第20話


 その夜、私は夢を見た。

 母親と父親と私――家族みんなで食卓を囲み、笑い合っている――そんな夢。

 何気ない日常のワンシーン。何を話していたのかまでは覚えていない。だけど、みんな笑っていた。

 光あふれる、とても幸せな夢だった。


(お父さん、お母さん……)


 私がそう呟いたとき、唐突に場面が切り替わる。

 今度も、家族で食卓を囲む夢だった。

 だけど、先程までの夢と違って、父親と母親の表情は暗かった。テーブルに並べられたおいしそうな料理には手が付けられておらず、楽しそうな笑い声はどう耳を澄ましても聞こえてこない。


(ねえ、二人ともどうして悲しい顔をしているの?何かあったの?ねえ、どうしたの?)


 話しかけてみても、誰も私の言葉には反応してくれない。

 それどころかこちらを向いてもくれず、ただ悲しい顔で食卓を眺めているだけだ。

 まるで、私がこの場から消えてしまったみたいだ――そこまで考えて、私は唐突に理解した。


(――ああ)


 先程の夢との決定的な違い――それは。


(そう、私が、)


 ――この世界に存在しないこと。


「琴葉……琴葉!どこに行ってしまったの!?」 


 とうとう、母親が両手で顔を覆って泣き出した。それを宥めるかのように、父親が母親の頭を撫でる。


「あの子はきっと帰ってくる。警察だってあの子を探してくれてるんだ。だから、それまで信じて待たなければ」


 母親を諭しながらもまるで自分に言い聞かせているような、そんな物言いに、私の胸はぎゅっと締め付けられる。


(絶対……絶対帰るから!二人のいる世界に、帰るから!だから……だから)


 どうか、待っていて。

 その言葉は音にならないまま、私の世界は白く塗り潰された。


* * * * * * 


「……ん」


 水の中から浮上するように、ゆっくりと意識が戻ってくる。

 心地良いまどろみの中、抗うように目を開ければ、カーテンの隙間から零れ落ちる朝の光が私の視界を刺激した。


「……朝」


 ぼんやりとした頭でそれだけ呟くと、私はわずかに身じろぎした後、起き上がる。


「うーん……ふああ……っ」


 大きく伸びをし、欠伸あくびをひとつこぼす。

 ちょっと名残惜しい気もするのだが、私は無理やり布団の温かさに別れを告げると、寝台を降りた。


「あー、まだ眠い!でも今日は二度寝できないからねー」


 言いながら、私は部屋のカーテンを勢い良く開ける。

 ついでに窓を少しだけ開けてやれば、心地良い風か外から吹き込んできた。

 朝日が眩しい。青く広がる晴天に浮かぶ雲は少なく、今日は絶好の外出日和だと思われる。


「うん、良い天気だ!今日はがんばらなくっちゃね!」


 青空に向かって、気合を入れるように笑顔を作る。

 今日は、初めての遺跡探索の日。そう、私にとって初めての冒険の日なのである。


 手早く身支度を済ませ、一階に降りていくと、ロイドは既にテーブルについていた。

 彼は窓側に位置する二人掛けのテーブルに座り、外を眺めながらティーカップを傾けている。その様が恐ろしく絵になっていることに気が付いて、美形は何をやってもすごいんだなと、半ば感心してしまう。

 それにしてもロイドは、どれくらい前から私を待っていたのだろうか。まあそこは考えるまでもなく、私より早く来たのは確実だろうなと、私は足早にロイドのいる席へと近付いていく。


「ロイド!おはよう」


 声をかければ、ロイドは私の方を向いて「おはようございます」と微笑んでくれた。

 静かにテーブルに置かれたティーカップの中には、茶色の飲み物が半分程度入っている。紅茶か何かだろうか。彼の足元には、あの魔法の鞄が置かれていた。


「早いね、私さっき起きたばっかりなのに。待ったでしょ?」

「いいえ、それほど待っておりませんよ。コトハも時間通りですし、私は早くに目が覚めて時間が空いてしまっただけですから。大丈夫ですよ、ありがとうございます」

「そう?ならいいんだけど……じゃあとりあえず、朝ご飯にしよっか?」

「そうですね。では私が宿の者に声をかけてきますから、コトハはどうぞ座ったままで」

「あ、ありがとう」


 ロイドは私を椅子に座らせると自分は席を立ち、給仕の女性をつかまえて一言二言話をしてからすぐに戻ってきた。話しかけられた給仕の女性はちょっと顔を赤くしているようだったけど、当のロイドはその事実に気付いていないのか、それとも興味が無いのか、何事もなかったかのような表情をしている。


(……イケメンって罪だよなあ……)


 二人で服を買いに行ったときもそうだったけど、なんてしみじみとしてしまうのは仕方のないことだろう。本人には絶対言わないけど、王子様然としたロイドのイケメンっぷりにもいつも感心させられる。顔も性格も満点って、どれだけハイスペックなの。本人無自覚みたいだけど。


「お待たせいたしましたー」


 そうこうしているうちに、私達のテーブルに料理が運ばれてきた。

 今朝のメニューは、バターの香りがふんわりと漂う焼きたてのクロワッサンにコーンクリームスープ。別皿にはベーコンエッグとソーセージが乗せられていて、グリーンサラダもついている。グラスに注がれた飲み物は冷たいオレンジジュースのようだった。

 私達は時折雑談を交えつつも、ゆっくりと朝食を食べ進めていく。

 やがてお互いのほぼすべての皿が空になると、少しの腹休めの後、私達はどちらともなく席を立った。


「……それじゃ、そろそろ行きますか!集合時間、もうすぐでしょ?」

「はい。ここも他の客で混み合いますし、外に出て待っていたほうが良いでしょうね」

「うん、じゃあそうしよー」


 途中ですれ違った給仕に声をかけ、席を離れる旨を伝えてから、宿の出入り口へと向かう。

 そのまま扉を開け、ドアベルの音に後押しされながら外に出てみるが、そこに目的の人物の姿はないようだった。


「クロノスはまだ来てないみたいだねえ」

「集合時間までまだ少し時間がありますからね。このまま待つと致しましょう。立ったまま待つことになってしまいますが、大丈夫でしょうか?」 

「ん?全然大丈夫だよ?もう、ロイドったら心配しすぎ!」


 ただでさえ、私はロイドに甘やかされているのだから。

 そんなに心配しなくてもこれくらい大丈夫だよ、という意味も込めて、隣に立つロイドの腕をぽんと軽く叩いてやる。すると彼は何か言いたげに口を開きかけるもすぐに閉口し、やがて困ったように微笑んで「はい」とだけ答えてくれた。


「それに、もうすぐクロノスも来るかもしれないしねー」


 ロイドの顔を見上げながら、私が適当にそんなことを口にした、直後。


「……コトハちゃーん!ロイドー!」


 どこからか、聞き覚えのある声が聞こえてきた。

 二人揃って声のする方に顔を向ければ、遠くからクロノスが手を振りながらやってくるのが見えた。

 私は返事の代わりにクロノスに手を振り返すが、ふと、彼が思いがけないものを引き連れてきていることに気付き、顔を引きつらせる。


「……う、馬?」


 クロノスが片手に持つ引き綱らしきものの先に繋がれていたのは、なんと二頭の馬だった。

 思わずロイドを振り仰ぐが、彼に驚いたような様子はなく「借りてくる手間が省けましたね」などと言っている。


(え、びっくりしたの私だけ!?というかなんで馬!?)


 軽く混乱する私を知ってか知らずか、クロノスは笑顔のまま二頭の馬を連れてゆっくりとこちらにやってくる。クロノスは私達の近くまで来ると、片手を上げてひらひらと横に振った。


「おっはよー、お二人さん!ちょっと待たせちゃったかしら?」

「う、ううん、そんなに待ってないよ。おはよう。ねえ、ところでその馬、どうしたの?」


 挨拶もそこそこに、一番気になっていたことを聞いてみる。

 クロノスの横でおとなしくしている二頭の馬を恐る恐る指差してみると、彼は事も無げに「ああ」と言い、馬に視線を投じた。


「この子達は、ついさっき馬小屋で借りてきたの。メルカ遺跡まで徒歩で行くとなるとけっこう時間がかかってしまうし、何より疲れてしまうじゃない?だから足はあったほうがいいかと思って」

「そ、そうだったんだ?普通に歩いて行くんだと思ってた……」

「歩いても行けることは行けるのだけれど、体力が続かなくなるわよぉ?普通の女の子じゃとても無理ね。メルカ遺跡に着く前にへとへとになってしまうわ」


 コトハちゃんなんて初めての冒険でしょ、とクロノスがウインクを投げてくる。

 どうやら、私のことも考えて馬を借りてきてくれたらしい。


「そっか、ありがとねクロノス」

「ふふっ、いいえ?どういたしまして」

「私からもお礼を。クロノス、借りに行く手間が省けて助かりました」

「んふふ、もっと褒めてくれたっていいのよぉ?」


 ロイドに向かって得意気に笑うクロノスから視線を外し、私は二頭の馬をじっと観察してみる。

 茶色の馬と、黒色の馬。大きさはどちらも同じくらいに見えるが、初めて近くで見た馬は思いの外大きく感じた。二頭とも、黒い瞳に穏やかな光をたたえていて、突然暴れ出すようなことはなさそうだ。


(傍で見たのはこれが初めてだけど、けっこうかわいいなあ……)


 ちょっとだけ触ってみてもいいだろうか――そう思い、茶色の馬に向かってそろりと手を伸ばそうとする。途端、クロノスの小さな笑い声が耳を掠めた。


「ふふっ、コトハちゃん馬に触りたかったの?」

「いや、だって馬をこんなに近くで見たの初めてだし!触ってみたくもなるでしょ!?」


 クロノスの面白がるような声音に思わず手を引っ込めてそう反論すれば、クロノスは「初めて?」と目を瞬かせた。


「……ってことは、もしかしてコトハちゃんって馬に乗るのもこれが初めて?」

「うん、そうだよ。全然乗ったことない」


 クロノスの問いに、私は大きく頷いた。

 元の世界では、移動手段に馬を使うことなんてほとんど無いに等しい。あるとしても、機会が限られているはずである。少なくとも、現代日本では。

 そのことを簡単に説明すれば、クロノスはロイドの方をちらりと見やってから、私の方を向いた。


「じゃあやっぱり、借りるのは二頭で正解だったわね」

「……えっ?」


 どうして、という疑問は、クロノスのどこか楽しそうな笑みに掻き消される。


「だって、アタシ達がコトハちゃんを一人で馬に乗せるわけないじゃなーい!」


(あっ、なんか嫌な予感がする)


 これ以上聞きたくない。

 聞いてはいけない気がする。

 そんな私の願いもむなしく――クロノスは少しだけ身体をかがませると、私と目線を合わせたまま、言い放った。


「さあ、コトハちゃん?アナタはアタシとロイド、どちらと馬に乗る?」


 ……これは何の羞恥プレイですか。勘弁してください。

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