第4話
どくん、と心臓が大きな音を立てる。
「ロイド……?」
心当たりは、ある。
あるにはあるが、私の知る限りその名前を持つ者は一人しかいないはず。
しかし、それは実在する人物などではなく、オンラインゲームという虚構の中に存在する者の話だ。間違っても現実世界の話ではない。
それなのに、私がその名前を口にすると、目の前の男性はそれは嬉しそうに笑うのだった。
「はい、なんでしょう」
にこりと笑みを浮かべる男性に対し、私は引きつった笑みを浮かべた。
「ええっと、私あなたを呼んだわけじゃないんですけど……ていうか、なんであなたが反応するんですか?」
「……まだ、お分かりになりませんか?」
「えっ、何が?」
問い返すと、男性は困ったような微笑みを浮かべた後、私の目を真っ直ぐに見つめてこう言った。
「私の名はロイド・アーウィンハイム。貴女がロイドと名付け、幻の銘刀“始皇帝の剣”を与えた男そのもの、ですよ」
「……はああああああああっ!?」
青く晴れ渡った空の下、私の渾身の叫びがこだました。
* * * * * *
「――――要するに、だ」
「はい」
「ここは“レヴァースティア”という世界で、私のいた世界ではないと。そしてあなたは私が名前を付けた
「はい」
理解が早くて助かる、とでもいうように至極真面目な表情で頷くロイドと名乗る男性。なんだか頭が痛くなってきた。
今はもうだいぶ落ち着いてきたものの、先程までの私はこれでもかというくらいに狼狽していた。その勢いでこれはいったいどういうことなのだと詰め寄る私に、ロイドは請われるまま懇切丁寧にさまざまなことを説明してくれたのだが、正直理解が追い付かない。ぶっちゃけあまりに現実味が無さ過ぎて、頭が正常に働いていないというか、考えることを放棄したくなってきているというか。相変わらず思考回路はぐちゃぐちゃだ。
(わかったことといえば、私は俗に言う異世界トリップってやつをしてしまったってことなんだよね……あとこの人が
ロイドの説明を要約すると。
私がいるのは日本でも外国でも、はたまた地球でもなく――レヴァースティアという世界なのだそうだ。そして、この場所はレヴァースティアで最初に国を創り、治めたという賢帝の墓。通称始皇帝の墓と呼ばれている場所だとか。
(もうさ、この時点で嫌な予感しかしないじゃん!叫び出さなかったことを褒めてほしいくらいだよ!)
そして極めつけは、目の前の人物だ。
レヴァースティアでは、剣と魔法の世界にふさわしい逸話が数多くみられ、稀に不思議な出来事が起こることがあるのだという。たとえば、願いを叶えてくれるアイテムだとか、そういった類のものも存在するそうだが、滅多なことが無い限りまず遭遇することはない。というより、噂や伝承が残っているだけで存在すら確認されていないものも多々ある。
そのうちのひとつが“始皇帝の剣”だ。
それは始皇帝の墓の深層部のどこかに安置され、手にした者はさまざまな恩恵を受けられるという。その伝承を信じた数多の冒険者が、力を求めて始皇帝の墓に足を踏み入れたけれど、誰一人として帰ってはこなかった。
そうして誰もが剣の正体を知らぬまま、時は流れ――始皇帝の剣はいつしか口伝として語り継がれるようになった。
そんなあるとき。
偶然にも剣の伝承を耳にした一人の青年が、始皇帝の墓を訪れることになった。
彼はそれなりに腕の立つ騎士だったけれど、とある理由から生きる希望をなくし、ただただ生を繋ぐだけの毎日を送っていた。
そんな毎日に嫌気がさし始めていた彼は、いつの頃からか少女の夢をみるようになった。少女は青年のことを“ロイド”と呼び、こちらに向かっていろいろなことを語りかけてくる。最初は気にもしていなかった彼も、夢を見る頻度が増えてくるたび、夢の内容と現実が一致するたび、ただの夢だとは到底思えなくなり、きっとこれには何か意味があるのだろうと考えるようになったという。
寝て起きたら枕元に装備やアイテムが置かれていたという驚きの体験をしたことも少なくないため、その不思議な夢は少しずつ信憑性を増していった。
少女の存在や夢と現実の整合性について不審に思っていた青年も、日々を過ごすうちに徐々に絆されていく。
けれど、いつまでたっても二人の間に会話が成立することはなかった。
こちらから語りかけたとしても、少女にはどんな言葉も届かない。完全に一方通行だったのである。
それでも彼は、少女に会える夢を心待ちにしていた。彼女がきっかけで、生を繋ぐだけの毎日が少し変わった。さまざまな場所へ赴き、多くの経験を積むことが楽しいとさえ思えるようになった。
ところで、この世界における騎士というものは、自身の基盤が固まってきたら、仕える主人を持つのが習わしなのだそうだ。習わしといっても別に強制ではないらしく、主人を持たない騎士も多い。彼もその一人だった。
けれども――彼は日々を過ごすうち、いつしか主人を持ちたいと願うようになっていった。
夢の中で彼と共に過ごし、一喜一憂する少女。彼は少女に恩義を感じるようになり、彼女を主人に持つことができたならどんなに良いだろうと考えるようになった。
そう、彼は神でも王でもなく、名前も知らない少女を自身の主人と定めてしまったのだ。
そして、存在すら不確定な少女にいつか出逢うために、生きてみようと決心したのだそうだ。
そんな折に耳にしたのが、始皇帝の剣の伝承である。
奇しくも夢の中の少女も、青年を始皇帝の墓に向かわせたがっており、伝承の剣を手に入れることができれば、少女について何かがわかるかもしれないと考えた。
夢の中の少女は、その言動や暮らしぶりからしてきっとこの世界の者ではない。
だからこそ、不思議な力を持つという剣に賭けてみたかった。
命など惜しくはないとばかりに旅立った彼は、紆余曲折の末、伝承と歌われた始皇帝の剣を手中に収めるに至ったのである。
――それが、目の前の青年、ロイドなのである。
(あまりに話が長すぎて、細かいところとか全然頭に入ってこなかったけど、つまりはこういうことだよね……)
認めたくない。本当は認めたくないのだけれど。
私が今いる場所は――MMORPG【レヴァースティア】の世界で間違いないのだろう。そしてここは私が一週間籠り切っていた始皇帝の墓であり、先程の鎧はもどきなどではなく本物の
そして目の前の青年は、まさしく私が名前をつけた人物であり、私がプレイヤーキャラクターとして使っていた、あの“ロイド”なのだ。
(ああもうっ、異世界トリップだなんてわけわかんないよ!何なのこの状況!ていうか
思い当たる節がありすぎてつらい。
始皇帝の剣もそうだけれど、他のアイテム類や装備についても心当たりがあるし、彼の口にする少女はそっくりそのまま自分に当てはまる。
どこがどう彼の心の琴線に触れたのかは知らないし知りたくもないが、彼は私をどこかこう、神聖化していそうな雰囲気だ。実際主人として仰ごうと考えるまでなのだから、相当なものなのだろう。
でも実際の私はただゲームに興じていただけだ。
プレイヤーキャラクターとして愛着があったロイドを強化しつつ、ダンジョンに潜り、クエストを消化していった、ただそれだけ。
なんというか、非常にいたたまれない。
「……どうなさいました?
頭を抱えながら何も言わなくなった私を不思議に思ったのか、ロイドが声をかけてきた。
私は思考の淵に沈んでいた意識を慌てて引き戻し、ロイドに顔を向ける。
「な、なんでもない!それよりさ、そのマスターっていうの止めない?私、確かにあなたを作成――あ、いや名付け親的な感じだけど、主人になった覚えはないしさ。それに、話聞いてるとあなた私のこと美化しすぎじゃない?」
もう敬語などこの際どうでもいい。今は聞きたいことをただ聞くだけだ。
「美化――そうでしょうか?私は夢の中の貴女そのままだと思っていますから、まったく問題ありませんよ。それから、申し訳ないのですが私にとって
「いや、そこは素直に止めちゃおうよ!だって私ただの小娘なんだよ!?普通に名前で呼んでも……ていうか、そうだ、名前!あなた名前はどうしたのよ!あなたの話しぶりからすると、あなたはちゃんとした元の名前があって、その名前でずっと生きてきたってことでしょ!?」
「ええ、そうですね。でも今はロイドという名がありますから」
「いやいやいや!元の名前でいいじゃんか!私なんかがつけた名前じゃなくってさ!」
「いいえ、これで良いのです。私はもはや元の名前になど興味ありません。私は貴女がくれた“ロイド・アーウィンハイム”として生きるだけです」
私はなおも言い募ろうとしたのだが、彼の柔らかな微笑みの中に毅然としたものを見つけてしまい、それ以上何も言うことはできなかった。
私にとってはプレイヤーキャラクターだったとしても、彼はこの世界で生きてきた意志のある人間だ。何も知らない私には、詮索する権利などないし、彼には彼の生き方がある。
「……わかった、名前の件についてはもう諦める。あのさ、今更だけど本当にその少女っていうのは私のことなの?人違いってことはないの?」
「はい、もちろんです」
「……なんでそう言い切れるのさ」
私が胡乱な表情を浮かべると、ロイドは静かに腰に下げていた剣を鞘ごと取り出して、大事そうに掲げ持った。
ゲーム内でロイドに装備させて見たものよりも、ずっとずっと綺麗で精緻な細工が施された、見事な剣。これが始皇帝の剣なのだろうか。
「私が
「…………」
日本ではあまりお目にかかることのない台詞に、私はむず痒いような気恥ずかしさを覚えた。
ああ、今すぐ逃げ出したい。耳を塞いで、私はそんな大層な人間ではないんだと言ってやりたい。
でも今は残念ながらそんな雰囲気じゃない。
「そして私の願いが聞き届けられたかのように、貴女が現れた。まさかこんな風に出会うことになるとは思いませんでしたが……ここまで苦労したかいがあったというものです」
「そ、そう……それはよかったね……」
何と反応すればよいものやら。私はそれだけしか言うことができなかった。
聞きたいことはまだまだたくさんある。でも今のやりとりですべてが吹っ飛んでしまった。
聞きようによっては情熱的な台詞だけど、彼は念願の憧れの人に出会えた喜びを表しているだけ。彼に他意はまったく無い。
(――――って、あれ?ちょっと待てよ?)
脱力しながらも、先程の会話に引っ掛かりを覚え、私は考えを巡らせる。
先程ロイドは何と言ったのか。
さまざまな恩恵を得られるという始皇帝の剣に願いをかけた末に、私が現れた。そう言ったのではなかったか。
――それを踏まえると。
「……ねえ、ロイド」
「はい?」
「さっき言ったことって全部本当?剣に願ったとかなんとか……」
地を這うような私の台詞に首を傾げながらも、彼は律儀に答えてみせる。
「ええ、私は嘘はついておりませんよ。すべて本当のことです」
ぷち、と何かが切れたような音がした。
「…………ロイド」
「……はい?」
「――――全部、あんたの仕業かあああああっ!」
「ぐっ!?」
――私の怒りを込めた右ストレートが、綺麗にロイドの腹部にめり込んだ。
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