第57話



 まるでなんでもないことのようにレオニールが言い放った言葉の意味を、頭の中で咀嚼する。

 この空間の中枢――――彼は正しくそう言った。

 その言葉がいったいどれほどの意味を持つのかという考えに至った瞬間、私は思い切り瞠目した。


「中枢!?中枢って、え!?さすがに嘘ですよね!?」

「俺がこんなくだらないことで嘘などつくはずがないだろう」

「ええ!?いや、待って、だってここってただの庭ですよね!?」

「ああ、そうだ。正確には庭の一部、と言うべきではあるがな」


 混乱の極みにいる私とは正反対に、レオニールは涼しい表情を浮かべている。

 それを恨めしく思いつつも言葉にしないでいると、私の微妙な表情に気付いたレオニールが喉の奥で低く笑う。そしてすっと目を細めてみせた。


「お前、どこからに降りてきた?」

「どこから、って…………あ」


 レオニールの問いかけに、私ははっとして言葉に詰まる。

 驚きの連続で忘れかけていたが、了承もないのに勝手に人の部屋に入った挙句、興味本位でここまでやってきてしまったことは紛れもない事実だ。レオニールを探しにきたという名目以前に、完全なるマナー違反である。


「……レオニールさんの部屋からです……その、勝手に入ってごめんなさい」


 なんとなく決まりが悪くて、レオニールの顔を直視できない。

 視線を明後日の方向に向けたままぼそぼそと答える私に、彼は小さくため息をついた。


「俺の部屋から、か。大方、ウェティの件だろう?」

「……怒らないんですか?」


 てっきり怒られるものだと思っていたのだが、レオニールが口にしたのは私を咎めるような言葉ではなく、目的を問うものだった。

 責められても仕方ないことだったのに、何故彼は私を追求しないのだろう。

 そう思ってレオニールをじっと見上げるが、彼は何も語らない。ただ、私を静かな瞳で見下ろすだけだ。


(なんか、それはそれで居心地が悪いんだけど……)


「……えっと、ここに来た理由はレオニールさんの言う通りです。ウェティの目が覚めたので知らせに来ました」


 無言で見つめ合っているだけという微妙な空気を払拭するため、私は先程の質問を無かったことにして本題に入る。しかしレオニールは「知っている」と一言言い置いてから、私から視線を外し空を仰いだ。

 つられて上を見上げれば、様変わりした美しい星空が私の視界いっぱいに広がった。最初はあんなに暗かった空が、今は多くのきらめきに彩られている。この美しい光景を生み出したのがレオニールだと思うとちょっと不思議な気分になるが、これも彼の持つ力の一つなのだろう。


「やっぱり綺麗だなぁ」

「……そうか」


 頭上に広がる星空を眺めながらぽろりと口から滑り出た言葉に、レオニールが小さく反応する。

 思わずそちらを見やれば、レオニールは既に空を見上げることを止めており、彼の視線は片手の上にある本へと注がれていた。


「レオニールさん……?あの、ウェティのところに行かないんですか?」

「……お前が綺麗だと言ったモノは、この空間を守るだ」

「!」


 一向に動く気配のないレオニールから返ってきた台詞が予想外すぎて、一瞬驚いてしまう。


くさびって、この星空のことですか?」

「俺が魔法ちからを行使していたのはお前も見ていたはずだが……まあいい。特別に教えてやろう。今お前の目に夜空として見えているものは、すべてこの空間内に張り巡らされた魔法障壁だ」

「え!?」


 唐突にとんでもないことを教えられた私は、慌てて星空に視線を向けた。

 この空間自体がレオニールの魔法によって構成されたものであるなら、この綺麗な夜空も本物によく似た偽物であることは最初からわかっていた。だけどレオニールの言葉通りなら、彼が修復と再構築を行っているのはこの夜空と同義であるということになる。


「じゃあ、レオニールさんは今魔法障壁の修復をしていたっていうことですか?」

「そういうことだ。この紛い物の夜空そらは、もともと星空だった。だが、あの魔術師ウィザードサマが思い切り破壊こわしてくれたからな。揺らぐことのない空間の要として散らしていた俺の力が消えたおかげで、あんなまっさらな空になっちまっただけだ」


 魔術師ウィザードサマ、とは間違いなくクロノスのことを言っているのだが、私を助けるためにとった行動を責めることなど到底できないし、なんだか複雑な心境だ。それでも、どうしてか反論をしようという気にはなれなかった。

 初めの頃、レオニールは私にとって敵でしかなくて、怖がってばかりいたのに。

 今みたいに普通に会話ができるだなんて、以前の私が見たら驚くことだろう。


「じゃあ、楔っていうのは“星”のことなんですか?」

「ああ。そして俺の部屋から繋がるこの“丘”はこの巨大な空間をかたちづくる基盤であり、この空間内において俺の魔力がもっとも濃い場所だ。だからこそ、俺はこの場所を中枢と言った」

「……知らないとはいえ、そんなすごい場所に入り込んじゃったんですね、私は」


 まるで教師と生徒のように幾度も繰り返される問答の内容は、いわばこの空間のセキュリティに関するものであり、本来ならば外部の者には秘されるものなのだと思う。

 だから、純粋に疑問だった。

 どうして彼が、私にそんなことを教えてくれたのかを。


「レオニールさん」

「……なんだ」

「どうして私にこんなことを教えてくれたんですか?もちろん他言するつもりはないですし、質問したのは私ですけど、簡単に教えてしまって良かったのかなって」


 単純に理由が知りたくて口にした問いへの返答は、すぐには得られなかった。

 先程までのように淀みなく答えが返ってくると思っていたのだが、レオニールは静かな表情で私を見下ろすだけで何も答えない。そんなに答えづらい質問だっただろうかと、私はレオニールの表情を窺いながら返答を待つ。


「……中枢であるこの丘へと辿り着くためにはいくつか条件がある」

「へっ?」


 数十秒にも満たない程度の静寂の後に返ってきたのは、またもや私の予想とはかけ離れたものだった。

 レオニールは素っ頓狂な声を上げる私から視線を逸らし、さらに話を続ける。


「条件は三つあり、うち二つを満たすことで中枢への道が開かれる。俺の部屋の通路――すなわちお前も通ってきたあの階段を通ってくること。俺の血縁者であること。そして――――」


 レオニールの言葉が不自然に途切れたことに気付かないまま、私は考えを巡らせる。

 リレイバール兄妹とは血が繋がっているわけもないので血縁者という条件は潰えた。ならば満たすべき条件の一つでもあるレオニールの部屋の通路を通ったことに当て嵌まったのだろう。

 それを踏まえると、私はまだ語られていない三つ目の条件を満たしていることになるのだが――


「そして――――俺が認めた者であることだ」

「え?」


 唐突に耳に飛び込んできた台詞が、思考の淵に沈んでいた私の意識を強引に引き戻す。

 いつの間にかレオニールは私の方に視線を戻していて、私の困惑した様子を眺めながらわずかに口角を上げた。


「お前がそれに当て嵌まるとは言っていない。だが、俺の部屋の通路にはもともと認識阻害系の仕掛けが施されていてな。には絶対に見つけられないはずなんだよ」

「普通の人間にはって……どういう意味ですか?」

「思い当たることがあるだろう?お前にはあるべきものがない。それが答えだ」


 あるべきものがない。

 それに合致する答えを、私はひとつしか持っていない。


「魔力が無いから、ですか?」

「ご名答」


 私の回答に、レオニールは満足そうに笑ってみせた。


「通路にかけられた認識阻害の魔法は、魔力を持つ普通の人間からは見破られないはずのものだ。俺よりも強い力を持つ者ならばその限りではないが、この空間の主が俺である以上どうとでもなる。だが、死者でもないのに魔力が一切無い者――お前のような者には効き目がない」


 魔力が無いからこそ通り抜けることができる、という事例があることは、私が一番良く知っている。

 だからこそ、偶然とはいえ私がその仕掛けを突破できたことに対する説明はついたし、納得もした。


(だけど)


 ひとつだけ、不思議なことがある。

 術者であるレオニールは通路にかけられた仕組みを完璧に知っていたはずなのに、私というイレギュラーが存在しているにもかかわらず、一切の対策をとっていなかった。

 私が通ることができるという可能性も考えないはずがないのに。

 現に、こうして私はこの空間の弱点でもある中枢に入り込んでしまったというのに。

 どうして、そのままにしていたのだろう。


「魔力が無い私だからこそ通路の入り口を探り当てられたってことですよね?でも、前に来た時はこんなところ見つけられなかったですよ?今回はうっかり見つけちゃいましたけど……どうして、何の対策もしなかったんですか?」


 私にその気が無いにせよ、万が一のこともある。

 疑問に思ったことを素直に口にすると、レオニールは小さく息を吐いて本をぱたんと閉じた。


「……何故だろうな」


 吐息とともにこぼれ落ちた静かな呟きは、どこか独白にも近い響きを含んでいた。


「俺はウェティの世話をお前に任せていた。だからこそ、お前が俺の部屋を訪れざるを得ないことは知っていた。作業のために俺は部屋を離れたが、もしかしたらお前が中枢ここまでやってくるかもしれないという予感も確かにあった。だがな、何故か嫌悪感のようなものは無かったんだよ。自分でも不思議なことにな」


 普段とは異なる、どこか穏やかな彼の雰囲気に呑まれそうになる。

 彼の言葉に、きっと嘘は無いのだろう。

 ならば、それが示すものは。


「この場所に足を踏み入れることができたのは、ウェティを除けばお前が初めてだ。自分で認めるのも癪だが、俺が無意識の領域でお前の存在を認めていたんだろう」

「……え」

「お前の言う理由が何なのかは俺も知らねェ。だが、魔力が無い人間などお前以外に知らないし、何かの役にも立ちそうだ。妹も懐いているし、俺がここまで興味を引かれる女もそういない。そこでだ」


 レオニールはここで言葉を切り、にやりと見覚えのある笑みを浮かべてみせた。


「お前、このままここに残らねェか?」

「…………は?」


 何を言われているのかまったく理解できず、私はぽかんとした表情でレオニールを見上げた。

 レオニールは見事に思考が停止している私を楽し気に見やり、一歩私の方に近付いた。


「義賊団の一員として、ここに残ればいいと言っているんだが?」

「……私、仲間達と旅をしてるんですけど」

「俺の力があればどこにでも行ける。旅なんざお前が俺の仲間になればいつでも連れていってやるさ」

「ええー……」


 展開が急すぎてついていけない。別の意味で頭の中が混乱して考えがまとまらない。

 どうしてこうなった。


「そ、そんな急に言われても……」

「なら、特別に時間をやろう」


 私は元の世界に戻るために旅をしているし、仲間達と別れてまでここに残る理由はない。

 そう言いたかったのだけれど、レオニールが私の言葉を遮るように話し始めたためにその機会を失ってしまう。


「もうすぐ魔法障壁の修復が終わり、お前達はここから解放される。それまでに決めるといい」

「え、あ、ちょっと!」


 言うだけ言って、レオニールはくるりと踵を返して部屋とは反対方向に歩き始める。

 思わず引き留めると、彼は顔だけをこちらに振り向かせてまたにやりと笑ってみせた。


「くくっ、よく考えろよ?なあ――コトハ」


 そんな一言を残して、レオニールは今度こそ去っていってしまう。

 私はそんな彼の背を、何も言えずに呆然と見送るだけ。

 そして、立ち尽くす私の周囲には夜の静寂だけが残された。


「……戻ろ」


 これ以上ここにいても無意味だと悟った私は、ひとつため息をついてから踵を返し、来た道を引き返すことにした。

 ゆるやかな傾斜を下り、外灯の光に導かれるままレオニールの部屋をひたすらに目指す。


(そういえば、初めて名前を呼ばれたな)


 そんなことを、ぼんやり考えながら。

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