第29話


(さて、私はいつまでこの羞恥プレイに耐えなければならないんだろうか……)


 照れくさいような、どこかこそばゆい気持ちを抱えたまま過ごすことしばらく。

 繋がれた両手は、未だ自由になることがない。

 ぽつぽつと会話らしきものは続いているのだけれど、私はどうしても手のことが気になってしまい、自然と視線はそちらを向いてしまう。時折俯くような形で視線を外してしまうことは正直とても申し訳ないのだが、こういったことには不慣れなのだからどうか許してほしい。こんな風に長時間、異性と手を繋ぐこともそうあることではないのだから。

 ロイドは私が不自然に視線を彷徨わせることに気付いているようだったけれど、不思議がることはなかった。どうやら私が本調子でないためだと考えているらしく、しきりに私の体調を気にする様子が見受けられる。だが、それでもロイドは私の手を離そうとはしなかった。その行動に理由があるかどうかはロイド本人にしかわからないが、彼の態度からは何も窺えない。

 ただ、それほどまでに彼に心配をかけてしまったのかと考えれば、多少恥ずかしくても甘んじて受けるべき事柄なのかもしれなかった。


(……いやいやいや、どう考えてもおかしいでしょ!?何考えてるの自分!距離感って大事だよね!?)


 脳内で即座に自分の考えを否定し、会話が途切れたのをいいことにロイドをちらりと見上げてみる。


「コトハ?」


 どうしましたか、とでも言うように、ロイドは私と目が合うとこちらをじっと見つめてきた。


(……う)


 そろそろ手を離してほしいだけなのだけど、どうにも言い出しづらい雰囲気がそこにある。

 手に力を込められているわけでもないので、振り解こうと思えばすぐに振り解けるのだが、実行する勇気など私には無かった。

 それよりも、最近ロイドのスキンシップ率が高い気がするのは気のせいだろうか。私が気にしていなかっただけで、最初からスキンシップ自体はあったように思えるが、頻度は覚えていない。

 初めて会った時、泣き出した私を抱き締めてくれたという、今思えばこっぱずかしいことこの上ない思い出さえあるのだ。あの時のことは黒歴史すぎてあまり思い出したくない。ロイドの記憶からも消してしまいたいくらいの出来事である。


(そういえば、ロイドの腹に一発入れた気がしないでもない……よなあ……)


 私が異世界への片道切符を手にした原因の一端を担った――かもしれない存在がロイドだと知り、怒りをぶつけた。今思えば、無礼にも程がある振る舞いだっただろう。

 ――ああ、今すぐ地中深くに埋まってしまいたい。


「コトハ?大丈夫ですか?もしや、目が覚めたばかりの貴女に無理をさせてしまいましたか?」


 血の気が引く思いでぼんやりと手元を眺めていると、ロイドが私の顔を覗き込んできた。

 私はロイドに大丈夫だと言おうとして――すぐに止めた。


「ねえロイド」

「はい?」

「私よりもさ、ロイドの方が無理してるんじゃないの?」


 両手を引っ込めるような形で、私は思い切って両手を包むぬくもりを遠ざけた。

 思った通り簡単に自由になったその手を動かし、ロイドの顔にそっと触れる。


「ほら、くま

「――っ!?」


 顔に触れた瞬間、ロイドは息を呑んで驚いている様子だったけれど今は気にしないでおく。

 私の顔を覗き込んだことにより、近くなったロイドの顔。

 よくよく見てみれば、彼の顔色は冴えず、目の下にはうっすらとくまができていた。いつもより疲労の色が濃いようにも思える。

 クロノスの話によれば、私は丸二日眠り続けていたらしいし、ロイドはその間全然眠ろうとしていなかった。これはどう考えても寝不足だろう。


「クロノスから聞いた通りだった。ロイド、ちゃんと寝てないでしょ」

「それは……」

「ダメだよ、ちゃんと眠らなきゃ。心配してくれるのはありがたいし、嬉しいけど、ロイドが身体を壊しちゃ元も子もないんだから」


 言い淀むロイドを前にそう口にすると、私はゆっくりと彼の目の下の隈を指でなぞった。

 僅かでも休息をとらなければ、体力など持つはずもない。先程のクロノスの言葉を聞き、多少無理やりにでも寝てほしいとは思ったものの、実際にロイドの様子を目にした今、その考えは間違っていなかったのだと悟った。なるほど、クロノスが強引な手段を用いる訳だ。

 治癒術士ヒーラーならばこういった時柔軟に対応できたのかもしれないが、生憎この世界ではお目にかかったことすらないため、よくわからない。


「私のことはいいから、今からでも寝てきなよ。後でちゃんと起こしたげるからさ」

「いいえ、それはできません」

「どうして?」

「まだ貴女の身に何が起こったのか聞いていませんから。それに、私の身体のことなどどうでもよいのです」

「どうでもいいって……」


 どうでもいいわけがない。そう言い返そうとした私の言葉を遮るように、ロイドが呟く。


「扉の向こうから貴女が戻ってくるまで――いえ、貴女が私達の元に戻ってきてからも、私は本当に気が気ではなかったのです。主人マスターを守るべき騎士だというのに、私は何もできなかった」

「そんな……私は無事だったんだし、別に」

「私は、貴女の存在以上に大切なことなど何も無い」


 ロイドは顔に触れたままの私の手に自身の手を重ねると、まるで猫が擦り寄るように、私の手を頬に軽く押し付けた。


「こうして貴女と共に過ごす時間の方が、私には重要なのですから」


 ――そうして、ほんのり頬を染めて、優しく、蕩けるように微笑むから。


(う、わ……)


 彼に他意が無いことは知っているはずなのに。

 仲間だからこそ、心配してくれているのだとわかっているのに。


(そんなことを面と向かって言われたら、照れちゃうでしょうが……)


 言い回しをもう少し考えた方がいいよ、とアドバイスしたいくらい、すさまじい威力の言葉だった。

 人によっては勘違いしてしまうよ、と。そういう台詞は私に言うべき内容じゃないでしょ、と。

 今までに何度も何度も思ったことだけれど、今は何も言い返せない。顔が熱くて、鼓動が少し早くて、見えなくても自分が赤くなっていることなど明白だった。

 どうしてロイドはこう、私を照れさせるようなことを平気で言うんだろう。本当に謎すぎる。


「コトハ、私は――」


 言葉に詰まる私にロイドが何かを言いかけた、その直後。


「はぁーいコトハちゃん!入るわよぉ!」

「うわぁっ!?」


 ノックもそこそこに、突然クロノスが部屋に入ってきた。

 私は驚きの声を上げると同時に、思い切り両手を引いてロイドの手から逃れる。このおかしな雰囲気を払拭したかったためと、単純にクロノスに見られるのは恥ずかしいという思いもあったためだ。後から失礼だったかもしれないと思ったものの、ロイドは特に私を咎めるようなことはしなかった。


「あら?コトハちゃんってばどうして驚いているのかしら?」

「クロノス、貴方が突然入ってきたからでしょう。いったいどこへ行っていたのですか?」

「あらまあ、それは失礼したわね。アタシはコトハちゃんに何か食べる物を用意したかったから、宿屋の女将にお願いしに行ってたのよ。二日ぶりの食事だし、胃がびっくりしないように軽食をお願いしておいたからね?」

「そ、そうだったんだ……どうもありがとうね」


 クロノスの気遣いに、私は素直に礼を言った。

 クロノスはどういたしまして、と笑いながら、私とロイドの方に近寄ってくる。


「食事が運ばれてくるまで時間があるから、コトハちゃんさえよければ早速話を聞きたいのだけれど……どうかしら?」

「話って、メルカ遺跡で何があったのかってことでしょ?」


 別行動していたロイドとクロノスの話は既に聞いている。けれど私のことはまだ誰にも話していない。


「うん、もちろんだよ」


 彼らだって、メルカ遺跡の奥で何があったのか知りたいだろうから。


* * * * * * 


 私はメルカ遺跡深層部で起きた出来事のすべてを、二人に話して聞かせた。

 見えない壁の向こうで発見した豪奢な扉の存在や、それを開けるために拾った三本の鍵が必要だったこと。そしてその扉の奥の部屋で、精霊の少女と出会い、彼女の持ち物であった宝冠の力で脱出を図ったこと。そこから先の記憶は無く、目覚めたら宿屋だったこと。

 その間ロイドとクロノスは相槌程度しか言葉を発さなかったけれど、終始真剣に耳を傾けてくれていたのがわかるので、とてもありがたかった。


「――そう。これで納得がいったわ」


 私の話が終わり部屋に静寂が満ちる前に、クロノスが感慨深げに息を吐いた。


「あの見えない壁をコトハちゃんだけが通ることができたのは、魔力が無いからだったのね」

「かもね。私の推測も混じってるから、正確なところはわからないけど」

「あら、アタシは正解に近い解答だったと思うけれど?だって、人間ひとよりも魔力に近しい精霊がそう言ったのだもの。アタシは信ずるに値すると思うわ」

「しかし、メルカ遺跡に封印された精霊……ですか」


 考え込むように視線を逸らしたロイドが、ふと呟いた。


「力を思いのままにできず、精霊を遺跡の奥深くに封じるなど。惨いことをするものですね」

「そうね。欲深い人間はいつだって自分のことしか考えていないもの。欲望のまま誰かを傷つける存在がいる限り、こういった出来事は続いていくのでしょうね。……最も、今回彼らが支払った代償は、大きすぎるものだったようだけれど」

「え……?」


 私はクロノスを見上げて、目を瞬かせた。

 代償、とはいったい何のことを言っているのだろう。私は精霊の少女から聞いたことをそのまま口にしただけで、代償の話など一切していないはずなのに。

 そんな私の疑問が伝わったのだろうか。クロノスは苦笑して、肩をすくめてみせた。 


「アタシはただ、その王家の話をいるだけよ」


 アタシも人づてに聞いたことなのだけれど、と前置きしてクロノスは語り出した。


 ――その昔。ある大陸に、ひとつの国があった。

 その国は数多くある国の中のひとつに過ぎない小国だったけれど、民が日々の糧を得て穏やかに暮らすには充分で、大きな騒乱もなく極めて平和な場所であった。

 しかし、国の頂点である国王が何度目かの代替わりを行った時、その束の間の平和は覆されることとなる。


「何代目かの王は、それまで平和主義を貫いてきた国に改革をもたらそうとしたの」


 いつまでも小国に甘んじている先代達のような腑抜けではないと。

 国の更なる発展を願い、いつか大国にまで伸し上がってやると、野心を燃やした。


「アタシはその時代を生きたわけではないから正確には知らないけれど。それまでとは真逆の政治を無理やり推し進めていたみたいよ」


 ――そんな最中。

 改革に揺れ動く国に、小さな精霊が降り立った。

 王子が連れてきたという精霊を、国王は城内に留め置いた。国王は精霊の存在もその力も信じてはいなかったが、息子の初めての友人に気まぐれを起こしただけだった。だが、王子のために惜しげも無く魔法を使う精霊の姿を目の当たりにし、いつしかその強い力を欲するようになった。

 姿かたちは幼くても、精霊は精霊である。彼らの強大な力さえあれば、他国を圧倒できるはず。自分の地位も安泰であるはずだと。

 そう考えた国王は、自国のために力を捧げよと愚かな命令を下すが、精霊は国王の命令を撥ね付けた。あまつさえ周囲からも精霊の怒りを買うのはよくないのではと進言される始末である。

 思い通りにならない現実に業を煮やした国王は、国外から招いた力ある魔術師ウィザードに命じ、精霊をちょうど建設が終わったばかりの建物の中に封じてしまったのだった。


 ――ここからは、封じられた精霊本人も知らない話。

 国王は、精霊を封じるために魔術師ウィザードが構築した結界魔法の内容を知らなかった。彼が知らなかったのは当然であり、必然であった。魔法を行使した魔術師ウィザード本人が、魔法の内容を明かさなかったからである。最も、国王自体は精霊が自分に従うまで封印を解くつもりがなかったので、別段困ることはなかったそうだ。

 精霊を手中に収めたと思い上がった国王は、周囲の反対を押し切って民に圧政を敷き、今後起こり得る戦争のために兵役までも課した。国民達は望まない政治に徐々に不満を募らせてゆき、秘密裏に反乱の火種を燻らせていく。


 ――何がきっかけだったのかは誰も知らない。

 けれど、事件は起こるべくして起こってしまったのだ。


「それは、民衆による革命」


 民衆は、自分達を省みない国王などいらぬと、武器をとって立ち上がった。

 押し寄せる民衆、止まない怒号。四方八方から火を放たれ、燃え盛る白亜の城。

 本来国王を守るために存在する兵士達も、混乱に乗じてほとんどいなくなってしまった。

 崩れ落ちていく城から、それでもなお生き延びようとする国王。

 しかし、結局彼は逃げ切る前に討たれ、焼け落ちた城と運命を共にする。


「王を討ったのは、民衆でも兵士でもない。彼の息子である、王子だったの」

 

 王子が何を思って国王を討ったのかは今でも謎のまま。

 民衆による革命が成功したのを見届けた後、王族としての責任をとり自害したのだそうだ。


 そうして本来平和だったはずの小国は、国王の犯した過ちにより、歴史の闇に沈む。



「――このお話はとても古くて、今ではあまり知る者もいないの。国が消えて、散り散りになった民衆の子孫達の一部が、戒めの意味も込めて語り継いでいるだけ」

「戒め……」

「そう。不用意に精霊に手を出してはならない、精霊の怒りを買ってはならない……とね」


 私の呟きを拾い上げたクロノスが、最後に笑ってこう付け加えた。


「力に狂った王なんて、大抵ろくなもんじゃないわ」

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