六品目 お姉さんのボロネーゼ

「「「おねぇさ〜ん。ジュースくださぁ〜い。」」」


 子供達の元気な声を聞いて、私は小走りで店の外へと出ていく。


 最近は、すっかり夏の暑さもいくらか和らぎ、あれほど子孫を残すために忙しなく鳴いていたセミ達も少なくなってきており、夕刻にもなると、どこからともなく現れる赤とんぼが、ゆるりゆるりと空を旋回しながら飛んでいる姿を見ると、「やっぱり季節は秋に向かっているんだな。」と、改めて感じさせられるのだが、日中の痛いほどの日差しはもうしばらく続きそうである。


「はい。スタンプ帳見せてね。」


 子供達が差し出したスタンプ帳に、私はスタンプを押していく。ビーチパラソルが作る日陰の中に置かれたベンチへ子供達を座らせると、私はお店の中へと戻り、子供達の為にジュース作りを開始する。


 一年の中で、一番人口が増えると言われる越中八尾えっちゅうやつおでは「おわら風の盆」が始まったとラジオで話しているのを聴いた。この地域でも、今年最後のお祭りの日が近づいてきている。


 近年では、盆踊りの音量や打ち上げ花火の音などが五月蝿い、などという苦情で、地域のお祭りがどんどんと縮小され、中には打ち切りになってしまうようなところも出ているというのに、この地区は「少しでもみんなで盛り上げていこう。」と、町内会長自らが先陣を切り(一説には、祭りだから酒が飲めるぞぉ〜と言うことらしいのだが)、本祭の1週間前から色々なイベントが開催されている。


「はい。どうぞぉ〜♪」


 今は大型ショッピングセンターで殆どのものが揃ってしまうため、大人達以上に、小さい子供達は商店街という場所に足を運ばなくなってしまっている。テレビなどのニュースでも度々取り上げられる話題だが、日本各地の商店街が今シャッター通りとなってしまっており、活気あった姿は写真の中でしか見ることが出来ないような状況になってしまっている。


「全部制覇するのにあと6つだぜ」

「つぎ、たこ焼き行こうぜ」

「えぇ〜おもちゃ屋行こうよ」


 そこで、現代と未来のお客さんとなる子供達に、商店街にあるお店の魅力をもっと知ってもらおう。ということで、町内会の人達が知恵を出し合って生まれたのが、商店街のお店を使った『スタンプラリー』である。

 

 それもただのスタンプラリーではなくて、スタンプが設置されているお店でスタンプを押すと、一緒に景品が貰えるというものである。

 

 参加費は一人500円。お好み焼き屋にラーメン屋に始まり、煎餅屋に饅頭屋などの飲食店を始めとして、おもちゃ屋や呉服店、散髪屋さんなども幅広い店舗が参加している。もちろん、私が働いているつくしも参加している。


 つくしが景品として出しているものは、『梨のジュース』である。


 これを出すきっかけは、私の実家のすぐ近くの梨農家さんから、「形は悪いが、味は流通品と変わらないので、お店で使ってもらうことはできないだろうか?」という相談を受けたことだった。不揃いや傷があっても、ジュースにしてしまえば関係ないし、味の部分に関しては、大将も納得の品質だった。


 良い味のものが安く手に入り、農家さんは収入にもなる。世にいうWin Winな関係というやつだ。なので、数日起きに送られてくる梨を処理するため、食後のデザートに出す、梨のゼリー寄せを作るのが、私に任された大事な仕事でもあった。


 ちなみに、ジュースの作り方は至ってシンプルで、切った梨をミキサーに入れ、そこにミネラルウォーターと氷、少量のはちみつと、ひとつまみのお塩を加えてスイッチを入れるだけ。


 スタンプラリーに参加している飲食店の中で、飲み物を出す店舗といったら、お茶屋さんか、つくしくらいしかないので、喉が乾くこの時期、密かな人気地点となっているのだ。


「大将、なんか胃に優しいものってないかねぇ。食欲がちっとも戻ってこないんだよ」


 子供達にジュースを渡し、お店の中へと戻ると、弱々しい声で辰さんと大将が話をしているところであった。


「そういえば辰さん、2週間位ぶりくらいです?お店に来るの。どこか旅行でも行ってたんですか?」


 スタンプを押した数を台帳に書き記しながら、私は尋ねた。


「違う違う。川で釣りしてたら、軽い熱中症になっちまって、一週間くらい病院でお世話になってたんだよ。そのせいなのかなぁ、病院食も不味いってことはないんだが、味気なくてな、すっかり食欲ってものがわかなくなっちまって。いまじゃ、素麺ですら一把食うのがやっとなんだよ。でな、もしかしたら、大将の作るものなら、食欲も復活するんじゃないか?と思って、老体に鞭打ってやってきたってわけよ。」


 と、右手でお腹のあたりを擦りながら辰さんは答えた。


「大変光栄なことなのですが、先程から見ていると、かなりのペースで麦茶を飲んでおられますね。そういったことも夏バテしてしまう原因の一つだと思いますよ。」


 と、夜の仕込みが一段落したのか、洗った手を手拭きで拭き取りながら大将が答えた。


「そんなこと言ったってよ。医者のやろうが、水分はしっかり取れって言うんだよ。入院する際の採血で、看護師になんて言われたと思う?「溶かしたチョコレートみたいにドロドロですね。」嫌味言われたんだぞ。」


 溶かしたチョコレートって……。中々なドロドロ血具合だと思うのだが、確かに、トイレが近くなるからとかいって、辰さんがお酒以外の水分を飲んでいるところを、ほとんど見たことが無いことを思い出した。


「では、まずは、消化に良いものを召し上がるというのはいかがでしょう。」


 そういうと、大将は棚から4人用サイズの土鍋を取り出した。


「湯豆腐でもこさえてくれるのかい?ちょっと季節的に早いんじゃないのかい?大将。」


 「いくら店内がエアコンが効いてるとはいえ、鍋か」みたいな、怪訝そうな顔を辰さんは浮かべている。


「いえいえ。今から、雑炊を作って差し上げようかと思いまして。」


 と、大将は笑みを浮かべると、鍋の中へ出汁を注ぎ入れ、火にかける。


 出汁は昆布と鰹節で私が取ったものだ。冷蔵庫の中にある始末しないといけない食材でお昼ご飯にうどんを作るつもりでいたものである。どうやら、あの鍋の大きさを見ると、お昼ご飯も一緒に作ってくれるのかな?


「とみ。軽く茶碗3杯分くらいの冷ご飯をザルに入れて、さっと洗っておいてくれ。」


「は〜い」と、言って、私は板場の中へと入り、手を洗って、おひつの中から、茶碗に軽く3杯分くらいのご飯をザルの中へと入れていった。やった。この量ってことは、作ってくれる♪


「どうして水で洗うんだい?」


 と、尋ねる辰さんに、


「温かいご飯よりも、冷ご飯のほうが水分量が落ちているので、出汁をたっぷり吸って、米粒がふっくらと柔らかくなるのです。しかし、冷ご飯のままですと、ご飯粒同士がくっつき合ってしまって具合が悪い。洗ってそれらをほぐしてあげることで、出来上がりをサラリとするために、粘り気を落としてあげるのです。」


 そう、解説をしながら、大将は、前日炊いた大根と里芋の煮物を幾つか食べやすい大きさに切り揃え、それらをザルへと入れると、さっと水で洗って、くつくつと沸き始めた出汁の中へと入れていく。


「冷ご飯を洗うのはわかったんだが、どうして煮物も水で洗うんだい?せっかくの味付けが逃げちまうじゃねぇか。」


 私も同感である。どうしてわざわざ味を洗い落としてしまうのだろうか。


「雑炊ですから、味付けは余り濃すぎないほうがいい。ですから、出汁の味と薄口醤油で味付けをするくらいが丁度いい塩梅になるんです。かと言って、それだけでは寂しいものがありますから、小芋の煮物などを具材として使ってやると、同じように良い出汁が滲み出てくるんです。しかし、そのまま入れてしまうと、全体の味が壊れてしまうので、さっと余分な味付けは取ってやるんです。」


「ほぉ〜〜〜、奥が深いんだな。」


 と、関心する辰さん。かく言う私は、心の中で、「へぇ〜」を連発し、頭の中の料理のメモ帳に今の事を記録していく。時々、大将が教えてくれるテクニックを覚え盗み、料理の味を盗んでいく。いまや、スマートフォンやパソコンで、いくらでも簡単にレシピや調理方法などを手に入ることはできるが、職人と言われる人達の、手と舌で覚えた技術はそれらには到底及ばない。


「とみ、米。」


 具材全体に熱が入った頃合いを見計らい、鍋の中へと洗って水切りをした米を入ると、米粒が出汁をたっぷり吸ってふっくら炊きあがるよう、火加減を調整していく。


「良い匂いがしてきたなぁ。匂いを嗅いだだけで、なんだか胃腸が動いてきたような気がするよ。」


 スタンプラリーで訪れた何組かの子供達の相手をして店内に戻ると、お店の中は、出汁のとても良い香りに包まれていた。炊き上がりを確認するため、大将は小皿に少し取り分け、米の炊き具合を確認し、さっと醤油をかけ、今度は味を見る。「うん。」と、一つ唸ると、二度三度かき混ぜただけの、溶き卵をサァ〜っと全体に回しかけ、火を切り、蓋をする。


「とみ。呑水とんすい3つ用意してくれ。」


 呑水。聞き慣れない言葉だが、簡単に言うと、天麩羅の天つゆなどを入れる、取っ手の付いた小鉢のことである。和食器には、用途によって色々な形、また、色々な名称がある。それを覚えるだけでも始めの頃は苦労したものだ。


「出来上がりました。熱いのでお気をつけください。」


 鍋の蓋を開けると、閉じ込められていた出汁とご飯の甘い香りがふわっと広がる。卵の白と黄色のコントラスに、煮染めて茶色くなった小芋と大根。そして、仕上げに振りかけられた、ワケギの緑。日本人なら誰もが好きであろう香りと色がそこにはあった。それを、少量レンゲで掬い取り分けていく。


 湯気を上げる雑炊の入った呑水を受け取った辰さんは、箸で一口分をすくい上げると、「ふぅ、ふぅ」と、冷房の効いた店内で湯気を上げる雑炊を冷まし、口の中へと運び入れる。


「あぁぁぁ……うめぇ……」


 大将が同じように呑水によそい、私に手渡してくれた。鼻孔を優しく包み込んでくれる醤油と出汁の香り、やけどに気をつけ、私も、一口、口の中へ。


 美味しい。出汁と煮物だけで作ったからなのだろうか、とても口当たりが優しい。雑炊というと、どうしても、鍋物のシメというイメージがある。しかし、鶏だったり蟹だったり、鱈だったり、鍋の主役の旨味がしっかりでているので、雑炊とはいえ、大味になりがちなものが多い気がする。しかし、この雑炊は、それらとも違うし、かと言って、お粥のように淡白な味わいでもない。それこそ、丁度間のような、旨味も優しさも両方を兼ね揃えたような一品。


「大将。もう一杯くれるか。」


 私が半分も食べないうちに、辰さんは一杯目をぺろりと平らげたようだ。


「そうか。この味、以前、大将に連れて行ってもらった、京都の料亭の朝粥に似ているのか。」


「味の主成分としては、かなり似ているとは思うが、お前の取った出汁とあちらの出汁とじゃ、月とスッポンだ。」


 おかわりをよそっている間に、ポツリと呟いた私の言葉を大将は聞き逃さなかったようで間髪入れずに返事が返ってきた。


 ぐぬぬぬ……、残念だけれども反論の余地は一切ない。


 なにしろ、その朝粥を一口入れたら、あまりの美味しさに、行儀作法などすっかり忘れ、かき込むように一気に食べてしまったのだ。それと比べられたら月とスッポンと言われても仕方がない。


「食ったぁ〜〜〜。生き返ったぁ〜〜。久しぶりに胃袋が仕事している感じがするよ。これでまた、美味いものが食べられそうだ。」


 と、自分のお腹を二度三度、ポンポンと叩き辰さんはご満悦であった。

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