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 トンットンットンッ


 一定のリズムを保ちながら、かつ、リズミカルに大将は蕎麦を切っていく。


 優子さんの旦那さんの純一さんは今日出張から戻ってきた。お昼頃に取るもの取らずに、またどこかに出かけて行こうとしている純一さんの首の根っこを掴んで、優子さんがお店に連れてきたのである。


「いやぁ~さすが大将だね。あの蕎麦の実を簡単に粉にしちゃうんだから。俺が思った通りやっぱり石臼とか隠し持ってるんでしょ」


 お店にきたときはブツブツと言っていた純一さんも、日本酒を飲みながら『蕎麦がき』を摘んでいるうちに機嫌を直したようだ。


 ちなみに蕎麦がきというものは、蕎麦粉にお湯を入れて、箸などでグリグリっとかき混ぜて団子状にしたものである。


それを醤油や蕎麦つゆなんかにちょっとつけて食す。お湯の量や混ぜ方にもよるが、触感はふわふるでムースを食べているような感じに仕上げることもでき、どちらかというと私はそういったそばがきの方が好みである。


「流石に、年に1回使うかどうかわからない石臼なんて持ってませんよ。最近は、大豆や珈琲豆を挽いたりする小型のミルサーでも粒子の細かい設定ができますからね。目の細かいふるいに数度かけながら挽いてやれば、それなりに良い粉ができるんですよ」


切り終わった蕎麦をバッドに移し、粉にまみれた手を洗う大将。


「へぇ~」と、言って、優子さんはナイフとフォークを使って蕎麦粉で作ったガレットを食べている。


 ガレットとはフランス郷土料理の料理の一つで、丸く薄く焼いた生地で作る料理のこと。クレープの起源にもなったと言われる料理で、今、優子さんが食べているのは、数種類のキノコとチーズに卵を使ったガレット。


「実のままの時はどうしようかと思ったけど、やっぱり裕次郎さんに相談してよかった♪」


 頂いた実は粉になり、粉から製麺された蕎麦となり、そばがきにガレットにと、無事に美味しくいただくことができ優子さんもご満悦。


店内には笑いが充満する。


 ガラガラッ

 

 お店の入口の扉が開いた。


「いらっしゃいませ」


 と、私が言うと、そこには黒崎さんご夫婦と黒崎さんのお父さんの姿があった。


「こんばんわ裕次郎さん。今日はお誘いいただいてありがとうございます」


 私は三人を席へと誘導し、椅子へと座らせる。


「こちらこそ、突然お電話して申し訳ありません。以前、親父さんが蕎麦好きというお話を聞いた記憶がありましたので、ちょうど新蕎麦を打つ機会がありましたので、いかがかな?と思いまして」


 そういうと、大将は黒崎さんのお父さんに視線をやった。


「こんな老いぼれをお招きいただきありがとうございます。それと、前回は申し訳ないことをしましたね、せっかく出して頂いた料理をほとんど食べることができなくて」


私は、三人にお絞りをお渡しする。


「その日の体調もございます。楽しんでいただけただけで充分ですよ。そして、あちらにいらっしゃるのが、今日お出しする蕎麦の実をご提供いただいた佐久間さんご夫婦です」


 大将が純一さんを紹介する。


「提供しただなんて滅相もない。たまたま出張で岐阜の方に行った際に、そちらの蕎麦農家の方と親しくなって頂いただけですので」


 純一さんが照れながらそう答えている。


「はい、どうぞ。お飲み物はいかがされますか?」


 私は、黒崎さんご家族にお通しを出す。


「それじゃ…前と一緒で」


「はい。では、ビール2つと烏龍茶ご準備いたしますね」


 そう言って、私は冷蔵庫の扉を開ける。


「ほう、お通しで卵焼きとは珍しいですな」


そういって、黒崎さんのお父さんはお通しの卵焼きに箸を伸ばす。そう、此れこそが黒崎さんのお父さんが食べたいと言っていた、卵焼きだということも知らずに。


――― あぁ~神様仏様!どうか、うまくいきますように ―――


 内心はそんなドキドキを押し隠しながら、私はビール瓶の王冠を抜くのでありました。

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