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 ヒラヒラふわふわと、まるでたんぽぽの綿毛のように私は空を漂っている。


 アニメにでてくる魔法少女のように、車や飛行機よりも高速で俊敏に且つ自由に飛び回る。なんてことはできなくて、ゆっくりと飛行し(正しくは”落下”というのかもしれないが)そっと大地へと着地した。


 乱れた上着やスカートの裾をササッと整え、私は目線を上げる。


 地平線のはるか向こう側まで広がる草原。その草原に生える草木を揺らす、心地よくて暖かな風。その風は、蒼天に浮かぶ八雲をゆっくりと運び、川底まで見えるほどの透明度を持った川は、蒼天の空を写し瑠璃色に輝いている。


 草原には光り輝く花が咲き乱れ、木々達からは鼻孔を甘く刺激する桃のような果実を実らせている。そんな非現実的な草原からは、虹色に光る蝶や、いつまでも聴いていたくなるような心地良い音を響かせる虫などが生息している。


 もう両の手足では数えられないほどこの世界に来ているというのに、目の前に広がっているこの風景や現象に一向に慣れる気配はない。


 いや、おそらく慣れてしまったらいけないのであろう。


 なにしろ、ここは『三途川のほとり』現世と彼岸あの世を分ける川岸なのだから。


 私は目を閉じると、肉体という制御装置から開放された魂の五蘊ごうんの力を段階的に引きあげていく。そうすることでは、現世では到底見えるはずのない距離の物も見え、聞こえるはずのない遠くの音も、どんな些細な音も聞こえる。空気の微妙な流れの変化でさえも、肌で感じ取ることだってできる。


 その聴力のおかげで、はるか遠くの方から、ガラガラと何かを壊す音と子供の泣き声が聞こえてきた。おそらく、一度もその光景を見たことはないが、賽の河原さいのかわらで行われている石積みの音なのだろう。


 賽の河原では、親よりも早くに命を亡くした子供達が、河原の石を使い「自分の背丈まで石を積み上げる」という石積みの行為を行っている。ところが、完成間近になると鬼がやって来てそれを崩していくのだという。


 積んでは崩され、また積んでは崩され、いつ終わるかわからないこの所業を子供達は永遠と続けなければいけない。


 天から地蔵菩薩が現れ、子供達を救ってくれるその時まで…


 どうしてこんなことが行われているのかと、小さい頃におばあちゃんに尋ねてみたことがある。


「昔からあれは『子が親の供養のために親の供養塔を作っている』のだと言うけれど、ばあちゃんはそうは思わない。あれは、供養塔を作っているのではなくて、親に降り掛かる災いを代わりに受けるための『形代』を作っているんじゃないかと思う。そうだろ?死者が生者を供養するなんておかしいじゃないか♪死者が生者にできることは、天から見守って、降り掛かる災から守ってあげることなんだから」


 と、教えてくれた。幼かった私には全く理解が出来ない内容であったが、今となっては、その意味を理解できる。


 私はゆっくりと歩みを進めると、瑠璃色に輝く川の岸についた。


 川の中を泳ぐ虹色の魚を眺めていると、向こう岸の方から手漕ぎの舟がこちらに向かってやってくるのが見えた。


 岸に着いた舟に乗っていた、二人の初老の男性(正確にいうと御霊なのだが)が私のほうへと歩み寄ってくる。


「こんにちわ」


 私は、彼らに挨拶をした。


「お待たせいたしました。いやいや、こういうことは初めてでお盆の時のようにスムーズに舟に乗れなくて往生してしまいました」


「『面会だ!』って言われた時は一体全体どういうことなのかわからなかったよ。こんなところにやってくるのは亡者か、生死を彷徨っているやつしかいないからね」


 二人はとても気恥ずかしそうに話をする。二人の正体は、一人は山之上君のおじいさん。もう一人は愛佳ちゃんのおじいさんである。


 私としては、できることならば山之上君のおじいさん一人を引き寄せたかったのだが、すぐに入手できる思い出の品の中に決定的なものがなかったのである。


 山之上君の実家の方から遺品を幾つか送ってもらうことも考えたのだが、私の事や、ことの経緯を一から説明したとして、理解納得信用してくれるかはわからない。


 だから、通常よりも遥かに多くの霊力を使うことになるが、親友である愛佳ちゃんのおじいさんと山之上君のおじいさんが一緒に写っている写真を媒介とし、二人同時に引き寄せることにしたのである。


「それにしても、せがれが仏壇で言ってた通りだったな。こんな可愛い子がむさ苦しいジジイ二人に会いに来てくれるなんて、死んでもいいことはあるもんだな」


 おそらく、愛佳ちゃんのお父さんが位牌を通して何か話をしていたのであろう。


「ありがとうございます。本当ならゆっくりとお茶でも飲みながら。と、言いたいところなのですが、そうもいかないもので」


 私は早く本題へと進みたかった。同時に二つの御霊を引き寄せることによる自身の負担がどれほどのものなのかが正直いって全くわからない。死を受け入れられずに彷徨う御霊達が取り憑くこともないし、彼らが暴走することもないとおもうが、できるだけ手短に済ませておきたい。


「そうだったね、申し訳ない。要件としては、孫が、『私の作る『シュウマイ』をもう一度食べ、その味の秘密を解き明かしたい。』言っているのでレシピを知りたい。で、よかったかな?」


「はい。山之上君は今、おばあさんがお店を一人で切り盛りしているのを助けたいと、愛佳ちゃんのところへ修行にきています。ですが、愛佳ちゃんとおじさん二人の仕事ぶりを見、自分の技量の未熟さに痛感して、いまスランプに陥っています」


「せがれと愛佳は俺が直々に教えてやったからな。1から学ぼうとすると無理もないかもな」


「まったくスキルが無いというわけではないと思うぞ。孫は、私の職場をよく遊び場にしていたからね。おそらく、二人の仕事姿に、私の背中を重ねているのでしょう。私とこいつは「腹違いの双子」って噂されるくらい仕事中の動作が似てますからね。こいつが直接教え込んだ二人であるなら、そっくりに見えたとしてもおかしくない」


 つまり、山之上は愛佳ちゃん達の働く姿を見て、技量の無さに悲観したのではなく、自分のおじいちゃんの姿を無意識下の中で重ね合わせてしまい、憧れのおじいちゃんの仕事の凄さにショックを受けた。ということになるのだろうか。


「孫には、仕事に関することは何一つ教えてやらなかったが、料理に関しては色々教えてやりました。だから、仕事では私の背中ははるか遠くに見えても、料理でなら肩を並べることができると考えたのでしょう」


「実は、愛佳ちゃんのお父さんがそのシュウマイを以前召し上がったことがある言っていたのですが」


「あるある。何度かあるよ。多分愛佳も幼稚園に入るくらいの頃に食べたことあるんじゃないかな?こいつが作るときは「うま味調味料」みたいなものは一切使わないから、幼児にも安心して食べさせられるんだよ」


 うま味調味料。世にいう『化学調味料』のことだ。愛佳ちゃんのお父さんが言っていたことはやはり正しかった。


「私の料理の師であるひとに、シンプルなものほど味を再現するのは難しいと言われたのですが、私のような料理人見習いを片足抜け出したようなものにでも作れるものなのでしょうか?」


 そういうと、山之上君のおじいさんと愛佳ちゃんのおじいさんは顔を見合わせ、吹き出して笑った。


 むぅ…人が真面目な話をしているのに、なんて失礼な…と、少しふくれっ面でいると、


「いやいや、突然笑いだしたりして申し訳なかった。お嬢さんよく考えてごらんなさい。私の本業はクリーニング屋だ。あなたのように師の元で料理の修行をしたことなど一度もない。ずぶの素人料理など、作り方がわかればすぐに作れますよ」


「でも、大将は…」


 と、言いかけたところで、山之上君のおじいさんは私の前に歩み寄ると、私の両腕をポンポンッと叩いた。


「料理を作ることで一番重要なのは、良い食材をたくさん使うことでも、手間暇をたっぷりとかけることでもない。自分の作ったものを『美味しい』と言って食べてくれる人の姿を想像しながら作ることです」


 ――― 美味しいと言って食べてくれる人の姿を想像する ―――


「代価を頂いて提供されるあなた達の料理は、確かに、常に同じ味を求められることでしょう。しかし、家庭料理というのはそうではない。同じものを作っても、毎日少しずつどこかが違うのです。煮物の味付けや味噌汁の濃さ、それこそ、電気炊飯器で炊く米ですら違うんですから。家庭料理で同じ味を求めてはいけない」


「でも、それじゃ…」


 それじゃ、山之上君が求めているおじいさんの思い出の味を食べさせてあげることはできない。


「あなたが知りたがっているシュウマイの作り方には、何一つ特別なものはありません。材料もスーパーにいけば簡単に手に入るものばかりだ。大事なことは、誰が食べてくれるのか?それをよく考えて作ってくれさえすれば、おのずと答えは見つかるはずですよ」


 山之上君のおじいさんは困惑している私の右手を取ると「手を開いて」と言って、開いた手の平の中に小さな紙切れを一つそっと置くと、その手を自身の両手で暖かく包み込んでくれた。


「そうだ、一つだけヒントを上げましょう」


 優しい温もりに包まれていた右手をじっと見つめていた私は、その言葉にはっと我に返る。


「孫が私のシュウマイを好んで食べていたのは、中学生くらいのときでした。ちなみに、こいつの家にあそびに行ったときは、愛佳ちゃんはまだ幼稚園に入りたての頃でしたかね」


 え?なにそれ?ヒントなの????


「そ、それはヒントなのでしょうか?」


 うろたえる私に、山之上君のおじいさんはニッコリと微笑むと、さも当然のように


「えぇ、もちろん。とってもとっても大事なヒントですよ」


 といった。


「さて、そろそろ戻りましょうか。お嬢さんもタイムリミットが来ているようですし」


 愛佳ちゃんのおじいさんにそういわれ、私は自身に起きていることに気づく。


 体中からホタルが光を放ちながら飛び立つかのように、光の粒子が無数に湧き上がっている。魂を人型に形成維持することが限界に達し崩壊し始めているのだ。


「さ、最後に一つ聞いてもいいですか」


 舟に乗り込もうとしている二人を私は呼び止める。


「山之上君に、なにかかけてあげる言葉があったら教えてください」


 腕を組み、う〜んっと悩むと、


「……………」


 ・・・・・・・・・


 ・・・・・・


 ・・・


 ・


 全身の気だるさと途方もない疲労感で目が覚めた。


 肉体と魂の整合性がまず取れず、四肢に麻痺が残るが、右手には山之上君のおじいさんが握らせてくれた小さな紙切れと、あの、優しく温かいぬくもりがまだ残っていた。


 紙切れを開き中身を確認すると、本当にどこのスーパーにも売っていそうな材料とシュウマイの作り方が書かれていた。


「美味しいと言って食べてくれる人の姿を想像する。かぁ」


 息苦しさを感じ、なんとか体を起こして仰向けになり、天井をぼ〜っと眺める。


 どうやら二つの御霊を同時に引き寄せた反動はやはり大きかったようで、私はいつの間にか眠りへとついていた。

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