第31話


 商業都市ティレシスから王都イレニアへの旅立ちは、それから五日後と相成った。

 旅立ちの支度だけなら、そう時間はかからない。では何故五日後だったのか――それは単に私の体調を鑑みてのことだった。

 二日間眠り続けていたのもあり、当然ながら私の体力は落ちている。だが、私は大病を患っているわけでも大怪我をしたわけでもない。目立った体調の変化もみられないし、何より二人に迷惑をかけたくないという思いが強かったので、ロイドとクロノスには五日もいらないと訴えたのが、彼らが首を縦に振ることはなかった。

 メルカ遺跡からの脱出は、宝冠に宿る転移の力によるものであった。クロノスの話によると、宝冠は純粋な精霊の少女の傍らに長くった物であり、転移の魔法自体にも不自然な点は見受けられないため、人間の身体に悪影響を及ぼすことはないだろうとのことだった。それなら問題ないのではないかと思ったのだが、急いでいるわけでもないし旅には準備期間も必要だからと説き伏せられてしまえば、それ以上は何も言えなかった。

 二人の優しさは本当にありがたいと思っているが、彼らに甘えてばかりではいけないと考えていることも確かだ。今はできることから少しずつ、やっていくしかないのだろう。時間は待ってはくれないのだ。

 とりあえず、私はこれからのためにもう少し体力をつけるべきなのかもしれない。


 ――それからの一週間は、瞬く間に過ぎ去っていった。

 観光がてら街中を散歩したり、ロイドやクロノスの旅支度を手伝ったり。二人の協力を得て、この世界のことを勉強したりもした。そんなことを続けているうちに、あっという間にティレシスを発つ日が来てしまったのだった。


「……そうかい。もう行ってしまうんだね」

「はい。本当にお世話になりました」


 出立の日の朝。

 宿を引き払うため、一階カウンター内で受付をしているカティアの元を訪れると、彼女は私達との別れを惜しんでくれた。私達はただの宿泊客に過ぎないのだが、例の依頼を受けたあたりからカティアは私達のことをよく気にかけてくれていて、中でも私は彼女にお世話になりっぱなしだったと思う。旅支度を行うにあたって、男性には話しづらいような内容についても彼女は相談に乗ってくれ、たくさん助言してもらった。カティアがいなければ、私の羞恥心はきっと大変なことになっていたことだろう。いろいろな意味で。

 今生の別れではないにせよ、私という存在の立ち位置が不安定である以上、次がいつになるかすらわからない。親しくしていた相手だからこそ、別れは寂しかった。


「いろいろとありがとうございました」

「いやいや、こっちこそ礼を言わせておくれ。なんだかんだとあんた達には世話になったからね。ありがとう」

「あはは、私自身は全然何もできてなくって、仲間に助けられてばかりだったんですけどね。あの、またいつか、ここに泊まりにきてもいいですか?」

「おや、嬉しいことを言ってくれるねえ!もちろん歓迎するよ!……だけどねえ、あたしはどうにもあんたが心配だよ。あんたの決めたことなら仕方ないが――旅なんて本当に大丈夫なのかい?あんたは、普通の女の子だろう?」


 声をひそめて告げられた後半の言葉は、私に向けられたものだ。

 離れた位置に立つロイドとクロノスに聞こえないよう配慮してくれたらしい。

 カティアの心配はもっともだ。しかし、私は旅を止める気など毛頭ない。

 それでもカティアが心配してくれたこと自体が嬉しく、私は自然と笑顔になっていた。


「大丈夫ですよ。私には仲間がいてくれますから。二人を信頼しているから、何があっても大丈夫なんです」

「……そうかい。なら、きっと大丈夫なんだろう。変なことを言ってすまなかったね」

「いえいえそんな。むしろ心配してくれて嬉しいというか何というか……すごくありがたいです。私も二人に何かできたら一番いいんですけどね……」

「無理に役に立とうとしなくたっていいと思うけどね、あたしは。あんたが何をしたいのか、どこへ向かっていきたいのか。じっくり考えて、それからゆっくり目標に向かって歩いていけばいい。あんたを急かす奴なんてどこにもいないだろう?そういうことさ。あたしも遠くから応援してるからさ、がんばるんだよ」

「……はいっ!」

「さ、冒険者の兄さん達も待っているしそろそろお行き。じゃあね、コトハ。気を付けていっておいで」

「はい!いってきます!」


 “妖精のやどり木”――私が異世界に来て、初めて泊まった宿屋。

 私は激励をくれたカティアとひとつ握手を交わすと、入り口付近で待っていた仲間達とともに、宿を後にした。


* * * * * * 


 王都イレニアまでは、事前の打ち合わせ通り、街道沿いのルートを辿ることとなる。

 移動手段としてはさまざまなものがあるが、徒歩での移動はきつすぎるため最初から候補にすら挙がっていない。そうなると現実的なものは馬か馬車といったところだが、今回は馬車を選択するとのことだった。

 最初は仲間二人のどちらかの馬に一緒に乗せてもらうつもりだった。けれども、話の途中で私が馬車にも乗ったことがないと言うと、何事も経験だと馬車を勧められたのである。

 幸い、ティレシスから王都までは乗合馬車がいくつか出ており、冒険者だけでなく一般客の利用も多い。安全性や乗り心地などはやはり値段に左右されてしまうものの、窓からゆっくりと景色を眺めながらの旅も悪くないように思えた。

 ちなみに、ロイドはどちらかといえば乗合馬車よりも馬での旅の方が気楽なようだ。別に乗合馬車が苦手というわけではないらしい。一人旅だった頃は必要に応じて移動方法を変えていたので、私の意志に任せるとのことだった。

 クロノスからは、そのうち嫌でも馬には乗らなければならなくなるのだから今回は楽しんでおきなさいと言われている。なので今回は純粋に王都までの旅を楽しむことにした。


 二人に連れられ、街の中にある指定の場所に来てみると、そこには何台もの馬車が止まっていた。

 停留所のようなものだろうか。馬の絵が描かれた木製の看板が下げられており、利用客らしき人々がたくさん集まっている。馬車を引く大きな馬の存在だけでも目を惹くのに、馬車がこれだけ揃うとまさに圧巻である。


「うはー……ちゃんとした馬車って私初めて見たよ!すごいね!」


 初めて間近で見る馬車に、私はぱっと笑顔になった。

 今から馬車これに乗れるのだと思うと、ついつい楽しい気分になってしまう。周囲の賑わいが気分の高揚に拍車をかけているような気もする。今更になって、旅の始まりを実感していた。


「馬車ってこんなに大きいものなの?初めて乗るからわかんないけど、これって何人くらい乗れるのかな?早く行かないと乗れないなんてことはないよね?」

「ふふっ、どうやらこの移動方法にして正解だったようね。急がなくても馬車は逃げないし、出発まで時間があるからちゃんと乗れるわ。だから安心しなさい?」


 目の前の光景に釘付けになりながら、頭に浮かんだとりとめのない疑問を次々と口にする私の姿を、クロノスが笑う。馬車から引き剥がした視線をそのままクロノスに向ければ、彼は微笑ましいものを見るような目で私を見ていた。


「いつも思うのだけど、コトハちゃんの反応すごく新鮮でいいわよねェ」

「うっ……だって仕方ないじゃん!初めてなんだし!ていうかクロノス、今絶対私のこと子供っぽいって思ったでしょ」

「ふふふっ、まさか。思うわけないじゃない。アナタは立派なお嬢さんレディだわ?」

「レディ、とか何それ!すごい嘘くさい!」

「あら、アタシは嘘なんてついたつもりはないけれど?アナタの騎士ナイトだって当然そう思っていると思うわ。……ねえ、そうでしょうロイド?」

「……私が何か?」


 言葉とともに振り返るクロノスにつられるまま同じ方向を向くと、そこには何の話ですかと言わんばかりの表情を浮かべたロイドが立っていた。

 彼はこの場所に到着してからすぐ、馬車に乗る手続きのため私達の傍から離れていた。手続きといっても馬車の持ち主に代金を支払う程度らしいので、比較的早く終わったみたいだ。

 当然、私とクロノスの話は聞いていない様子である。


「いったい何の話をしているのです?」

「コトハちゃんが素敵なお嬢さんレディだっていう話よ」

「ちょっ、クロノス!?そんな変なことロイドにわざわざ確認とるのやめよう!?なんか恥ずかしいんだけど!」

「ふふふっ、恥ずかしがっちゃって。まったくかわいいわよねェ」


 クロノスのおかしな冗談を真に受けられては困る。

 焦った私はクロノスの言葉を止めようと彼の服を引っ張ったが、当人は「いいじゃなーい」と私の頭を撫でるだけ。

 ロイドはというと、私とクロノスを交互に眺めてから、困ったような笑みを浮かべていた。


「よく、わかりませんが……要するに、クロノスの冗談ということでしょうか」

「そ、そうそう!そんな感じ!きっとからかって遊んでるんだよこの人!こんな往来で何を言ってるんだろねほんと!」


 ロイドの言葉に同意すると、クロノスが不満げな顔をする。


「失礼ねェ。でも、ロイドだってアタシと同じことを思っているはずよ?」

「ええ!?」

「……コトハが、かわいらしい女性ひとだというのには、私も同意しますが」

「ロイド!?」


(何をさらっと言っちゃってんの!?)


 思わず声を上げるが、ロイドは至極真面目な顔で私を見下ろしている。

 なんだか居心地悪くなってきて、ロイドの視線から逃げるようにクロノスの方を見やると、彼は「ほらね?」と言いたげに片目を瞑ってみせた。思わぬ反撃に遭い、私は今度こそ閉口する。


(……ダメだ、この人達のお世辞は精神衛生上よろしくない)


 彼らの言葉を真正面から受け止めた私が悪かったのかもしれない。この話題はさっさと流してしまおう。それが一番良いはずだ。

 内心そう強く思っていると、タイミング良く出発の時刻を告げる時計の鐘が鳴った。この場所に設置された時計はマジックアイテムの類らしく、指定された時刻になると鳴り出すのだそう。


「あっ、ほ、ほら出発の時間みたいだよ!置いてかれちゃう前に、早く行こう!」 


 これ幸いとばかりに二人を急かし、先頭に立って歩き出す。

 後方でクロノスが笑う気配がしたけれど、気にしたら負けである。

 ――お世辞でも、二人の言葉が少しだけ嬉しかったのは、私だけの秘密だ。


 時計の鐘に後押しされながら、私達は王都行きの馬車に乗り込んだ。

 座る場所は少し迷ったが、私は馬車の扉から向かって一番右奥の窓際を選んだ。ロイドは私の左隣の場所を選び、私の真向かいにはクロノスが座っている。私達のすぐ後から、他の乗客達が乗り込んできた。

 私達が乗る馬車は、値段的にはさほど高くないらしいが、値段の割にはけっこう良いものであるそうだ。

 大人ならば十人はゆうに乗れる程度の大きさで、狭苦しい印象は受けない。

 私達三人を含めて、八人しか人が乗っていないというのもある。偶然にも、空いている時に乗ることができたらしい。元の世界の満員電車のようなすし詰め状態にならなくてよかったと、私は密かに思った。


 御者が馬に合図を送る音がして、ゆっくりと馬車が動き出した。 

 街中を通り抜け、初めてティレシスに来た時にも見たアーチ形の門をくぐり、街道へと進んで行く。


「わあ……」


 窓から外を眺めながら、私は感嘆の声を漏らした。

 晴れ渡った空に、遠くまで広がる緑の大地。モンスターの気配はなく、代わりにあるのは旅人や行商人の姿だ。馬車の進む速さに合わせて流れていく景色が、私の目を楽しませてくれる。

 乗合馬車には他の乗客もいるため、大声で会話をするのは当然マナー違反だろう。せっかくだからロイドやクロノスと雑談に興じたいが、出発して早々に眠り始めた客もいるため、長く話をするのも憚られる。

 ロイドは腕組みをして目を伏せており、クロノスは私と同じように外を眺めている。

 窓からの風景に飽きたら、二人に話しかけてみよう。それくらいは許されるはずだ。たぶん。


 ――そんな決意をしてから、小一時間が経った頃。

 先程までの思いとは裏腹に、私は襲い来る眠気と戦っていた。


(ねっむ……今日早起きしすぎたかなあ……)


 不規則に揺れる馬車の中、壁にもたれ、じわじわとやってきた眠気に抗うようにがんばって目をこじ開けているが、それもきっと長くは続かないだろう。

 休憩まではもう少し時間がある。このまま眠ってしまってもいいだろうか。


「――眠いのですか?」

「っ!?」


 意識が飛びそうになった瞬間、突然耳元で囁くような声がして、身体がびくりと震えた。

 一瞬だけ遠ざかった睡魔が戻ってこないうちにと、そちらに顔を向けた瞬間――――私は息が止まるかと思った。

 目と鼻の先に、ロイドの顔が、あった。

 私は石のように硬直した。


(……ちょっ、まっ……近い近い近い!なんだこれ!?)


 あまりの至近距離に、一気に顔に熱が集まってくる。

 彼の声が近くで聞こえたということは、耳元に近い位置で喋ったのだろう。そのため振り向いた私との距離が近くなったのかもしれない。そこまではわかる。

 だが、息がかかりそうな程に顔を近づけているとは思わなかった。心臓に悪すぎる。

 羞恥心に負けそうになりながらもロイドを見返すと、何故か彼も驚いたような表情を浮かべていた。


「あ、の……どう、したの?」

「いえ、その……」


 意を決して小声で話しかけてみると、ロイドも動揺しているのか頬が少し赤い。

 ダメだ、恥ずかしくて直視できない。

 私は極めて自然な動作で顔を離すと、ロイドから視線を外した。


「えっと、その、私に何か用事だった?」

「そう、ですね……貴女がとても眠そうに見えたので」

「ああ……うん、さっきからすごい眠くて。次の休憩まで寝ちゃおうかなって思ってたところ」


 眠気よりも何よりも、ロイドの行動に驚いているのだとは口が裂けても言えない。


「そうでしたか……ですが、その体勢は少々つらいのでは?よろしければ、私の膝をお使いください」

「は」


 ロイドの言葉に、私は思わず彼の顔を振り仰いだ。


(私の耳、おかしくなったのかもしれない)


 こんな場所で膝枕、だなんて。

 いったい何を言い出すのだろう。私を羞恥心で殺すつもりなのだろうかこの人は。


「あの、その気持ちはすごく嬉しいんだけど、ちょっとそれは恥ずかしいかなあ……なんて」


 正直な気持ちをオブラートに包んで言ってみると、ロイドは「わかりました」と頷いてくれた。

 恥ずかしいという私の気持ちを理解してくれたのだろう――そう思い、安堵の息を吐いていたのも束の間。

 ふいに頭に手が触れたかと思うと、優しい手つきでロイドの方に引き寄せられた。

 とん、と私の頭が、ロイドの肩に乗せられる。


「それでは、肩を。私の肩に、寄りかかってください」


(あっダメだこれ全然わかってない)


 そんなことを回らない頭で思うが、正直羞恥心でどうにかなりそうだ。

 悲鳴を上げそうになる心を、必死で押し止めるけれど、心臓の鼓動は確実に早まっている。

 自分では見えないけれど、確実に私の顔は林檎のように真っ赤になっているだろう。


(顔、上げられない)


 彼に他意はないのだろうが、いかんせん破壊力がありすぎる。

 今日は密着率が高すぎるのはきっと気のせいじゃない。


(ロイドに他意はないんだ、親切心からの行動なんだよきっと……だからさっさと静まれ私の心臓!)


 緊張から身体に力が入る私を宥めようとしているのだろうか。

 そのうち、ロイドが私の髪を優しく梳き始めた。

 撫でられるのは確かに心地が良い。だが、眠気なんてとうに吹っ飛んでいる。

 ちらり、とロイドを盗み見る。彼は私の髪を梳きながら、慈しむような優しい瞳をしていた。


(甘い、空気が甘すぎて死んじゃう……誰か、ロイドの暴走を止めてくれ……)


 助けを求めてクロノスに視線を送るも、眠っているのか彼の瞼は閉じられている。

 クロノスを起こせばそれはそれで恥ずかしいし、かといってロイドに止めて欲しいと頼めるわけもない。


(…………もう、諦めよう。ロイドはきっと好意でやってくれてるんだし、それに甘えて寝てしまおう。寝てしまえば、何も考えなくて済むんだから)

 

 さまざまな感情に蓋をするように、私はぎゅっと目を瞑り、身体の力を抜いた。

 体勢を整えるために身じろぎすると、ロイドが手を止めて小さく私の名を呼んだような気がした。

 だが、私は眠るために必死で、その声には答えない。髪を梳く動作が再開されても、私は何も言わなかった。



 やがて、眠れるわけがないと半分諦めかけていた私の元に、ゆるりと眠りの気配が忍び寄ってくる。

 少しだけこの状態に慣れ、気が緩んだせいかもしれない。

 眠気に誘われるまま、私は今度こそ眠りに落ちていった。

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