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「た・大将、本当に大丈夫なのかい?」


 大内さんが不安そうな表情を浮かべる。


「大丈夫かどうかは、トミが戻ってくるまではわからないですよ。色々足らないところはまだあるけど、あいつは自分の仕事にプライドもってますから」


 そう言いながらも仕込みの手を休めることはない。


「信用していないわけじゃないんですが…その、あまりにも非現実的で」


 水を飲む手と、貧乏ゆすりが止まらない大内さん。


「最初の頃は誰でもそうですよ。私だってそうだったんですから。大丈夫、とみちゃんに任せておけば」


 本当は大内さんと一緒に動向を見守るはずが「おまえ、どうせ暇だろ」と大将に言われて、洗濯機のメンテナンスをさせられている梅さん。


「そう。今、この状況を打開できるのはあいつだけなんですから、外野はおとなしく見守っていましょう」


 仕込みを終えて、新聞を手に取り椅子に腰かけた大将は、天井を見上げるのであった。





 シャン シャン シャン


 伽藍がらんとした室内を、神楽鈴の音が浄めていく。


 ――― とおりゃんせ とおりゃんせ ――――


 ――― ここはどこの細道じゃ ―――


 ――― 天神様の細道じゃ ―――


 童謡「とおりゃんせ」


 私はこれを口よせの儀の際に、呪文として使うことにしている。


 師匠であるおばあちゃんは、また別のものを呪文として使っているのだが、おばあちゃん曰く、呪文には大きく分けて『視覚的呪文』と『聴覚的呪文』の2つがあるのだと教えてくれた。


 視覚的呪文とは、個々の文字が持つ力を借りる方法。例を挙げるなら経典や聖書、御札などの物体として存在するものがそれにあたる。おばあちゃん曰く、呪術者でないものでも使用できるのが視覚的呪文だという。


 その最たるものが昔話『耳なし芳一』である。全身に経文を書くことで怨霊から姿をくらましていた芳一。しかし、耳に経文を書くことを忘れていたがために、荒ぶる怨霊に唯一見えていた耳を引きちぎられてしまった。そのエピソードからこの物語のタイトルが付いたと言われている。


 しかし、すべての御霊に視覚的呪文が通用するというわけではないという。視力を失い亡くなった御霊は当然文字を読むことはできないし、その文字の意味が分からない御霊だっている。そこで出てくるのが聴覚的呪文。おばあちゃんはこちらのほうが呪術者としての素質が問われるのだといういう。


 聴覚的呪文は一言でいってしまえば『言霊ことだま』のことである。修行を始めた頃、経典などに書かれている文字を音で発することが言霊だと思っていた私は、「そんなものは言霊ではないよ」と教えられた。


 聴覚的呪文で一番重要なのは「いん」つまり、音階こそが言霊なのだと、おばあちゃんは説明してくれた。


 その例としてあげられたのが「般若心経」である。


 西遊記で有名な三蔵法師が天竺てんじくから持ち帰った経典を翻訳し、今日まで仏教の経典の一つとして使用されているもの。


 たった300文字足らずの経典なのだが、その9割が漢文で書かれている。ところが、終末に書かれている一文「羯諦羯諦、波羅羯諦、波羅僧羯諦、菩提薩婆訶ぎゃていぎゃてい、はらぎゃてい、はらそうぎゃてい、ぼじそわか」だけは原文のサンスクリット語で書かれているのである。


 ではなぜこの一文だけはサンスクリット語なのか?


 学者によっては、本質的な部分であるが故に、教えの意味を限定されてしまうことを恐れ、あえて翻訳しなかったのだろう。と、唱えるものもいるそうだが、おばあちゃんはそうではないと話す。


 翻訳をしなかったあの箇所は、サンスクリット語で書かれた聴覚的呪文なのだという。もしあの箇所を翻訳してしまうと、言霊としての韻を失ってしまい、呪文として成立しなくなってしまう。だから、昔の呪術者達は聴覚的呪文を残すためにあえて翻訳しなかったのだと。


 つまりどういうことかというと、聴覚的呪文においては、発している言葉の意味自体はのだと、おばあちゃんはいうのだ。


 もちろん、視覚的呪文と聴覚的呪文を合わせることによって相乗的に呪文の力が増幅させることができる。その代表的なものが、お寺などで僧侶が唱える読経。独特の節回しこそが、聴覚的呪文として重要な韻律であり、視覚的呪文との二重螺旋。

しかし、口寄せの儀ではあの世の御霊に語り掛ける聴覚的呪文のウェイトの方がとても重要なのだと教えてくれた。


 そして、その韻を踏む為に私が選んだのが「とうりゃんせ」だった。


 ――― ちっと通して 下しゃんせ ―――


 ――― 御用のないもの 通しゃせぬ ―――


 ――― この子の七つの お祝いに ―――


 ――― お札を納めに まいります ―――


 霊力を帯びた言霊に、自分自身の霊力を付加していく。それは、蜘蛛の糸のように細い霊力を帯びた糸を何本も何本も寄り集め、一本の頑丈な紐を作っていくような感覚。


 芥川龍之介の「蜘蛛の糸」を小学生の頃に授業で習い、家に帰っておばあちゃんに尋ねたことがある。


「どうしてお釈迦様は、蜘蛛の糸みたいな細いものでも、亡くなった人を引き寄せることができるの?」


 おばあちゃんはニコニコしながら、答えてくれた。


「富美子も覚えておくといいよ。引き寄せる糸は細ければ細いほどいいんだ。お釈迦様の霊力は、それはもうばあちゃんの力の何万倍もあるんだから、あんな細い糸に見えても、ばあちゃんの何百倍も頑丈なんだよ」


 そういって、私の頭をなでてくれた。いまならその意味が嫌というほど分かる。それがどれほどすごいことで、それが、どれほど大変なことなのかも。


 御霊と交信する糸が太いと、その糸の存在に気付いた別の御霊がまとわりついてくることがある。場合によってはそのまとわりついてきた御霊をこの世に連れてきてしまうこともある。だから糸は細ければ細いほうがいい。けれども切れてしまっては意味がない。


『太すぎず、且つ、頑丈に』


 ――― 行きはよいよい  帰りはこわい ―――


 ――― こわいながらも ―――


 ――― とおりゃんせ とおりゃんせ ―――


 体中に張り巡らされた呪術回路内で、言霊の霊力によって増幅された自身の霊力を開放し、異界への門戸を開く。


広大な異界から目的の御霊を見つけるための道具は故人の遺品達。それらが灯台のように行き先を照らし出し、コンパスのように進むべき道を標してくれる。


 ――― みつけた ―――


「こんにちは、はじめまして」


 御霊に私は語り始める。さぁ、吉と出るか、凶と出るか

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