第5話


「ふう、これでちょっとスッキリしたかな!」


 元凶と思われる人物を一発殴って、少しだけ気分が落ち着いた。暴力に訴えたかったわけではないけれど、怒りに任せてついやってしまったのだ。反省はしている。微妙にだけど。

 うん、私そこまで暴力的な人間じゃなかったはずなんだけどな。

 ちなみに元凶ロイド自身は腹部に衝撃を受けたはずなのに、けろりとしている。鍛え方が違うのか、私のような女の力ではびくともしないということなのか。

 渾身の力を込めたのに。なんだか悔しい。


(……くそ、もう一発殴っとけばよかったか)


 不穏なことを考えながら再度拳を握り、私は目の前に立つ青年を恨めしげに見上げた。

 ロイドはそんな私の様子から何かを察したのか、微笑みに苦いものが混じる。


「私が剣に願ったが故に、なのかはわかりかねますが、理由は何にせよ主人マスターが世界を渡られたのは事実。主人マスターにとっては予期せぬ出来事だったのかもしれません。私に対してお怒りになるのも無理はないでしょう」

「む……」

「私を殴ることで主人マスターの気持ちが晴れるのならば、好きにしてかまいません。ですが、それでも私は、どんな形でも貴女に出会えて良かったと、そう思っ」

「も、もういいよわかったよ!わかったから!それ以上言うんじゃない!」


 ロイドの台詞を遮るように、私は慌てて大声を出した。

 彼自身はいたって真面目なのだろう。何故言葉を遮られたのかわかっていない様子だ。


(なんなのこの人超恥ずかしい!)


 ロイドと会って言葉を交わしたのは今回が本当に初めてだ。

 ただの夢で私らしき人物を垣間見たからといって、ここまで敬意や憧憬に似たものを向けられるものなのだろうか。でもそれを私自身の口から聞くのははばかられた。


(というより、なんかめっちゃ恥ずかしい台詞がきそうな気がしていたたまれなくなりそうなんだよ……)


 平々凡々な私でも、一応女の端くれ。恋愛に興味が無いわけではない。むしろお相手さえいれば異性とのお付き合いというのもいつか経験してみたいと思っている。お相手さえいれば。

 漫画や小説のような、甘ったるい台詞というのもひそかに憧れていたけれど、簡単に言えば私の状態は恋に恋するようなもの。実際の私はそういう台詞に馴染みなんてあるわけもなく。


(外見だけは無駄にいいもんね……私好みに作ったんだからそりゃそうか)


 オンラインゲーム内でロイドの外見を決めるときも、童話に出てくるような王子様をイメージしたくらいだ。


(実際は、異世界で生きてる本物の人間だったわけだけど……あれ、じゃあ私がゲームの最初にやったキャラメイクってなんだったんだろ。実際のロイドの外見そのまんまだもんね。そこんとこどうなんだろ?)


 疑問に思っても、答えてくれる人はここにはおらず。

 私は軽く頭を振って疑問を打ち消した。


「それで、私はこれからどうすればいいの?」


 考えるのは後回しにして、私はそれだけをロイドに聞いてみる。

 私は本当に普通の高校生だったし、不思議な力なんてあるわけもない。ファンタジーによくある、世界を救う勇者だとか選ばれし者だとか、そんなものには絶対に成り得ない。服装もまさに着の身着のままといったラフな格好だし、持っているものといえば、ポケットの中にある携帯電話だけ。


「……そうだっ、携帯!」


 今更ながらも携帯電話の存在を思い出し、私は慌ててジーンズのポケットを探った。

 よかった、失くしていない。

 私はすぐさま携帯電話を取り出し、画面表示を確認した。


「……やっぱり圏外、か」


 出かける前まで充電していたため電池は最大まであるようだったが、通信状況を示す棒は一本たりとも立っておらず、代わりに圏外の文字があるだけ。わかっていたことだけど、と自分に言い訳をしながらも、やっぱり落胆は隠せない。心のどこかで“もしも”の可能性を信じていたせいもあるだろうが。


「……それは?」


 ロイドが興味深そうな表情で、私の手の中の物を見る。

 そういえば、この世界には携帯電話というものが存在しないのだということを思い出した。


「これは携帯電話って言って、通信機器……あー、何て言えばいいかな。これを使えば遠くの人とも会話できるんだよ」

「わざわざ相手のところに出向かなくても済むというわけですか。それはとても便利な道具アイテムですね。魔法の類でしょうか?」

「魔法、ではないけど……そもそも私のいた世界に魔法なんて存在しないしね。それはまた追々話すとして……それで、どうなの?私はこれからどうすればいい?ていうか、私ちゃんと元の世界に帰れるの?」


 話を戻すため、私は携帯電話をポケットに押し込んで強引に話題を変えた。

 私の問いに、ロイドは表情を引き締める。


「……正直なところ、貴女が何故この世界に呼ばれたのかは私にもわかりません。私は確かに貴女に会うことを目的としておりましたが、それ以上の何かはまったく望んでおりませんでした」

「……うん?」

「私は魔法について造詣は深くないのですが……少なくとも私の知る限りでは、世界を渡る魔法など存在しないのです。似たもので空間転移テレポートという魔法はありますが……」

「……じゃあ、私は帰れないってこと?」

「……私の知る限り、恐らくは」


 何度も「私の知る限り」と言葉を重ねたのは、慎重に言葉を選んだ結果なのだろう。その言葉は、裏を返せば彼の知らないこともあるのだいう意味にもとれる。

 だけど、このときの私はそんなことを考える余裕すら無くなっていた。

 帰れない。その言葉だけが頭の中を占める。

 がつん、と後ろから頭を殴られた気分だ。


「そ、っか……私、帰れ、ないんだ……」


 そう口にした瞬間、目の前が急激に霞み始めた。

 視力が悪くなったわけではない。そう判断できたのは、頬を伝う温かいものの存在と、潤んだ視界でとらえたロイドの慌てたような表情。


(ああ……私泣いてるんだ……)


 自覚した瞬間、堰を切ったような急激な感情の波が私を襲う。

 悲しみ、喪失感、恐怖――さまざまな負の感情が混ざったような、激しい波。

 心臓を鷲掴みにされたような、痛みにも似たどうしようもない苦しさ。鼻がつんとして、涙があとからあとから溢れては、ぽろぽろと流れ落ちていく。

 私はとてもじゃないが立っていられなくなり、泣きながらその場にしゃがみ込んだ。


「……主人マスター……」


 ぽつり、とロイドが小さく呟く声が聞こえたが、かまっている暇など無い。

 初対面の人の前で、とか男の人の前で、とか頭の片隅でぼんやりと考えるのだが、感情がそれさえも埋め尽くしていく。


「――無礼をお許しください」


 答えられないまま泣き続ける私の耳に、ロイドの声が届く。

 そして次の瞬間、ふわりとした感触が私を包み込んだ。


「私にとがが無いとは言いません」


 身体に回された、二本の腕。顔に当たる服の感触とあたたかさ。

 俯いた先に見える、地面についた私の物ではない膝の存在。


「貴女をこのように泣かせてしまったのも、私の責任。本当に申し訳ありませんでした」


 謝って欲しいわけじゃない。

 そう言いたくても、声が出せなかった。


「私を恨んでくださってもかまいません。ですが、いつかきっと方法を探し出して貴女を元の世界に帰します。それまでの間、どうか私に恩を返すためのチャンスをくださいませんか。貴女の騎士として、貴女に忠誠を誓い、命を賭してでも、全力で貴女を守ります」


 なんて恥ずかしい台詞だ、と思った。

 そんな台詞は恩人のような位置付けの私ではなく、恋人にでも言ってやれと。

 それでも、自分を案じてくれるロイドの言葉が嬉しく感じて――さらに涙が止まらなくなり。

 私はロイドの胸を借りたまま、思う存分泣き続けた。


* * * * * *


「……ごめんなさい」


 荒れ狂っていた感情が凪ぎ、涙が収まってくると、私は絞り出すような声でロイドに謝罪した。

 頭上でロイドがかすかに笑ったような気配がする。それを耳にした瞬間、鈍っていた私の頭は一気に現状を把握し始める。


(う、うわわわわわ!)


 しっかりと自分の状態を自覚した私は、顔から火が出る勢いで赤面した。

 今の私は、まるで抱き締められているような格好だ。

 ――そんな中、あやすように背中を撫でられながら泣き続けたのは誰だった?


(私だよ!!!!!)


 自分で自分にツッコミを入れ、私は目の前にあるロイドの身体を軽く押してやる。

 もういいよ、とでもいうように。

 ロイドは私の意思表示に気付いたのか、あっさりと腕を解いて離れていく。私も目じりを拭い、鼻水をすすりながら立ち上がった。


「なんか、ごめん」

「謝る必要はありませんよ。内に溜め込んだままでは貴女が持ちませんから」


 もう一度謝罪の言葉を口にする私に、優しい言葉がかけられる。

 ロイドは美形な上に、想像以上に穏やかな性格の持ち主のようだ。


(初対面のくせにうぜえ、とか言われなくて良かったよほんと。そんなん言われたらさすがに傷付く)


「ありがと」


 それと服汚しちゃってごめん。

 私の言葉に、ロイドは微笑みで返してくる。私は人前で泣いてしまった自分が恥ずかしくて、照れたように笑ってみせた。


「うん、泣いてスッキリしたかも。そうだね、帰る方法、ロイドがわかんなくてもこれから探せばいいんだもんね」

「ええ。――それで、主人マスター

「ん?」

「先程の話なのですが……了承していただけるのでしょうか」


 今までとは打って変わって、どこか不安そうな表情を浮かべるロイド。

 先程、とは私が泣いていたときに言っていたあれのことだろうか。


(…………消えたい)


 思い出すたび、羞恥心で消えてしまいたくなる。

 しかし、言葉通りならばきっと、彼は何も知らない私を守り、帰る方法をみつけるまで、傍にいてくれるのだろう。

 正直忠誠とかよくわからないし、私は本当に何もできない役立たずだと思う。

 それでも、何も持たない私はこの世界ではひとりで生きられない。

 だったら――私が帰るそのときまで。


「……うん、ロイド。あなたの言葉に甘えるよ」

主人マスター……!」


 感激したような声を上げるロイドに、私はしっかりと釘を刺す。


「ただし!忠誠とかそんなものいらないし、命なんてもっといらないから!だから、私を呼ぶときもマスターマスター言わないで!」

「……では、どうしたら」

「都月琴葉。こっちではコトハ・ミヤヅキっていうのかな。なんでもいいけど、私にはちゃんとした名前があるの。マスターなんて名前じゃないわ」


 ぴしゃりとそう言うと、ロイドは私から視線を逸らして思案するように顎に手を当てる。

 しかしそれもほんの数秒で、彼はすぐに私に視線を戻した。


「……名前で呼んでも、貴女が主人マスターということは一生変わらない」

「ん?」


 聞き取れないくらい小さな声で何事かを呟いた彼に、私は首を傾げる。

 ロイドは私の疑問には答えないまま、やわらかく微笑んだ。


「これからよろしくお願いします――――コトハ」

「……!こちらこそ、よろしくっ!」


 ようやく名前を呼んでくれた新しい相棒に、私が返したのは満面の笑みだった。

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