第16話


「あー……さっぱりさっぱりー」


 備え付けのタオルで濡れた髪を拭きながら、私はベッドにどさりと腰を下ろした。

 シャワーで汗と汚れを落とした後、袖を通したネグリジェのような女の子らしい薄桃色の寝衣は、ロイドに買ってもらったばかりの真新しいものだ。かわいすぎてテンション上がる。私に似合っているかどうかは別として。


「ほんっと、いろいろあったよなぁ……」


 ゆらゆらと揺れる、ランプの光を眺めやりながら、私は吐息と共に言葉を吐き出した。

 こんな風にしみじみと思い出してしまうくらい、今日は本当にいろいろなことがあった。

 たった一日、いや、半日だろうか。たったそれだけの時間しか経過していないはずなのに、やけに濃い時間を過ごしたような気がする。


「ちょっと危険な目にはあったけど、依頼自体はちゃんと終わらせることができたし、まあ良かったっちゃ良かったのかな?女将さんはめちゃくちゃ心配してたみたいだったけど、モンスターがいなくなって喜んでもいたし、ある意味結果オーライってやつ?」


 ぶつぶつとそんなことを呟きながらも、髪を拭く手は止めない。

 この世界にドライヤーなるものは存在しないようで、大抵の場合、自然乾燥させるしか方法はない。ただし、魔法を行使できる人間ならば、その限りではない。魔法を用いて髪を乾燥させるなど、容易いことだからだ。


「魔法、ねえ……」


 ふとここで、私はとある人物の存在を思い出した。

 あらゆる意味で存在感抜群の、深い紫色の髪をした魔術師ウィザードの存在を。


「強烈だったよなあ、あれ」


 顔に流れ落ちてきた水滴をタオルで拭き取りながら、私はくすりと笑みを零す。

 彼のキャラクターはインパクトが強すぎて、忘れようったって忘れられない。

 優しくて真面目なまさに騎士、って感じのロイドとは正反対の性格だ。そのせいかはわからないけれど、ロイドはクロノスにあまり良い印象を持っていないように思える。気のせいかもしれないけど。

 そうして私は、あれから“妖精の止まり木”に戻ってくるまでのことをぼんやりと思い返していた。


* * * * * *


「結界、ですか」


 月明かりが降り注ぐ草原を、三つの人影が進んでいく。さくさくと草を踏み締める音を聞く余裕があるくらいののんびりとした空気の中、ロイドが確認するように呟いた。


「ええ、そうよ」


 ロイドの声に、クロノスが頷く。私はこの世界のことについてよく知らないので、クロノスの持ち物であったランプを抱えながら、じっと彼らの会話に耳を傾けていた。

 もちろん会話に合わせて相槌くらいは打ってるけどね。

 無理矢理会話に混ざるような内容でもなかったし、少しでも知識を蓄えるほうが大事だと考えたのだ。

 ……最も、私自身が疲れていたからというのが最大の理由であることも否定はできないのだが。


「アタシが森の中に張り巡らせていたのは、モンスターは元より、人間でさえも近付くことができないような強い結界なの。周辺には人の手が加えられたような形跡もなかったし、誰も近付かないと踏んでたんだけど……まさかコトハちゃんみたいな女の子がいるなんて思わなかったわ。しかも結界を破ってまで通り抜けちゃうなんてね?」

「うっ、なんかよくわからないけどごめんなさい……」


 なんとなく責任を感じて謝れば、別に責めているわけじゃないんだと苦笑された。


「アタシは強力な結界を簡単に破ってしまったことに対して驚いているだけよ。それに、今回はアタシの身の安全のためだけに結界を張っていただけだから、何も問題はないわ?」

「それなら良かった……あ、いや、良くないのか。何にせよ邪魔しちゃってごめんねクロノス」

「うふふ、いい子ね。でも、本当に謝らなくていいのよ?アタシとしては、偶然でもアナタみたいな素敵な女の子に出会うことができたんだから、別にかまわないと思っているわ?」


 クロノスは私の顔を覗き込みながら、にっこりと微笑んでみせた。

 クロノスは私に気を遣ってそんなことを言ってくれたのだろう。内容としてはちょっとだけ気恥ずかしいような気もするが、彼なりの気の遣い方なのかもしれない。


「……うん、ありがと」


 なので、私は無難にお礼だけを返しておいた。


「クロノス。ひとつ質問させていただきたいのですが」


 唐突に聞こえてきたロイドの言葉に、私とクロノスは揃ってそちらに注意を向ける。

 ロイドは私達の視線に構わず、クロノスを真っ直ぐに見据えながら、静かな声で続けた。


「貴方は何故、あの場所にいたのですか?」

「何故って……もちろん用があったからに決まってるじゃない。でなきゃ好き好んであんなところにいるわけないでしょ?」

「……その内容をお聞きしても?」

「んー……そうねえ。悪いけど、もう少し秘密にさせていただこうかしら」


 秘密は多いほうが魅力的でしょ、とクロノスは人差し指を唇に当てながら片目を瞑る。

 まあなんて綺麗なウインクなんでしょう。

 ロイドの質問は、私もそれとなくはぐらかされてしまった内容だ。後で教えてくれるとか何とか言っていたような気もするが、知りたいからと言って今すぐ話してくれるわけでも無いらしい。そこまで話しづらい内容なのだろうか。


「……わかりました」


 真面目に答えてくれないことがわかったのか、ロイドも私と同じように早々に諦めたみたいだ。

 クロノスは悪びれたような様子も無く、押し黙ってしまったロイドにまたにっこりと笑いかける。


「んふふ、拗ねてる?」

「まったく拗ねてなどいませんが」

「でもとっても不満そうだわ。そうね、アタシがアナタ達の仲間になれたら、そのうち話したげる。だから――――」

「……え」


 ぼんやりと二人のやりとりを聞いていると、突然クロノスに髪を一房すくわれる。

 そして、私が何をしたいのかと質問する暇も無く。


 ――掬われた髪が、クロノスの唇に押し当てられた。


「――――っ!?」

 

 クロノスの突然の行動に、私は音を立てて固まった。


「あのー、その、ええと、クロノス?」


 あまりのことにどう反応していいかわからず、うろたえながらもそう口にするのが精いっぱいである。

 頬が一気に紅潮していくのがわかる。今が夜で本当に助かったと思った。


「ふふ、かわいい反応ねェ?」

「なっ!?」


 視線を右往左往させる私の視界にちらりと映ったのは、楽しそうに目を細めるクロノスの姿。

 もしかして、からかわれたのだろうか――そんな考えが頭の隅をかすめた瞬間、クロノスは私の髪からあっさりと手を離し、くるりと踵を返した。


「えっ、ちょっとクロノス?」


 そのまま颯爽と歩き出そうとする背中に呼びかければ、クロノスは上半身を軽く捻ってこちらを振り向き、優しく微笑んだ。


「一日よ」

「へ?」

「一日、考える時間をあげる。明日の朝、アナタ達の宿に立ち寄らせてもらうわ。だからそれまでに答えを決めておいてちょうだい」

「ちょっと待って、決めるって、それクロノスを仲間にするかどうかってやつ?本気なの!?」

「やあねェ、ここまでアタシに言わせといて疑う気?もちろん本気。……っと、まあそういうわけだから。良い返事を期待するわ」

「ちょっ……」


 私がさらに言い募る前に、クロノスは「じゃーねー」と私とロイドに向けて投げキッスをし、今度こそ振り返らずに去って行った。

 少しずつ遠くなっていく後ろ姿を呆然と眺めながら、私は思った。

 嵐が去って行った、と。


「……いろいろな意味ですごい人だったね」

「…………」

「ロイド?」

「…………」


 一緒に残された同行者に話しかけてみるが、返ってくるものは何も無い。

 不思議に思ってロイドのいる方向を見れば、彼は難しい顔で何かを考え込んでいるようだった。

 なるほど、これでは反応が無いのも頷ける。しかし反応されないのもちょっと悲しいので、私はロイドに近付き、服の裾を軽く引っ張ってみた。


「ねえ、ちょっとロイドってば!聞いてるの?」

「――っ!?」


 先程よりもやや声のボリュームを上げた私の呼びかけに、ようやくロイドが反応を見せた。

 ロイドは驚いたような、たった今気付いたような表情で私を見下ろしてくる。


「どうかなさいましたか?それに、クロノスはいったいどちらへ?」


 クロノスが去っていったことすらも気付いていなかったらしい。このぶんだと、去り際にクロノスが言っていたことも聞いていないだろうな。ロイドは何をそんなに考え込んでいたんだろう。


「クロノスならついさっきどっかに行っちゃったよ。一日時間をあげるから、仲間にするかどうか考えておいてだってー」

「そうですか……」


 私の言葉に、ロイドは額に手を当てながら、ふうと長い息を吐く。

 息を吐ききると、ロイドはすぐに手を下ろし、何を言うでもなく私と視線を合わせてきた。


「?」


 無言で見つめられてもどう反応していいかわからないので、とりあえず愛想笑いのような曖昧な笑みを口の端に乗せてみた。するとロイドは、ふっと柔らかく笑って数回首を横に振り、そのまま顔を街のある方向へと向ける。


「そろそろ行きましょう。街ももう、目と鼻の先ですから」

「う、うん……?」


 ――そうして、私達はティレシスへと戻ってきたのである。


* * * * * *


「でもまさか、宿屋に戻ったら血相変えた女将さんが抱き着いてくるなんて思わなかったな」


 心配していたんだと思いっきり抱き締められて、苦しかったけどちょっと嬉しかったことを覚えている。そのときのことを思い出した私はくすりと笑いつつ、首にかけていたタオルを外した。

 髪はまだ少し湿ってるけど、だいぶ乾いたと思うからあとは自然乾燥で充分だろう。

 時計の針は午前三時を示そうとしている。もうそろそろ寝ないと寝坊確定だ。


「歯磨きして寝ようっと」


 そうしてベッドから立ち上がりかけた、そのとき。

 控えめなノックの音が私の耳に飛び込んできた。

 私は無言で壁掛け時計を見る。午前三時。うん、何回見ても午前三時だ。

 こんな深夜に誰だろう。私の部屋を訪ねる人なんて限られてくるが、時間的に怪奇現象とかもありえそうなので、ちょっと怖い。

 扉を開けずに確認したいが、生憎この部屋の扉には覗き穴のようなものはついていない。

 私は恐る恐る、自室の扉を開けてみることにした。

 すると、そこには。


「……ロイド?」


 片手にランプという光源を持ったまま立ち尽くす、ロイドの姿があった。

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