かあちゃんの卵焼き-完結-

 箸で半分に切られた卵焼きが、黒崎さんのお父さんの口へと入る。

 ひとかみ、ふたかみと咀嚼そしゃくされ、味の成分は舌の上に広がり、鼻からは香りの成分が抜け、そして、のどを通っていく。

「…」

 無言のまま、半分に切られた残りの卵焼きに箸にのびる。

 おなじように、また、ひとかみ、ふたかみし、そして、のどを通っていく。手に持っていた箸は雪ウサギの形をした箸置きへと置かれ、

「この卵焼き作ったのご主人ですか?」

「いえ、これを作ったのはこの子です。」

 そういって、大将は私を指さした。黒崎さんのお父さんの視線が私に向けられる。

「そう、これはあなたが・・・ご主人の前で差し出がましいお願いなのですが、出来立てを食べてみたいのですが、同じものを焼いていただくことはできますかね?」

 大将の方を見る、言葉で言わなくてもわかる「失敗するんじゃないぞ」と顔がそう言っている。でも、決してプレッシャーをかけているわけではない、どこか優しい父親のような眼差しをしている。その奥では親指を立てウィンクしている優子さんがいる。私はそれに応えるように軽くうなずいた。

 黒崎さんのお父さんの方を向きなおした私は

「はい。喜んで」

 そういって、私は冷蔵庫から2つ生卵を取り出した。

 取り出した卵をボウルに割り入れ、箸で白身を切るように混ぜ合わせていく。オムレツを作る時などでは、ふんわりと仕上げるために、空気を含ませるように混ぜ合わせたり、メレンゲを加えたりするのだが、泡が多いと卵を巻いていくときに破れやすくなってしまうので、こと卵焼きの場合は泡立てないほうが失敗するリスクは減らせる。

 そこに醤油を小さじ1/2、そして、『隠し味』を大さじ1入れ、味を見る。黒崎さんのお父さんが好きな味にはもう少し加えたほうがよさそうだ。

 中火で熱した卵焼きようのフライパン全体に薄く油をしいていく。そして、箸先から溶いた卵液を二、三滴落としフライパンの温度を確認する。

 ジュ~~

 っと卵液が一瞬で固まるくらいが適温。火力を少し落とし、卵液を1/3程流し入れる。沸々とできる気泡部分は箸でつぶしていき、半熟状態になったのを見計らって、フライパンの奥から手前に向かって焼けた部分を折りたたんでいく。ざっくりと形を作ったら今度はその塊を奥へ移動させ、空いたスペースに再度油を薄くしき、先ほどと同じように1/3程度卵液を流しいれる。先ほど作った塊を軽く浮かせ、その下にも卵液を流し込ませていく。あとは先ほどと手順は一緒である。気泡はつぶし、半熟になったら、先ほど作った塊を手前へ回転させ焼き卵シートを巻き付けていく。残り1/3の卵液も同様の手順で焼き巻き付けていく。

 出来上がった卵焼きを、巻きすの上にうつし、軽く押さえて形を整える。そして、包丁で切り分けお皿に盛り付けたら完成である。

「おまたせしました。」出来上がった卵焼きを、黒崎さんのお父さんの前に置いた。

「あぁ~良い匂いだ」そう言って、箸で複数個あるうちの1つを半分に切り、フーフーと冷ますと口へと運こんだ。

 先ほどよりも時間をかけて、ひとかみ、ふたかみ。そして、飲み込んでいく。

「お嬢さん、この卵焼きの作り方は誰から教えて貰ったのですか?」

 黒崎さんのお父さんが残りの半分に箸を伸ばしながらそう聞いてきた。

「これは、黒崎さんのお母さんから教えて貰ったものです。」

 目を白黒させ、口の中にあった卵焼きを急いで飲み込むと、「今なんと…」黒崎さんのお父さんはそう答えた。

「黒崎さんが初めてこのお店にいらっしゃったのは理由は、私のある噂を聞きつけて来てくださったからなんです」

「ある噂といいますと?」

「実は私、口寄せで有名なイタコの家で生まれ育ったんです。ある噂というのは、ここ、つくしの料理人は『故人の思い出の味』をもう一度食べさせてくれるお店だというもの」

「故人の思い出の味…」そういうと、黒崎さんのお父さんはじっと卵焼きを見つめました。

「初めてこのお店にやってきたとき、黒崎さんはこうおっしゃいました。「大病のあと食欲を無くしてしまったお父さんが、もう一度食べたいといった、おかあさんの卵焼きを作ってはくれませんか」って、今お出ししたものは、私の力を使って黒崎さんのおかあさん、そう、奥様から直接教えていただいたレシピを元に作った卵焼きなんです。」

 黒崎さんのお父さんは震える手で卵焼きを箸で撮む。

「そうか…だから、あいつの味がするのかこの卵焼きは」

 黒崎さんの方に視線をやると、目をつぶって、どうやら思い出の味に浸っているようです

「本当は今この場に奥様をお呼びして、私の体を使って卵焼きを作って頂くのが一番いいのですが、料理の腕技術同様に、口寄せの技術も未熟なもので…すいません」

「いやいや、お嬢さん。あなたが謝ることなんて一切ないんだ。もう一度この味が食べられただけで私はどんなに幸せか。」

 そういうと、もう一個卵焼きを口に入れました。

「そうそう、この味この味。少~し甘い卵焼き、でも砂糖のような甘さじゃなくてどこか懐かしく癖のある味なんだ」

「実は、この甘さを出すために純一さんに無理言ってある材料を仕入れてきていただいたんです。」

 残っていたお酒を飲み干すと純一さん

「いやぁ~、おじさんと1杯や、じゃなくて、商談中に優子から電話で『見つけれなかった一生禁酒』って言われた時はどうなるかとおもいましたけど。蕎麦農家のおじさんに聞いたら割とすぐに手に入ってね」

「その材料というのは?」と、黒崎さんの奥さんが尋ねられたので私は答えました。

「お砂糖の代わりに使ったのは、この『はちみつ』なんです。」

 そう言って私はお三方の前に真っ黒な色をしたはちみつの瓶を置いた。

「こんな真っ黒なはちみつは初めて見ます。これは特別なはちみつなのですか?」黒崎さんの奥さんが瓶をまじまじと眺めておっしゃいました。

「日本ではアカシアやレンゲなどが癖の少ない物が好まれるのですが、実はこれ「蕎麦の花のはちみつ」なんです。」

「あの白くて綺麗な蕎麦の花から、こんな黒色をしたはちみつが取れるんですか」と、少しびっくりされたように黒崎さんのお父さんは言いました。

「はいそうなんです。蕎麦のはちみつは、独特の香りと黒砂糖のように少し癖がある味で好みがわかれるのですが、奥様は卵焼きの味付けにこれを使っていたみたいなんです。」

「でも、母はどうして卵焼きにそんな変わったはちみつなんて使ったんだ」瓶の中身をまじまじと見ながら黒崎さんがおっしゃったので、

「お母さんによると、知人に岐阜で養蜂場をしている方いて、毎年はちみつを送ってきてくれると。でも、この蕎麦のはちみつだけは癖が強くて何か良い使い道はないかと考えたのが料理に混ぜることだったみたいなんです。」

 黒崎さんのお母さんとの対話を思い出しながら私はつづけました。

「もう一つの理由としては、黒崎さんは幼少期病気がちで、また、黒崎さんのお父さんもお仕事のお付き合いでお酒を多く飲まれていた時期だったんだそうです。だから、お母さんはお二人のためにも少しでも体に良い物をということで、はちみつの中でも特に栄養価が高いこのはちみつを使ったんだとおっしゃってました。」

「そうだ、確かにあのころだ、あいつの味付けが少しずつ変わったのは」黒崎さんのお父さんは昔の記憶を呼び起こすかのようおっしゃいました。

黒崎さんのお父さんは、もう一口卵焼きを召し上がると

「お嬢さんありがとう。本当にありがとう。もう、思い残すことはない」そういった黒崎さんのお父さんを制止するように私は言った

「奥様から、伝言があります。」

「伝言?ですか?」

「卵焼きが食べたいなんて、女々しいことを言うような人を旦那に持った覚えはない。私の後を追うように死のうなんて考えているんだったら、あの世であったときには口なんか聞いてやらないから覚悟しておけ。とのことです」

それを聞いて、目頭に涙を溜め黒崎さんのお父さんは

「ははは…あいつらしい伝言だ」

そう、一言おっしゃったあと

「お嬢さん、もう一度、妻とお話しすることはできますか?」

「はい。今すぐというわけにはいきませんが」

未熟な私は、故人をこの世にお呼びする分の霊力を蓄えるのに少し時間がかかってしまう。だから、故人の味は月に1度だけの私の特別なお仕事

「お嬢さんの都合のいい時で結構です。伝えてください。お前が見ることのなかった玄孫やしゃごとたっぷり遊んで行くから、自慢話まってろよ。ってね」

ハンカチで目頭を拭いながらそうおっしゃいました。

「はい。では、お伝えさせていただきます。」にっこり微笑み私はそう答えるのでした。

「ありがとうお嬢さん。そうと決まったら、もっと食わなくちゃな。ご主人、この後は美味しいお蕎麦いただけるんですよね?」

と、目を腫らしながら黒崎さんのお父さんは大将に向かって言いました。

「えぇ、もちろん。ざるとかけどちらがよろしいですか?」

そう尋ねると

「前回お邪魔したときの料理でご主人の腕は充分わかっている。是非両方いただきたいものですな。」

「でしたら、両方お出しさせていただきます。」

そういうと、大将は人数分の蕎麦をゆで始めたのでした。

下を向き肩を震わせながら、

「富美子さん。ありがとう。本当にありがとう。」黒崎さんが小さく涙声でそう言っているのが私の耳に微かに聞こえました。

私にとって特別な、お客さんにとってはもっと特別なお仕事が無事に終わったのでした。


P.S 元気な時はうどんを最低でも三杯食べると言っていた黒崎さんのお父さん。元気になったのはいいのですが、かけにたぬきに山菜の三杯、ざるを四枚平らげるも、なお、お代わりを所望されるのをみて大将は「もう勘弁してください」と、終始苦笑いをしていたのでした。

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