-8- 完結
「それじゃ、ちょっと行ってくる」
「はぁ〜い。いってらっしゃ〜い」
そう言って、買い物に出かける大将を私は送り出した。
何を買いに行くのかまでは教えてくれなかったが『日頃使わないからな』という呟きだけは聞こえた。
それにしてもこのシュウマイ、今まで手がけた思い出の料理の中でも、1・2位を争うくらいに手間がかかった。
すべての準備を終え時計に目をやると、約束の時間まで残り10分しかなかった。
私は、今か今かと朦々と湯気を立て出番を待ちわびていた
キッチンタイマーに蒸し上がり時間をセットし、冷蔵庫の中から取り出した麦茶をコップへと注ぎ、
ゴクッゴクッ
と、喉を鳴らしながらそれを一気に飲み干し、「ふぅ」っと一息ついた。
カウンターの上へ空になったコップを置くと、入り口の扉がガラリと開いた。
「よ。今日は世話になるよ」
と、言って入ってきたのは愛佳ちゃんのお父さんだった。それに続くようにして愛佳ちゃん、そして、今日の主役である山之上君も入ってくる。
「あれ、大将は?休憩中?」
と、言う愛佳ちゃんに
「『買い物に行ってくる』って、少し前に出ていきました。近くのスーパーに行ってるので、しばらくしたら戻ってくると思います。あ、他のお客さんは来ないですから、どうぞ真ん中に座ってください」
毎週木曜日のランチタイムは休業日。準備中の札がかかったお店にほかのお客さんはやってこない。
「えっと…その…おじいちゃんのシュウマイが食べられるって…本当なんですか?」
席に着くなり、ただでさえ話し方に特徴のある山之上君の口から、明らかに疑っているであろうトーンの発言が私の耳に届く。
「だ〜か〜ら!昨日から何回も説明してるでしょ!?とみちゃんは、その世界では有名な『思い出の味研究家』なんだって、ちょっとヒントをあげるだけで簡単に作っちゃうんだから」
「あ、あはははは…」
愛佳ちゃんが力説している『思い出の味研究家』という言葉に私は苦笑いをする。
でも、まぁ、正直なところを言うと、その様な言い回しにならざるをえないのかもしれない。
科学技術で超常現象までもを次々に解明していく現代において、私がイタコであって『口寄せ』ができるということだって「トリックがあるんだろう?」と信用してもらえないし、今回に関して言うならば、あちらの世界から山之上君のおじいさんが直々に書いたメモを貰い受け、それを現世に持ち帰ってきている。
こんな非現実的なことを信用しろ。と言うことの方が土台無理な話なのだから。
「…」
明らかに疑心暗鬼な目で私を見てくる山之上君。
「とみちゃん。とりあえずビール頂戴」
「あ、は〜い。お待ち下さい」
条件反射で返事をしてしまった私に覆いかぶさるかのように、
「ちょ、ちょっと!!まだこの後に仕事あるんだよ!?なに真昼間から飲んでるのよ!?」
と愛佳ちゃん。
「あの量だったらおまえ一人でなんとかなるだろ?山之上だっていることだし、たまには老体を労われ」
そういうと愛佳ちゃんのおでこにデコピンを一撃入れる愛佳ちゃんのお父さん。
”ビチッ”っと鈍く痛そうな音が店内に響いた。
一点が赤くなった額のその場所を手で押さえなにかぶつぶつ言っている愛佳ちゃんに同情しつつ、私は栓を抜いたビールとグラスを置いたところで、セットしておいたキッチンタイマーが蒸しあがりを告げる音を鳴らす。
蒸籠の蓋を開けると、それまで閉じ込められていた蒸気達が我先へと外界に放出される。濡れ布巾を使って、その熱量を受け取った皿を両手で掴み三人の座るカウンターへと取り出し置いた。
「へぇ〜、これが山之上のじいちゃんのシュウマイなの」
と、湯気をあげるシュウマイを見つめる愛佳ちゃんに対し
「なに感心してるんだ。お前だって、まだ可愛げがあった頃に食べたことあるんだぞ」
と、言う、愛佳ちゃんのおとうさん。
「まだってなによ!?まだって!!それじゃいまは可愛くないみたいじゃないの!?」
親子喧嘩勃発。
しかし、山之上君だけは一般的なシュウマイよりも少し大ぶりのそれをじっと熱い眼差しで見つめている。
「冷めないうちにどうぞ」
と、私が声をかけると、ハッと我に帰ったかのような表情をして、いくつかある中の一つを箸で摘み上げるとしげしげと眺め、
「いただきます」
と言って、山之上君はシュウマイを二度三度息を吹きかけ口の中へと放り込んだ。
私はそれを固唾を呑んで見守る。
もぐもぐもぐもぐ・・・
ゴクン
「…」
「どう山之上。じいちゃんの味する?」
愛佳ちゃんが山之上君の方へ身を寄せて尋ねる。しばらくの間、目を瞑っていたが、
「3つ…であってますか?」
と、目を開き、蚊の鳴くような声で私の方を見て山之上君がいった。
「山之上。いつも言うでしょ?ちゃんと主語を言いなさい。なにが3つなのよ」
「このシュウマイの具材です。豚肉、ネギ、あともう一つ。あともう一つ、この味の決め手があるはずなんです」
そう言って二つ目のシュウマイを口へと運び入れた。
「どれどれ。だったらお姉さんが当ててしんぜよう」
シュウマイを一つ小皿に取り、小さく切り分けたものを口の中へと運び入れる愛佳ちゃん。
「ふむふむ。口の中に広がるこの食感と癖のないこの味の秘密は…」
実際には無いのだが、仙人のように伸びた架空のあごひげを触っているかのような仕草をしながら長考する愛佳ちゃん。
「何バカなことやってるんだよお前は。ホタテだよ、ホタテの貝柱」
半分に割ったシュウマイの半身を食べ、ビールを一口口に含み、愛佳ちゃんのお父さんが唐突に答えを言った。
「ホタテ…そうだ!ホタテの貝柱だ!!」
勢いで、ガタリと椅子から立ち上がった山之上君。
「ご存知だったんですか?」
私は愛佳ちゃんのお父さんに尋ねる。
「そりゃ知ってるよ。こいつが小さい頃に、このシュウマイを作るのを一緒になって手伝ったことあるんだから。ちっちゃい手で果物ナイフ握って具材を切ってる姿は可愛かったぞ」
と、ニヤニヤとしながら愛佳ちゃんのお父さんが答える。
「しかし、あの人が作るシュウマイはこれがすべてじゃない。そうだろ?」
コクリと私は頷いた。どうやらすべてお見通しのようだ。
「どういう…ことですか?」
ピピピピピピピピピピピピッ…
質問を遮るかのように、再びキッチンタイマー時間を知らせる。
先程取り出した後に新たにいれた一皿が蒸しあがったようだ。
アラーム音を止めると、私は蒸籠の中から新たに蒸しあがった一皿をカウンターへと置いた。
「なにこれ。さっきのよりずっと小さいけど」
皿の中のシュウマイを見た愛佳ちゃんがいう。皿の中にあるのは一般的なシュウマイの半部くらいの大きさのシュウマイだった。
「これが、山之上君のおじいさんのシュウマイの秘訣です」
「大きさ?が秘訣なんですか?」
「いいえ、大きさは秘訣じゃないんです。こちらも冷めないうちにどうぞ召し上がってください」
私はニッコリと微笑んでそういった。
促されるまま、その小さなシュウマイを口へ運ぶ山之上君。
もぐもぐもぐ…
「…柔らかい」
ぼそりと山之上君が呟く。それを聞いた愛佳ちゃんも口の中へとそれを運ぶ。
「本当だ…さっきのシュウマイは肉のしっかりした噛みごたえがあるのに対して、これは柔らかくて肉々しさがほとんど無い。とみちゃんどういうこと?」
「材料は一緒なんですが、最初のものと後のものとで配分が全く違うんです。それと、後の方はちょっとだけお水を入れてあります」
「材料の配分が違う…どうしてそんなことを」
と、山之上君。
「先に出したものは、山之上君が中学生の頃に食べていたといわれるシュウマイです。食べ盛りの頃ですからお肉の比率を多めにして、食べ応えがあるように少し大きめにしてあります。色々ご家族の方とお話を伺ってみましたが、この形のシュウマイはその一時だけだったそうですよ。」
「つまり…これは僕のためのシュウマイ」
私はその問いに対し小さく頷いた。
「そのあとの小さいほうは、愛佳ちゃんが幼稚園の頃に作ってくれたものです。楽しそうにホタテをたくさん割いて、具材を必要以上に細かく細かく切っていたそうです。だから、お肉の配分を少なくして、そこにお水を少し加え、内からも外からも蒸してあげることで、一見すると魚のすり身で作ったような口当たりのふんわりとした子供でも食べやすい食感のシュウマイに仕上げたんです。」
ビールの入ったグラスを右手に持ち、愛佳ちゃんの方を見ながら愛佳ちゃんのお父さんがさらに話を続ける。
「小さい頃、なんでも大人と一緒じゃないと駄々をこねる性格だったんだよこいつは。普通のシュウマイの大きさだと口に入らない。かといって箸で小さくしてやると号泣する。それを理解してくれていたおじさんは、わざとこういう小さいシュウマイにしてくれたんだ」
遠い昔の思い出を克明に、且つ、懐かしむかのような口調だった。
「このシュウマイの材料は、豚ひき肉・ホタテの貝柱・長ネギ。味付けもお塩をつかうだけと、とってもシンプルなんです。だから、どんなふうにでも味も形状も変化させることができるんです。誰のためにどう作るのか。どうしたら喜んでくれるのか。そんなことを考え、食べてくれる人のために手間暇をかける。それが、山之上君のおじいさんのシュウマイの味の秘訣です」
「……」
シュウマイを一点に見つめる山之上君。その肩を二つ三つぽんぽんと叩くと、愛佳ちゃんのお父さんが言った。
「おじさんは、このシュウマイを作ってるときにな『俺たちの仕事ってのは、このシュウマイみたいなものだ。”美味しい”という、ある一定の基準は維持しなければいけない。だが、もっと大事なことは、食べてくれる相手が喜んでくれるように、柔軟に変化をしなければいけないことだ。変えちゃいけないし、変わらなきゃいけない。俺たちみたいな小さい町のクリーニング屋はマニュアル通りの仕事だけをしていちゃダメなんだ。「お願いしてよかった。またお願いしたい」って言ってもらうために、一人一人に合わせた仕事をしなきゃいけないんだ』っていってたんだ。いまならお前にもわかるだろ?」
無言で頷く山之上君を見つめていると、
「とみ。今の話しっかり覚えておけよ」
突然の不意打ちに、バッっと私は振り向いた。
いつの間に帰ってきたのだろうか。奥の部屋から姿を表したのは大将だった。
「よ、邪魔してるよ」と、愛佳ちゃんのお父さんは大将に向かって挨拶をする。
「今の話は俺たち料理人にもいえることだ。ただロボットのように栄養素を計算し、淡々と作っていればいいというわけじゃない。目の前にいるその人のために料理を作る。ある人は味を濃くし、ある人は逆に味を薄く、同じ料理だったとしても食べてくれる人は別々の他人なんだ。すべての他人を満足させられる料理を提供すること。俺はそれが本当の意味での料理人だと思って、この店を始めた」
私を含めた若輩者三人は、人生の仕事の先人の言葉を重く受け止めるしかなかった。
「山之上君」
「え?あ、は、はい!」
大将に唐突に名前を呼ばれ、声を裏返らせながら返事をした山之上君。
「君に食べてもらいたいものがあるんだ」
「え、えっと、は、はい」
ニコッと笑みを浮かべた大将は、揚げ物用の鍋のコンロに火を入れた。
菜箸を軽く水で濡らし布巾で拭き取ると、油の中へとそれを入れた。全体から小さい泡が出てくるのを確認すると、そこへ、蒸さずに残しておいたシュウマイを入れていく。
「揚げシュウマイ?ですか?」
と、山之上君が尋ねる。
「シュウマイは蒸すだけじゃないからね。揚げてやることで皮の食感も変わって、また違う美味しさがある。仕事も同じで、これにはこれしか無い。と固定概念をもったら駄目なんだ。違う目線、違う技法を柔軟に取り入れていく。同じことの繰り返しでは必ず壁にぶつかる。でも、常に創意工夫を持って仕事をしているやつは、必ず壁を超えていける。君にもそうあってほしいと俺は思っている」
純白の衣をきつね色に替えたシュウマイをすくい網で油の中から取り出すと、油取りようの和紙が轢かれた皿の上に盛り付けられていく。
「さ、これをつけて食べてくれ」
そういうと、スーパーの袋の中からケチャップを取り出し、小皿の上へと出していく。
「あ、大将ケチャップを買いに行っていたんですね」
「ああ、おまえがまかないで食べたいからと言って、オムライス作るときくらいしかケチャップ使わないからな」
「いただきます」といって、山之上君がケチャップをつけ、一つ口の中へと頬張る。それを見て、私も一つ頂くことにした。
パリッとした皮の中から、肉汁が迸り、それを甘いケチャップが包み込んでいく。
「大将。このシュウマイ何か入れました?肉汁の出方が他のと違うんですけど」
「牛脂の細切れを少し入れてある。豚ひき肉だけだとどうしてもジューシさが乏しかったからな。中華の料理なのに、アメリカで誕生したケチャップとここまで合うなんて誰が想像しただろうか?これが柔軟な発想というものの答えさ」
たしかに、同じ揚げ物でも天麩羅をケチャップで食べることはまず無い。基本は天つゆか塩だ。
「僕、おじいちゃんという存在にがあまりにも大きすぎて固執しすぎていたのかもしれません。このシュウマイのように、基本は守っていって、その時その時に合わせて姿形を変えて行く。おじいちゃんに教えてもらったことを基本に、僕自信が変わっていかなければいけないってことなんですね」
山之上君のその言葉を聞くと、大きな職人の右手で山之上君の頭をガシガシと撫でる愛佳ちゃんのおとうさん。
「そういうことだ。お前はおじさんにはなれない。だが、おじさんの技術と精神を受けつくことはできる。あとは、それをお前がどう活かしていくかだ。今日はいい勉強になったな」
「ありがとうございます」と、涙声まじりで言う山之上君を見て、つられて涙する女子二人。
「あ、忘れてた。とみちゃんビールおかわり。あと、グラスもう一個頂戴」
目尻の涙を手で拭うと、私は「はい。お待ち下さい」と言って冷蔵庫からビールの瓶を一つ取り出した。
「ん?グラスもう一つ?って誰が飲むの?」
それを聞いた愛佳ちゃんが鋭いツッコミを入れる。
「誰って、山之上に決まってるじゃないか。新しいステップに進んだ祝杯をなんでお前が飲むんだよ」
「だ〜か〜ら!!まだ仕事が残ってるっていってるでしょ!!二人して飲んだら、仕事終わらないじゃないの!!」
カウンターの上を右手で「バンッ!」と叩きながら、愛佳ちゃんは立ち上がって激怒した。
「ほら。飲め。今日は仕事終わりだ」
全く話を聞いていない様子の愛佳ちゃんのお父さん。二人の姿を交互にチラチラと盗み見ながら、両手で持ったグラスに注がれていくビール。
この父娘の熱量のまったく違うやり取りは三人のお昼休憩を過ぎてもしばらく続き、どちらの味方をすることもできない私は、ビールのおかわりを告げられる度にあたふたするのでありました。
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