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 今日は、店内がとっても和やかなムードに包まれている。なぜなら、お店に来るすべての年代層が、まるで、近所の叔父さん叔母さん、じいじ、ばあばになっているからである。その原因を作っているのは、孝之さんの娘さんの結衣ゆいちゃんだ。


「ゆい、ね。えらまめ、じょうずにたべれるんだよ♪」


 と、言って、先程から一人黙々と枝豆の鞘から豆をお皿の上に取り出しては、そのちっちゃな手で摘み上げて、口の中へと運んでいく。


 孝之さんに結衣ちゃんの好みの話を伺ったところ、これといってアレルギー的なものはないそうなのだが、少し偏食気味なのだとか。なので、お刺身はダメ。焼き魚もダメ。煮付けもぶり以外はダメ。たまご焼きは甘くないとダメ。(辰さんが注文した、だし巻きを一口食べて「これキライ……」と言ったため判明) 鶏と豚はいいけど、牛はダメ。野菜はピーマンはだめ(このあたりは子供っぽいので予想通り)


 そんな状態なものだから、


「結衣ちゃん。お魚、美味しいよ?じいじと一緒に食べない?」


 辰さんが鮎の塩焼きを食べやすいように、ほぐしながら声をかけたところ、


「おさかなは、きりゃいなの!」


 と、一蹴され、まるで孫娘に怒られたじいじのように意気消沈する辰さんを見ていると、不憫に思えてしかたがなかった。今のところ結衣ちゃんが食べてくれたものは、冷し茶碗蒸しと、蒸鶏の胡麻和え、そして、今、夢中になっている枝豆くらいであった。


「すいません……。結衣、お姉ちゃんのご飯食べたかったんじゃないの?」


 枝豆の鞘の部分を別の鉢に移し、おしぼりで結衣ちゃんの手を拭いてくれている孝之さんに向かって、


「だって、おねえちゃん、おかあさんがだいどころでするみたいなことしてないよ?」


 と、結衣ちゃんは言った。子供というのは、見ていないようで、本当にしっかりと見ているものだと改めて痛感する。実は、孝之さんと結衣ちゃんがお店に来てから、私は一度も包丁を握っていないし、火を使う調理も一切していないのである。本当のことを言うと、結衣ちゃんが食べた料理のうち、『冷し茶碗蒸し』は私が作ったものなので、私の作った料理を食べたといえば、食べたことになるのだが、それを話しても納得してくれなかった。結衣ちゃんの中では、私が包丁を握り、調理をしているところを自分の目で見ないことには、私の料理と認定するつもりはないのである。


「結衣ちゃん。おじさん、お父さん達のご飯を作ってたら疲れちゃったから、そろそろお姉ちゃんと交代するんだけど、お姉ちゃんに何を作ってもらいたいかな?」


 そう言うと、大将は、まな板の上を布巾でサッと拭き、小さなお客さんのご要望に答えるべく、私と交代する準備を始めた。大将のその問いかけに、小さなお客さんは、


「うーんと、ゆいね。おにくで、みどりのいろえんぴつ を まいたやつがたべたい♪」


 みどりのいろえんぴつ?はて?なんのことだろうか?


「緑の色鉛筆?って、なんだい結衣ちゃん。」


 同じ疑問を辰さんが代弁してくれた。


「えっとねぇ……ながーくて、さきっぽがやわらかくて、ウロコみたいなのがついてて、しゃきしゃきしてるやつ。」


 あ、なるほど、わかった。あれだ。ヒントを得たことで、私の中である食材の事が頭に浮かんだ。冷蔵庫の中から、濡らした新聞紙に包まれたそれを取り出し、下処理を開始する。


「すげぇな、とみちゃん。いまのなぞなぞでわかるってすげぇなぁ。」


「そりゃ、こう見えても、一応料理人ですからね♪」


 と、勝ち誇る私。辰さんの座っている席からは、私の手元を見ることはできないので、何を調理しているかは完成品を見るまでのお楽しみ状態。カウンターの上に身を乗り出すような形で私の手元を食い入るように見ている結衣ちゃんの表情を見る限り、私が作ろうとしているものはどうやら正解のようである。


「はい。出来ました。」


 そう言って、結衣ちゃんの前に、出来上がった料理を並べる。


「おねえちゃん、ありがとう♪ゆい、これ、だいすきなの♪」


 緑の色鉛筆を豚バラで巻いて、崩れないように爪楊枝で刺されたそれを一つ摘むと、小さな口をいっぱいに広げてパクリと一口で頬張った。


「ははぁーん、なるほどねぇ。緑の色鉛筆。確かに言われてみれば色鉛筆だわな。」


 と、正解の料理を見て、辰さんは二度三度うなずき納得した様子である。


「アスパラガスもそろそろおしまいですからね。もう一ヶ月遅かったら結衣ちゃんガッカリさせちゃうところだったかも。」


 そう、緑の色鉛筆の正体とは、アスパラガスのことである。一般的に私達が口にしているのは、オランダキジカクシなどと呼ばれる種類のものである。成長すると、葉のように見える枝の部分が雉が隠れるほど大きく育つことから、この名前がついたのだという。


 一般的には、ホワイトアスパラガスとグリーンアスパラガスとあるが、品種的な違いはなく、その色の違いは育て方にある。ホワイトアスパラガスは、芽が出る春先に土を盛り、芽を日に当てずに伸ばした、いわゆる軟白栽培をしたもの。栽培方法は色々あるそうだが、完全にフィルムで遮光しマッシュルームのように栽培する方法などもあるらしい。一方のグリーンアスパラガスは、一般的には芽が出るままにする。日光に当たることで葉緑素が沢山作られ緑色になるのである。その分、ホワイトアスパラと比べ栄養価は高く、カロテンなども多く含まれている。


 シャキシャキとした食感と栄養を求めるならグリーンを、柔らかい食感と甘みを楽しみたいならホワイトを選ぶとよいであろう。


「おとうさん。これ、おかあさんのよりも、シャクシャクしてておいしいよ。」


「そりゃ、お姉ちゃんはお料理のプロだから、おかあさんと比べたら可哀想だよ。」


 結衣ちゃんの口の周りにべっとり付いた肉汁を、お手拭きで拭っている孝之さんの表情は先程までと比べると些か晴れやかである。おそらく、あれもいや、これもいやと、わがままを言っていた娘が「おいしい」といって、食べてくれたことにホッとしているのであろう。


 実は、プロじゃなくてもアスパラガスを美味しく調理コツがある。アスパラガスは、穂先の部分と、根元の部分とでは、硬さが違う。なので、根本の方の筋取りなどの下処理が終わった後、根本の方を立ててるようにして、先に茹でるのである。全体が2分で茹で上がるとするなら、根本を先に1分茹で、その後、全体を湯の中に入れ、もう1分茹でる。こうすることで全体を均一的な硬さで茹であげることができるのである。


 アスパラベーコンなどの場合、アスパラガスを生の状態から焼いていく方法ももちろんあるが、上記の方法でサッと下茹でをし、硬さを均一的にしてやることで、フライパンで焼き上げた時も、均一に仕上げることができる。根本の部分だけ硬いからと言って、余分な時間で炒め肉に火を通しすぎることもなくなるのである。


 しかし、一般家庭でこのような下処理を日常的にする方は数少ない。家庭料理とプロの作る料理の違いは、実は、こういったほんの一手間二手間だったりすることもあるのだ。


「結衣ちゃん。ほかに食べたいものってあるかな?」


 私が、ご満悦な表情で3個目のアスパラを食べ終えた結衣ちゃんに尋ねると、結衣ちゃんはしばらく「うーん」と、考えると大きな声で言った。


「ぽろねーれがたべたい!」


 それを聞いたお店にいる大半の人が思ったことであろう。それは料理名なのか、はたまた具材なのだろうか?と。しかし、その答えを知っている人が一人だけいたのである。それは、結衣ちゃんのお父さんである、孝之さん。


 結衣ちゃんが元気な声で言ったこの一言が、私にとって過去最大級の難易度である『天国のレシピ』になろうとは、この時誰も知る由もなかったのである。


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