第35話


 ほどなくして戻ってきたクロノスから飲み物を受け取ると、私達はまた三人並んで歩き出した。

 幸いにも飲み物を売っている店が近かったのだ、と話すクロノスに礼を言い、私は飲み物の入ったカップに口をつける。カップを傾けて中身を口に含んでみると、柑橘系の甘酸っぱい味がした。クロノスが買ってきたのはオレンジジュースだったらしい。


(そういえば、二人とも甘いジュースの類を飲んでるとこ見たことないかも)


 コーヒーや紅茶といったちょっと大人っぽい飲み物ばかりを彼らは選んでいるような気がする。カップの見た目は同じだが、はたして中身も一緒なのだろうか、と口を開きかけた瞬間、何故かロイドと視線がかち合った。


「――っ!ど、どうしたの?」


 先程のロイドの行動を思い出し一瞬息を詰めたが、このままでは変に思われてしまいそうなので、慌てて態度を取り繕う。心臓に悪い例のやり取りのことは、強引に思考の隅に追いやった。

 それなのに、ロイドはきょとんとした表情で目を瞬かせてから、ふっと目を細めて小さく笑ってみせたのだ。それはいつもの穏やかな微笑みに違いないのだが、彼にしては珍しくどこか楽し気に映るのはどうしてだろう。


「ねえ、なんで笑うの」

「いいえ。なんでも」

「えええ……」


 彼が何故笑ったのかは、教えてくれないらしい。その話題には一切触れず、カップを口に運ぶロイドに釈然としない思いを抱く。

 とりあえず、クロノスが不在の間に起こった出来事については言及しないことにした。

 クロノスのいる前でこの話題を出すのも気が引けるし、かといってロイド本人に事の次第を聞くのも、何か違う気がしたのだ。常日頃から感じていた彼の天然タラシっぷりが表に出ただけだと思えば、なんてことはない。突然の行動に不覚にもドキドキしてしまったけれど、ロイドにとってみれば、家族や友達などの親しい間柄がするような、無意識の行動だったのかもしれない。元の世界に親しい男友達はいなかったから想像するしかないけれど、普段行動を共にする仲間であれば多少スキンシップが多めでも、そんなに気にするようなことではない――――はずだ。


(さっきみたいに甘ったるい行動をとることがあるけど、それはロイドが私に対して過保護なだけであって……って、あーもうだめだめ!何考えてるの自分!せっかく来たんだもの、今は祭りのことを考えなくちゃ)


 私はかぶりを振って無理やり思考を切り替えると、そのまま周囲に視線を走らせた。


 露店の数は相変わらず多いが、歩を進めていくにつれ、それ以外のものも目に付くようになってきていた。中央広場のある方向へ進んでいるせいだろうか。

 噴水のある中央広場周辺では毎年数多くの催し物が行われており、花祭りの間は最も賑やかな場所となるらしい。ちなみに露店が集う通りでも、旅人然とした姿の男性が美しい音楽を奏でていたり、大道芸をする集団がいたりと、規模の大小はあれどそこかしこに目を引くものがあり、こうしてただ歩いているだけでも楽しかった。


「見て、コトハちゃん。あそこでちょうど何か始まるみたいよ」


 中央広場の片隅に差し掛かった頃、クロノスが私の注意を引くように肩をつついてきた。

 見ると、そこには大掛かりな舞台装置の上に派手な衣装に身を包んだ複数人の男女がいて、彼らを囲むようにたくさんの人だかりができていた。


「ほんとだ。あれ何だろう?なんか演劇でも始まりそうな雰囲気だけど」

「毎年選りすぐりの劇団が王都に集まると聞いていますし、演劇で合っていると思いますよ。きっと実力も申し分ないのでしょう。コトハ、貴女は演劇を見たことがありますか?」

「うーん、あんまり見る機会はなかったかもしれないなあ……」


 記憶を手繰り寄せながら、ロイドの問いに答える。

 有名な劇団の名前は挙げられるものの、実際に演劇を見に行った経験は無いに等しい。あるとすれば、テーマパークのショーくらいか。

 そのことを伝えれば、通りすがったのも何かの縁だしせっかくだから観劇していこうということになった。


 舞台装置の周囲には簡易的な客席が設けられていたが、観客の数が多いのか席はほぼ埋まりかけていた。

 こういった見世物の類はチケット購入が必須なのではないかと勝手に思っていたのだけれど、どうやら時と場合によるようだ。今回のそれは移動演劇であり、演目も花祭り専用のものとなっている。そのため、今回は所謂いわゆるおひねり制となっているらしかった。

 席が無くならないうちに、と私達は奇跡的に空いていた木製の椅子へと並んで腰かける。

 それから数分も経たずに、ぱっと舞台の照明が落ちた。

 次いで、舞台上に語り部役と思しき仮面の男が古びた本を片手に現れ、スポットライトに照らされながら恭しくお辞儀をした。


「本日我らが奏でるは、女神に祝福されし創世の詩にございます。時空ときの針を過去へと巻き戻し、皆様を美しい物語の世界へといざないましょう――」


 朗々と歌うように告げられた口上とともに、いよいよ演劇が始まった。


 演劇の内容は、女神への感謝を込めた花祭りのテーマに沿ったもので、創世神話とヴィシャール王国建国の物語をベースにしたものだった。


* * * * * *


 ――はじまりは、太古の昔。

 後に始皇帝とうたわれる原初の帝王は、この世界で最初に国を興した人物である。

 始皇帝はとても賢く、力ですべてを捻じ伏せることなく、世界に生きるさまざまな生命いのちをたった一人で統べていた。けれど彼もまた、世界に生きるひとつの生命いのちであるがゆえに自然の摂理には逆らえず、やがて人としての寿命おわりを迎えることとなる。

 始皇帝が永逝えいせいすると、世界は秩序を保つため次の王を選定しようとした。唯一の王であった彼を失うことは世界にとって大きな痛手であり、よってその判断は確かに正しいように思われたが、同時にそれは大きな間違いでもあった。世界に多くの生命が息づいていたとしても、まったく同じ存在などどこにもいないのだということを、神々は失念していたのである。

 そのことを彼らが再認識するのは、始皇帝が治めた国が崩壊し、世界に散ったあらゆる存在があっという間に大小さまざまな国を創り上げた後であった。


 そうして、多くの国が歴史を刻み始めた頃。

 変わりゆく世界を一目見ようと、神の一柱である女神イルフィナが人間の住まう地へと降り立った。

 そこは確かに人間の住む土地だったが、発展途上であったため、未だ国として機能するまでには至っておらず、いさかいや小競り合いなどもたびたびみられていた。けれど彼の女神はそれすらもまた、生命いのちの営みであると大変興味深く見ていたらしい。

 女神は、自分の好奇心が満足するまで人間の住まう地を見て回ることにした。神としての立場から、むやみに人間に関わってはならないと判断していたため、彼女はさながら傍観者のような立ち位置で、ただひたすらに見守り続けていた。


 そんなある時のこと。

 偶然か必然か、あるいはそれ以外の何かか――女神は、一人の人間の男と出会ってしまう。

 それは、ぼろぼろの外套を羽織り、必要最低限の荷物だけを背負って世界中を旅し続けていた流浪の男であった。男は特別信心深いわけでも、何か特別な力を持っているわけでもない、いたって普通の人間でしかなかったけれど、彼が顕現していなかった女神の姿を認め、声をかけてしまったことから交流は始まった。


 男は初めて見る女神の姿に驚きながらも、純粋な知識欲から。

 女神は初めて自分を視認した人間の存在に、純粋な興味を抱いたから。

 似通った理由から、彼らは互いに興味を引かれていた。男は旅の中で培った経験や知識を女神に話して聞かせ、女神は対価として自身の持つ知識の一部分を男に分け与えた。その礼として、与える影響の大きさから顕現することの叶わない女神のために、男は人間の食べ物や書物を持ってきては彼女に捧げ、自分の持つすべてを惜しみなく語り、互いに同じ時を過ごしていった。

 交流を続けていくにつれ、彼らの間には徐々に信頼関係が構築されていく。そこに少しずつ別の親密さが加わっていくのに、そう時間はかからなかった。


 ――いくら互いに惹かれ合っていても、所詮は人間と神。

 相容れない存在ゆえに、幸せな時間は脆くも崩れ去ってしまうのである。


 流浪の男との穏やかな時間を享受していた女神は、想い人のため、世界に干渉しすぎてはならないという神のことわりを自らの意志で破ってしまう。遠くない未来にいつか必ずやってくる流浪の男との別れから目を背けたかった女神は、一時的に神としての自分を捨て、人間の姿をとることにした。


 男の目の前で、女神が顕現し、人間の姿をとる。

 その瞬間を、他の人間に見られてしまったのだ。


 女神が彼の地に顕現したという話は瞬く間に広まり、人間は彼女の力――神の恵みを求めた。そして流浪の男には、妬み嫉みといった負の感情が向けられた。女神との橋渡しを望む者、傲慢にも女神の寵愛は自分にこそふさわしいと考える者――多くの者が、言葉で、力で、流浪の男を傷付けた。

 女神は男が傷つけられたことに腹を立て、人間に力を貸す気はないと、愚か者達の願いを跳ね除けた。

 その言葉を聞いた愚か者達は、自分達の願いが叶わないと知ると、今度は手の平を返したように女神を責め立てた。愛しき子らを見放す神は悪しき神であると吹聴するとともに、流浪の男を邪神に唆された者として迫害し、さらに危害を加えようとした。


 目に余る人間の行為に、女神は激怒した。愚かな人間などこの世界にいらぬと、神の力を用いて彼の地もろとも人間を消してしまおうとした。

 けれどもそれを止めたのは、他ならぬ流浪の男であった。


 人間の愚かな行いをどうか許してほしい。人間のことをどうか誤解しないでほしい。一部の愚か者のために、すべての人間の可能性を潰さないでほしい。自分はただの旅人でしかないが、多くの人間をこの目で見てきた。中には冷たい心の持ち主もいるけれど、互いを想い合い、支え合い、大切にできるような心優しい者も多く存在しているのだということを、どうか忘れないでほしい。


 女神の足元にひざまずいて滔々とうとうと語る男に、女神は問うた。

 ――ならば女神わたしはどうすればいい、と。


 男は答える。

 ――信じて、見守っていてほしい。自分がきっと変えてみせるから、と。


 男の真摯な言葉に、女神は怒りを収めた。男の言葉を信じ、彼にこの地を任せることとした。

 それが、一人と一柱の別離わかれを決定づけるものだったとしても。

 彼女は神として、男の願いを聞き届け、人間をゆるしたのだ。


 最後の日の夜。

 女神と流浪の男は、満点の空の下、最初で最後となるであろう杯を交わした。

 男は杯に誓う。この場所をはじまりの地とし、よりよい場所となるよう尽力することを。二度と会うことは叶わなくても、自分の心が想うのはいつまでも貴女だけであるということを。

 女神は彼の心に応える形で、人間の営みをずっと見守っていくことを名言した。

 

 ――そうして、女神が世界から去った後。

 女神への宣言通り、流浪の男は長い間多くのことに尽力し、発展途上であった彼の地を国としてまとめ上げることに成功した。彼は心優しく人格者であったため、争いを好まず、生涯穏やかな政治を行っていたという。



 それは愛しくも哀しい、人間と神の物語。 

 ヴィシャール王国初代国王と女神イルフィナの、悲恋の物語である。


* * * * * *


「…………」


 盛大な拍手と歓声に包まれる中、舞台の幕が下りる。

 今の今まで、完全にお芝居の世界に浸りきっていた。私の語彙力だと、とにかくすごかったとしか言いようがない。それくらい、今回の演劇は素晴らしいものだった。

 劇団の中に魔法を使える者がいるのだろう。話の構成や台詞回しだけでなく、場面に合わせて魔法による手の込んだ演出がなされており、より一層お芝居の世界に入り込むことができたように思える。


「お芝居すごかったねー……なんていうか、圧倒されちゃった」


 演劇が終了し、舞台の前に出演者達がそれぞれ籠を片手に現れる。観劇料代わりのおひねりを渡すため席を立つ者が出始めた頃、私は隣に座るロイドに話しかけた。


「女神様と男の人……初代国王様だったっけ?あの二人が恋に落ちたあたりはすごくドキドキしたのに、結局くっつかなかったじゃん?なんだか切ない終わり方だったよね……あのまま二人が幸せになれる道はなかったのかなー」

「……どうでしょうか。彼らは神と人間でしたからね。いつかは別れなくてはならない時がきたと思いますが…………コトハは、立場が違う二人でも、幸せになれると思いますか?」

「当然だよ!種族や立場が違ったって、お互いが想い合っていれば幸せになれると思う!」


 ロイドの問いに、私は即答した。私自身はまだちゃんと恋を知らないけれど、両想いなのであれば幸せになれるのではないだろうか。もしも二人を取り巻く環境がそれを許さなくても、幸せになる権利は誰にでもあるのではないかと私は思う。


(少女漫画の読みすぎと言われればそれまでだけどさ。うーん、少し子供っぽい意見だったかなあ)


 そんな心配をしながらロイドの表情を窺うと、彼は何故か眩しいものを見るような目で私を見ていた。

 目が合うと、ロイドは「本当に貴女は可愛らしい」と嬉しそうに微笑んだ。いったいいきなり何だというのだろう。そういうのは照れるからぜひともやめてほしい。


「あー……私達もお金払ってこなくちゃね」

「そうですね。私が三人分払ってきますので、コトハはこのままこちらでお待ちください」

「うん、ありがとー」


 照れ隠しに話を逸らすと、あっさりとそれに乗ってくれたので内心ほっとする。

 席を離れたロイドが向かった先はかなり混み合っていて、すぐには戻って来れないような気がするが大丈夫だろうか。


(あれ、そういえばクロノスがさっきから話に乗ってこないな)


 普段ならば率先して会話に入ってくるのにどうしたのだろう。とりあえず声をかけてみようか。


「クロノス、ロイドがお金払ってきてくれるって――――」


 勢いのままクロノスの方を振り向くも、すぐに言葉を続けることはできなかった。

 舞台の方向に顔を向けてはいるものの、まるで何も見ていないような――そんなぼんやりとした表情で、彼はそこに座っていた。まるで遠くを見るような、何とも言えない静かな表情は、初めて王都を訪れた日にクロノスが見せたそれと似ているような気がした。


「クロノス」


 思わず名を呼び服を軽く引っ張ると、クロノスは私の方に視線をちらりと寄越し、静かに目を伏せた。


「ねえ、コトハちゃん」

「……なに?」

「時間の流れというものは、本当に残酷だと思わない?」

「……どういうこと?」


 唐突な質問の意味が分からず問い返せば、そっと目を開いたクロノスがゆっくりと言葉を紡ぐ。


「このお芝居に出てきた神と人間ひとのように、異なる存在であっても流れる時間ときは同じ。でも、正確に言えば同じではないのよね」

「う、うん……?」


 クロノスが何を言いたいのか理解できないまま、曖昧に相槌を打つ。クロノスはそんな私に構わず話を続けた。


「この王都の街並みひとつ取ってもそう。どれほど年月が経過しても、街並み自体は昔の美しさと気高さを保ったまま。この場所が古都と呼ばれるほどになった今でさえ、時間はどんどん過ぎ去っていくの」

「…………」

「時間はただ流れゆくのに、今も昔も、人の営みは変わらない。置いていくモノと、置いていかれるモノ。それらの存在があったとしても。過去に生きた人間が、次の世代へ生命いのちを繋いでいく」


 一度言葉を切り、クロノスは少し迷うように息を吐いてから、ぽつりと呟いた。


「アタシにはそれが――少し、羨ましいわ」


 何かに思いを馳せるような声音に、私はたまらずクロノスの服を無言で引いた。

 クロノスの言葉の意味も理由も何もかもがわからないままだけれど、どこか切なさを湛えた瞳を前に咄嗟に身体が動いたのだ。私に服を掴まれたクロノスは、最初は虚を突かれたような表情を浮かべていたけれど、やがて頭を振って苦く笑ってみせた。


「ごめんなさいね、いきなりこんな話して。忘れてちょうだい」

「……何がなんだかよくわからないけど……クロノスが何か悩んでるっぽいのはわかった。だから、忘れないよ」

「コトハちゃん……」

「無理にとは言わないけど、何かあったら相談してね。相談するだけでも気持ちが軽くなることだってあるし。微力ながらも力になるからさ」


 言いながら、私は服の中をごそごそと探り、取り出したものを両手に乗せてクロノスに差し出した。


「はい、これ」

「これは……白鳩の尾羽?」


 私の手の平の上には、白鳩の尾羽が一枚乗せられている。

 クロノス本人が落としたものではなく、私自身が手に取ったものだ。


「私ので申し訳ないんだけどね。これ、クロノスにあげる」

「でも、これはコトハちゃんのものでしょう?」

「私のはもう一枚あるから大丈夫!それに、これが幸運のお守りだって言うのなら、クロノスに元気を運んできてくれないかなーって思ってさ。クロノスは一度いらないって言ってたものだし、あまり良いプレゼントじゃないかもしれないけど……私があげられるものってあんまりなくって。こっちは地面に落ちてない方だから、よかったら受け取って?」


 そう言ってもう一度両手を差し出せば、クロノスは数回目を瞬かせてからゆっくりとした動作で白鳩の尾羽を受け取ってくれた。白鳩の尾羽を手にする直前の「あの後拾ってたのね」という呟きは聞こえないふりをする。


「ありがとう」


 白鳩の尾羽をじっと眺めてから、私に向かって嬉しそうに笑うクロノスに、先程までの雰囲気は一切感じられない。そのことに安堵しつつ、私も「どういたしまして」と小さく笑みを返したのだった。


 ――直後、白鳩の尾羽に唇を寄せ、こちらに流し目を送るクロノスを目の当たりにして思わず硬直してしまうということもあったけれど。

 大切にするわ、と優しい笑みで頭を撫でられてしまえば、私はいろいろな意味でそれ以上何も言うことができなかった。

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