第28話
波間を漂うような、ふわふわとしたとても心地の良い感覚から逃れるように、私は目を覚ました。
寝起きでぼんやりとした意識の中瞬きを繰り返すと、徐々に視界が明確になってくる。もう見慣れたと言っても過言ではない天井が視界いっぱいに広がり、ここがどこなのかすぐに知ることができた。
(私の、部屋……)
起きたばかりのせいかどうにも身体が怠く、起き上がるのも億劫だったので、寝転がったまま考えを巡らせる。
今はいったい何時頃なのだろう。朝ならば起きなくてはならないが、時計を見ないことには何とも言えない。室内が明るいため夜でないことは明白なのだが、朝にしてはやけに明るすぎるような気がした。
ゆっくりと首を動かし、視線で時計を探す。すぐに見つけた壁掛け時計の針は、十一時半を指し示していた。そろそろ昼に差し掛かるであろう時間であるが、私の頭は未だぼやけたままだ。
(十一時半……もうすぐ十二時かあ……まだ微妙に眠いんだけど起きなきゃダメかな?……ダメだよね?だってお昼ってことは、かなり寝過ごしちゃってるってこと、で……)
そこまで考えたところで、私は飛び起きた。
「そうだっ、私――!」
完全に、思い出した。
ロイドやクロノスと三人でメルカ遺跡に向かったこと、私だけが最深部に辿り着いたこと、それから――不思議な精霊の少女に出会ったことも。
「そう、精霊の女の子と一緒に光に包まれて……それからどうなったんだっけ。全然覚えてないんだけど……」
精霊の少女とともに、壊れた宝冠から立ち上った光の柱に足を踏み入れた先の記憶はひどく曖昧で、自分の身に何が起こったのかすら覚えていない。気を失ったのか、それとも眠ってしまったのか。ひとつだけはっきり言えるとすれば、私が無事にメルカ遺跡を脱出できたということだけだった。
現状把握も兼ねてきょろきょろと部屋の中を見回してみるが、特別変わった様子はない。敢えて挙げるとするならば、テーブルに置かれたガラス製の一輪挿しの存在だろうか。一輪挿しにはかわいらしい花が活けられているが、記憶にある限り私が用意したものではないはずだ。
「……んん?」
ふと、自室の扉が控えめにノックされる音がした。
誰だろう、と私が考える暇もなく、静かに扉が開かれる。
「――――あらぁ?」
片手でドアノブを掴んだまま目を丸くするその人と目が合った。
水差しとコップが乗った銀製の盆を片手に私の部屋を訪れたのは、クロノスだった。
「コトハちゃん!ああよかった!目が覚めたのね?」
「う、うん。今起きたばっかりだけどね」
「気分はどう?どこか痛いところはないかしら?」
「ううん、大丈夫」
部屋に入ってきた途端矢継ぎ早にぶつけられる質問に驚きつつ答えていけば、クロノスはほっとしたような表情を浮かべて私の傍に歩み寄ってくる。手にしていた銀製の盆は途中でテーブルの上に置いてくれたようだが、その置き方は随分と無造作で、水差しとコップがかちゃりと音を立てていた。
「ごめんなさいね、アタシてっきりアナタがまだ寝ているとばかり思っていたものだから、許可なく部屋に入ってしまったわ。女の子の部屋だっていうのに、失礼なことをしてしまったわね」
「いやいや、そんなの全然気にしないでいいんだよ!?私は別に気にしないし……というか、もしかしてクロノスって私の様子を見に来てくれたの?」
「んもうっ、そんなの当たり前でしょう!?アタシだってコトハちゃんのことがすごく心配だったんだから!」
私を真っ直ぐに見下ろす金色に輝く双眸は、彼の言葉を証明するように少しだけ揺れていた。それだけクロノスにも心配をかけてしまったということだろう。なんだか申し訳ない。だけど、クロノスの気持ちは純粋に嬉しくて、少しくすぐったかった。
「心配かけてごめんね、ありがとう」
謝罪と感謝の言葉を自然に口にすれば、クロノスは少しだけ視線を彷徨わせてから、ベッドサイドにしゃがみ込んだ。先程までと違って同じ目線で話すことができるので、見上げずに済むのはありがたい。そんなことを思っていると、突然クロノスが腕を伸ばして私の頭を撫で始めた。
「わっ!ちょ、ちょっとクロノス!?」
「――いいから。今は黙って撫でられときなさい」
驚いてクロノスの名を呼ぶが、彼は私の頭から手をどかそうとはしなかった。
有無を言わせぬような物言いとは逆に、その手つきは壊れ物を扱うように優しくて心地良い。どうして撫でられているのかはわからないけれど、とりあえずはクロノスの好きなようにさせておくことにした。
「それにしても、コトハちゃんが目を覚ましてくれて本当によかったわぁ……アナタ、二日も眠っていたのよ?」
「えっ!?うそでしょ、そんなに!?」
しみじみとしたクロノスの言葉に、私は思わず驚愕の声を上げた。私としては普通に一晩寝て起きたような心地だったのに、まさか二日も眠り続けていたなんて。何かの間違いではないのか、とクロノスに再確認してみるけれど、彼は「本当よ?」と至極真面目な表情で頷くだけ。
「嘘なんてついてどうするの。間違いなく、メルカ遺跡に行った日から二日経っているわよ?」
「そ、そうだったんだ……」
さすがに寝過ぎだろう、と内心自分に突っ込みを入れる。しかし、これで謎の倦怠感について得心が行った。二日も寝続けていては、確かに身体も怠くなるはずだ。
「どうする?コトハちゃん。アナタが寝ている間のこと、詳しく聞きたい?ま、そこまで大したことはないのだけれど」
「うん、もちろん!聞きたい聞きたい!大したことなくても聞かせて!」
聞かない、なんて選択肢は最初から無い。
するとクロノスは「本当に大したことないのよ」と笑って私の頭から手を離し、これまでの経緯を語ってくれた。
――メルカ遺跡で、私が見えない壁の向こうに擦り抜けて行ってしまってからのこと。
クロノスとロイドの二人は、私が暗闇の中を動き回っている間に外側から脱出方法を探ってくれていたらしい。クロノスは
そうして、二つ目の部屋まで戻ってきた直後。
二人の目の前に、突如として巨大な光の柱が出現した。何事かと身構える二人を尻目に、光の柱はどんどん細くなってゆき、やがてぱちんと弾けるように消え去ってしまう。そして光の柱と入れ替わるように、空中に私が現れたのだそうだ。私は空中に横たわるような格好で浮いていたが、すぐにロイドが腕を伸ばして受け止めてくれたため、地面に落下するようなことはなかったらしい。
ロイドに限ってコトハちゃんを落とすような真似はしないでしょうけれど、とクロノスは笑っていたが、私自身はまったく記憶が無いのでどう反応していいのかわからなかった。
それはさておき。
ロイドの腕の中で呼びかけにも答えず眠り続ける私を見て、二人はこれ以上の長居は危険だと判断し、メルカ遺跡を出た。ティレシスを出発したのは午前中だったのに、見上げた空は既に茜色に染まっていて、馬を走らせ宿に戻る頃には日もほとんど沈みかけていたとクロノスは言った。
「それから今までずうっと、コトハちゃんは眠り続けていたってわけ。アナタがあまりにも起きてくれないものだから、久しぶりにヒヤリとさせられちゃったわ。ふふっ!」
「うっ、それは……ご心配をおかけしました……」
「王子様のキスがなくても眠り姫は目覚める、ってことかしら?……っと、今は冗談は置いておきましょうか。アタシよりもコトハちゃんのことを心配していたロイドに、コトハちゃんが目覚めたことを教えに行かなくっちゃね?」
「そういえば、ロイドは今どこに?話にはたくさん出て来るけど、本人の姿はまだ見ていないよね」
「ああ、彼なら自分の部屋にいるはずよ。ふふ、ロイドったらコトハちゃんが目を覚ますまで傍についてるって聞かなくてねェ。全然眠ろうとしないものだから、ついさっき
クロノスだけでなく、ロイドにも多大な迷惑と心配をかけてしまったことは明白である。
目を覚ますまで、とは言うけれど、私は普通に眠ったわけではない。意識の無い私がいつ目覚めるのかなんて、正直誰にもわからない。だから私としては、多少強引にでもしっかり眠ってもらったほうが良いと思うのだ。
「強引にって……まあいいや。それよりロイドって今寝てるの?さっきベッドに入ったばっかりなんでしょ?そんなすぐには寝られないんじゃない?」
「心配しなくてもちゃーんと寝てるわよぉ?ただ……そうね。方法がちょっぴり強引すぎたかもねェ。ふふふ、後でロイドに怒られそうだわぁ」
「あ……はは」
クロノスは楽しそうに笑っているが、彼はいったい何をしでかしたのだろう。
(気になるけど……藪蛇になりそうだからやめとこうかなあ……)
後で怒られそうだというクロノスの台詞から察するに、その方法はロイドにとっては不本意なものだったに違いない。
結局私が疑問を口にすることはなく、ロイドを起こしてくると席を立ったクロノスを黙って見送ったのだった。
* * * * * *
数分後。
隣室から大きな物音が聞こえてきたかと思うと、廊下中に響き渡りそうなほど強く扉を開けるような音がした。
「えっ、ちょっ、何事!?」
突然の出来事に一瞬身を竦ませるも、すぐに身構える必要などなかったことを知る。
私の部屋の扉が、勢い良く開け放たれたからである。
そして呆然とする私の視線の先、部屋の入り口に立ち尽くしていたのは――
「ロイド!?」
瞠目する私の視線の先には、隠し切れないほどの焦りを表情に滲ませたロイドの姿があった。
ロイドは私と視線がぶつかると、小さく私の名を呼んだ。呟くような声音に私が反応する前に、ロイドの強張っていた表情が目に見えて緩む。心から安堵したとでもいうような、そんな表情へと。
「コトハ……」
ロイドは私の名をもう一度口にすると、足早にこちらに近付いてくる。
私は未だベッドの上で上半身を起こした状態のままなので、ロイドが近付いてくるのをただ眺めているだけだ。クロノスの時も思ったが、私はこのままベッド上にいてもよいものだろうか。
「ああ――コトハ。良かった……目が覚めたのですね」
「ええっと、ついさっき起きたとこかな。ごめんね、ロイドにもすごく心配かけちゃったよね」
ベッドから降りる機会を逃したままそう返答すると、ロイドはゆっくりと首を横に振った。
「そのような瑣末なことは気になさらなくても良いのですよ、コトハ。私は貴女がご無事であれば――目覚めてくれたのなら、それだけでいい」
言うが否や、ロイドは私の傍で片膝をついた。
クロノスといいロイドといい、こうして姿勢を低くしてくれるのは何故なのだろうか。単にどちらかが立ったままでは話しにくいという理由かもしれないし、もしかしたら私への配慮なのかもしれない。
そんなことをぼんやりと考えていたせいか、ロイドが私をじっと見つめていたことに気付くのが少し遅れてしまった。
「……ロ、ロイド?いったいどうしたの?」
見られていることにようやく気付き動揺しながらそう問えば、ロイドは何か言いたげに口を開きかける。しかしすぐに口を閉ざし、躊躇うように視線を落とした。
(睫毛、長いな。髪もさらっさら)
ふとそう思ったが、私がそれを口にすることは無い。
「ねえ、ほんとにどうしたの?何かあるなら言って?」
何か言いたげなのにそうしないロイドが気になり、さらに言葉を重ねる。
するとロイドは顔を上げないまま、小さな声で呟いた。
「…………ひとつ」
「え?」
「ひとつ、私からお願いがあります」
「お願いって?」
ロイドは私に何を願おうとしているのだろうか。状況的に心配させないでほしいとか、そういった類のものだろうか。いろいろと予想を立てながら、ロイドの言葉を待つ。
ややあって、ロイドは伏せていた顔を上げ、私と視線を合わせてきた。クロノスの金の瞳とはまったく異なる青色が、私を射抜くように見つめ――言った。
「貴女に、触れたい。貴女に触れて、貴女が無事であることを確認したい。手を――握っても、かまいせんか?」
どくん、と。
心臓が跳ねる音が聞こえた気がした。
(……い、いやいやいや!だめだめ、何ときめいてんの自分!)
手を握られることなんて大したことないはず。それでも、こうして面と向かって言われるのには慣れていない。異性から触れたいだなんて言われて、照れないはずがないのだ。
(そう、ロイドの言い回しが悪いんだ!誤解を招くような表現をするからいけないんだ!まったくこれだからイケメンってやつは!)
内心悪態をつくことで自分を誤魔化して、私は平静を保つ努力をする。
頬に熱が集まっているような感覚は、きっと気のせいだ。
(ロイドは以前から恥ずかしい言動が多かったもの)
ロイドは私を心配しているだけ。私が無事であることを確認したいがゆえに、こんなことを言ったのだ。 そう思えば、別にどうということはない。ただの言い回しの問題なのだ。
「…………いいけど」
だけどやっぱり照れくさいことには変わりない。おかげで呟くような声音になってしまったのだけれど、ロイドは気にした様子もなく、嬉しそうに微笑んだだけだった。
ロイドは私の片手を引き寄せると、自身の両手で包み込むようにして触れてきた。
優しく、大切そうに握り込まれた、私の手。
それを包むロイドの手は、とてもあたたかかった。
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