第34話


 花舞う都に、鐘の音色が響き渡る。

 王城と同程度の古さと価値を持つ、荘厳な時計塔の鐘の音だ。時計塔は魔力で制御されており、大時計の針が定められた時間を指し示すたび、その下に設置された大鐘が美しい音色を響かせる仕掛けになっている。大鐘が鳴るのは、一日のうち二回のみ。十二時と十八時の、昼と夜だけだ。

 今まさに鳴り響いている澄んだ音色は、昼を告げるものである。だが、今日に限ってはそれだけではない。

 この時計塔の鐘の音を合図に、花祭りが始まるのだ。


「……すごい」


 私達は今、時計塔の真下で他の観光客同様に時計塔を見上げていた。

 上空から降り続く無数の花びらの雨が、晴れ渡った青空を彩っている。夕暮れに染まる王都も美しかったが、快晴の空のもと改めて見た光景もやはり格別だった。花祭りという特別な催しのためか、商店や民家といった建物から街灯に至るまで、どこを見渡しても華やかな飾り付けがなされている。心なしか王都全体も浮足立っているように見えた。

 時計塔の鐘が、ひとすじの余韻を残して鳴り終わる。同時に、どこからか現れた真っ白な鳩の群れが時計塔から飛び立った。青空へと放たれた無数の白鳩は、羽を舞い散らしながら遠くへ飛び去って行く。周囲の観光客はサクラの花弁とともに降ってくる白い羽に歓声を上げ、それを手に入れようと躍起になっているようだった。不思議に思いながら上を見上げると、偶然にも自分の真上に羽が落ちてきそうだったので、周囲に倣って手を伸ばして捕まえてみる。手に取った羽には汚れ一つなく、裏表と引っ繰り返して眺めてみても特に変わったところはない。この白い羽に何かあるのだろうか――そう思い、私はロイドに聞いてみることにした。


「ねえロイド、みんなこの羽を手に入れたがってるようだけど、何かあるの?」

「“白鳩の尾羽”のことでしたら、そうですね。花祭りの一種の名物のようなものなので、皆が欲しがるのも無理はありません。時計塔に仕掛けられた古い魔法が発動するとあのように白鳩が出現し、羽を散らすのです。白鳩は平和の象徴であり、時計塔から出現するものについては女神イルフィナが花祭りの開催を許可ゆるした証であると伝わっています。ですから、白鳩の尾羽は幸運のお守りとされているのだそうですよ」

「へえ……幸運のお守りかあ。なんだか得した気分だね。私の世界でも鳩は平和の象徴みたいなところあったような気がするし、ちょっとだけ親近感湧いたかも。あっ、あとさ、女神イルフィナって?」

「この王国くにを守護する女神サマのことよ」


 ロイドが口を開く前に、クロノスがさらりと答える。その言葉にクロノスの方を見やれば、彼も私と同じように手にした白い羽を自身の目の前に掲げ、指でくるくると弄んでいた。


「守護神のようなものかしら。この王国の女神信仰については説明が面倒だから省くけれど、教会に行けば彼女の像があるはずよ」


 機会があったら見てみてもいいかもね、と微笑むと、クロノスは白い羽から手を離した。

 あ、と私が声を上げる暇も無く、白い羽はひらりと風に舞い、少し離れた地面に着地する。


「クロノス。羽落ちちゃったけど、いらないの?幸運のお守りなんでしょ?」

「いいのいいの!アタシはもう何度もこの祭りを経験してるもの、今回は欲しい人に譲ることにしたの。気にしない気にしない」

「そうなんだ……」


 クロノスは笑顔でそう口にするものの、本当にそれで良いのだろうか。

 なんとなく後ろ髪を引かれる思いで、地に落ちた白い羽をぼんやり眺める。観光客は既に四方八方に散り始めており、私達のように時計塔の下で立ち止まっている者は少ない。そのせいか、クロノスが手放した白い羽は未だ他の誰かの手に渡ることなくそこにある。しかし、きっとそれも時間の問題だろう。


「さっ、そろそろ行きましょ!祭りはもう始まっているわ」

「そうですね。コトハ、行きましょう」

「えっ、う、うん。そうだね」


 クロノスの言葉にロイドが頷き、私は二人に促されるままゆっくりと歩き出した。

 けれどその足取りは何故か重く、私は数歩も進まないうちに立ち止まってしまう。


(クロノスは、あの羽のこといらないって言ったけど……)


 幸い、ロイドとクロノスは花祭りの道順について話しており、私が立ち止まっていることにまだ気付いていない。


(……よし)


 私は二人に気付かれないよう静かに踵を返すと、小走りで元来た道を戻り、地面に置き去りにされたままの白い羽をそっと拾い上げた。そして先を歩くロイドとクロノスの元へ素早く戻り、何食わぬ顔で二人の後ろを歩き始める。


「コトハ」

「っ!」


 二人に追いついた直後、ロイドがこちらを振り向いた。

 私はこっそりクロノスが落とした白い羽を拾っただけで別に悪いことなどしていない。していないのだが、少しだけ心臓に悪かった。


「な、なに?」

「思うのですが、私がクロノスと話をしているからといってわざわざ後ろを歩かなくてもよろしいのでは?」

「ああ……だって混雑したところで三人横に並んじゃうと邪魔になるでしょ。それに二人の方が道とか詳しいしさ」


 二人で行動していたり、比較的人が少ない場所だったりするならば、横並びになっていてもこれといった問題は発生しないだろう。だが、人が多く行き交う場面での横一列というのは、通行の妨げとなってしまう可能性が高い。それならば、私よりも地理に詳しい二人が先導したほうがよいのではないか。

 だいたいそんな感じのことを説明してみると、ロイドは困ったように微笑んで首を横に振った。


「別にかまいません。コトハはできるだけ私の目の届くところにいてください。邪魔になるというなら、クロノスに後ろを歩かせればよいのです」

「ちょっとロイド!アタシだけ仲間外れにしないでちょうだい!……まあ、アタシが後ろを歩いてたほうがコトハちゃんも迷子にはならないでしょうけれど……」


 ぶつぶつ文句を言いながらも、歩く速度を落として私の隣にやってきたところを見るに、クロノスはロイドの意見に反論するつもりはないようだ。


「ほらコトハちゃん、アナタの騎士ナイトが心配しているわ」

「心配って……私別に迷子になるつもりないよ?そこまで子供じゃないんだし」

「ふふっ、そうは言ってもね?もしも、があるのよ。アナタ一人後ろを歩かせちゃ、何かあっても気付けないもの。まあ、無理にロイドのところへ行かなくても、このままアタシと歩いてくれててもいいのだけどねェ?」

「えー、どうしよっかなー……」

「コトハ……」


 苦笑するロイドを尻目に、茶目っ気たっぷりに片目を瞑るクロノスへ曖昧な笑みを返しつつ、私は服の中に隠した二枚の白い羽に思いを馳せる。

 一枚は私が手に入れたもので、そしてもう一枚はクロノスが手放したものだ。

 クロノスが不要だと言うなら、別に私が拾わずともよかったのだろう。だが、何故かそれではいけないと思ったから、拾った。理由など、それだけだ。


(――白い羽を見つめるクロノスの瞳が、少し寂しそうに見えた……なんて。気のせいだよね?)


* * * * * *


 行き交う人々の騒めく声に、雑踏の音。たくさんの音を掻き消すような軽快な音楽が風に乗って届き、道端にずらりと並んだ露店からは威勢のいい呼び込みの声が引っ切り無しに飛び交っている。ざっと見渡しただけでも、服飾や雑貨、食べ物など店の種類は豊富だ。食べ物関係の店の前を通り過ぎると何やらおいしそうな匂いが漂ってきて、花祭りの高揚感ですっかりと忘れていた食欲が刺激される。身体は本当に正直だと思った。


「そういえばお昼食べてなかったね」

「昼食を摂る前に宿を出ましたからね。せっかくですから、何か食べましょうか」

「うん!そうしよ!」

「ふふっ、じゃああっちに行きましょ」


 楽しげに笑うクロノスが指差したのは、食べ物関係の露店が連なる場所の一角だった。

 その中から最も人が集まっている店を選び、行列に並びながらメニューボードに視線を投じる。匂いや他の客が購入したものなどから軽食の店なのだろうと判断していたが、意外にもメニューは豊富であるらしい。

 クロノス曰く、ここは毎年人気の店で、味付け肉を挟んだサンドイッチが看板商品なのだそうだ。毎年人気が出るならさぞかしおいしいのだろうと思い、私はそのサンドイッチを注文してみることにした。他の二人も、私と同じものにするらしい。

 店主らしき壮年の男性に声をかけ、人数分のサンドイッチを注文すると、ほとんど待つことなく品物が出てきた。


「あいよ、お嬢ちゃん。こっちは熱いから気を付けな」

「あ、ありがとうございます」

「まいどあり!あんたたちにも女神イルフィナの加護がありますように!」

「え……?」


 品物を受け取った直後、聞き慣れない台詞が笑顔の店主の口から滑り落ちてきて、私は目を瞬かせた。

 店主は私が戸惑っていることに気が付いたのか「知らないのか?」とわざわざ教えてくれた。

 女神イルフィナの加護がありますように――これは花祭り恒例の挨拶のようなものらしい。元々は女神への感謝を忘れないために作られたもので、祭り期間中は耳にする機会も多いだろうとのことだった。

 話好きの店主はまだまだ語りたそうにしていたが、行列が先程よりも長くなってきたこともあり、私はお礼と教わったばかりの挨拶を返してその場を離れた。


 露店の周囲には休憩用のベンチが等間隔に並んでいたが、ちょうど昼時のためか生憎どこも空いていなかった。噴水のある中央広場まで出れば休憩所はたくさんあるそうだが、この混雑具合では無駄足になってしまうことも考えられるし、別にいいと断った。

 元の世界で友達や家族と外出した際は、買い食いをすることなど日常茶飯事であったし、多少行儀が悪くても気にしない。


 手に持った白い包み紙を開けると、香ばしい匂いが鼻をくすぐった。

 パンに挟まった大きな肉には赤茶色のソースがたっぷりと絡み、周囲の野菜にもうっすら別のソースがかかっている。私は小さくいただきますと呟いてから、サンドイッチにかぶりついた。


「……うん、おいしい!」


 思わず顔を綻ばせる。濃い目の味付けだが、さっぱりとした生野菜と相まって何とも癖になる味だ。


「このサンドイッチ、評判通りおいしいね」

「そうですね。私も初めて食べましたが、おいしいです」

「あら、ロイドもこれ初めてだったの?アタシは五回目くらいかしらねェ……あっ、コトハちゃんソースが零れそうよ?」

「わっ、ほんとだ!やばい!」


 クロノスに指摘され、私は慌てて今にもソースが零れそうな箇所をぱくりと食べた。手がソース塗れにならなくてよかったとほっとしつつ、口腔内の食べ物を一生懸命咀嚼する。

 もぐもぐと忙しなく口を動かしながらふとロイドとクロノスに視線を移すと、彼らは歩きながらだというのにとても上品な食べ方をしている。私のようにソースを零しそうになることなど絶対に無いだろうと思わせるようなスマートさがあり、なんだかずるいと思ってしまった。


(やっぱり座って食べた方がよかったかな……)


 先程の自分の判断をほんの少し後悔しつつ、私は口の中の物をごくんと飲み込んだ。

 しかし、食べることに集中していなかった私は飲み込みに若干失敗してしまったらしく、激しく咳き込んでしまう。


「大丈夫ですか!?」

「あらあら、大丈夫?」


 その場に立ち止まり口元を押さえて咳き込んでいると、ロイドとクロノスが心配してくれた。既に自分のぶんを食べ終えたクロノスが私の背中をさすってくれたので、私は途切れ途切れに大丈夫だと答え、咳が落ち着くのを待つ。

 むせるとやっぱり苦しいな、などと頭の隅で考えているうちに、少しずつ呼吸が整ってくる。

 ゆっくりと深呼吸しながら目に浮かんだ涙を拭うと、クロノスが私の背から手を離した。


「ロイド、アナタはコトハちゃんを見ていてちょうだい。アタシ近くで飲み物買ってくるわ」

「わかりました。コトハ、少し端へ寄りましょう」

「ご、ごめん……二人ともありがと」


 ロイドが私の背に手を当てて人の波から逃れるよう誘導する。

 クロノスはお礼の言葉を口にする私に手をひらひらさせてから、人ごみに紛れていった。


「けほっ……ごめんね、手間かけて」


 道の端に寄りながら、私は近い距離にいるロイドを見上げた。


「いいえ、手間なんてことはありません。私はコトハが心配なだけですから。それはきっとクロノスも同じなのでしょう……それよりも、本当に大丈夫ですか?まだ苦しいですか?」

「ん、さっきよりはだいぶマシになったよ。ありがとね」

「それならば良かったです。しかし、まだ無理はなさらないでくださいね」


 ロイドが労わるような手つきで背中をさすってくれる。

 仲間二人が心配してくれて嬉しいやら申し訳ないやら恥ずかしいやら――いろいろな想いが混ざり合う。だけど、おかげで随分良くなった感じがする。ロイドとクロノスに感謝感謝だ。


「ロイド、もう良くなったから止めていいよ。ありがと」


 私が笑みを向けると、ロイドはすぐに手を引っ込めた。

 私はロイドが手を離したことを確認すると、片手に持ったままだったサンドイッチに視線を落とす。


「さっきはむせちゃったけど、サンドイッチもちゃんと全部食べ切らなきゃね」

「クロノスが飲み物を買ってくるまで待ちますか?」

「んー……そうだね、待とうかな。ああでも、このへんだけ少し食べとく」


 先程の騒動で手に力が入ったせいかサンドイッチ全体が軽く潰れており、またもやソースが零れそうな箇所がある。むせ込んだ直後だし水分も無いので、ソースの部分だけ小さく齧り取ることにした。

 サンドイッチはあと半分ほど残っているが、それは飲み物と一緒に食べることにして、今は口に含んだぶんだけを黙々と咀嚼する。

 そんな時、ロイドがふいに私の名前を呼んだ。


「……コトハ」

「んー?」

「すみません。少し、動かないで」


 言うが否や、ロイドは私の顔に手を当てて自分の方に向けさせた。目の前にいきなりロイドの顔が現れたことにより、私の表情筋は一瞬にして固まった。唐突過ぎて何がしたいのか理解できず、動こうにも動けない。口の中に食べ物が入っているため、満足に話すこともできない。

 私が硬直している間に、ロイドはもう片方の手を伸ばし、私の唇の端を指で拭っていった。


(っ!?)


 驚きに目を見開く私の視線の先で、ロイドはにっこりと微笑みを浮かべる。


「口にソースが付いていました」


 そう言って私から離れると、ロイドはソースのついた指をぺろりと舐めた。


 ――先程、私の唇の端を拭った、指を。


(え……えええええええええっ!?)


 目の前の出来事を認識したと同時に、私の顔は一瞬にして朱に染まる。

 先程むせたことも忘れて急いで口の中の物を飲み込んだが、言葉など出てこない。


(ねえ、そういうお約束っぽいことやめよう!?ほんと、やめよう!?)


 本当に、この人は心臓に悪いことばかりする。

 それも本当に自然な流れでやるものだから、質が悪い。

 動揺から、またむせてしまいそうだ。


「やはり、おいしいですね」

「――っ!」


(追い打ちやめて!!!)


 羞恥心から、私はロイドから視線を背けた。

 心の叫びは、やっぱり言葉にならない。


「あ、あの、ありがと……えっと、今のって、だいぶ恥ずかしいんだけど……」

「申し訳ありません。貴女自身に取っていただこうかとも思ったのですが……何故か、貴女に触れたくなりまして」

「そ、そっかあ……」


 できれば教えて欲しかった、とは言わないでおく。

 後半の台詞も気になるものの、これ以上踏み込んではいけないような気がしたので、私は考えることを止めた。


(――クロノス、早く戻ってこないかな!)


 早く空気を入れ替えたい。ここは外だけれど。

 そんなことを考えながら、私はクロノスが戻ってくるまでの間、雑踏を眺めて頬の火照りを冷ますのだった。


 ――花祭りは、まだまだ始まったばかり。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る