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「もぉ!!なんなのあいつは!!」


 ダンッ!


 そう言うと、愛佳ちゃんはグラスに入ったビールを一気に飲み干し、テーブルへと叩きつけるように置いた。


最近では、ドラマの中でも中々お目にかからないような光景ではあるが相当おかんむりだということは見るからに明らかである。


夜の営業時間が始まり、客足が落ち着いた頃に愛佳ちゃんはやって来たのだが、かれこれ1時間近くず〜っとこの調子である。雨も降っているし、平日の中日ということもあり、今日は早々に暖簾を下ろしたのだが、可哀想なことに一人だけ被害者が出てしまった。


「なんだろう。ここにいないはずの嫁が激昂している時のような殺気を横からじわじわと感じるわ」


 冗談交じりとはいえ、顔を若干引きつらせているのは、二つ隣の席に座る純一さん。不穏な雰囲気を察知して逃げ帰ろうとしたのだが、運悪く愛佳ちゃんに腕を引っ張られて引きずり込まれてしまったのである。


「言い訳なり口答えする純一さんのほうが数百倍いいです!ちょっと注意するとすぐ塞ぎ込んで、うんでもなければすんでもない!やっと口を開いたかと思ったら、蚊の鳴いたような声でボソボソ言って、何言ってるか聞こえないんだっていうの!!」


 ダンッ!


 机に握り拳を叩きつける。その勢いで、箸置きに置かれた箸が一瞬宙に浮かんだのが見えた。


「まぁまぁ、落ち着いて落ち着いて。せっかくの可愛いお顔が阿修羅みたいになってますよ」


「えぇ!?誰が阿修羅ですって!?どこの誰が!!」


 そういうと、愛佳ちゃんはグラスを持つと純一さんのすぐ横へと席を移動して詰め寄る。いつもよりもかなりのハイペースで飲み続けたせいもあって、上手に酔っ払いへと変身してしまっているようだ。


「愛佳。もうそのへんにしておきな。一喝してしおらしくなる弟子の愚痴だったら同じ境遇の俺が聞いてやるから」


 ギクッ…


 最近は目立ったミスはしていないが、そうはっきりと言われると数々の失敗が脳裏に浮かんで、一瞬にして肩身の狭い思いになる。でも、昔、大将が料亭で料理長をしていた時のこと?ん?あれ?直属の弟子って私が初めてだっけ?どちらにしろ、何も言えないことは確かである。


「別に、仕事ができないとかそういうことじゃないんです!単純に、人見知りだかなんだか知らないけれど、コミュニケーション能力が欠如しすぎなんですよ!この前も、お客さんから預かった洋服に付けるタグに書かれた指示が見づらかったから、呼びつけて聞いただけなのに、怯えたような表情でモゴモゴいいやがって!もぉ〜〜〜!!」


純一さんと大将、二人して「やれやれ」という表情を双方がすると、


「ちゃんと仕事ができるならいいじゃないか。仕事もできない、コミュニケーションもとれないのだったら目も当てられないが、そうじゃないんだろ?」


「そうですよ。うちの会社にもそういう子いるけど、黙々とミスすることなく誰よりも早く仕事をこなしてくれますよ。確かにコミュニケーションは取りづらいけど、僕や嫁にとっては大助かりしてますよ」


 大将と純一さんのことをジト目で黙って聞いていた愛佳ちゃんだったが、二人の話が終わると再度スイッチが入ったようで、


「あいつは半年うちで実技研修を終えた後、故郷に帰って実家のクリーニング屋を継ぐんです〜。昔、おじいちゃんが世話になった人のお孫さんだっていうから快く受けてあげたのに、かれこれ三ヶ月経つっているのに、うちにくるお客さんとすらまともに会話できないんですよ!?あんなやつが戻ってお店を継いだとしても、お客さんに逃げられて即廃業ですよ!!」


 そう、勢い良くまくし立てると、瓶に残っていたビールをグラスに注ぎ込むと、それを勢いよく飲み干した。


「そう言うわりには、その子のために色々手を尽くしてるって親父さんから聞いたけども?この前おまえさんが頼んだあれも、その子のためだったんだろ?」


 大将のいう愛佳ちゃんが頼んだもの。彼が初めてお店にやってきた日に渡したもの正体は「鯖の押寿司」であった。酢で鯖を締めるために、足が速い魚なのにも関わらず朝から三枚におろしていたのである。


「最近の若い奴はホームシックになりやすいんらとか新聞でチラッと読んだもんだからさ、地元の郷土料理れも食べたらちょっとは元気になるからっておもって」


 元々アルコールで真っ赤な顔をしていた愛佳ちゃんだったが、後輩思いな面を指摘されたことが恥ずかしかったのか、更に顔を赤く染めてしまった。


「それで、鯖寿司を食べた後に逆に帰りたいとか言い出したとかはないよね?」


「ん〜〜〜、それはないみたいなんれす。むひろ『これ、また食べたいれす』って言ってるくらいらしね。れも、みんなでご飯食べてるときに、溜息みたいなのが聞こえてくる気がするんれすよね」


 段々と呂律が回らなくなり始めてきている。それに気づいた大将が、肘で私の腕を小突くと、目で合図を送ってくる。それに私は頷いた。実は、こうなるであろうことは初めから分かっていて、かなりハイペースに飲み始めた時点で二階の私の部屋には、酔いつぶれた時用にと、少し前にもう一つ布団を敷いてきてあるのだ。


「あぁ〜もぉ〜〜、私はどうしたらいいんれすかぁ〜〜〜!!」


 と、叫んだかと思うとカウンターに突っ伏して、まるでゼンマイが切れたおもちゃのようにパタリと動かなりそのまま寝息をたてて眠ってしまった。


「やれやれ、やっと眠れる森の美女になってくれましたね。でも、正直なところ大丈夫かしら?量で言うと、結構飲んでたみたいだけど」


カウンターの上に置かれたビール瓶は2本、先に回収したものが2本、1時間たらずで6本もの量を飲んだことになるのだが、


「愛佳ちゃんがお酒に強くないのは分かってますから、途中から瓶はそのままで、中身はノンアルコールビールにしてあります。おそらく、摂取アルコール量的には大丈夫だとはおもいますけど」


 いつもとは比べ物にならないくらいのハイペースで2本目のビールを飲み干した段階で、大将に「中身替えとけ」とコッソリと言われていた。あのままのペースで飲み続けられたら、それこそ急性アルコール中毒で救急車を呼ばなくてはいけない状況になっていただろう。


「愛佳のオヤジさんとはこの前電話で話をしたんだが、どうやら、ここ2-3ヶ月の間ず〜っと今話しているようなことが起きているらしい。まぁ、相当積もり積もるものがあったんだろうよ」


 そういうと、眠り姫になった愛佳ちゃんをお姫様抱っこをして、大将は二階へと連れて行った。


「なんだかねぇ。何かその研修生にも言い分がありそうだけど、愛佳ちゃんもあの性格だからなぁ。相手を壁際に追い込んじゃったら、話したいことがあっても話せないよなぁ」


 ガタッガラッ


私と純一さんは音のしたお店の入り口の方へと視線を移した。いつぞや聞き覚えがあるようなドアの開け方であったが、


「こ、こんばんわぁ…」


 噂をすればなんとやら、今の今まで話の主題であった研修生君、こと、山之上君がやってきていた。


「いらっしゃいませ、こんばんわ」


 私がそう言うと、彼はまるで狭いところを通り抜ける猫の如く、中途半端に開けた扉の隙間からお店の中へと入ってきた。


「えっと、あの、親方に言われて、その、愛佳さんの様子を見に来たんですが…」


「愛佳だったら、酔いつぶれて上で寝てるよ」


ベストタイミングで二階へ行っていた大将が一階へと降りて来た。


「あ、え、あ、そ、そうなんですね…ど、どうしようかな…」


 どうしようかな、といわれると、逆に返答に困ってしまうのだが、


「おまえさんの親方には俺の方から電話しておくから心配するな。あと、せっかく飯屋に来たんだから、飯でも食っていったらどうだ。愛佳がここにいるってことは、今まで働いてて腹減ってるだろ?もう店閉まってるから俺の奢りにしておいてやるからさ」


 水道の蛇口を開き、手を洗いながら大将がそういった。


「え、あ、でも、そんなあつかましいこと…」


「じゃ、こうしよう。俺じゃなくて、そこにいる小娘が料理を作る。俗に言う、『まかない飯』ってやつだ。美味い不味い好き勝手言っていいぞ。死ぬことのない毒味ってやつだ」


 小娘って、まぁ私一人しかいないんですけど、毒味って大将酷くないですか。


「え、あ、あ、そんな僕みたいな、い、田舎者は…」


 しどろもどろな状態の彼の腕を掴むと、


「はい、着席」


 と、いって半なかば強制的に純一さんは席へと座らせた。


 現状、自分がどういう状況下に置かれているのかわからなくなっている彼の背中を、純一さんが一つポンと叩くと、


「じゃ、とみちゃんよろしくぅ♪」


 そういって、純一さんは私にウィンクを投げかけてくるのであった。

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