第17話
「どうしたの?こんな時間に。とっくに寝たんだとばっかり思ってた」
他の宿泊客の迷惑にならないような、いつもよりも幾分か抑えた声で、私はロイドに問いかけた。
するとロイドは、苦笑いにも似た困ったような微笑みを浮かべながら、頬を掻くような仕草をする。
「寝るつもり、ではあったのですが……少し、コトハと話したくて」
「私と?え、でもロイドは寝なくて大丈夫なの?」
「大丈夫、というか――どうしても眠れそうになかったもので。もし貴女がまだ眠くないようでしたら、少しお時間をいただきたいと……ご迷惑なのは重々承知の上です。どう、でしょうか?」
「んー……」
佇むロイドを前に、私は数秒考える。
私自身は今まさに歯磨きして寝るつもりではあったけれど、かといってそこまで眠いというわけでもない。ベッドに入ってさえしまえば、疲労も手伝ってきっとすぐに寝てしまうだろうけど、せっかく訪ねてきてくれたロイドをこのまま追い返すのも忍びない。
「いいよ。入って」
結局、私は扉を大きく開けてロイドを招き入れることにした。
ロイドはほっとしたような表情を浮かべてから、私の部屋に足を踏み入れる。入室する際にやや躊躇したのは、もしかして遠慮からだろうか。私は別にかまわないのに。
「こんな夜分に、女性の部屋を訪れる非礼をどうかお許しください」
半分私の予想通りの台詞が、ロイドの口から滑り落ちる。
確かに、夜分に女性の部屋を訪れるというのは、人によっては失礼に当たる場合もあるかもしれない。見方によっては、特別な意味を孕む場合も。だけど、私とロイドはそういう特別な関係なんかじゃないし、何より大切な仲間だ。私が一人になりたい時とか、とにかくプライベートな時間以外は、別段気にならないと思う。もちろん気持ち的に遠慮したいときは断るだろうけど。
「ううん、そんなの全然気にしないでいいよ。それからごめん、もう寝るだけだと思ってたからちょっと部屋散らかってるかも」
服はクローゼットに仕舞い込んであるし、そこまで物は無いはずだけど、そう前置きしておく。
とりあえず真っ先に目についた、ベッドの上に置きっぱなしだったタオルを引っ掴んで、洗面所の方に持っていく。洗面所には大きめの竹籠が一つ置いてあって、そこに洗濯物を入れておけば、余程のことが無い限り宿の方で回収して洗濯してくれるそうだ。ちなみに余程のことというのは、血液汚染があまりにひどいものとか、モンスターの体液がべったりと付着しているものとか――つまるところ、冒険者にはあまり優しくないという話である。
竹籠に洗濯物をさっと放り込んで、洗面所から戻ってみると、ロイドはテーブルに置いたランプの灯を所在なさげに眺めていた。
“真夜中のお客様”をこのまま立たせておくわけにもいかないので、この前ロイドが私にしてくれたように椅子を勧めてみる。ロイドは部屋主を差し置いて、と逡巡していたようだったが、私が早々に自分のベッドに腰掛けているのを見た途端、素直に椅子に座ってくれた。私も以前の不毛なやり取りから少しは学んだのだ。先手を取っておいてよかった。
「何のおもてなしもできなくてごめんねー。こんなことなら女将さんに何かもらっておけばよかったなあ。次からはそうするね」
「お気遣いありがとうございます。ですがお気になさらずに。無理を言って押しかけたのはこちらですので」
「だからそんなの全然気にする必要無いんだってばー!せっかくロイドが話したいって来てくれたんだもん。優先させるに決まってるじゃない。あ、お開きはどっちかが眠くなったらでいい?」
「……はい」
私の言葉に同意しながらも、何故かロイドは嬉しそうにしている。別に喜ばせるようなことは言ってないはずなんだけど。内心首を傾げてみたものの、すぐにまあいいか、と思考を放棄した。
「コトハ」
「?なに?」
「コトハは、あの男のことを――――あのクロノスという男のことを、どうされるおつもりですか?」
唐突な問いかけに、私はロイドの顔を見ながら数回目を瞬かせた。
(……随分と直球ねえ)
世間話とかお互いのこととか今後のこととか、話題はたくさんあるはずなのに、まさかそれを一番に持ってくるとは。取り留めもない話で時間をつぶし、眠たくなったら寝る感じだと勝手に思っていたので、少し驚く。だけど、よくよく考えてみればそうかもしれない。今日の出来事は、ロイドが私の部屋を訪れなければならないほどに思い悩む“理由”としては充分すぎる。きっと、一刻も早く相談したかったのだろう。
「どうって……うーん、そうだなあ。クロノスはオカマだけど強いし、仲間にしたら今後楽にはなるだろうね。ほら、私は戦えないから」
「
はっきりとは言わないけれど、ロイドはクロノスのことをどこか怪しいと思っているみたいだ。
まあ、そうだよね。確かにあれはちょっと胡散臭いかも。
だけど、クロノスは私達に危害を加えようとはしなかったし、彼に悪意があるようにはどうしても思えなかった。私は私の直感を信じてみたい――そう考えるのは、私が甘いからだろうか。
「いいんじゃない?信用しちゃっても」
さらりとそう口にすれば、ロイドは少しだけ渋い顔をした。
うん、無責任なこと言ってるなーっていうのは、自分でもわかってる。
「あの人の真意はよくわからないけどさ。だけど私は、私を助けてくれた人のことをあんまり疑いたくない気持ちもあって……仲間になってくれるって言うんならそれでも良いかなーって思うんだ。だって初対面の私達を騙したところで何のメリットも無いし、単に旅の仲間が欲しかっただけかもしれないよ?」
「それは……そうですが」
「それに、あの人
可能性は限りなく低いけど、魔法に精通しているのならあわよくば、と思ったのだ。
だけど、そのためには私の抱えている事情をクロノスに説明しなければならない。あまり大っぴらにしたい話じゃないけれど、仲間となる人物になら話してみても良いのではないだろうか。私の話を信じてくれるかどうかは話してみないとわからないが。
「ね、どうかな?」
期待を込めて、ロイドをじっと見つめてみる。
ロイドは私の視線を正面から受け止めつつも、まだどこか納得しきれていない様子だったが、しばらくするとため息をつき、苦く微笑んだ。
「……ここで私が反対したとしても、コトハはきっと納得しないのでしょうね」
「う、うん。やっぱりロイドは反対なの……?」
「……正直、あまり賛成はできませんね。いくらクロノスが強かろうと、怪しい人間を引き入れることには変わりありませんので。ですが」
ここでロイドは言葉を切り、ふっと相好を崩した。
「彼がコトハの命を救ってくれたのも事実です。コトハがクロノスを信頼したいというのであれば――私は反対できません」
「!じゃあっ!?」
「ええ。彼を……迎え入れましょう」
「ほんと!?ありがとう!」
同意を得られたことが嬉しくて、私は思わずその場に立ち上がってしまう。
それと同時に、夜中なのに大声を出してしまった事実に気付き慌てて口元を押えるが、もう遅い。
やってしまった、とそのままの体勢で視線だけをロイドに投げると、彼は仕方ないといったような穏やかな微笑みを浮かべていた。
「……ごめん、夜中だった。気を付ける」
「そう、ですね。コトハの素直な反応はとてもかわいらしくて良いと思うのですが」
「か、かわっ!?」
自然な流れでそんなことを言われ、思わず動揺してしまう。
しかしロイドは私の動揺をそれほど気にした様子もなく、さらに言葉を続けた。
「しかし――――クロノスが羨ましいですね」
「え?」
予想外の台詞に、私は動揺も忘れて聞き返した。
すると彼は、微笑みの中にほんの少し別の何かを滲ませたような、どこか曖昧な表情を私に向けてくる。
「コトハは、彼のことを信頼を向けるに値すると判断したのでしょう?それが少し、羨ましい」
「えっ、どうして?私はロイドのことも信頼してるのに」
「どうして、でしょうね。私にもよくわかりませんが……ただそう思ったのです」
理由はよくわからないけど、羨ましいのか。私からしたら、私に信頼されることが羨ましいっていう気持ちがよくわからないよ。
うーんと私も首を傾げてみるが、ロイド自身にわからないのなら私が考えても仕様がない。
もしかしたら、私を危険な目に遭わせたという負い目から、劣等感のようなものを抱いてしまっているのかもしれない。うん、きっとこれだ。これに違いない。
そんな微妙にずれた考えのもと、私は少しでも負の感情を払拭させるべく、ロイドにゆっくりと歩み寄っていった。
「ねえロイド?別に羨ましいなんて思わなくっても、私はロイドのことすごく信頼してるんだよ?」
「……コトハ」
「
「いいえ、そのようなこと……私こそいつもコトハに感謝しております」
「ううん、私は何もできてないよ。守られてばっかりだもん。今回の依頼だってそう。
何か言いたげに口を開くロイドを制すように、私は彼の両手を取った。
「クロノスにももちろん助けられたけど、ロイドにだって助けられた。ロイドがいてくれなかったら、今の私は無いんだよ。だから、ええと……うーん、なんて言えばいいのかな。言いたいことまとまらないけど、要するに、私はロイドのことめちゃくちゃ信頼してますよってこと!わかった!?」
自分の言葉に対して恥ずかしくなってきてしまったので、照れ隠しも合わせてうやむやにそう締め括った。ロイドは驚いたように目を見開いたまま、無言で瞬きを繰り返していたが、やがて嬉しそうな表情で「ありがとうございます」と言い、私の手をぎゅっと握り返してきた。
(……うん。なんとか伝わったのは良いことだ。だけどやっぱこれ!恥ずかしいよ!)
信頼について軽く語り合い、手を握り合う男女。
――傍から見れば、何をしているんだと突っ込まれそうな状況は、確実に私の心臓の鼓動を早めてしまっていた。
(やばいこれ。めちゃくちゃ照れる……!私本当こういうの慣れてないんだって!そ、そうだ、とりあえず離れよう!うんそうしよう!)
「か、解決したようで良かったね。あ、あはは……」
うろたえまくりながらも、私はロイドから離れるべく握られた手を軽く引いた。
私の意志を汲んだのか、ロイドの力が緩み手が離れる。しかし、放したばかりの手をすぐにロイドに掴まれる。
結局握られたままの私の手。
え、何この状況。
不思議に思い、ロイドの表情を仰ぎ見れば、彼は何故か真剣な表情を浮かべていて。
「コトハは
「う、うん……?」
「こんな私に――信頼を預けてくださってありがとうございます。貴女は、私の――」
その続きは、私の右の手の甲に触れた唇の奥に封じられ。
まるで騎士の誓いのようだと、頭のどこかでぼんやりと考えながらも、私の意識はすべて手の甲に口づけられたという事実に持っていかれてしまっていた。
「な、な……!」
頬を真っ赤に染め上げながら、言葉にならない声を漏らす私を見て、ロイドはくすりと笑みを零した。
「……さあ、もう夜も遅い。そろそろ寝ましょうか」
今度は呆気なく自由になった私の両手。
私はロイドの行動に戸惑いながらも、身体的にも精神的にも疲れが溜まっていたので、素直に了承した。
(……もういろいろと疲れたから、何も考えないで寝るよ!寝るったら寝る!)
そう結論付けた私は、ロイドを送り出した後、すっきりするために歯を磨いてからベッドに入った。
ロイドの妙な行動はこの際無理やりスルーすることにして、目を瞑る。
――結局、なかなか寝付けないまま時間は過ぎ。
ようやくやってきた穏やかな眠りは、ロイドの手によって起こされる昼過ぎまで続いたのである。
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