第12話
結論から言おう。
ロイドが私に渡したかったもの――それは日用品などではなかった。
「……ゆびわ?」
手の平の上でころりと転がる、銀色の指輪。
細やかな細工が美しく、アメジストのような紫色の宝石がはめこまれている。
とても綺麗な指輪だ。そうは思うのだが、何故これが私の手中に収められているのかがまったくわからない。どう反応したらいいのかもわからず、私は困惑気味にロイドの表情を窺った。
「ええっと……」
私の視線の意味を正確にとらえたのだろう。ロイドはこくりと頷いた。
「それは“守護精霊の指輪”――その名の通り、精霊の力が宿っているとされている指輪です」
「守護精霊の指輪?」
聞き覚えのない名前だけれど、そんなアイテムなんてあっただろうか。
そう思いながら指輪をころころと転がして遊ぶ私に、ロイドの説明が付け加えられる。
なんでも、“守護精霊の指輪”は、精霊の力を宿した特別な装飾品であり、その所有者には精霊の加護は授けられるのだとか。そしてこの指輪は守りの力に長けているらしく、さまざまな攻撃から所有者の身を守り、被害を最小限に留めてくれるのだということだった。なんという便利アイテム――と思いきや、この指輪もそこまで万能ではないらしく、あくまで効果は攻撃の威力を抑えるだけ。当たり前だけど痛いものは痛いし、死に直結する可能性だって捨てきれない。
それでも、被害を軽減してくれるアイテムなんてあるだけありがたい話だ。防御力を上げるアイテム自体はゲームではありふれたものだけれど、外を歩けばモンスターが闊歩するような世界に来てしまったというこの状況を鑑みれば、ありがたみがまったく違ってくる。身を守る術なんて、私には何も無いからね。
だけど、精霊の力の恩恵にあずかることができるアイテムなんてそう簡単に手に入るようなものじゃないはず。精霊の加護を受けたアイテムがぽんぽん量産されるはずもないし、ロイドはどうやってこれを手に入れたのだろう。やっぱり、ダンジョンだろうか。
少しだけ気になった私は、何とはなしにロイドに質問をぶつけてみた――のだが。
「――――そう、ですね……」
少しの沈黙の後、ロイドは何故か複雑そうな表情を浮かべ、答えづらそうに言葉を詰まらせてしまった。どこか自嘲気味というか、とにかく苦いものが混じったような、あまり良いとは言えない表情に、私は目を瞬かせた。
(……あ、あれ?)
本当に興味本位で聞いてみただけの質問だったんだけど、私は何か聞いてはいけないことを聞いてしまったのだろうか。そう思ってしまうくらい、彼にしては珍しい反応だった。
「……ロイド?どうかした?」
お互い沈黙したままでは何なので、とりあえずそう口にしてみる。するとロイドは一瞬はっとしたような表情を浮かべてから、取り繕うように微笑んでみせた。
「申し訳ありません。少し、考え事をしていて」
「……そうなの?大丈夫?」
「はい、ご心配には及びません。そうですね、その指輪は別の遺跡を探索していた際に発見したもので、稀少なアイテムに分類されると思いますよ」
「そっか」
何やら引っかかる気もするけれど、今は気にしないでおくことにした。
そんなことよりも、私は別のことが気になってしまったからだ。
「ちょっと待って、稀少なアイテムって……そんなものを私なんかに渡しちゃって良かったの!?これ、相手からの攻撃を最小限に留めてくれるものなんでしょ?戦えない私よりロイドが持ってたほうがいいんじゃないの?」
「だからこそ、ですよ」
「え?」
ふいに、ロイドが私に真剣な眼差しを向けてきた。
「私には戦いの経験があります。ですから多少のことならば耐性がありますし、自分の身を守りながら戦う術も知っています。けれど、コトハはそうではないでしょう?」
「う、うん」
「貴女は私が全力で守ります。ですが、万が一ということもあります。私が傍にいない間に貴女に何かあっても、助けることすらできません。そのために、コトハに持っていてほしいのです」
ロイドの大きな両手が、指輪を持つ私の片手をそっと包み込む。
「この指輪が、貴女を守るもうひとつの盾となる」
心地良い声が、耳朶を打つ。
蒼く澄んだ双眸に見つめられ、心臓がどくんと大きく脈打った。
「……ええと。とりあえず、これは私がもらってもいいってことなのね?」
どんどん居心地が悪くなってきた私は、ロイドと合わせていた視線を明後日の方向へとずらし、口を開いた。ロイドはそんな私の様子を気にする風でもなく、大きく頷いてみせた。
「はい」
「……わかった。ありがとね、ロイド」
指輪を乗せた手を軽く握り込みながら、私はロイドに笑顔を向ける。
私の言葉に、ロイドは今度こそ自然な微笑みを浮かべた。
それからほどなくして、私達の集まる部屋の扉が数回ノックされた。
ここは私にあてがわれた部屋だ。私に用事があるとすればロイドくらいしかいないはずだけど、彼は私の目の前にいる。いったい誰だろう、とは思いながらも、私は部屋の扉をゆっくりと開けた。
「やあ、お嬢さん」
「あ、女将さん!」
扉の向こうにいたのは、カティアだった。
「あんた、今時間はあるかい?」
「はい、大丈夫ですよ。どうかしたんですか?」
「ああ、いや、時間が空いたからちょっとあんたたちと話がしたくてね。できれば冒険者の兄さんも呼んでくれると助かるんだけど」
冒険者の兄さん、というところでぴんときた。
多分、カティアは今回の依頼について話がしたいんだろう。
「どうぞ、入ってください」
私は扉を大きく開け、カティアを部屋の中に招き入れた。
カティアは部屋の中に入った途端、ロイドの姿を見つけて一瞬驚いたように目を見張ったものの、すぐに納得したような表情に変わった。ロイドはというと、私達の会話を聞いていたためか突然の訪問者に驚いた様子はなく、壁に背を預けたままただ静かに目線を動かしただけだった。
私は扉を閉めると、カティアに椅子を勧めてみる。しかし、それほど時間はとらないからとカティアは左右に首を振った。
「冒険者の兄さんもいるならちょうどいい。あんたたちへの依頼について話がしたくて来たんだよ」
「……やはり、そうでしたか。では早速、詳細をお聞きしたい」
腕組みをしながら先を促すロイドにカティアは頷くことで答え、そして一拍の間を置いてから話し始めた。
一週間程前から荒らされるようになったカティアの夫の畑。そこに残された犯人のものと思われる足跡は複数で、人間のものですらない。このままでは作物を宿に卸すどころか、自分達が食べていくぶんの収穫すらままならなくなることもありえない話ではない。それを防ぐためにも、畑を荒らす何か――モンスターを討伐してほしいという内容だ。ここまでは昨日の話とほとんど同じ内容である。
カティアの夫の話によれば、相手はそれなりに知能があるらしく、罠を張っても引っかかることすらないという。そして、決まってカティアの夫が不在の時を狙い、彼自ら見回りを行ってもあまり効果が無かったというのだ。彼も、妻であるカティアも、ほとほと困り果てているのだとか。
「それなりに知能を持つモンスター、ですか。妙な話ですね」
腕組みを解いたロイドが、考え込むように顎に手を当てる。
「徒党を組むモンスター自体は少なくない。畑を荒らしたのは知能が無い低俗なモンスターではないということでしょう。王都のような堅牢な守りは無いにしても、まさか街中への侵入を許すとは……」
「まあ、畑の位置も問題かもしれないね。街のはずれにあるから、警備の目が届きにくいってのもあるんだろうねえ」
「そうですか……」
ロイドはふうと息を吐くと、壁から背中を離し、カティアの傍で話を聞いていた私にちらりと視線を投げる。何故こちらを見るのかわからず、とりあえず口元を笑みの形にしてみた。すると、ロイドは私からカティアへと視線をずらし、口を開いた。
「では女将。後でその畑に案内してもらってもよろしいでしょうか?早速今日から依頼を遂行しようと思うのですが」
「えっ!?ロイド?」
「おや、良いのかい?あたしとしては早ければ早いほど良いんだけど……この子はどうするんだい?連れて行くのかい?」
ロイドの発言に驚いている間もなく、カティアが私の頭をぽんと軽く叩いた。
見上げれば、カティアは穏やかな表情の中に一筋、心配の色を滲ませているようだった。そのままロイドの方を見ると、彼も「危険な思いはあまりさせたくないのですが……」と苦く笑っている。
二人は私のことを心配してくれているんだろう。私が着いて行ったら足手まといになるであろうことも、よくわかっている。
――でも、私は待っている、なんて選択肢を選ぶつもりは毛頭なかった。
「私も行く!なるべく邪魔にならないようにするから、一緒に行かせて!」
私はまず、この世界を知らなくちゃいけない。そのためには経験が必要だ。
それに、戦えなくても何かできることがあるかもしれないし。
「……わかりました。ではコトハも一緒に」
「っ!ありがとう!」
私の気持ちを汲んでくれたのか、ロイドが私の同行に許可を出した。しかし私にとっては初めての経験となるので、決して無理をしないという条件がついたが、特別問題は無い。ロイドは少し心配そうだったけど、彼の夢とやらで私は以前から戦わない傍観者だったようだし、似たような状況ではないだろうか。
いや、ここにいる私の存在は夢ではなく現実なんだけどさ。
* * * * * *
時間はさらに進んで、夜。
私とロイドはカティアに連れられ、街はずれにある畑へとやってきていた。
畑はかなり広く、ランプの灯り一つでは全体を見渡すことができないほど。周辺に人影はなく、しんと静まり返っている。時折、思い出したかのように風が土の匂いを纏って吹き抜けていくだけだった。
「ここがあたしんとこの畑さ。それで、その問題の足跡っていうのがこっちだ」
作物の実った畝を避けながら畑の中を進んでいくと、ある場所でカティアの足が止まった。
ランプを掲げ、注意深く辺りを観察してみると、そこには確かに足跡が複数残されていた。周りの作物も、食い荒らされたようなものから根こそぎ無くなっているものまで状況はさまざまだ。先程通ってきた場所にあった作物は綺麗な状態だっただけに、その惨状が一目でわかる。
「ひどい……」
顔をしかめ、ぽつりと呟いた私の肩にカティアの手が触れる。
「だろう?苗だけは無事なものもあるけど、こんなにされちゃあ売り物にならなくなっちまう。何のために手間暇かけて育てたと思ってるんだろうねえ」
「女将さん……」
振り仰いだ彼女の表情はどこか悲しげで、一刻も早く問題を解決しなければと私に思わせた。
その一方で、ロイドはランプを片手にしゃがみ込み、足跡を調べている。
足跡に触れながら何事かを小さく呟いているようだったが、カティアと話していたためか聞き取ることはできなかった。やがて足跡を調べ終わったらしきロイドが立ち上がると、私達の会話も自然と終わる。
「どうだい?何かわかったかい?」
「……足跡だけでは判別しかねます。が、獣の類なのは確実でしょう。少なくとも、これは人為的なものではないですね」
「やっぱりモンスターの仕業なんだね。他の作物に影響が出ない程度に、徹底的にお仕置きしてやっておくれ」
それから一言二言会話した後、私とロイドはこのまま畑の見張りをすることになった。カティアは仕事もあり申し訳なさそうにしながら宿に戻って行ったが、最後まで私の心配をしているようだった。
女の子なんだからやめときな、って何度も言われてちょっとだけ心が揺らいだけど、ここで戻ってしまったら旅なんてできないような気がしたから。
そんなわけで、私とロイドは物陰に隠れながら畑を注意深く見守っている。
灯りを消すと、視界が夜闇に覆われて何も見えなくなる。物音ひとつにも気を遣わなければならないという緊張感と暗闇が、私の恐怖心を煽った。初めての状況だから仕方がない、と自分自身に言い訳しながらも、私はいつ来るかもわからないその時を待つ。
「緊張しているのですか?」
ふいに、ロイドが静かな声で私に問いかけてきた。
ロイドのいる方向を見ても、彼の表情は暗闇の中では判別することができない。
「……あ、やっぱばれちゃう?」
「…………」
沈黙が、何よりの答え。
隠してもこのぶんだとどうせわかってしまうだろうし、正直に言ってみることにした。
「うん、そうだね、すごい緊張してる。依頼とかそういうのを自分で体験するのってこれが初めてだし。女将さんのためにも早く解決したいなーとは思うんだけど、やっぱりちょっと怖いんだ。あっ、でも戻ろうなんて全然考えてないよ。これは私が望んだことなんだから、何もできなくてもちゃんと見届けたいの」
本心とともに、少しだけ強がりを口にする。
そうすることで緊張感を少しでも紛らわせることができれば良かったんだけど、実際はそううまくいかないようで。再び戻ってきた静寂の中、私は畑のある方向をぼんやりと眺め、大きく息を吐いた。
――その瞬間。
「……え」
唐突に、右手が何かあたたかいものに包まれる。
それがロイドの手だということに気付くまで、そう時間はかからなかった。
「無理はなさらないでくださいと言ったでしょう?大丈夫、私が傍にいます」
「……うん。ありがと」
大きくてあたたかなロイドの手。
別の意味で緊張感が増した気がするが、彼なりに心配してくれているのだということがわかるので、素直に甘えることにする。ロイドのおかげで、時間経過とともに恐怖心は少しずつ和らいでいったけれど、羞恥心はどうやっても消えそうになかった。
そうして、何も無いまましばらくの時が過ぎ。
唐突に、事態は動き出した。
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