第56話


 あれから一日が経過したが、私達はまだ義賊団の本拠地に滞在していた。

 謎の教会から全員無事に帰還できたことだし、そのまま出ていくべきだという意見もあったけれど、おとなしく魔法障壁の修復が完了するまで待つことにした。というか、私が家主でもあるレオニールに頼み込んだ。レオニールは私が滞在延長を願い出たことを訝しんでいるようだったが、理由を話すと何も言わずに承諾してくれた。

 大なり小なり程度の差はあれどほぼ全員が疲弊していたというのもあるが、理由は別にある。


 ウェティが魔力の使いすぎで倒れてしまったためだ。


 彼女は治癒術師ヒーラーとしてあの場にいた者達を守るため、力を使い続けた。普段家事をして過ごし、有事の時にのみ魔法を行使する生活を送ってきたウェティにとって、教会での一連の出来事はかなりの負担だったのだろう。帰ってきた途端糸が切れたように気を失い、高熱を出した彼女がやっと目を覚ましたのは、日付が変わるか変わらないかといった深夜のこと。すなわち、本当につい先程のことだ。

 私は彼女が倒れてから、自らすすんで看病を申し出ていた。レオニールの許可は得られたし、仲間達も特に何も言わなかったから、私はほとんどの時間をウェティの傍で過ごした。だから、現段階で彼女が目覚めたことを知るのは私だけだった。


 私はウェティが目覚めたことをレオニールに知らせるため、一人廊下を歩いていた。

 レオニールも時々様子を見に来ていたが、ウェティの顔に触れて熱を確認したり、傍にいる私に話を聞いたりしつつ、あまり長居はせずに去っていく。

 もちろん彼自身忙しいのもあるのだろう。

 でも、部外者の私がウェティの看病を許され、どんなに夜遅くとも意識が戻り次第知らせるよう言われていることを鑑みるに、レオニールも私のことを少しは信頼してくれているのだろうか。


(……なーんて)


 私は廊下を足早に歩きながら、窓の外を見やる。

 一枚のガラスに隔てられた先には暗い夜空が広がっており、視点をずらせば黄金色に輝く月が見えた。

 この空間はレオニールの魔法によって形づくられていると聞いているが、朝になれば太陽が昇るし、夜になれば日が沈む。時計には寸分の狂いもない。どうなっているのかは説明しようもないが、外部との時間の差は一切ないのかもしれない。


 考えを巡らせながら歩みを進めていると、幾ばくも経たないうちにレオニールの部屋が見えてきた。

 最初に彼の部屋を訪れた時はこの扉をノックするのにも勇気がいるくらいで、常に嫌な緊張感が付きまとっていたものだけれど、今は少し違う。

 まだ完全に心を許し切っているわけではない。それでも、緊張感は以前よりも和らいでいた。

 ――レオニールはただ怖いだけの人じゃない。

 そう確信を持って言えるからこそ、私は今ここに立つことができているのだ。


(まあ、レオニールさんのこともあんまりよく知らないんだけどね……)


 そうひとりごちて、私はレオニールの部屋の扉をノックする。

 ところが、しばらく待ってみても扉の奥からは何の反応も無い。


(部屋にいるって聞いてたんだけどな……)


 もしかして聞こえなかっただろうかともう一度強めに扉をノックしてみたが、結果は変わらない。

 留守なのだろうか。


(これは出直すべきかな)


 相手が在室していないのであればこの訪問には何の意味もない。

 だけど、本当に気付いていないだけという可能性も捨てきれなかったので、私は目の前にあるハンドルタイプのドアノブに手をかけた。


(……?開いてる……?)


 扉は何故か施錠されておらず、こちらが拍子抜けするほど簡単にドアノブは動いた。

 ちょっと不用心だな、とぼんやり思ったが、そもそもこの場所はレオニールの魔法でつくられた空間であることを思い出し、先の考えを打ち消した。空間の主が鍵をかける必要なんて本当はないのだろうし。


(うーん……中にいるのかな?ちょっと夜遅くても寝てはいないだろうって言ってたし、声をかけるくらいなら別にいいよね?)


 少し迷ったが、中に入らずとも入り口から声をかけてみて、それでもダメなら出直せばいい。

 そう考えた私は、ドアノブに手をかけてそっと扉を押し開けた。


「……レオニールさーん?」


 レオニールが眠っているという可能性も考えて、やや控えめな声量でレオニールの名前を呼ぶが反応はない。

 室内には明かりが煌々と灯っており、見覚えのあるテーブルの上にはティーポットとティーカップが一組置いてある。視線をぐるりと一巡させても部屋主の姿は見つけられなかったけれど、部屋の状態を見るに、はじめから留守にしているというよりは、一時離席しているといった方が正しいのかもしれない。


「レオニールさんどこに行っちゃったんだろ……少し待てば帰ってくるかな?」


 ウェティの件を伝えたら早々に辞するつもりで来たのだが、彼はどのくらいで帰ってくるのだろう。すぐに戻るのならばこのままここで待たせてもらおうかとも考えたが、部屋主が不在のまま室内にいるのも気が引けるし、ここはやっぱり外で待つべきかもしれない。

 そう思い、踵を返そうとしたのだが、偶然視界の端に映り込んだもののせいで途中で動きが止まってしまう。


「なんだあれ……」


 室内の壁の一部分が、消えている。

 壊れているとか、抜け落ちているとか、そういう感じではない。人が一人分通れるくらいの縦長の穴が壁に空いており、その周辺に置かれていたものは綺麗に片付けられていた。

 前回訪れた時にはこんなものなかったような気がする。いや、絶対になかったはずだ。

 興味を引かれた私は、不躾だとは思いつつもそろりとそちらへ近寄ってみる。

 おそるおそるその縦穴を覗き込んでみると、その先にはなだらかな階段があり、建物の外へと続いていた。

 この空間内には広い庭があり、いつでも出られるようになっているとウェティから聞いたことがある。私が最初にいた部屋からも、確かに木々の緑を見ることができた。あの時は森の中にでも連れ去られたのかと思ったものだが、今考えれば私が見ていたのは例の庭だったのだろう。


 階段の先に見えるは濃い夜の気配に彩られ、静謐せいひつな空気が流れ込んでくる。

 私は逡巡しながらも、意を決して階段をゆっくりと降りて行った。


 初めて足を踏み入れた庭には灯りの灯った外灯が点在しており、真っ暗で何も見えないということはなかった。夜闇のせいで奥の方までは見渡せないが、かなりの広さを有していることだけはわかる。しっかりと手入れもされているのか、雑草だらけで歩きにくいということもない。

 これが日中であれば庭の景観を楽しめたのにと、ここに来た目的も忘れてこっそり思ってしまった。


 建物を離れ、外灯の光が届かない場所を避けて歩いていくと、少しばかり開けた場所に出た。

 周囲を木々に囲まれたそこは足元が一段高く、なだらかな丘のようになっており、その先に何があるのかは進んでみないとわからない。

 そしてその丘の上に、見覚えのある後ろ姿を見つけた。


(レオニールさんだ)


 丘周辺に外灯のようなものは見当たらず、本来ならばレオニールの姿など薄闇に包まれて確認できないはずである。それでもレオニール姿を視認できたのは、何故か彼の周囲だけがぼんやりと光っているからに他ならない。

 私はレオニールを見つけたことにほっとしながら、ゆるやかな傾斜を上っていった。


「……わぁ……」


 傾斜を上り切ると同時にこぼした小さな感嘆の声は、拾われることなくそのまま闇の中に溶けるだけ。

 レオニールの足元には複雑な紋様を描いた巨大な魔法陣が敷かれ、彼の姿だけを夜闇の中に浮かび上がらせていた。そして彼の片手には開かれた状態の一冊の本があり、本を中心に小さな魔法陣が展開されている。

 レオニールは私の存在に気付いた様子もなく、その場に立ち尽くしたまま空を見上げている。

 彼の視線の先には何があるのだろうか――そう思い、同じように空を見上げようとした、その瞬間。


 彼の手にある小さな魔法陣から突然光の筋が飛び出し、夜空に向かって飛んで行った。

 その光は夜空に瞬く星のように天に留まり、まるで本物のそれのように穏やかな明滅をはじめる。

 それを呆然と眺めていると、今度は幾筋もの光が魔法陣から生まれ、同じように何もない夜空を彩った。

 そうして、次から次へと魔法陣から飛び出した光が星に変わっていく。

 星がひとつ、ふたつと増えていく。


「きれい……」


 まるで星空を生み出しているような幻想的な光景に、思わず声が漏れた。

 すると、私の声に気付いたレオニールが夜空を見上げるのを止めてこちらを振り向いた。

 その瞬間、私は驚きに目を見開いた。


(……眼帯、つけてない)


 いつも欠かさず装着していた眼帯がなく、隠されていた片目が露わになっていた。

 その色は、もう片方の目と同じ深緑色ではなく、やや濃い目の紫色。

 緑と紫の美しいオッドアイというだけでも驚きだったのに、彼は細身の眼鏡をかけていた。

 眼帯で片目を隠している時とはまた印象が違って見え、この人は本当にレオニール本人なのかとまじまじ見つめてしまう。


「……お前か」


 私の強い視線に気が付かないはずがないなのに、レオニールは何も言ってこない。

 私を見下ろす両の瞳は静かに凪いでいて、不快感のようなものは一切宿っておらず、ただ私の存在を映しているだけ。

 静かに佇むその姿からは普段の荒っぽさは感じられず、いつもより知的な雰囲気を醸し出しているようにも思える。人とは装い次第でこんなにも雰囲気が変わるものだろうかと、私は目を瞬かせた。


「何だ。俺の顔に何かついているのか」


 さすがにじっと見つめ過ぎたらしい。

 眉をひそめるレオニールに、私は慌てて口を開いた。


「あっ、ごめんなさいじっと見たりして。今は眼帯じゃなくて眼鏡なんですね」


 勢い余ってうっかり余計なことを言ったような気がするが、レオニールは別段気にした様子もなく「ああ」と私の言葉を肯定した。


「別に四六時中眼帯あれを着けているわけではない。必要だからこそ着けているが、今は眼帯が必要な理由もない」

「眼帯を着けているのは理由があるから、ですか……」


 いつもより若干落ち着いた雰囲気のレオニールが相手だからか、緊張感もほとんどなく普通に話すことができているのが驚きだ。

 ここぞとばかりに眼帯を着けなければいけない理由を聞きたいところだけれど、おこがましいだろうか。


「……さすがの俺も、まさかここまでとは思わなかった」

「……え?ここまで、とは?」


 聞こうか聞くまいか迷っている間に唐突にレオニールの口から滑り落ちた言葉の意味がわからず、私は思わずそう問い返した。

 するとレオニールは私をじっと見つめてから、やがて面白いものをみつけたかのようににやりと笑みを浮かべてみせる。


――ということだ」


 レオニールがさらに言葉を続けたが、私の頭の中には疑問符しか浮かばない。


「え……?え?」


 何が言いたいのか私にはさっぱりわからない。

 それなのに、彼は混乱する私の様子を見て、しばし面白そうに目を細めるだけだった。

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