親友のカレーライス -完結-
~本日貸し切り~
入り口の扉には、そのように印刷された紙が張り付けられている。しかし、貸し切りだからと言って別段特別なことは何もない。いつもと同じように仕込みをして、いつもと同じように料理を仕上げ、いつもと同じようにお客さん達と会話する。それが、大将が
「最上、よくこんな店見つけたな」
「本当だよな。大人の隠れ家みたいでいい雰囲気だし、料理も旨いし、女の子も可愛いし」
ピクッ
『可愛い』という単語に反応し、天ぷらを並べる手が止まる。それに即座に気づいた大将。無言で足のつま先をちょっと踏んでくる。うぅぅ…地味に痛い。
今日は予算も決まっているのでコース形式で料理を提供することになっている。
前菜:菜の花の生ハム包み
吸物:桜エビの真丈
造り:朝堀の竹の子のお造り
焼物:鰆の西京焼き
凌ぎ:鰹の手毬寿司
蒸物:湯葉の茶碗蒸し
揚物:ふきのとう・タラの芽・こごみの天麩羅
今回の献立はこんな感じ。通常であればこの後にご飯物がでて、デザートがでて終了となるのだが、今日は違う。
天麩羅を一様に食べ始めるのを確認すると、
「それじゃ、頼まれていたもの、そろそろお出ししますね」
私はそう告げ、奥へ例のものの準備をするために引っ込んだ。
「ん?おまえ、一体なにを頼んだんだ?」
その問いに最上さんが答える。
「今日みんなが集まってるのって、あいつの追悼を行うためだろ?だから、あいつにちなんだものを作って貰ってるんだよ」
「あいつにちなんだもの?まさか、俺らがガキのころにみんなで食ってたあれか?」
童心の頃の記憶が蘇ってきたのだろうか、声のトーンがいくらか若がえったかのように弾んでいる。
「そう、それだよ。無理を言ってあの時の味を再現して貰ったんだ」
「ほんとか!?似たような味はたまに食べるんだけど、どこに行ってもおんなじものが食えなくて、俺ももう一度食べたいと思ってたんだよ」
カウンターからは、昔食べた懐かしい味を待望する会話が聞こえてくる。私は、長盆に人数分のカレーライスを乗せカウンターへと戻った。店内にはカレー特有のスパイスの香りが充満する。それをひとりひとりの前に置いていく。そして、大将にも一皿渡す。なんだかんだ言って、大将もこのカレーライスのことが気になって仕方がなかったらしく、裏で作っている時に自分の分も用意してくれと言っていたのである。
カレーの具材はシンプルで、じゃがいも、玉ねぎ、にんじん。そして例の「肉のようで肉ではないもの」その4種類だけ。
「そうそう、具はこんな感じでゴロゴロ入ってた」
「今ならわかるかもしれんな、この肉っぽい繊維質の固まり達」
皆が一様に思い出のカレーについて語り始めた。
「どうぞ温かいうちにお召し上がりください。」
私がそう促すと「頂こう頂こう」と、皆がスプーンを手に取り思い思いに食べ始める。この瞬間が一番緊張する。作り方も材料も当時のままのものを極力使い、調理方法なども故人と同じ手順で作っている。しかし、時として思い出という調味料は、本物以上の味に美化して形作ることもあるからだ。
「…」
一口食べた最上さんの手が止まっている。
「ど、どうでしょうか?」
私は全員の顔を見回す。無言で固まっている人、その手を止めることなく食べ続けている人。最上さんは二口目を口にしている。その味をゆっくりと噛みしめたのち、烏龍茶を一口飲むと、
「これです。私が、ず〜っと探していた味です」
私の顔を見て、最上さんが嬉しそうな顔をして呟いた。
「格別美味しいわけじゃない。それこそ、先に頂いてる料理の方がずっと美味しいけれど、でも、今までで一番食べたかった味です」
張りつめていた緊張の糸が一気に解けていく。完食した一人の方が、
「ここでこういうのはあれかもしれないが、お代わりってあるかな?」
緊張の糸が切れて安堵し、軽く放心状態にいる私の背中を大将がポンと叩いた。
「あ、はい。大丈夫です。一応一人2杯は食べていただけるように作ってありますから。」
「それじゃ、私もお代わり」「私もだ」
たった一杯のカレーライスを、私のお爺ちゃんくらいの年齢の方たちが、目に涙を浮かべながら一心不乱に食べている。みんなが探し求めていた思い出の味。それに再会できたことの喜びが顔いっぱいに滲み出している、それを見ているだけで私もうれし泣きしてしまいそうになるのをぐっと我慢する。
「富美子さん。よかったら、このカレーライスの作り方を教えてもらえないだろうか?」
一杯目のカレーライスを食べ終わった最上さんが、尋ねてきた。
「作り方事態は実はそんなに難しいわけでもなくて、最上さんが言っておられた『肉に非ざる肉』も今ではすごく簡単に手に入るもので…実は、これなんです。」
そういって、私が最上さんたちの前に一つの缶詰を置いた。
「これは、『シーチキン』ですか」
「はい。このカレーの具材にかかせないものは、このシーチキンなんです。別名「海の鶏肉」と呼ばれる食材で、ちょっと調べてみたところ、1930年にはマグロの油漬缶がアメリカに輸出されていて、1950年頃には国内で販売普及もしていたそうです。だから、当時としてはちょっと珍しい食品だったのかもしれません。そして、もう一つ味を決める上で大事なことがあります。」
「大事なこと?ですか」
実は、具材以上にこれが一番重要な項目だとおもう。
「このカレーライス、スープストックとして『かつお出汁』を使うんです」
先ほど似たような味を食べたことがあるという方が、膝の上を手でポーンと叩いた。
「かつおだし!あ、なるほど。どおりでうどん屋で食べるカレーうどんの味が、これに似てるような気がするわけだ」
私もその作り方を聞いたときはちょっと驚いた。後から調べてみたところ、実はカレーうどんも、カレー南蛮も、戦前にはすでに発明されている食べ物だった。その裏を取るためタブレットで調べ一人感心していると、仕込みを終えた大将に見つかり何度目かの「本当に勉強したんだよな?」攻撃を浴びせられたのだが…
「はい。ご友人の方も作り方のヒントとなったのがカレー南蛮だったそうです。この2点さえ押さえれば作り方はいたってシンプルで、まず、少し濃い目にかつお出汁をとります。そこに、醤油、酒、みりん、塩などを加え味を調え、そこに、カレー粉を加えダマにならないようにかき混ぜながら煮込んでいきます。当時は今みたいな固形のカレールーがないので、今でも昔とほとんど変わらない調味脂肪分も少なめのカレー粉を使っていきます。次に、シーチキンの缶を開けて、その油を使ってたまねぎを軽く炒めます。香りが出てきたらにんじんも入れて軽く炒めます。先ほど作って煮込んでいる出汁カレーの中にジャガイモ、炒めたたまねぎとにんじんを入れて柔らかくなるまで煮込みます。野菜が柔らかくなったら、シーチキンを細かくほぐし入れて完成です。」
工場で働く従業員、そして、その子供たちである友人達が喜んでくれるようにと、一生懸命工夫して作ったシーチキンのカレーライス。 それが、最上さん達の忘れることのできない思い出の味。
「あの当時は従業員だけでも20−30人いて、僕ら子供らを合わせたら50人くらいいたから、調理方法だけ聞いたら簡単だけど、その分量を一人で作ってたあいつのことを考えると、本当に大変だったろうな」
「そうだよな。それに一杯じゃ終わらなかったからな、子供も大人もみんなおかわりして、お腹一杯になるように食わせてくれてたし」
空になったお皿を見ながら皆が口々に語りだす。
「最後に、ご友人の方から皆さんに伝言があるのでお伝えいたします。」
ご友人から預かった最上さん達への大事な伝言。
「毎年みんなで集まって、楽しかった頃の思い出話をしては、お墓に花を供え手を合わせてくれてありがとう。『ずっと忘れないでくれ』とは言わない。今みたいに年に1度、みんなの顔が見れるだけで充分。誰が一番先にこっちに来るかはわからないけど、俺が色々案内してやるから心配することはないぞ。とのことです。」
手に持つ涙を拭うハンカチはその色を大きく変えている。涙が零れないよう天を仰ぐ方もいる。みんな一様に思うことがあるのだろう。
「富美子さん、本当にありがとう。あいつが死んでから早数年。頑なに秘密だと言って教えてくれなかったカレーライスのことばかり考えていました。でも、あいつの言葉を聞いて、何か心の靄が晴れたような気がします。これで、やっと本当の意味での追悼会ができたような気がします。本当にありがとう」
最上さんが深々と頭を下げる。私に唯一できる、私にしかできない仕事。今、無事に終わることができました。。
天災や不慮の事故などで、大切な人を失ったとき、残された人々はそこで立ち止まっていてはいけない。半歩ずつでもいいから前に進んでいかなければいけない。そのためには、そのことを忘れなければいけない。でも、忘れてはいけない。だから、朝、仏壇などにお線香をあげて故人のことを思い出してあげる。でも、それがすんだら、自分のするべき日常のために、忘れることがだいじなのです。
一周忌、三回忌、七回忌、仏教では故人のための法要を行う年が決まっている。それは、みんなで集まって、故人のことを思い出話をして思い出してあげるため。それ以外は、自分たちが前に進むために活動するための期間。
忘れなきゃいけない、忘れちゃいけない。忘却と記憶のバランスが、故人を弔うために最も必要なことなんだと、改めて考えさせられる機会となりました。
P.S
さて、あれこれ色々食べた後に年甲斐もなくカレーライスを全員が二杯も食べたことにより、残念ながら用意してあったデザートを食べられる人は一人もおらず、全員が全員お持ち帰りしましたとさ。あ、カレーを食べた大将は「出汁残った時家で作るか」と割とお気に入りだったようです♪
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