-7- 和尚さんのごま豆腐 〜完結〜

 時間が経つにつれて、段々と騒がしくなる室内。


 最後にやってきたおばあさんの手を取り、私は指定の席に案内し着席させる。


 招待客はこれで最後。参加者の名前の書かれた帳面で問題がないことを改めて確認すると、腕で大きな丸を作り反対側にいるゆっこのお兄さんと大将に問題がないことを伝え、部屋の扉を閉める。


「本日は大変お忙しい中お集まりいただき、ありがとうございます」


 そう言って、ゆっこのお兄さんは手を合わせ、皆に向かって深々と一礼をする。


 今、私達が居るのは本堂横に併設されている別館の休憩室。10数人の檀家の方が招待され集まった。こう言っては失礼かもしれないが、平均年齢はかなり高めである。


「私達のほうこそ、住職が体調を崩されて気苦労多い時期だというのに、充分美味しい料理をお出しいただいたのに、前はこうだったとか、色々と余計なことをいってしまって申し訳ない」


「ほんとそうですよ。あなたが、味が違うとかどうとかいうから」


「そういうあなただって、後から「あれは違う」だとかブツブツ言ってたじゃないの」


 何人かのおば様達が揉め始めた、話の話題があらぬ方向に行ってしまい、負の方向性でガヤガヤしだしてしまった。


「まぁまぁ、みなさん落ち着いてください。今日はみなさんの仲を悪くするためにお越しいただいたわけではありませんので」


 その一声でガヤガヤしていた部屋は再び平穏を取り戻した。そう、今日集まってもらったのは、前回の仕返しをしたいからではない。前回のリベンジをするために集まってもらっているのである。


「梅雨の時期になりまして、暑さも徐々に本番に向かっております。そこで、本日はお蕎麦をご用意させていただきました」


 その言葉を合図に、私とゆっこの二人は檀家さん達の前に今日の料理の配膳を行っていく。


 ざる蕎麦2枚と野菜の天麩羅。そして、問題のごま豆腐。


「お蕎麦のほうは、妹の友人である富美子さんが務めるお店のご主人にご指導いただき、今朝、手打ちしたものであります」


 ゆっこのお兄さんの横で立っている、仕事着の割烹着を着た大将が皆に向かってお辞儀をする。


「『夏の蕎麦は犬も食わない』などと昔からよくもうしますが、本日は私の店でも使っております、昨年秋に収穫された蕎麦の実を真空パックして品質を維持させたものを今朝、製粉いたしました。是非、蕎麦の香りをお楽しみください」


 大将が説明した蕎麦粉。以前、純一さんが出張で仲良くなった蕎麦農家さんの畑で採れたものである。あの時にいただいた蕎麦の実の品質が、大将を唸らせるだけのもので、あれ以来、直接取引をさせてもらうことになった。今回も事情を説明すると快く蕎麦の実を送ってくれたのだ。


「そんなことを聞かされたら、まずはお蕎麦からいただかないといけませんな」


「そうですね」などと数人が言うと、割り箸を割る音が一斉に聞こえ、皆が蕎麦に箸を入れ、思い思いの方法で食べ始めた。


 ズッ、ズズズズズッ


 部屋中に蕎麦をすする気持ち良い音が響く。


 世間では『ヌーハラ』なるものがあると聞くが、蕎麦のように香りを楽しむものの場合は、香りを引き出すためにも音をたて、空気を一緒に吸い込むこの食し方のほうが美味しくなると私は考える。


 口から食道を通って胃へ。そうこうしているうちに、次の蕎麦に箸を伸ばすのが普通なのだが、なぜか半数以上の人の箸が止まった。


「おや?どうされましたか?」


 と、大将が近くにいる箸を止めた方へ近寄る。


「あ、いえ、ちょっと、風邪を引いて鼻詰まりなのかな、味がちょっと」


 少し困った表情で返答を返してくる。「かかったな」という、不敵な笑みを浮かべ、


「そんな嘘をつかれなくても大丈夫ですよ。美味しくないのでしょ?その蕎麦が」


 ズバリと、皆が言い難いことを大将が言うと、さらに続ける。


「ざるは二段になっております。今お召し上がりになられた上の部分を外して、二段目をお召し上がりください」


「そ、そうかい?じゃ、せっかくだから下の方も」


 そう言うと、上の蒸籠せいろを取り外し、二段目の蕎麦に箸を入れ、


 ズッ、ズズズズズッ


 と、また小気味良い音が聞こえる。


「こ、これは…」


 先程とは違って、二箸目、三箸目と、蒸籠の上の蕎麦がどんどんなくなっていく。


「いかがですか?」


 と、笑みを浮かべながら大将が尋ねる。テーブルの上に用意されていた紙ナプキンで口元を拭うと、先程箸が止まっていたその人は言った。


「いや、面目ない。本当のところを言うと、最初に食べたやつは味も香りもしないので、なんだか食感だけの紐のようなものを食べているようで美味しくなかったんです。でも、この下の蕎麦は香りも良くてとても美味しいです」


 続けて、隣に座っている男性の方も


「そうなんですよ。あなたがとても美味しいお蕎麦だと言うものだから、期待して食べたら、それこそゴムを食べてるような変な香りもして」


 それを聞くと、何かの確証を得たかのように大将はニコニコしながら口を開いた。


「私の予想したとおり、皆さん食べ物の味についてかなり敏感なようだ。実は、そこに、今回のご指摘の理由が隠されていたのですよ」


 場内がガヤガヤとしだす。それもそうだ、蕎麦を食べていきなりそんなことを言われるとは誰も思っていない。


「それはどういうことですかね?」


 と、窓際に座っていた男性の方が訪ねた。


「蕎麦と一緒にお出ししました、ごま豆腐を食べていただければその意味がわかると思いますよ」


 皆が顔を見合わせると、今度はさじを持ってごま豆腐をひと掬いして、口へと入れる。


「…」


 ゆっこのお兄さんが片付を飲んで見守る。


「先代の住職の味と一緒だわ」


 一番前に座っていた女性の方が口を開いた。


「あぁ、これに間違いない。この味は先代の住職の味だよ」


 その言葉を聞き、安堵するゆっこのお兄さんの表情を見て、「やった♪」と私とゆっこは胸の前でちっちゃくハイタッチをする。


「しかし、見た目は以前副住職が作られたものと一緒なのに、一体何が違うというのか?」


 先程の窓際の男性の方が言うと、


「実は、味付けなどに関しては全く一緒なのです。替えたところは作り方なのですが、それもほんの1工程だけなのです」


 と、ゆっこのお兄さんが答える。


「1工程だけなのに、こんなに味がかわるのですか?」


 部屋の中ほどにいる女性の方が尋ねる。それに対しては、大将が答える。


「ごま豆腐は材料も作り方もシンプルが故に、味の善し悪しがすぐにわかる料理なのです。1工程とはいえ、それが仕上がりの味わいに大きな影響を与えるのです」


「先代の住職の日記にあったごま豆腐の作り方は、まず、胡麻を炒った後、すり鉢で胡麻をよくすります。すりあがった練り胡麻状のものを、今度は昆布の出汁の中へ入れ、ひと煮立ちさせ冷まします」


 日記を見ながらゆっこのお兄さんは話を続ける。


「その後、それをし、葛粉を加え、熱を加えながらゆっくりと20分ほどかき混ぜながら練り込んでいきます。それが終わったら型に流し入れ、冷蔵庫で冷やして完成です」


 そう。私が大将に教えてもらった作り方も全く一緒なのである。シンプル・イズ・ベスト。ごま豆腐の作り方には特に複雑な工程はないのだ。あるのは、根気よくすり続けることと、そしてかき混ぜ続けること。


「その中のどの工程が問題だったのでしょうか?」


「問題というわけではないが」と、前置きをして大将が返答をする。


「すりあげた胡麻を、濾す。という作業です。実は、この作業が一番味に影響を与えるのです」


 と、言うと、どこからか、漉し器とさらしを取り出した。


「前回副住職が作った際に使ったのがこちらの一般的な漉し器。今回使ったのは、こちらのさらしです」


 副住職と大将に近い席の人が実際に手に取り、それをまじまじと眺める。


「私には同じ濾すための道具にしか見えないのですが、この2つに大きな違いがあるのでしょうか?」


 大将が漉し器を手に取ると、


「この2つの道具の違いは、目の粗さです。ごま豆腐に使う胡麻は、すり鉢ですり続けることでペースト状の練りごまになります。それを昆布出汁に溶かした後、濾すわけなのですが、漉し器では目が荒すぎたのです」


 窓際とは反対側にいる女性から


「目が荒すぎた?と、申しますと?」


 と、質問が飛ぶ、今度は、副住職がその質問に対して答える。


「いくら丁寧にすり鉢ですったとしても、皮などのようなものは完全にすり潰しきれず残ってしまいます。それを取り除き、滑らかなペースト状にするために濾すという作業を行うのですが、漉し器では目が荒すぎて、それらをすべて取り除くことができなかったのです」


 さらに補足説明をするように大将が話を続ける。


「そう。そしてそれは出来上がったごま豆腐の風味の中に雑味などとして現れた」


 昨日の夕飯、今日の練習を兼ねて私たちは全く同じ献立を頂いた。初日に食べたときは、美味しいと感じたごま豆腐も、改めて食べ比べてみると、さらしで濾したもののほうが、舌触りも滑らかで、透き通ったような雑味のない胡麻の風味を感じた。


 しかし、決して先のものが不味いわけではない。胡麻本来の持つ雑味が複雑な味わいとなっていて、それはそれで美味しいかったのである。


「完全に好みの問題なんだが、いい勉強できたろ?」


 と、ゆっこのお兄さんと私に向かってドヤ顔で大将は語っていた。


 作り方は同じで、使う道具一つでここまで味が変わるなんて誰が想像するだろうか。


「あえて、不味い蕎麦と旨い蕎麦を用意したのは、皆様の味覚と嗅覚を試させていただいたのです。香りもない、むしろ、酸化した香りの蕎麦にどう反応されるかそれをみたかったのです」


 そして、大将の予想は見事的中した。ジャンクフードや、ファーストフードに舌を慣らされていない年配者の舌は、微妙な変化にも過敏に反応するのだと予想建てたのだ。


「続いて、皆様に食べていただきたいものがもう一つあります」


 それを合図に私とゆっこは皆の前に配膳をすすめる。そう、もう一つの宿題「おはぎ」だ。


「どうぞ、お召し上がりください」


 相手が高齢だということもあり、前回と同じで一口サイズのものを2個。菓子楊枝でおはぎを刺し上げ、皆が口へと運び入れていく。


 少しの間があったあと、何人かが、何かを確信したかのように「うんうん」と首を縦に振る。


「そうです。これです。この味です。私が食べたかったのは」


「私もです。なんというのか、前回いただいたものは、どこか上品すぎて食べたい味とは違ったんですよね」


 皆の顔が笑顔になるのを確認すると、ゆっこのお兄さんは大将の方を見る。


「やっぱり。そうだったな」と、ゆっこのお兄さんの背中を一つポーンっと叩く大将。


「実は、このおはぎも、一箇所作り方の工程を替え、少し手を加えただけなのです」


 そう、ゆっこのお兄さんが告げると、またも場内がガヤガヤとしだす。


「今度は先程のごま豆腐とは逆で、雑味の取り過ぎが問題だったのです」


「雑味の取り過ぎ?」


 大将が言った言葉に対しては、ゆっこが質問を投げかけた?


「副住職は、精進料理の勉強をされる過程でお知り合いの方から和菓子職人の方を紹介して頂き、そこで餡の作り方などを学んだ。とおっしゃっていました」


 大将がそのように説明すると、ゆっこのお兄さんは「うんうん」と頷く。


「昔から、和生菓子の甘さは干し柿が基準である。と申します。茶の席などで使われる和菓子は、茶の味を邪魔してはいけない。だから、軽く上品に作られるのです」


 大将が、おはぎの乗った菓子盆を手に取る。


「しかし、みなさんが望んでいる甘さはそうじゃない。もっと田舎っぽくてべたぁ〜っとした甘さだった。特に、おはぎなどは田植えなど農作業の間のおやつなどとして食べていた方も多いのではないでしょうか?つまり、皆様の思い出の味に対して、副住職が作られたおはぎは上品すぎたのです」


「確かに甘さが上品すぎるんだよな」


「そうそう。もっと泥臭い味のが食べたかったのよね」


「いつまでも口の中に甘みが残って、渋いお茶が欲しくなるような甘さが美味しいのよね」


 など、皆が口々に自分の理想のおはぎの味について語り始めた。


「いま、皆様がおっしゃるようなご指摘をご主人からいただき、私は何か大事なものを見つけることができたと思いました。料理は、ただ美味しければいいわけではないんだと、誰のためにどういう気持で作らなくてはいけないのかと、改めて痛感する機会となりました」


 ゆっこのお兄さんにとっても、私にとっても、このおはぎの味については目からウロコなことであった。


「ちなみに、どこを替えられたのですか?」


 車椅子に乗ったおばあさんが尋ねられる。


「すごく簡単なことですよ。2回行っていた渋抜きを1回にしただけです」


 と、大将が答える。


 渋抜きとは、小豆を煮る時におこなうアク抜きのことである。やればやっただけ、渋が抜かれて味わいは軽くなる。しかし、それと同時に旨味なども抜けてしまうので、やりすぎることは禁物。


「上品で軽い味わいにするため、教えをいただいた職人の方はそうされていました。ですから、私のなかで、そうするものなのだと勝手に思い込んでしまったのです」


 と、ゆっこのお兄さんは答える。


「あとは、甘みの付け方も少しだけ替えました。田舎臭さを出すためにザラメの量を減らし、上白糖を増やしてあります」


「なるほど」と、席のいたるところから納得する声が上がる。


「今回は、皆様のお陰で『雑味』というものが如何に大切なのかということを学ばせていただきました。雑味は、仏教で言うなれば煩悩のようなものであります。そのものを良くするためには取り除かなくてはいけない。ですが、煩悩があるから、その人の個性と言うものが出るということもあります。料理の作り方や味、これらも含め、私が行いたいと考えている料理僧に活かせていければと考えている所存でございます」


 そういって、ゆっこのお兄さんは皆の前で合掌し深々と頭を下げた。


 その姿に対して、会場に集った檀家の方達からは温かい拍手が送られる。


 私とゆっこは改めてハイタッチを交わす。


 料理の作り方、まして、使用する道具や、手順の回数。ほんの些細のことでも、人々の脳裏に刻まれた思い出の味とは食い違っていってしまう。今回は、改めて大将の料理に対する感性の広さと、相手の事を考えた料理の味付けの極意を学ぶことができた、そんな充実した三日間でした。


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