第36話
演劇を見終わった後は、自分達の気の向くまま自由に散策することにした。
王都イレニアで開催される花祭りはたった一日では終わらず、何日も続く。祭典としての規模もかなり大きく、すべてを回り切るには一日では足りない。観光客を飽きさせないよう日替わりのものも多数みられるため、とてもではないが回り切ることができないのだ。
私達も、今日中にすべてを見て回ろうだなんて
――ただ、目的地へ向かうのが多少遅れるだけで。
「あっ、見て見て!あそこで何か演奏してる!」
賑やかな通りの一角から、風に乗って美しい音色が聴こえてくる。
アイリッシュ風やケルト風とでも表現すればいいだろうか。バグパイプに似た楽器の音色が、祭りの雰囲気をさらに盛り上げ、心を浮足立たせる。
見れば、楽器を演奏する男達の前に真っ赤な衣装に身を包んだ美しい女性がいて、リズミカルな音楽と手拍子に合わせて踊っているようだった。
「ねっ、ちょっと聴いていこうよ!」
「っ、はい」
思わず気分が高揚し、そちらに駆け出したくなるのを堪えながら、私はロイドの服の袖を引っ張った。
ロイドは私の唐突な行動に驚いたのか一瞬息を詰めていたけれど、すぐに微笑んで、されるがままについてきてくれる。
「ほらっ、クロノスも!」
「ふふっ、はいはい」
やや遅れ気味に歩いていたクロノスにも声をかけ片手で手招きすると、彼はくすくすと笑いながら私達の後を追ってくる。彼のその笑い声の中には、何か微笑ましいとかそういう類の感情が見受けられる気がするものの、敢えて気にしないでおく。
(これはそう、祭りの陽気に誘われただけだから!テンションが上がっちゃうのも仕方ないことだよ!……子供っぽくなんかないはずだよね、うん!)
言い訳じみた台詞を内心呟いて自分を正当化しつつ、私はロイドの服を引いたまま、華やかに舞う踊り子と演奏者のいる方向へ真っ直ぐ進んで行く。
問題は見る場所だが、私には人だかりを掻き分けてまで前に出る勇気など無かったので、比較的視界を確保しやすい場所を探して落ち着くことにした。
「わあ……あの踊り子さん、すっごく綺麗な人だね」
見目麗しい踊り子の動きに合わせて、赤い花びらのようなドレスが翻る。身に着けているものはすべて鮮やかな赤色で統一されていて、多くの人の視線を集めながら舞い踊る彼女はまるで咲き誇る大輪の花のよう。同性から見ても美人と思える
「妖艶って表現すればいいのかな?それともエキゾチックって言うべきかな?よくわかんないけど美人さんだよね?」
周囲の人々に合わせて手拍子を打ちながら、私は傍らに立つロイドとクロノスを見上げる。
「そうねェ……どうかしら。コトハちゃんの感じた通りでいいと思うけれど」
「ええー、なんかその答え方ずるい……」
「ふふっ、人の好みは千差万別だもの。それにアタシは自分が欲しいと思ったものを愛でる主義なのよねェ……ああ、
「それ私に聞いちゃうの!?本人の前で答えるのなんか恥ずかしいんだけど……ねえねえ、ロイドはどう思う?」
おどけたように片目を瞑るクロノスの発言を聞き流し、私はロイドに話を振ってみることにした。
するとロイドは困ったような表情で軽く首を傾げてみせる。
「さあ、どうでしょうか……困りましたね。私は人の美醜にあまりこだわりがありませんので」
「えっ、そうなの?ロイドもクロノスと似たようなこと言うんだね。あの人、あんなに綺麗なのに」
「これだけの観客を集められるのですから、世間一般ではそうなのでしょう。しかし私は外見の美醜で判断するより、内面に重きを置くべきだと思っていますから」
「ふうん、二人とも外見より中身派かぁ……」
相槌を打ちながら、考える。
確かに、好みというものは本当に人それぞれだ。どこを見て、どこに重きを置くかはすべて自由であり、尊重されるべきものである。二人が人を選ぶ基準は、揃って内面なのだろう。
(イケメンは中身までもイケメンってやつだろうか……内面を抜きにしても、二人とも文句なしに美形なんだよねえ)
そんな風に考える私も、どちらかと言えば内面を重視するタイプだと思う。
クラスメイトや家族以外の異性と関わることもほとんどなかった私だが、正直ロイドとクロノスはいろいろと規格外の人物だといえる。外見にしても、内面にしても。
元の世界では絶対に巡り合うことができなかった二人だからこそ、今こうして一緒に花祭りを楽しんでいること自体奇跡に近いのだが、もしも彼らの優しさがなかったら、異世界の人間というよくわからない存在などとうに捨て置かれているはずだ。二人にはいつも助けられているし、心からありがたいと思っている。
(それはそうとして、私の好みって何なんだろう)
どんな人が好みなのだろう。好きなものはたくさんあるのに、好きな人だけはまだいない。
好きな人や憧れの人について語る友人達の話を聞くのは楽しかったし、恋愛の話をする彼女らの表情は皆キラキラと輝いていて、とてもかわいいと思えた。本や映画の世界をドキドキしながら眺めるのも大好きだった。
(中身を重視するのはいいとして、私がいつか好きになる人はどんな人なんだろうな)
――おかしい、思考がどんどん脱線してきた気がする。
そもそもこれは恋愛の話でなく、単純な好みの話だったはずだ。たぶん。
(す、好きな人、とかはとりあえず横に置いとこう!私にはまだ先の話だと思うしさ!だってここは、異世界なんだし)
そういえば、MMORPG【レヴァースティア】で“ロイド”という男性キャラクターを作るとき、私は自分の好みをこれでもかというくらい詰め込んだ。二次元の男性キャラクターに対して、私が素敵だと感じるものを、すべて。
しかしこの世界のロイドは、二次元のキャラクターなどではなく、異世界という現実を生きる人間だ。
(それでも、もし。もしもだよ?ロイドをキャラクターメイクの例に当て嵌めてみたとしたら?本人とゲーム内のキャラクターが必ずしも同一の存在であるとは言えないけど、外見だけに限定してしまうなら、もしかして私の異性の趣味って――――――)
あと一歩で、何かの答えに辿り着いてしまいそう。
しかしその直前、大きな歓声が私の耳を震わせ、思考は強引に中断されてしまう。
はっとして周囲をきょろきょろと見回すと、大きな拍手に包まれながら奏者の男達と踊り子が頭を下げているのが見えた。
(うわ、やっちゃった!出し物の最中だったのに!)
考え事をしていたせいで、最後の方は全然見ていなかった。
せっかくの機会だったのに、いったい自分は何をしているのだろう。
(最悪だ……それに私ったらなんて恥ずかしいことを考えてたんだろう。ダメだ、忘れよう)
拍手を送りながら、私はこっそりとため息を吐く。
意識を飛ばしている間うっかり変なことを口走っていないか確認したくとも、自分で見たいと誘った手前、後半まったく見ていなかったとは言えず、仕方なく口をつぐむ。
代わりに、私は二人を見上げ別の話題を振った。
「ねえ、これももちろんお金払わなきゃいけないはずだよね?払うなら、私行ってきてもいい?」
「それはもちろんかまいませんよ。お代はこちらをお渡しください」
「ありがとう!」
私はロイドから銅貨を十枚ほど受け取ると、他の客と同様に支払いの列に並んだ。
踊り子も奏者の男達も、握手や言葉を求める客に愛想良く対応しているため、これは時間がかかってしまうかもしれないとも思ったが、意外にもスムーズに列は進んでいく。彼らは客のさばき方が上手いのかもしれないな、と頭の隅で考え始めた頃、自分の順番が回ってきた。
踊り子が差し出す籠に、代金を入れる。すると彼女は、私に向かって大輪の花のような笑みを向けてきた。
「ありがとう、お嬢さん。あたしの踊りはどうだった?」
「踊りもお姉さんもすごく綺麗でしたよ!」
「ふふ、ありがとう。そう言ってもらえるとあたしも嬉しいよ。ところで、お嬢さんはもう
「華?準備?」
見目の良い男、とはロイドとクロノスのことだろうか。観客のすぐ近くで踊っていたし、その場にどんな人物がいたのかはある程度見えていたのかもしれない。
それよりも、華とは何のことなのだろう。絶え間なく降り続いているこのサクラのことだろうか。
「華って何ですか?」
「華を知らない?おっと、もしかしてお嬢さん花祭りは初めてかな?」
「そうですね。今日が初めてです」
「じゃあ知らなくても無理はないね。あのね、花祭り中に華と言われたら、それは
「へえ………」
そんなものがあったのか。花祭りの挨拶のこともそうだし、私は本当に知らないことばかりだ。
「その様子じゃ、赤華も白華も持ってないんだろう?」
「はい。どんなものかもわからないです」
「じゃあちょうどいい。お嬢さんは運が良いね、うちは客として来てくれた人に華を配っているんだ。自分で用意したいとかでなければ、二本ともあげるよ」
「わあ、本当ですか?それは嬉しいです!……あっ、でも生花だと長く持ち歩けないですよね?」
「それは大丈夫。赤華と白華はそう大きなものでもないし、祭り用に時間が経っても枯れないよう魔法がかけられているから。ちょっと待ってね」
そう言い置くと、踊り子は小走りに後方へと下がっていく。ややあって戻ってきた踊り子の手には、リボンが巻かれた二色の花があった。
「はい、どうぞ。夜まで手で持ってはいられないから、袋もつけておいたよ。そのリボンを解くと袋に変わるから、それを使うといい」
「あ、ありがとうございます」
二本の華を受け取り、私は彼女に礼を言う。
言われた通りに片手でリボンを解いてみると、あっという間に手の平大の小さな布の袋に変化した。
わあ、と驚きの声を上げる私に、踊り子は小さく笑う。
「見た目は小さいけど、実は中が広くなっているんだ。おまけに、入れた華が痛むこともない。これは花祭りでたくさん出回る
「ですね。これ、本当に便利なものなんですね」
「華についても少し説明しておくね。華はね、花祭りの夜に大切な人に渡すのが通例なんだ。家族や友達、お世話になった人……大切な人の
家族や友達。一瞬、胸がつきりと痛む。彼らには、どうしたって渡せないから。
だから私が渡すとしたら、自然と仲間二人になるだろう。この世界での大切な人は、間違いなくロイドとクロノスだ。
「わかりました、渡してみます」
「ふふ、そうするといいよ。……ああ、ごめん、大事なことを忘れてた。赤華と白華はそれぞれ意味が違っているから注意するんだよ。白華の方は、先程話したように家族や友人などに幅広く使われるんだ。だから白華には“あなたに幸福が訪れますように”という意味がある。だけど、赤華の方には――――」
「おい、アスルナ!後ろがつかえているぞ!」
踊り子の言葉を遮るように、奏者の男の声が飛んだ。
アスルナと呼ばれた踊り子は、奏者の男に「わかってるよ」と返し、私の方に向き直る。
「ごめんね、途中だったのに」
「いえいえ、こちらこそ忙しいのに時間を取らせてしまってごめんなさい!赤華と白華、本当にありがとうございました!」
踊り子――アスルナの言葉に甘えて華をもらってしまった挙句、つい話し込んでしまった。そのせいで他の客の邪魔になってしまったのだろう。私は早々にこの場を離れるべく、別れの言葉とともに「女神イルフィナの加護がありますように」という口上を口にした。
アスルナは「まだ説明は終わっていないんだけど……まあいいか」と肩をすくめると、ふわりと微笑んでひらひらと手を振った。
「じゃあね、お嬢さん。女神イルフィナの加護がありますように」
踊り子の声を背中に受けながら、私は仲間達のいるところへ戻っていった。
「随分と遅かったじゃない。何かあったの?」
「ごめんごめん、さっきの踊り子さんと話し込んじゃってて」
私が戻るのを待っていた二人の周囲にはほとんど誰もおらず、客の大半は既に他の場所へと移動していったらしい。待たせてしまったことは事実だし申し訳なく思っているので謝罪するが、遅れた理由である赤華と白華の件については、彼らに教えるつもりはない。
なんというか、こういうものは教えてはいけない気がするのだ。
「それじゃあ次はどこに行こっか?」
「そうねェ、歩き続けてちょっと喉が渇いたから飲み物でも買いに行きましょうか?」
「賛成!」
クロノスの提案に乗り、飲料を販売している店を探すために歩き出してすぐのこと。
人混みの中すれ違っていった数人の女性グループに、私はふと気を取られた。正確には、彼女らの手の中の物に興味を引かれただけなのだけれど。
「コトハ、どうなさいました?何か気になるものでも?」
歩みを止める私に気付き、ロイドが声をかけてくる。
「うん、ちょっとね。あの女の人達が持ってたやつ、なんだろうなって」
彼女達が持っていたのは、カラフルな丸いものが数個詰め込まれた浅めのカップ。一人がそれを手でつまんで口に入れていたから食べ物だとは思うのだけれど、私にはそれが何なのか判断がつかなかったのだ。
そのことを説明すると、クロノスが「ああ、あれね」と合点がいったように頷いたので、彼の知っているものだったのだろう。
「この先にあるアイスクリーム屋のフルーツアイスだと思うわ。あれも種類豊富で手軽に食べられることから、その店の人気商品になっているんですって。行ってみる?」
「うん、行く!」
人気商品ならば絶対においしいはず。
私達はクロノスの案内で“キャンディ=ベル”という名前のアイスクリーム屋へと向かうも、場所はすぐにわかった。店の外観はその名前に負けず劣らずとてもかわいらしく、まるで絵本に出てくるお菓子の家のようで、いかにも女性が好みそうなところだった。
やはりというべきか、店内にいる客層も女性が圧倒的で、ロイドとクロノスが変に目立っているような状況だ。時折黄色い声みたいなものが聞こえてくるのは、もう仕方ないことだと思う。二人は、あまり気にしていないようだけれど。
「わあ……すごい。おいしそうだね」
カウンター近くのガラスケースの中には、まるで宝石のような色とりどりの球体がたくさん積まれている。目にも楽しいそれは、本当にたくさんの種類があってついつい目移りしてしまう。
「んー、迷うなあ。どれにしよう」
「あらぁ、まだ迷っていたの?アタシもロイドも適当に買っちゃったわよ」
「えっ、うそ!」
楽しげなクロノスの台詞に素早く顔を上げ、ガラスケースから視線を移動させると、ロイドとクロノスの手には既にフルーツアイスの入ったカップがあった。
「早いよ!ちなみに、何買ったの?」
「私は、柑橘系のものですね」
「アタシは、一番カラフルなやつかしら?」
「うう……どっちもおいしそうだね……どうしよう」
「何なら、私のを味見してみますか?スプーンが無いので、手づかみになってしまいますが」
え、と私が答える間もなく、ロイドが自分のアイスを一つ指先でつまんで口元に差し出してくる。
唐突な行動に、固まったのは私だ。
(えっと、これは……あーん、ってことかな……?)
ロイドの行動に誰かがきゃあ、と声を上げていた気もするが、私は知らないふりをしておいた。
ガラスケースの前という一番人目があるような場所であり、若い女性達が多く集まる場所でもあるところでの、この行動。試されている気がする。
「コトハ、このままでは溶けてしまいますよ」
「わ、わかってるよ!」
ロイド本人にそう急かされ、私は思い切って彼の手からアイスを食べた。
この行動自体は恥ずかしかったけれど、アイスを口に入れた途端に広がる冷たさと柑橘系の甘酸っぱさに思わず笑顔になってしまう。
「あっ、これおいしい!」
「柑橘系はさっぱりとしていますからね。もう一つ食べますか?」
「いっ、いいよ。自分で選ぶから!」
衆人環視の前で、もう一度同じ行動をしようとは絶対に思わない。
(どこのカップルだよって話よね……私達はそんなんじゃないけどさ!)
先程の一連の流れで、私達はかなり目立ってしまっている。買ったら早急に立ち去るべきだろう。いろいろな意味で。
「ふふっ、なんだか楽しそうだったわねェ。もうっ、アタシを混ぜないなんてひどいわ!」
「は?」
なかなかにわざとらしい動作で、クロノスが私の肩を叩く。
怪訝な声で振り仰いだ先にいる彼の表情は、満面の笑みだ。
「味見は別に一つだけ、って決まっているわけではないでしょう?ぜひとも、コトハちゃんにはアタシのも味見してみてほしいわぁ」
「えっ」
思わず小さく声を上げると、クロノスににやりと笑われた。この人、絶対にこの状況をおもしろがってからかっている。それが明らかにわかるような笑みだ。
「あのねえ、私は――むぐっ!?」
彼に文句を言ってやろうと口を開いた瞬間、口の中にアイスが放り込まれた。
若い女性の黄色い声が上がる。今度は先程よりも少し増えていた。
(――っ!)
アイスを咀嚼しながらクロノスを見ると、彼はやっぱり楽しげに笑っていた。
確信犯なのだろう。私と目が合うと、口を弧の形にしたまま片目を瞑ってみせる。
(――っ!もう!めちゃくちゃ目立っちゃってるじゃん!ほんとに、二人とも勘弁して!)
今は、面と向かって言えない状況だけれど。
内心次々に浮かんでくる文句を、私はベリーの味のアイスと一緒に飲み下した。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます