目には奇異に映ったのかもしれない。ウェティは目の前に抜き身の剣を構えた男がいてもほとんど動じる素振りを見せなかった上に、微笑みまで浮かべてみせた。

 レオニールとウェティ、二人のことを何も知らなければ疑問を抱くのも無理はない。警戒だってするだろう。

 その証拠に、ロイドの口調はレオニールに向けたそれよりも優しかったけれど、表情はどこか厳しいままだ。剣の先は依然としてレオニールに向けられているし、ウェティにすべての意識を傾けているわけでもない。

 視線だけでこっそりクロノスの様子も確認してみると、彼はうっすら口元に笑みを浮かべているようだったけれど、ロイド同様武器を下ろすつもりはないらしい。


(ウェティはすごいな……義賊団の一員だし、やっぱりこういう荒事に慣れてるのかな?)


 雰囲気に気圧され止めることすらできなかった私とは大違いである。

 今だってそうだ。張り詰めた空気の中、自身に注目が集まっているのは理解しているはずだろうに、ウェティは自然な動作で居住まいを正し、凛とした表情で私達を見据えていた。


「わたくしはウェティリカ・リレイバール。義賊団【黎明の大樹】の一員であり、そちらの見るからに凶悪そうな男の妹にあたります。彼はこの義賊団の頭領リーダー、レオニール・リレイバール。まずはわたくしから、義賊団の頭領リーダーたる兄に代わって皆様にお願いがあります。各々方おのおのがた。どうか武器をお収め下さいませ」

「義賊団【黎明の大樹】……ですか。聞いたことがあります。並の冒険者よりも腕の良い者が揃い、その鮮やかな手腕で悪事を働いていると。しかし盗品の一部を貧しい者へ還元しており、民衆からの人気も密かに高いという噂の義賊団ですか」

「うふふ、お褒めに預かり光栄ですわ」

「別に褒めたつもりはありません」


 にっこりと嬉しそうに笑うウェティの言葉を、ロイドはすげなく否定した。


「国が勢力を上げて根城を探しているけれど、誰一人見つけることができない謎の組織とも噂されているわね。その有名な義賊団が、アタシ達の仲間に何の用があったというのかしら?」


 ロイドに続いて、クロノスが口を開く。

 穏やかなクロノスの言葉にも追及するような色が混ざっていたけれど、ウェティは苦笑いを浮かべるだけで一歩も引く様子を見せなかった。


「お怒りはごもっともでございます。何も知らない彼女を、我が義賊団の者が攫ったという事実は覆しようもございません。ですが、兄もわたくしも、最初から彼女に危害を加えるつもりはありませんでした。信じていただけるかどうかはわかりませんけれど……今後も無いと、ここで断言することができますわ」

「信じろというの?アナタの言葉を?」

「ええ。できれば」

「アナタの兄も同意見ということ?」


 クロノスがレオニールをひたりと見据える。

 しかしレオニールは全員からの視線をものともせず、どこか余裕を感じさせる態度で手の中の銃を弄んでいた。


「俺は女子供に手を出さねえのが信条だ。俺の考えは義賊団全体の考えでもある。だから妹の言葉は確かに間違っちゃいねえが…………俺の領域に無断で入り込んできたお前らに手を出さねえとは誰も言ってねえぜ?」


 不穏な言葉とともに、レオニールが緩慢な動作で銃を構える。銃口を向けられたのは、レオニールに近い位置で抜刀しているロイドで、私は息を呑んだ。

 しかしロイドは不快そうに眉をひそめるのみで、微動だにしない。クロノスも目立った動揺を示さず、目を細めて事態を静観しているようだった。

 私なら確実に恐怖で震え上がってしまっている状況なのに。冒険者たる二人は肝が据わりすぎているのではないだろうか。


「ロイド!」

「……コトハ。大丈夫ですよ」


 思わずロイドの名を呼ぶと、彼は私を安心させるように優しい微笑みを浮かべてみせた。

 しかしそれもたった数秒間のことで、彼はすぐに真剣な表情に戻ってしまう。


「兄様!もう、せっかくわたくしが場を収めようとしておりましたのに!」

「ああ?じゃあお前はこいつらをこのまま逃がせと言うのか?」


 ウェティの非難するような声が飛ぶも、レオニールは耳を貸さず、ロイドをめつけるのみ。


(ど、どうしよう……どうすればいい?このままじゃロイドが撃たれちゃう……!)


 どうにかしたいけれど、ウェティの言葉すら届かないとなると、私にできることはほぼ無いに等しい。レオニールと親しいわけでもないし、実力行使できるほどの力もない。焦りと恐怖が私を支配する。


(ダメだ、何も思いつかない!でも、ロイドが撃たれるのだけは絶対に嫌だ!)


 なんでもいいから、この状況をどうにかしたい。

 そう思ったら、咄嗟に身体が動いていた。


「コトハ!?」

「コトハちゃん!?」


 ロイドとクロノスの驚く声が聞こえてくる。

 彼らが驚くのも無理はない。何せ私は、ロイドとレオニールの間に割って入り、自分からレオニールの銃の前に身を晒したのだから。


「コトハ、何をなさっているのです!危険です!そこを退いてください!」


 ――ロイドの言葉通りだ。これが危険な行動だってことは頭で充分理解している。でも、無意識のうちに行動に移してしまっていたのだから仕方ないのだ。

 正直少し――いや、かなり怖いけれど、この行動に不思議と後悔は無かった。


「……何をしている」


 レオニールは私へ視線を移すと、顔をしかめながら低く呟いた。

 顔に向けられる銃口に怯みそうになりながらも、私は真っ直ぐにレオニールを見返した。


「……何って、見たままですけど」

「退け。俺は女の頭に風穴を開ける気はない」

「嫌です。このまま私が退いたら、私の仲間が撃たれてしまいます」

「だから自分を犠牲にする、と?」

「はい。だって私には何の力もありませんから。ウェティでも止められないのであれば、こうでもしないと」


 押し殺せない恐怖が漏れ出て、自分の身体を震わせるのをはっきりと自覚しても、レオニールとの対話は止めなかった。無理やり強気な台詞を口にしていても、小さく震える声が、私の精一杯の虚勢だと周囲に知らせてしまうだろう。


 レオニールは私をじっと見つめたまま動かない。銃を突き付けられたままの私は正直たまったものではないが、ここで視線を逸らしたら負けな気がして、一生懸命見つめ返す。


「……くくっ」


 すると突然、目の前でレオニールが喉の奥で笑い声を上げ始めた。


「馬鹿正直なだけでなく無鉄砲ときたか!くくっ、面白い!ますます興味深い女だな、お前は!」


 楽しそうに肩を震わせるレオニールの言葉の意味は理解できない。

 だけど、つい先程までレオニールから痛いほど発せられていた殺気は一瞬のうちに霧散し、重苦しい空気が少しだけ弛緩したのは私にもわかった。


「良いだろう。もともと俺は自分の部屋に男の血をぶちまける趣味は無い。興が削がれたことにしておいてやろう」


 レオニールはそう言うと、あっさりと銃を下ろし、ホルスターへと仕舞い込んだ。

 彼にもう攻撃の意志は無いのだろう。レオニールは大仰に肩をすくめると、くるりと背を向けてウェティの傍へ歩み寄っていった。


(うまくいった……のかな?)


 何がレオニールの琴線に触れたのかはわからないが、なんとか窮地は脱したと言えるだろう。私はほっと安堵のため息を吐いた。


「コトハ!」

「うひゃ!?」


 突然後方から伸びてきた腕に肩を掴まれ、勢い良く引っ張られた。

 バランスを崩しそうになる身体を両足で支え、そのまま私を引き寄せた人物を見上げる。

 その人――ロイドはいつの間にか剣を鞘に納めており、自由になった両手で私の腕を掴み、端正な顔をくしゃりと歪めて真っ直ぐ見下ろしてきた。


「貴女は……なんて……なんて危険なことを……!一歩間違えれば、貴女は死んでしまっていたかもしれないのですよ!?」


 ロイドの声は、少しだけ震えていた。

 私の両腕を掴む強い手の力も、私を見下ろす彼の視線も、表情も。

 私を心から心配していたのだと、痛いほどに伝えてくるようで。

 ロイドを助けるために選び取った私の行動は、逆に彼を傷付けてしまったのだと、ようやく思い至った。


「ごめんなさい……」


 じわり、視界が歪む。

 ずっと我慢していた恐怖感や、命の危険が去った後の安心感、そして軽率な行動をとったことに対する罪悪感。飽和するさまざまな感情が出口を追い求め、涙となって後から後から零れ落ちていく。


「泣かないで、コトハちゃん」


 いつの間にか傍に寄ってきていたクロノスが、横から私の頭を撫でる。


「ロイドもアタシも、ものすごく心配したわ。たぶん、二人とも……心から。だからこそ、アナタが無事で本当に良かったと思っているの。だから、もうあんなことはしちゃダメよ?」

「うん……うん。わかった」

「もう、あのような無茶はなさらないでください。貴女を盾に助かった命など、私は欲しくありません」

「ごめん。心配かけて、本当にごめんなさい……」


 堪え切れずその場に崩れ落ちた私は、謝罪の言葉を口にしながら顔を覆って泣き続ける。

 そんな私を宥めるようにロイドとクロノスが言葉をかけてくれたけれど、涙は止まってはくれなかった。

 ぽろぽろと涙を流し続ける私の姿を、少し離れたところからウェティとレオニールが見ていたことには気付いていた。だけど、この時の私は涙を止めようとするのに必死で、それどころではなかったのだ。


「……お話の続きは、明日の朝にいたしましょう。皆様も、それでよろしいですわね?」 


 ウェティの静かな声に、反論する者は当然誰もいない。


「客室の用意をいたします。支度が整うまで、少々お待ちくださいませ。……兄様、行きますわよ」

「ああ?なんでこの俺まで出ていく必要があるんだ?ここは俺の部屋だぞ」

「もうっ、いいから行きますわよ!」


 ウェティは渋るレオニールの背中をぐいぐいと推しながら、揃って部屋を出て行った。

 去り際に、どこか気遣わしげな視線を残して。

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